9月11日以後、事態は一変し、世界の治安に向け在日米軍の存続理由は米国にとって説得力のあるものになりました。
このままいけば横須賀は原子力空母の母港になってしまいます。私達はそれを望みません。
横須賀に空母の入港中はつねに所属機(80機)が昼夜は問わない傍若無人の訓練を強行します。
臥床している病人は怒りと腹立ちのため、自ら転がって体を障子にぶつけて無言の抵抗で苦痛を家族に訴えてくる。

9.11を契機として拡大・強化の危険性
米軍基地に苦しむ「横須賀・厚木・相模原」からの訴え

 通常型空母キティホークを含む11隻の艦船で構成するアメリカ海軍第7艦隊が1973年以来母港にする横須賀、及び空母艦載機の飛来する厚木飛行場のある大和・綾瀬の地域、及び在日米軍基地から運び込まれる廃棄物までも保管する相模補給廠を抱える相模原地域から訴えます。


 ポツダム会議以来米軍の日本駐留は1/2世紀にもなります。
 あの悲惨な9月11日以前、アメリカ国内では冷戦終結で軍縮が進む一方、日本では米軍基地の拡充が進められようとしてきました。しかしアメリカ本土の軍縮にあわせ、私たちは在日米軍の縮小を願ってきました。9月11日以後、事態は一変し、世界の治安に向け在日米軍の存続理由は米国にとって説得力のあるものになりました。

 現在、横須賀では原子力空母の母港を前提に12号バース延長工事が進められようとしています。附帯設備もです。アメリカ海軍の空母は11隻で、そのうち通常型空母3隻は約10年後には全部退役すると聞いています。このままいけば横須賀は原子力空母の母港になってしまいます。私達はそれを望みません。

 アメリカは建造やメンテナンスに莫大な費用のかかる原子力推進空母だけを作り、退役空母や原潜の原子炉の処分のために更に莫大な費用をかけようとしています。
 更に空母の修理可能な6号ドックと優秀な艦船修理技術者集団の存在は、横須賀を原潜の母港に望む米海軍のねらいまでも可能にします。しかし私達はそれを望みません。1966年以来、原潜の横須賀寄港は680回を越えました。横須賀港に生息するハゼ(魚)に背骨の異常や皮膚の異常が目立ちはじめているのです。

 空母が大きくなれば、艦載機は更に大きくなり、爆音は更に大きくなるでしょう。
  



 神奈川県内の大和・綾瀬の両市に跨る恰好で、広大な面積を占める厚木基地があります。1973年10月からは、横須賀を母港としてきた米空母(現在は3隻目のキティホーク)の艦載機のホームベースです。横須賀に空母の入港中はつねに所属機(80機)が厚木基地に飛来し「滑走路を空母の甲板に見立て昼夜は問わない傍若無人の訓練」を容赦なく強行に実施しています。

 訓練が続く間は激甚な爆音被害を周辺住民は浴びせられ、生活は破壊され(テレビ・電話はダメ 会話は中断)、心身には回復できない苦痛を与えられています。幼児は泣き出し親にしがみつき、子供は小さな手で耳を塞ぎなんとか身を守ろうとします。臥床している病人は怒りと腹立ちのため、自ら転がって体を障子にぶつけて無言の抵抗で苦痛を家族に訴えてくる。こうした周辺住民の爆音による生活実態は、解決できずにもう30年以上も続いており、押し付けられてきました。

 日米間では安全保障条約─地位協定があり、米軍の行動は必要以上に保障されていますが、基地周辺住民の人権を奪い生活を破壊する権力作用まで許されることは絶対にない筈であります。



 戦争があるたび、相模補給廠は物資の出入りが激しくなります。在日米軍基地の廃棄物も運び込まれます。最近はPCBが日本国内で大きく話題になりました。相模補給廠のPCBが横浜ノースピアから船出しましたがアメリカ本国の全部から陸揚げを拒まれ、結局ノースピアにもどって来ました。その後米連邦の島に空輸されたと聞きましたが、相模補給廠に残存するPCBはまだ沢山あります。

 また第7艦隊に属する艦船が日本国内の商業港に停泊することを求め核搭載の有無を求められたり、停泊を拒否されたり、予想外の商業港に数日停泊する状況が最近目だちはじめました。
 私達は米軍の逸脱した行為等を安保条約─地位協定の原則にもどすことを求め、長期駐留の解除を求めます。
 私達はアメリカの軍拡を非難しますが、アメリカの多様さ、政府の暴走を止める人材やチェック機能には学ぶべきものがあると思っています。



 遠い日本へ良く来てくださいました。ありがとう。

厚木基地爆音防止期成同盟
委員長 鈴木 保

原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会
筧 璃恵子


■この文章は、「バーバラ・リーさん日本講演会」でのリーさんとの対談の準備用に作成されたものです。、日本人全体にとっても知っておかなければならない重要な事実が含まれています。多くの人にこの実態を知ってもらうために筆者にご了解を得て掲載いたしました。

2002年8月8日 ピース・ニュース