指揮系統
(その2)
CHAIN OF COMMAND

アブグレイブの惨劇への
国防総省の対応の失敗

セイモア・M・ハーシュ
How the Department of Defense mishandled the disaster at Abu Ghraib
by SEYMOUR M. HERSH


ザ・ニューヨーカー 5月17日号より
http://www.newyorker.com/fact/content/?040517fa_fact2


[翻訳] ピース・ニュース

 セイモア・ハーシュ記者の「指揮系統」の紹介の続きです。
 
 前半に引き続き、後半ではアブグレイブでの拷問が、組織的に行われたことを、ますます具体的に指摘しています。

■昨年(2003年)秋、暫定連合政府(CPA)に対するイラク民衆の抵抗闘争の激化を受けて、収容所での憲兵隊と諜報機関の役割が変化したこと。

■それは収容所を戦争のための情報収集=尋問のための場所へと変化させるものであったこと。

■グアンタナモ収容所司令官であるミラー少将がこうした収容所の役割の転換を提案し、イラクでの司令官であるサンチェス将軍かこうした役割の転換を認める命令を発行していること。


 下級兵士に責任をすべて負わせて軍のトップにまで責任が波及しないような形で、裁判が進められています。この記事はそうした動きに対する鋭い反論となっています。

 セイモア・ハーシュ記者は、ベトナム戦争中に南ベトナムのソンミ村で起こった米軍による約500名の村民の虐殺=ソンミ大虐殺をスクープした記者です。ハーシュ記者はこの記事でピューリツア賞を受賞しています。
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col501.html


(1)から続く

 軍事規約についてのペンタゴンの苛立ちは軍事作戦の過程で捕まえた収容者の取り扱いに関する疑問にまで広がった。9/11の直後テロとの闘いが始まっていた時に、ドナルド・ラムズフェルドは繰り返しジュネーブ条約に対する彼の軽視を公言した。2002年始めにラムズフェルドは、アメリカの収容者への取り扱いに対する苦情は要するに「国際的に自由に意見を述べるという雰囲気の中での隔絶されたポケット」ということになると述べた。

 アブグレイブで起こったことを明らかにする努力は雑多に広がった関連する調査へと進展している。そのうちのいくつかは慌てて一つに寄せ集められたもので、25人の変死への疑問などが含まれている。調査官たちはますます軍と諜報機関職員だけでなくCIA職員と私企業従業員によっても担われた役割に関心を持つようになっている。ある声明においてCIAは、監査官が収容者の死についてまで問題が広がっているアブグレイブの虐待について調査を行っていることを認めた。調査の一つを良く知っている情報筋によると世界中に回覧された打ちのめされた体を氷漬けにされている写真の男が犠牲者だということだ。司法省のある検事は既に事件を担当している。その情報筋はまた、軍の諜報員と法務総監が彼らの弁護士を通して、証言の代わりに刑事訴追免責を求めようとしていると語った。

 軍の収容所の憲兵隊と諜報部隊の間の関係は、昨秋、暫定連合政府(CPA)への抵抗闘争を受けて転換点を迎えた。昨年11月、バグダッドでの記者会見で第一機甲師団の司令官マーチン・デムプセイ准将は「これは諜報活動のための闘いだ」と記者に述べた。「我々は十分な兵力があるのか?答えは無条件にイエスだ。問題は兵力をどのように、そして何に使うかだ。その答えは諜報だ・・・我々のところにこの機密情報が入ったらどのようにそれを取り込み、そして行動できるものに変えるかの答えを見つけようとすることだ」。軍の収容所システムは今やその役割を問われている。

 2ヶ月前に、グアンタナモ収容所担当の機動部隊司令官のゲオフレイ・ミラー少将は軍の計画を見直すために一団の専門家をイラクへ送った。彼の提案は過激なものであった。軍の収容所はまず何よりも、尋問と戦争のための情報収集に適合させるべきというものである。「拘留は尋問を成功させるものとして作用しなければならない・・・急速な情報収集を可能にする安全で確実で人間的な環境を与えることによって」。ミラーは書いている。収容所で警備の任務につく憲兵は軍事諜報活動を支援することを優先すべきだ。

 サンチェス将軍は同意し、11月19日に彼の司令部は第205諜報旅団に収容所の戦闘指揮権を正式に与える命令を発行した。タグバ将軍は果敢にもサンチェスの命令に対して異議を唱えた。彼はレポートに書いている、「サンチェスの命令はその施設における拘留作戦を遂行している憲兵隊に対し、憲兵将校ではなく軍事諜報(MI)将校に実質的に責任をもたせるというものだ。憲兵将校と軍事諜報将校では使命と課題は違うのだから、まともな考え方とはいえない」。

 タグバはまたミラーの報告書を批判している。「グアンタナモに・・・拘留されている収容者の諜報的価値はアブグレイブやその他のイラクの抑留施設に拘留されている抑留者/被収容者とは異なるのだ。・・・アブグレイブには多数のイラク人犯罪者がいる。彼らはアルカイダのメンバーあるいは国際テロリストとは思われてはいない」。タグバ将軍はさらにミラーの提案は軍事警察が収容システムを管理することを要求する他の研究や軍隊の規則と矛盾しているように見えると指摘した。軍諜報員が収容システムを管理するということで、ミラーの提案及びサンチェスの方針変更はアブグレイブでの虐待において間違いなくなんらかの役割を果たしたのだ。タグバ将軍はアブグレイブの軍諜報将校や民間請負業者は虐待に対して「直接にせよ、間接にせよ責任がある」と結論付け、そして懲戒処分の対象とすべきと主張した。

 アブグレイブのスキャンダルが公に知られるようになる前の3月下旬、ゲオフレイ・ミラーはグアンタナモから転任し、イラクでの収容所運用の代表として指名された。「我々は変更した。我々を信じてくれ」とミラーは5月初めに記者に述べた。「間違いがあった。それを我々は訂正した。それを我々は二度と起こらないようにする」。

 アブグレイブに配属された軍諜報部隊の人間は任務中「地味な」、つまり勲章などがついていない軍服か市民の服を繰り返し着ていた。「彼らを区別できない」と調査を良く知っている情報筋は言う。身元と組織をぼやかすことは被収容者たちにとって、あるいは注目に値することであるが任務中の憲兵にとっても、誰が誰に対して何をしているか、そして誰が命令を与える権利を持っていたのかを知ることは不可能であることを意味していた。収容所における民間従業員は軍事司法統一法典に縛られず、民間の法律に縛られていた――ただし、アメリカの法律が適用されるのかイラクの法律が適用されるのか明らかでないのだが。
 
 タグバの報告書によればアブグレイブの尋問に関わった従業員の一人は、バージニアを本拠地とする企業のCACIインターナショナルで働く民間人のスティーブン・ステファノウイッツであった。CACIやタイタン・コープのような私的企業はイラクでの危険な仕事に対して、軍が支払うよりはるかに多く、10万ドルを優に超す給与を支払うことができ、米軍の歴史のなかで過去にはなかったような機密を要する仕事をやることができた。(先週の記者会見において、ミラー将軍はステファノウイッツが管理的な任務を再委託されたことを認めた。CACIのスポークスマンである女性は安全上の問題を引き合いに出してイラクでの従業員についてコメントしないと宣言したが、会社はステファノウイッツに関して政府からは直接なにも聞いていないと述べた)。

 ステファノウイッツと彼の仲間達は全てではないにせよ、ウッド・ビルディングとスティール・ビルディングと兵士達に呼ばれていたアブグレイブの施設での尋問のほとんどを行った。尋問センターには憲兵隊はほとんど行かなかったと調査に詳しい情報筋は言う。最も重要な被収容者――高い価値の抑留者とみなされる反占領闘争のメンバー被疑者――はバグダッド空港近くのキャンプ・クロッパーに収容された。しかし兵士への軍諜報部隊からの要求に従へとの圧力が収容所組織全体で感じられた。

 全ての人がついて行ったわけではない。バグダッドの憲兵隊のある企業キャップテンは若手諜報将校から、憲兵達に被収容者達がしゃべり始めるまで24時間ぶっ通しで寝かさないで欲しいという打診があったと先週語った。キャップテンは「『我々はそんなことはやれない』と私はいった」と語った。「するとMI司令官は私のところへやってきて言った。『何が問題なのだ?我々は圧力をかけられている。我々が頼んでいることは彼らを起こしておくということだ』」。「どうやって?あなたたちはそういうことについての訓練を受けている。しかし我々の兵士はそれをどうやってやるか知らない。もし18歳の若い兵士に対して、誰かをずっと起こして置けと要求し彼がどうすればよいか分からない場合、彼は何をしでかすかわからない」とキャプテンは尋ねた。MI司令官はその要求をキャップテンの司令官に向けた。しかし『司令官は俺を支持してくれた』とキャップテンは言った。

 「それはすべて人によっている。アブグレイブの憲兵達は−上位、低位両レベルの−司令官達に見捨てられた」とキャップテンは言う。「システムが破壊された−このことは疑いがない。しかし、軍は人からなっている。正しいことが行われるかどうかは彼等で決まるのだ。」

 タグバは報告書の中で、アフガニスタンでの尋問とアブグレイブでの虐待との間に関連があることを強く主張している。ミラーの報告書の数ヵ月後、サンチェス将軍はイラクの陸軍監獄での悪事についての報告に明らかに困惑し陸軍警務隊長のドナルド・ライダー少将に軍の収容所についての調査を行うよう依頼した、とタグバは書いている。まだ機密にされているその調査でライダーは憲兵隊と軍諜報部隊の間のアフガニスタン戦争にまで遡る軋轢について確認している。不屈の自由作戦を支援した最近の諜報収集活動により後に続く尋問のために、憲兵隊が有利な条件を積極的に用意することが可能となったのである。

 アフガニスタン戦争での最も目立った囚人の一人は2001年12月に捕捉されたカリフォリルニア生まれで21歳のジョン・ウオーカー・リンズである。リンズはアルカイダテロリストと訓練を行いアメリカ人殺害を共謀したとして告発された。彼の逮捕の数日後、彼の弁護士であるジェームス・ブロスナンがファイルした連邦裁判所の供述書によれば、武装したアメリカ兵の一団が「リンズ氏を目隠しにし、何枚かリンズ氏とリンズ氏と一緒の彼ら自身の写真を撮り、その中の一枚には兵士が目隠しをしたリンズ氏とともにポーズをとっている上を『くそったれ』と走り書きをした。・・・また別の人間がリンズ氏に対し、その行動によってリンズ氏が『絞首刑にされ』、死後、兵士がその写真を売ってその金をキリスト教組織に送ると告げた」と書かれている。

 写真の何枚かは後にアメリカのメディアの手に渡った。リンズは後に裸にされ、ガムテープで担架に縛り付けられ窓のない輸送用のコンテナに閉じ込められた。再び供述書では「軍関係者がリンズが担架に縛り付けられているのを写真に撮った」と書かれている。2002年6月15日リンズはタリバン従軍時代に銃を持っていたという罪状を認め25年の投獄を受け入れた。ブロスナンは、その過程において「国防省はジョンに対する『故意の』虐待はなかったと証言するよう強く主張した」と述べている。ジョンはそうする(故意の虐待はなかったと証言する)ことに同意した。しかしブロスナンは「それにもかかわらず、裸のジョンが担架に縛り付けられている写真があるのです」とコメントした。

 アフガニスタンでもイラクでも収容者の写真を撮ることは時々偶発的に行われたなどということではなく、むしろ非人間的な虐待の一部であったように思われる。タイムズは先週、自分はアブグレイブの写真の虐待されたイラク人の一人だと説得力のある主張をするハイダー・サバール・アブドのインタビューを掲載した。アブドは自分への虐待がほとんど絶え間なくカメラで記録され、そのことが一層屈辱を与えたと、タイムズの記者のイアン・フィッシャーに語った。兵士達が彼にマスタベーションをするように言い、それを拒否すると殴られ、繰り返しカメラのフラッシュがたかれたのを記憶している。

 いまだに謎なのは、昨秋、アブグレイブの収容者への虐待の真っ只中でライダーが小言を言われることをやりくりすることなしに、どうやってその調査をすることができたか、ということである。(ライダーは先週、ペンタゴンでのプレスの記者会見で、かれのイラク訪問は「検査でも調査でもなく・・・評価であった」と述べている)。サンチェスへの報告書のなかでライダーは「不適切な監禁をわざと行っている憲兵隊はない」ときっぱりと宣言している。36年間CID職員として勤務したウイリアム・J・ローエルはライダーが官僚的に縛られ困った状態におかれている私に述べた。軍は昨秋、命令系統を見直し、憲兵隊長のライダーは、今やCIDと共に全憲兵隊の方面司令官となった。彼は本当は自分自身を調査することを問われていたのだ。

 「ライダーがすべきだったことは、0-6――陸軍大佐――に率いられた,15人の職員とCID特別捜査班を準備し、そして全員にインタビューを始め宣誓証言をとりつけることであった」とローウエルは言う。「彼はサンチェスが評価を求めたとき、9月の刑務所についての質問に答えなければならなかった」。その時、軍の刑務所システムは反占領闘争が課題に載せた要求に対する準備は出来ていなかったとローウエルは付け加える。「ライダーは四面楚歌の状態に置かれていた。憲兵司令官として彼は、CID特別捜査班の規律を緩めると危険な状態に置かれる可能性があった―というのは彼は憲兵隊の上司でもあったのだ――彼は食い物にされていたのだ」。

 ライダーは自分自身を守ったかもしれないが、タグバはそうではなかった。タグバについて「彼はペンタゴンのあるサークルではヒーローと見なされてはいない」と退役した少将は語っている。「彼は警笛を鳴らした男であり、軍は彼の高潔さに対して対価を支払う(皮肉を込めていっている:訳者)ことになるだろう。悪いニュースを公にする人間をトップは好まないのだ」