集会参加報告

731部隊のすべて  ─人体実験と細菌戦─

主催 NPO法人731部隊・細菌戦資料センター
  731部隊被害者遺族を支える会 
  



 1981年から発表された森村誠一著「悪魔の飽食」シリーズは、旧日本軍の忌まわしい恥部─細菌戦専門の731部隊の存在を広く世に知らしめベストセラーとなった。人体実験や生体解剖の記述に人びとはまさに悪魔を見た思いだった。

 30年が過ぎ多くの研究が進められた。ハルピン郊外平房の731部隊跡地は記念館となり、これを世界遺産にしようという運動もある。731部隊が実行した細菌戦も証明され、この部隊が石井四郎部隊長の個人的な着想に基づくものでなく日本陸軍全体のなかで位置づけられたものであることが明らかにされつつある。


集会の様子
NPO法人731部隊・細菌戦資料センターのHPより

 今回の集会はマルタと呼ばれ人体実験の材料とされた被害者の遺族、731部隊によってばらまかれたペスト菌により家族が死亡し自らも罹患した被害者の双方が来日し証言してくださった。証言者は80代、70代の高齢者で、70年も前のつらい思い出を語っていただくのが本当に申し訳ないばかりだった。証言に先立ち40名余りの合唱団(注1)により「悪魔の飽食」から題材をとった混声合唱組曲が演奏され、会場は改めてマルタとされた人びとの無念さに思いをはせた。

 今回証言された王亦兵さんは遼寧省出身で父と叔父が抗日運動を行ったためマルタとして731部隊へ送られた。胡賢忠さんは8歳のとき浙江省寧波市で日本軍がまき散らしたノミに植えつけられていたペストにより両親と姉、弟を亡くし自分も罹患した。徐万智さんは湖南省常徳市で3歳のとき12人家族のうち5人をやはりペストで失った。これらの細菌戦の被害者や遺族が日本政府を相手に起こした戦後補償訴訟では、裁判所は細菌戦による被害そのものは認めながら「国家無答責の法理」(注2)によって原告らの訴えを斥けた。判決では補償は認められないものの何らかの政治判断による救済策を求めたが、政府は細菌戦を行ったという確たる証拠がないとして無視したままである。

 ところが昨秋新たな資料(注3)が発見され、731部隊が細菌戦を実戦として繰り返していたことが日本軍の公文書で明らかにされた。部隊の中枢で生物兵器を研究していた軍医の論文で、この研究に対し東京大学は1949年に博士号をおくっている。この資料は主催者の731部隊・細菌戦資料センター理事奈須重雄さんが発見したものだ。

奈須さんや本日の講演者松村高夫慶応大学名誉教授をはじめ多くの研究者の地道な活動と裁判を支えた弁護団、市民の息の長い運動があってこそここまでたどり着いたのだ。

今回は翌日地裁判決を控えた遺棄毒ガス事件(注4)の原告周桐さんからもアピールがあった。戦後60年以上過ぎてさえいまだに被害者をうみだしているのが現実なのだ。

軍部の暴走を追認するだけの政府や科学・医学と生命の問題など70年になろうとするのに・・・と思えるほど私たちの国の根幹は変わっていない。731部隊の実態を調べ伝えることは今の日本を変えることにつながるはずだ。それが被害者への真の鎮魂にもなるのではないだろうか。
4月14日 東京ウィメンズプラザにて
NPO法人731部隊・細菌戦資料センター
http://www.anti731saikinsen.net/index.html

注1 混声合唱組曲「悪魔の飽食」をうたう東京合唱団
http://akuma-731.cocolog-nifty.com/blog/

注2 大日本帝国憲法下では国の賠償責任を定めた法規がなく公権力による違法行為に対しても補償がなかった。これを適用して法的には戦争中の日本の行為に関しても賠償できないとする説。

注3 細菌戦の新発見資料について
http://www.anti731saikinsen.net/nicchu/bunken/kanekokaisetu.html#top

注4 2006年中国吉林省敦化で小川で遊んでいた周君と劉君が旧日本軍が遺棄した毒ガス弾を拾い洩れた毒ガスに被毒した事件。60日間入院し今も後遺症に苦しむ。2008年提訴。4月16日、東京地裁は国を免責する判決をくだし、原告側が控訴した。
 
Y.A