衆議院憲法調査会(5・25) 平成十二年五月二十五日(木曜日)     午前十時二分開議  出席委員    会長 中山 太郎君    幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君    幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君    幹事 仙谷 由人君 幹事 平田 米男君    幹事 佐々木陸海君       奥田 幹生君    奥野 誠亮君       久間 章生君    小泉純一郎君       左藤  恵君    白川 勝彦君       田中眞紀子君    高市 早苗君       中曽根康弘君    平沼 赳夫君       船田  元君    三塚  博君       森山 眞弓君    柳沢 伯夫君       山崎  拓君    横内 正明君       石毛えい子君    岩國 哲人君       枝野 幸男君    中野 寛成君       藤村  修君    横路 孝弘君       太田 昭宏君    倉田 栄喜君       春名 直章君    東中 光雄君       中村 鋭一君    二見 伸明君       伊藤  茂君    深田  肇君     …………………………………    最高裁判所事務総局総務局長                 中山 隆夫君    最高裁判所事務総局行政局長                 千葉 勝美君    衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君     ――――――――――――― 委員の異動 五月二十五日  辞任         補欠選任   島   聡君     岩國 哲人君   志位 和夫君     春名 直章君同日  辞任         補欠選任   岩國 哲人君     島   聡君   春名 直章君     志位 和夫君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  日本国憲法に関する件(戦後の主な違憲判決)     午前十時二分開議      ――――◇――――― ○中山会長 これより会議を開きます。  日本国憲法に関する件、特に戦後の主な違憲判決について調査を進めます。  国会がこのような内容について最高裁判所から説明を聴取し、質疑を行うことは、大変重要なことと存じます。  説明を聴取するに当たり、一言申し上げます。  日本国憲法の制定を契機として、我が国の裁判制度は大変革を経験しました。とりわけ違憲法令審査権の導入、そして司法裁判所による行政事件の裁判が重要である。こういった変革は司法権の地位の飛躍的な向上をもたらしたが、戦後の混乱期で、しかも占領下という状況の中で、理論的検討が十分されることなく実施されたため、「あたかも、木に竹を接いだような恰好で、従来の大陸法的な土壌の上に英米法的な救済制度が移植された結果」となった、渡部吉隆「行政訴訟の現代的課題」と題する一文にこのように記載をされております。  なお、最高裁判所の統治機構というものは、憲法が制定されましてから五十有余年を経過した今日まで、唯一その当時の姿を変えていない機関であります。もちろん、憲法上期待されている役割を最高裁判所が十分果たしていると存じますが、しかし、現在、最高裁判所に対する批判も少なくはございません。  最高裁判所の憲法裁判が消極的過ぎるとの批判は、今や多くの人に共有されていると言っても過言ではなく、学界、マスメディアにとどまらず経済界からも、我が国の司法の態度は、立法裁量や行政裁量が絡む事件については、米国最高裁やドイツの憲法裁判所に比して自己抑制的になっていると指摘をされております。  以上、申し上げまして、ただいまから最高裁判所当局から説明を聴取いたします。最高裁判所事務総局千葉行政局長。 ○千葉最高裁判所当局者 最高裁判所の行政局長をしております千葉でございます。よろしくお願いをいたします。  それでは、私の方から、憲法調査会の御依頼に基づきまして、戦後の違憲判決、これを中心に簡単に御説明をさせていただきたいと思います。  あらかじめお断りしておきたいと思いますけれども、最高裁判所は、これから御説明申し上げます裁判をした当事者という立場にございますので、私といたしましては、裁判の内容の当否などその評価にわたる事項とか、今後予想される裁判、どういうものになるかということにつきましては、御説明をいたしかねるところでございます。また、憲法理論の是非についても同様でございます。したがいまして、判決文にあらわれております客観的な事実関係とその判決内容を御説明させていただくということになりますので、御了承のほどをお願い申し上げたいと思います。  法令等の合憲、違憲という憲法判断をした戦後の最高裁の判決というのは多数ございます。その中で何を主要な判例と見るか、これは論者によってさまざまでございますけれども、お手元に資料を配付してございます。資料1をごらんいただきたいと思います。  これは、法律雑誌などで戦後の主な憲法判例として紹介されていたものを一覧表にしたものでございます。この中で、憲法調査会の事務局の方で、違憲判決を中心に、本日の御説明にふさわしいということで選んでいただきました十二件につきまして、御説明をさせていただきます。  次の資料2をごらんいただきたいと思います。  まず、一枚目でございます。  これは、憲法に関する判決例十二件を並べてみたものでございます。最初の警察予備隊違憲訴訟判決、これは、我が国の違憲審査権の性格について言及をした、いわば違憲審査の土俵を明確にした判決ということで選定されたものと思います。そのほかの十一件は、すべて違憲判断のものでございます。  これらの裁判例を眺めてみますと、一つの時代背景と申しますか、そういったものが反映されているのではないかなという感想めいたものを持つわけでございます。  つまり、日本国憲法が制定、施行されました昭和二十年代から三十年代にかけては、民事事件よりも刑事事件の方が相当多い時代でございまして、例えば昭和二十五年ですと、地裁の第一審の民事訴訟事件は約六万一千六百件、刑事の方では約十一万千五百件、刑事が民事の倍近くでございます。  このころから昭和四十年代にかけまして、新憲法それから新刑事訴訟法の解釈がまだ十分に定着していなかったということもありまして、刑事事件をめぐる違憲判断が比較的多い。また、戦時中に立法された法律の効力が争われる。そうしますと、いわゆる戦後の混乱した世相の中で、法や制度などの大きな枠組みが問題にされるということが少なくなかった時代と言うことができようかと思います。  このような時代の判決として、資料2の一枚目の(1)から(7)がございます。これらについて御説明をさせていただきます。資料2の二枚目以下に、十二件の裁判例について一件ずつ事件の概要、判決要旨等をまとめたものがございます。御参照いただきたいと思います。  まず、(1)のいわゆる警察予備隊違憲訴訟でございます。  先ほど申し上げましたように、この判決は、我が国の裁判所に与えられました違憲審査権の枠組みを決めたもの。この審査権というのは、個々の事件を離れて法令の合憲、違憲を一般的に判断するというものではなくて、具体的な事件を解決するための前提として合憲、違憲の判断を行う、いわゆる具体的審査制あるいは付随的審査制といいますが、こういうことを明示したものでございます。  事件の概要は、国会議員が原告になりまして、自衛隊の前身であります警察予備隊の設置や維持に関して国が行った法令、規則の制定等一切の行為が無効であるという確認を求めて、直接最高裁に出訴したものでございます。  この判決の要旨は、裁判所は、法律、命令等に関し審査権を有するけれども、この権限は司法権の範囲内において行使されるべきものであって、具体的な事件を離れて抽象的に法律、命令等が憲法に適合するかどうかを決定する権限を有するものではないというふうに言ったものでございます。  次のページをごらんいただきたいと思います。以下、違憲判決が続きますが、自白調書有罪認定違憲判決、昭和二十五年七月の大法廷判決でございます。  この事案の概要は、東京都内の電車内でのすりの窃盗被告事件でございまして、本件では、憲法三十八条の三項に言います自白、唯一自白だけが証拠の場合に有罪とされないという規定がございますけれども、ここで言う「本人の自白」がどういうものかという意義が問題になったものでございます。  この判決は、被告人の第一審の公判での供述、自白、それからこの被告人の司法警察官の尋問調書中の自白、これらはいずれも憲法で言う「本人の自白」に含まれるから、これだけでは補強証拠なしに有罪を認定することはできないということを言ったものでございます。違憲判決でございます。  次のページが、三番目でございますが、強制調停違憲決定、これは昭和三十五年七月の大法廷の決定でございます。  事件の概要は、これは戦時民事特別法に基づきまして、家屋明け渡し請求事件などについて、職権で調停によって処理をするという旨を決定して、調停が不調になりますと、この法律の十八条とか金銭債務臨時調停法七条、八条等の規定によりまして、事件を併合して調停にかわる決定、これで決めてしまうという決定をしたわけでございます。  本件では、こういう決定というのが、これは公開で行われておりませんので、裁判の公開を定めた憲法八十二条等に違反するかどうかということが問題になった事件でございます。  この決定の要旨といたしましては、これは性質上は訴訟事件である。そうすると、公開の法廷による対審、判決によることなく終局的に国民の権利義務を決めてしまう、こういうような調停にかわる決定というのは、これはやはり憲法八十二条、三十二条、特にこの八十二条が公開を規定してございますので、これに違反するということを言ったものでございます。  次が、第三者所有物没収違憲判決、次のページにございます。昭和三十七年の大法廷の判決でございます。  これも刑事事件でございますけれども、これは、税関の免許を受けないで貨物を船舶に持ち込んで密輸出を企てたということで起訴された事件でございます。被告人らが、没収された貨物には被告人ら以外の第三者の所有物が含まれている、ところが、この第三者に対しては財産権保護の機会を全く与えないで没収ということを判決で命じた、これは財産権の保障を規定した憲法二十九条に違反するというようなことで争ったものでございます。  この判決の要旨は、禁制品を輸入する罪などの一定の犯罪に関係ある船舶、貨物が第三者の所有に属するという場合においても、被告に対する付加刑として没収するという旨を規定していた関税法、これは旧関税法でございますが、百十八条一項、これは、その第三者に対して、告知とか弁解とか防御とか、そういう手続的な観点での保障を一切していない。刑事訴訟法やその他の法律においても、そういう手続を全然設けていない。何もそういう手続というようなことをしないで、いきなり没収をする。したがいまして、こういう規定だけで第三者の所有物を没収するということは、憲法三十一条、二十九条に違反するということを言ったものでございます。  次が、余罪量刑考慮違憲判決、昭和四十二年の大法廷判決、刑事事件がここでも続くわけでございます。  事件の概要といたしましては、郵便局の集配課に勤務する被告人、これが昭和三十九年の十一月に、現金、郵便切手在中の普通郵便物二十九通を窃取したという窃盗事件でございます。  一審では、起訴されていないほかの、約百三十件と非常にたくさん同じような犯行がございましたけれども、これを逐一具体的に判示をいたしまして、懲役一年二月に処したわけでございます。控訴審では、一審における余罪を量刑に考慮するということについては一定の配慮をしつつも、一審の判決は量刑がやや重過ぎるということで破棄をいたしましたが、やはり被告人を懲役十月に処した。  この事件では、このような余罪の取り扱いが適正手続の保障を定めた憲法三十一条等に違反するかどうかという点で争いになったというものでございます。  判決の要旨は、起訴されていない犯罪事実を余罪として認定をする、さらに、これを実質上処罰するという趣旨のもとで重い刑を科するということになりますと、これはやはり憲法三十一条、三十八条三項に違反するという違憲判決を出したというものでございます。  次が、これも刑事事件でございます。偽計自白有罪認定違憲判決、昭和四十五年十一月の大法廷判決でございます。  これは、妻と共謀をして、けん銃一丁と実弾三発、これを自宅に隠していたということで起訴されたものでございますが、捜査段階におきまして、妻が被告人との共謀の事実を供述していないにもかかわらず、検察官がこの被告に対しまして、妻が共謀を自白したとうそを告げて、被告人から自白を引き出した、こういうものでございます。  本件では、こういううそのことを言って引き出した自白の証拠能力ということが問題にされました。  判決は、偽計によって被疑者が心理的強制を受けて、その結果、虚偽の自白が誘発されるおそれがある場合、これは、偽計によって獲得された自白はその任意性に疑いがあるんだということで証拠能力を否定すべきである、こういう自白を証拠に採用するということは、憲法三十八条の二項、強制、拷問もしくは脅迫による自白、それから長く勾留された、あるいは拘禁された後の自白は証拠とすることができないという憲法三十八条二項に違反するんだ、こういうことを言ったものでございます。  次が、高田事件、かなりこれは著名な事件でございますが、昭和四十七年十二月の最高裁の判決でございます。  これは、起訴されましたのが昭和二十七年でございまして、二十七年に、名古屋市内の大韓民国居留民団愛知県本部の元団長宅が侵入されたり、付近の瑞穂警察署高田巡査派出所が火炎瓶によって放火された、いわゆる高田派出所事件などの刑事事件でございますが、この事件で、併合予定の別件の審理を優先いたしまして、その結果、その別件の審理が非常に長期化した。肝心のこの事件につきましては、第一審において十五年余にわたる審理の中断があった。  本件では、こういう審理の著しい中断というのは、憲法三十七条一項が保障した被告人の迅速な裁判を受ける権利を侵害したことになるんじゃないかということが問題になったわけでございます。  この判決は、憲法三十七条一項は、単に迅速な裁判を一般的に保障するために必要な立法上、行政上の措置をとるべきことを要請するのにとどまらないで、さらに個々の刑事事件についても、現実にこの保障に明らかに反して審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判を受ける被告人の権利が害されたと認められる異常な事態が生じた場合には、その審理を打ち切るという非常救済手段がとられるということも憲法自体が認めている趣旨の規定なんだと。十五年余の長きにわたって全く審理が行われないで経過した本件、これはもう憲法違反、そして免訴という判決をしたわけでございます。  以上の七点でございますが、こういう法律や制度の大きな枠組みが問われている時代でございました。  これを経まして、徐々に新しい憲法が国民生活の中に行き渡ってきた。憲法の定める平等原則とか各種の人権規定に基づいて憲法判断を求める訴訟が、これから徐々に多くなってきております。こういう時期にされました違憲判決、三つございますので、御説明を申し上げたいと思います。(8)から(10)ということで、先ほどの続きをごらんいただきたいと思います。  (8)でございますが、尊属殺重罰規定の違憲判決、四十八年四月の大法廷の判決でございます。  これは、中学二年のときに実の父親に姦淫されて、以後十年以上、夫婦同様の生活を強いられ、数人の子供まで産んだ、こういう被告人が、その後、正常な結婚の機会にめぐり会ったわけでありますが、父親はあくまでも被告人を支配下に置いて、こういう醜行を継続したということで、この被告人が父親を殺害するに至った。  本件では、この法定刑を死刑または無期懲役に限っている刑法、これは旧刑法でございますが、二百条の尊属殺の規定の合憲性が問題となったわけでございます。  この判決は、旧刑法二百条、これはその法定刑を死刑または無期に限っているという点において、余りにも厳しい、尊属に対する敬愛とか報恩とかいう自然情愛ないし普遍的な倫理の維持尊重という立法目的達成のため――この立法目的自体はいいというふうに言ったわけですが、この目的達成のための必要な限度を超えている。したがいまして、そういうことから、普通の殺人に関する規定であります刑法百九十九条に比べまして、この法定刑が著しく不合理なものになっておる、差別的取り扱いをするものである、憲法十四条一項に違反する、こういう判決でございます。  九番目が、薬事法距離制限規定の違憲判決でございます。  これは、県知事に対しまして薬局の開設の申請をした者が、薬事法に基づきまして薬局の配置の基準を定めた条例の距離制限規定に適合しないということで、薬局開設不許可とされたということで争った行政事件でございます。  本件では、こういう配置規制を定めた薬事法の規定が職業選択の自由を定めた憲法二十二条に違反するかどうか、こういうことが問題になったものでございます。  薬局の開設の許可基準の一つとして地域制限を定めた薬事法の規定、これは不良医薬品の供給の防止というような、そういう目的のためにしたということでございますけれども、必要かつ合理的な規制を定めるものとは言えない、こういう規制はやはり、憲法二十二条、職業選択の自由を認めた規定に違反して無効である、こういう判決でございます。  (10)でございますが、昭和六十二年四月の大法廷の判決でございます。  これは山林の関係でございますが、兄と一緒に二分の一ずつ父親から山林の生前贈与を受けた弟が起こしたもの。共有物分割の請求を求めた。ところが、森林の共有者というのは、これは民法では共有物分割の規定がございます。二百五十六条一項の規定がございますけれども、ところが、森林の場合には、森林の分割請求をすることはできないというふうに旧森林法百八十六条本文が定めております。 森林を細分化しないという趣旨の規定でございます。これは財産権を保障した憲法二十九条に違反するのではないか、こういう事件でございます。  判決は、共有の森林について二分の一以下の共有者の分割請求権を否定していたこの百八十六条の規定、この立法目的は、今申し上げました森林の細分化を防ぐということで森林経営の安定を図って、それが究極的には国民経済の発展に資する、こういうものでありますけれども、ただ、これは森林の範囲や期限には限定がない。民法のこの規定で分割請求されても、現実に分割をしないで価額賠償などで処理するということも可能でございますので、民法の規定を認めたからといって森林の細分化をもたらすとは言えない。だから、一律に分割を認めないというこの旧百八十六条、これは合理性、必要性が認められない、憲法二十九条に違反して無効である、こういう判決でございます。  さらに、同じ時期でございますけれども、権利の侵害を受けた個人からの訴えにとどまりませんで、公の制度が抱える憲法問題、こういったようなものも広く指摘されるようになりまして、例えば一連の議員定数訴訟のように選挙制度のあり方について疑問が投げかけられる、あるいは公金の支出が政教分離原則に違反するというような主張がされる、こういう事件が多かったようでございます。  このような時代背景の中での違憲判決ということで、十一番と十二番の判決がございます。その後のを引き続きごらんいただきたいと思いますが、十一番は、昭和五十一年四月の大法廷判決、衆議院議員定数配分規定の違憲判決でございます。  これは、昭和四十七年の十二月に行われました衆議院議員選挙につきまして、選挙人が、公職選挙法の規定によりますと、議員一人当たりの有権者数、これは選挙区によっていろいろございますけれども、この最大値と最小値の比較が四・九九対一になっておる。約五倍でございます。合理的根拠なしに一部の国民を不平等に取り扱っているということで、この定数の規定は法のもとの平等を定めた憲法十四条に違反する、これに基づいて行われた選挙は無効であると主張して、選挙無効の判決を求めたものでございます。  最高裁の大法廷の判決は、この昭和四十七年の衆議院の選挙当時、公職選挙法が規定します衆議院議員の選挙区や議員定数の定めというのは、国会の両議院の議員の選挙における各選挙人の投票価値が平等であることを要求する憲法十四条一項、それから十五条一項、三項、四十四条ただし書き、こういう規定に違反をしていたということを言ったわけでございます。そういう違憲の判断をしたわけでございます。違憲の判断をしたけれども、なお、この衆議院選挙を無効とする判決をいたしますと、そのことによって直ちに違憲状態が是正されるわけではなくて、かえって憲法の所期するところには必ずしも適合しない結果を生ずる、こういう事情があるということで、選挙が違法であるということを主文で宣言して、選挙無効を求める請求自体に対しては請求棄却、こういう処理をしたというものでございます。  最後に十二番でございますが、愛媛県玉ぐし料違憲判決でございます。平成九年四月の大法廷の判決でございます。  愛媛県が、宗教法人の靖国神社、それから宗教法人護国神社が挙行しました例大祭などに際しまして、県の公金から玉ぐし料等を支出したことにつきまして、県の住民であります原告らが、この支出は憲法二十条三項、八十九条等に規定された政教分離の原則に違反すると、県知事らに対して、玉ぐし料支出相当額の損害賠償を求めたものでございます。  この判決は、愛媛県が靖国神社の挙行した恒例の宗教上の祭祀であります例大祭などに際して県の公金から玉ぐし料等を支出したことは、県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持つことを否定することができない、したがって、憲法二十条三項、八十九条に違反する、こういう判決をしたというものでございます。  事務局の方から御依頼ございました判決例についての御説明は以上でございますけれども、外国の憲法裁判制度につきましても御依頼がございましたので、英米独仏の制度につきまして簡単に御説明をさせていただきます。もとより、最高裁はこういう外国の制度論の専門家ではございませんので、概要のみを御説明させていただきたいと思います。  資料の3でございますが、二枚紙をごらんいただきたいと思います。  一枚目は英米独仏の制度を一覧表にしたものでございます。特別の憲法裁判所を持っていますのはドイツだけでございます。アメリカは日本と同様に、通常の裁判所が具体的事件の処理の前提として憲法判断を行うという仕組みになっております。イギリスとフランスは、そもそも裁判所、司法部は違憲審査権を有しておりません。  それから、ドイツの憲法裁判所の制度につきましては、次のページに別紙をつけておりまして、少し詳しく書いてございます。ドイツの憲法裁判所では、通常の裁判所が具体的事件について適用しようとする法律が違憲であると考えるときには、その手続を中止いたしまして憲法裁判所に判断を求めるということになっております。そして、このような具体的事件に伴う違憲判断とは別に、連邦政府とか州政府、あるいは連邦議会の三分の一からの申し立てがあれば、具体的事件を離れて、法令が違憲であるかどうか、そういう一般的な判断をする抽象的な違憲審査の制度というものが設けられております。  また、公権力によって憲法上の基本権を侵害された者、これは一定の要件のもとで対象となった法律の合憲性の審査の申し立てができる。憲法異議というふうに言います。ですから、この公権力には裁判所の判決も入りますので、判決についてさらにこの憲法異議ができる。  次に、我が国の司法制度の実情につきましても御依頼がございましたので、統計資料に基づきまして概略を説明させていただきます。  まず、地裁の第一審の事件数でございます。資料4をごらんいただきたいと思います。これは地裁の民事訴訟事件の推移を示しております。民事訴訟事件の数につきましては、社会情勢や経済の規模、景気、立法動向、法曹人口等さまざまな要因によって影響を受けるわけでございます。ごらんのように、長期的に見ますと大幅に増加してきております。  また、地裁の刑事事件につきましても、やはり社会情勢等を反映いたしまして影響を受けるわけでございますが、資料5にありますとおり、戦後の社会情勢を反映いたしまして、昭和二十四年、二十五年がピーク、一たん減少して、その後増加傾向を続けましたけれども、昭和六十年に入るころから減少、最近は再び増加傾向ということでございます。  次に、平均審理期間を見ますと、資料4をごらんいただきたいと思いますが、地裁の民事訴訟事件につきましては、昭和四十八年が十七・三カ月という非常に長期間を要しております。これをピークとしておおむね短縮化傾向にございます。平成十一年では、九・二月という数字まで行っております。  これは、裁判所が中心になりまして、争点整理、集中証拠調べという審理の運用改善を行う、それから、制度化しました新しい民事訴訟法が平成十年に施行された、こういうようなことが審理の迅速化につながっているものと思われます。  また、地裁の刑事事件につきましては、資料5をごらんいただきたいと思いますが、昭和四十九年の六・六月をピークとして年々短縮されておりまして、平成十一年には三・一月というふうになっております。  民事訴訟事件、刑事訴訟事件、いずれにつきましても、審理期間につきましては国際的に見ましても遜色のない水準にあると言ってよいというふうに考えております。  審理期間が三年を超える長期の係属事件につきましても、資料の6、7をごらんいただきたいと思いますけれども、民事、刑事ともに、四十年代後半をピークに大幅に減少してきておる、こういう状況でございます。  しかしながら、地裁の民事訴訟事件につきましては、問題がないわけではもちろんありませんで、公害訴訟のような訴訟当事者が極めて多数のいわゆる大型事件、それから知的財産権とか医療過誤事件などのようないわゆる専門的な事件の中には、解決まで長期間を要している事件が多く見受けられるわけでございます。 刑事訴訟事件につきましても、件数はごくわずかでございますけれども、極めて長期間を要する例がございます。  今後、こういうような長期間を要している事件につきましては、さらに迅速化を検討することが必要であると考えております。  次に、資料の8をごらんいただきたいと思いますが、昭和二十四年から平成十一年までの裁判官の数の推移を示したグラフでございます。  裁判所といたしましては、事件数の変動や事務処理体制の変化など、諸要素を総合的に考慮いたしまして増員を行ってまいりました。平成十二年の定員は、裁判官は三千十九人、裁判官以外の裁判所職員、書記官、事務官、一般職でございますが、これは二万二千三十八人となっておりまして、昭和三十九年に臨時司法制度調査会の意見書が出されました以降の三十六年間では、合計で五百四十四人の裁判官の増員、千五百十四人の書記官等の増員を行ってきております。  次に、資料9をごらんいただきたいと思います。最高裁における年間の受理件数の推移をグラフにしたものでございます。  最高裁でも戦後しばらくは、先ほど申し上げました刑事事件が多くて民事、行政が少ないという状況が続いていましたが、その後逆転をいたしまして、以後、民事、行政は増加、刑事は微増という状況にございます。  民事、行政事件につきましては、最高裁の負担を軽減して、本来最高裁が担っております憲法判断とか、あるいは最終審としての判断を示して法令の解釈を統一するという重大な機能をより一層充実強化しよう、そういう観点から、平成十年の一月一日に施行されました新しい民事訴訟法におきまして、最高裁に対する上告の理由をいろいろ制限した。上告理由を憲法違反と重大な手続違反に限定をいたしました。  また、法令違反につきましても、判例違反とかその他法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件、これにつきましては、最高裁が上告審として事件を受理するという決定をいたします。そういう決定をした場合のみに上告があったものとみなされる。  これによりまして、上告事件の新受件数は、平成十年では二千五百四十二件でございます。平成十一年は、減少いたしまして二千百六十件でございます。申し立て段階で、上告事件、上告受理事件、振り分けが行われます。また、平成十年以降の平均審理期間は短縮しておりまして、未済事件の件数も明らかに減少している。 こういうことからいたしますと、事件の重さに応じた事件処理をするという新民事訴訟法がねらった効果は徐々にあらわれつつあるのではないかというふうに考えております。  以上、御依頼ございました事項につきまして御説明をさせていただきました。  御質問をお受けいたしますけれども、先ほど申し上げましたように、裁判例につきましては、最高裁は当事者でございますので、その当否や評価、さらに将来の予測あるいは憲法論といった点について申し述べることは差し控えさせていただきたいと思います。そのあたりは、やはり憲法学者の方にお聞きいただければというふうに思っている次第でございます。裁判所といたしましては、客観的な事実関係、判決の内容等について、わかる範囲でお答えをさせていただきたいと思います。  以上でございます。 ○中山会長 以上で最高裁判所当局からの説明聴取は終わりました。     ――――――――――――― ○中山会長 これより最高裁判所当局に対する質疑を行います。  まず、調査会を代表いたしまして会長から総括的な質疑を行い、その後、委員からの質疑を行います。  それでは、会長からお尋ねいたします。  まず、違憲審査制度についての質問ですが、最高裁判所は、法令、処分等についての憲法適合性を決定する終審裁判所として、その職責は極めて重大と存じます。  元最高裁判事の伊藤正己氏は、我が国の最高裁に司法消極主義をもたらす要因として、およそ次の点を挙げておられます。  まず第一に、意見の調和が重んじられる我が国の精神風土では、最高裁内部での和の尊重にとどまらず、政治部門への礼譲の意識が存在している。  二、裁判の長期化から、争点となる法令に基づく状況が既成事実化し、裁判所がこれを覆すことは難しい。  第三、最高裁の処理件数の多さから、特に小法廷にあっては通常事件の最終審という意識が強く、憲法の裁判所であるという考え方は生まれにくい。  四、大法廷回付を慎重にする傾向があり、結局のところ小法廷で憲法事件が処理される。  五、顔のない裁判官、どの裁判官に当たってもほぼ同じような判断が期待される裁判官を理想とする我が国においては、少数意見は生まれにくい。  以上であります。  これらの点を踏まえ、我が国の違憲審査制度及びその運用の実態の特色としてはどのようなことが挙げられるか、お伺いしたい。 ○千葉最高裁判所当局者 伊藤元最高裁判事の御指摘の点とかみ合うかどうかわかりませんが、我が国の違憲審査制度は、先ほど資料3で御説明申し上げましたように、ドイツのような特別な憲法裁判制度というものを設けておりません。アメリカと同様に、通常の司法裁判所が、具体的事件を前提としまして、その解決に必要な限度で、必要な範囲で憲法判断を行うという、いわゆる具体的審査制、付随的審査制というのを採用しているわけでございます。  すなわち、いわゆる警察予備隊の、先ほど御説明申し上げました昭和二十七年の大法廷の判決でございますけれども、こういう枠の中で違憲審査権が行使されるということになりますので、やはり裁判所といたしましては、具体的事件を離れた形で抽象的に法令や命令等が憲法に違反するという判断をする権限は持っていないわけでございます。この二十七年の警察予備隊の事件での最高裁の判決は、それを明示しておるわけでございます。そういうものとして今まで違憲審査をやってきた、こういうことが、我が国の違憲審査制度、その運用の特色といえば言えるかなという気がしております。 ○中山会長 次に、配付資料の「主な憲法裁判例年表」に掲げられている判例のうち、いわゆる統治行為論等を理由として裁判所が憲法判断をしなかったものはどの程度あるか、それらの判例では、どのような理由で憲法判断をしなかったのか、お伺いしたいと思います。 ○千葉最高裁判所当局者 統治行為論ということでございますが、憲法の教科書などで統治行為論という説明がございますが、これを採用した最高裁の判決として紹介されているものが二つございます。  一つは、いわゆる砂川事件の判決、この資料1の上から数えて十番目の判決でございます。昭和三十四年十二月十六日の大法廷の判決でございます。  この砂川事件は、日米安保条約の合憲性が問題になった事件でございまして、最高裁は、我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持っております高度に政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲、無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外であるということを判示したものでございます。  もう一件は、この一つ下、十一番目の判決でございます。昭和三十五年六月八日の苫米地、トマベジと読みますが、この事件でございます。これは、衆議院の解散手続を憲法七条に基づいて行いまして、この合憲性が問題になったという事件でございます。  最高裁の判決では、直接国家統治の基本に当たるような高度に政治性のある国家行為、こういうものにつきましては裁判所の審査権の外にある、そして、その判断はやはり主権者である国民に対して政治的責任を負うところの政府や国会、最終的には国民の政治判断にゆだねられているものと解すべきである、こういう判断をいたしました。  これらの判決は、判決文に統治行為という表現を用いておりませんけれども、講学上で言います統治行為論をとったものというふうに解されているわけでございます。  こういう統治行為論は、アメリカでも判例理論として、ポリティカルクエスチョン、政治問題ということで古くから言われている法理がございまして、一八四九年にアメリカの連邦最高裁の判決が初めてこの考え方を示して、それ以来、判例理論となっております。ですから、日本独特のものではないということでございます。  このほか、最高裁が憲法判断や司法判断の対象外であるとしたものはいろいろございますが、一つだけ御紹介させていただきますと、この資料の上から十四番目にございます昭和三十五年十月の大法廷の判決、地方議会懲罰議決事件。これは、地方議会の議員の出席停止処分について、他の機関の自律権を尊重するという見地から憲法判断をしなかった。統治行為とはちょっと違いますけれども、そういう審査権の範囲外のものもあるという例として御紹介をさせていただきました。  以上でございます。 ○中山会長 次に、これまでの憲法訴訟において、憲法のどのような条項に関する訴訟が多く見られるか、お伺いをいたしたい。 ○千葉最高裁判所当局者 最高裁判所の民事判例集、それから刑事判例集に登載された憲法に関する裁判例を見てみますと、憲法十四条、これは法のもとの平等でございます。それから二十一条、表現の自由。それから二十九条、財産権。 それから三十一条の法定手続の保障。それから三十七条、三十八条、これは刑事関係のいろいろな規定でございます。いわゆるこういう人権規定に関する訴訟というのが非常に多い、圧倒的に多いわけでございます。特に十四条、それから二十一条、三十一条が多いようでございます。  これに対して、例えば統治機構について定めた条項に関する訴訟というのは、件数としては非常に少なくなっている。これは、違憲審査が先ほど申し上げました一般の民事事件や刑事事件に付随してされるということでございますので、民事事件の当事者が自分の請求権を基礎づけるために憲法の人権規定を根拠として主張するとか、あるいは刑事の被告人が捜査機関の行為に対してやはり憲法上の規定に違反するということを主張して争う、そういう事例が多いからこういうことになっているのではないかというふうに承知しております。 ○中山会長 それでは、司法制度一般についてお尋ねいたしますが、我が国では裁判が長期化していると言われておりますが、その原因は主としてどこにあるとお考えなのか、また、その改善策として、一般論で構いませんが、どのようなことが議論されているのか、お伺いをしたいと存じます。 ○千葉最高裁判所当局者 先ほど御説明申し上げました我が国の民事訴訟事件、これは平成十一年の平均審理期間でございますが、九・二月でございます。地裁の刑事事件につきましては三・一月でございまして、国際的には遜色のない水準であると言ってよいかと思います。  ただ、やはり、先ほども申し上げましたように、当事者が非常に多い大規模訴訟とか、それから医療過誤や知的財産権などの事件、いわゆる専門的な事件の中には、非常に長期間を要している事件があります。こういう事件というのは、著名事件が多いものですからマスコミによく取り上げられまして、裁判が遅いというイメージをつくられてしまうわけでございます。イメージだけではございませんで、やはり、それが非常に重要な事件でございますので、早くしなければいけないということでいろいろ考えてございます。  当事者の訴訟活動に計画性を持たせて、いつまでに争いのポイントを確定し、いつまでに審理を終えるかという審理全体のスケジュールを作成する、それに従って審理をする、いわゆる終期を見通した計画審理を実現する、こういうことが重要かなと。それから、専門的知見が必要な事件につきましては、鑑定やそれ以外のいろいろな場面での専門家を有効に活用するシステムづくり、これが必要になるだろうと思っております。  刑事事件につきましては、件数はごくわずかでございますけれども、極めて長期間を要する事件がございます。その原因をいろいろ見てみますと、証人尋問に多数の公判期日を必要とするとか、あるいは弁護人の協力が得られがたいために、裁判所が連続的にあるいは集中的に期日指定ができない、こういうようなことが指摘されております。  こういう事態の対策といたしましては、審理期間の上限や開廷間隔を法定する、法律で決める、刑事弁護に専従することができるような公設弁護人の制度をつくる、それから裁判所の訴訟指揮権を強化する、そういうことなどが議論されているところでございます。  こういう改善策につきましては、現在、内閣に設置されております司法制度改革審議会でいろいろ議論されているところでございまして、ここで対策を含めた検討がされるものというふうに考えております。 ○中山会長 最後に、外国の違憲審査制度につきまして、アメリカ連邦最高裁判所、ドイツ連邦憲法裁判所における違憲判決の数は日本よりもはるかに多いようでありますが、両国における違憲審査制度及びその運用の実態はどのようなものであるか、お聞かせを願いたいと思います。 ○千葉最高裁判所当局者 先ほど申し上げましたように、外国の制度の調査につきましては、裁判所は得意分野ではございませんので自信を持ってお話しできないわけでございますが、いろいろ文献などで指摘されております点をごく簡単に、承知している範囲で申し上げたいと思います。  両国ともに、一つは、我が国の内閣法制局のような事前の法令審査、違憲審査、こういうことを行う制度を持っていないというようなことが指摘されております。  そういうことに加えまして、さらに次のような点が指摘されているようでございます。  ドイツの違憲審査制度については、そもそもドイツの連邦憲法裁判所、これは西ドイツ時代からでございますけれども、その以前のワイマール憲法が、憲法の敵あるいは自由の敵に対しても言論の自由などの憲法上の保障を与えた、その結果、ナチズムが合法的に進出するということになった、そういうことに対する深い反省が一つございます。それともう一つは、第二次世界大戦後の東西の冷戦構造、そういう政治情勢がございまして、そういうようなもとで、自由で民主的な基本的な秩序を防衛する機関としてこの憲法裁判所がつくられたようでございます。  つまり、憲法裁判所は、まさに、今言いましたことは、戦う民主主義という言葉でよく言われるんですが、戦う民主主義のとりでとしての立場で憲法判断を行うという役割を当初から担わされておった、そういう事情があるようでございます。  少し古い統計でございますけれども、一九八七年の末までにドイツの連邦憲法裁判所が下した違憲判決・決定は、約三百三十件に及んでおります。  アメリカ合衆国では、これは州の法律を違憲とした判決が非常に多いようでございます。その歴史的な背景といたしましては、そもそも、それぞれの州が自己の利益のみを擁護する、そういう立法などをいろいろ行いまして混乱が生じた、そういうようなことから、連邦の次元で州の法律をチェックするということの必要性について全体的なコンセンサスが得られて、そういう大きな時代の流れの中で、国民の間に連邦裁判所の違憲審査権の強化ということが抵抗なく受け入れられてきた、こういうような事情があったという指摘がされております。  こういうような事情が背景にあるのかなというふうに考えております。 ○中山会長 以上をもちまして私の質疑を終わります。  次に、質疑の申し出がありますので、順次これを許します。それでは、保岡興治君。 ○保岡委員 十分間のわずかの時間ですから十分な質疑ができないかとも思いますけれども、とにかく、きょう議題になっております最高裁判所の違憲審査ということは、憲法が、国の根幹あるいは国のあり方、行き方というものを最高法規をもって律する非常に重要な法令である、そういう意味で、それに適合するかどうかという判断は非常に国家にとって重要な行為なわけでございます。  ところが、今まで、きょう会長からも指摘されたように、国民側も憲法論議をなかなかしない、あるいは憲法の存在感が国民生活の中に、あるいは国の重要な問題について、しっかり論議され、判断されていくという流れがなかなかできない。  こういう状況の最大の理由の一つは、例えば砂川事件のように、日米安保条約は高度の政治性のある問題であるから最高裁の違憲審査の対象にならない、そうなりますと、こういう高度の政治的な判断を内閣の法制局がやって、それが有権的な最高の判断であるかのごとく許してきた国会にも非常に責任があるということが一つ。  それともう一つは、やはり私は、最高裁がこういう違憲審査権というものの重要性を踏まえた、もう少し、司法裁判所の限界というものがあるにせよ、余りそれをやると消極的立法だとか裁判の政治化だという問題があることは事実でございますけれども、しかし、それにしても、憲法の番人として意見を言う、それは最高裁の違憲判決の効力において、さっき言われたような事情判決とかいろいろな考え方、工夫もできるのでありますから、できるだけ判断をするということは非常に重要なことだと思うんですね。  そこで、そういう基本的な認識に立ってお尋ねしたいことは、一つは、先ほど、警察予備隊の違憲、合憲判断で、付随的違憲審査制度、判例通説のスタートになっているというような趣旨のお話がございましたが、私は、これは、今お話しのように、ドイツの連邦憲法裁判所のように、やはり抽象的な違憲審査制とか憲法の異議権とか、こういった考え方を日本も検討する必要があるんじゃないだろうかというふうに思うんでございます。  そこで、最高裁は、やはり最高規範である憲法を判断する立場もありますから、司法全体の非常に重要なお立場を持っておられるわけですから、こういうことについても、司法改革などでもいろいろ意見を言っていただいていますが、この点についてはどう考えられるか、まず質問したいと思います。 ○千葉最高裁判所当局者 先ほどの警察予備隊の判決にありましたように、最高裁といたしましては、現行憲法の解釈として、司法権に与えられているものは、やはり具体的審査制であるということを述べておるわけでございまして、これをドイツ型の、いわゆる具体的な事件とは離れた抽象的な審査までできる機関にするということになりますと、これは憲法改正という問題が起きてこようかと思います。そういうドイツ型の憲法裁判所をつくって立法、行政等に対するチェックがいいのか、現行の司法制度のもとにおけるチェックがいいのかということは、非常に大きな制度的な問題、憲法上大きな問題でございます。  最高裁判所といたしましては、現行憲法の枠の中での運用改善ということで今努力をしてございますけれども、その制度的な問題については、意見は控えさせていただきたいと思っております。 ○保岡委員 先ほどの答弁も今の答弁も、聞いておりますと、やはり憲法という最高法規を守る番人という意識からいえば、これをどうやったら守っていけるか、専門家として、その衝に当たる者として、制度論を積極的に言うべきだ。司法改革についても、そういう専門的な立場、責任を持っておられる人から意見が出ないというのはおかしな話で、これを積極的にこれから最高裁に考えてもらいたいと私は思います。  過去、五〇年代の後半でしょうか、昭和三十二年でしょうか、第二十六国会に最高裁が最高裁判所の改革案を打ち出したのですね。そのときの考え方は、恐らく、非常に最高裁に事件が集中して遅延した、これは重大だというので、憲法判断と、それから、いわゆる三審制の終審裁判所としての機能を分化しようとされて努力をされたのだと思います。そういうふうに制度論を積極的に考えた過去の最高裁の姿勢もあります。  そういう改革論についてどう考えられますか。 ○千葉最高裁判所当局者 御指摘の最高裁判所の機構改革の議論でございますけれども、昭和二十七年二月末の最高裁の未済事件が非常に多くなって七千七百件ぐらいに達したということに端を発しまして、政府から裁判所の制度の改善に関する諮問がなされまして、法制審議会で主に最高裁判所の機構改革と上告制度について審議をされまして、その答申では、大法廷は長官及び八人の判事で構成をして、小法廷の判事は総勢三十人とする、その上で、大法廷で審査する上告事件は憲法との適合性の判断を要するようなものとか重要な事項を含むものに限定する、こういうような答申がなされまして、国会で審議がなされたわけでございますが、審議未了のまま廃案になったというふうに承知をしております。  今保岡委員から御指摘ございましたけれども、最高裁判所といたしましても、たくさんの事件が最高裁に来ますと、最高裁判事の負担ということにもなりますし、憲法判断や重要な法令の判断についてはなかなか力が割けないというような事態になっては困りますので、平成十年一月から施行されました新しい民事訴訟法におきましても、先ほどちょっと御説明申し上げましたが、上告理由を制限して、重要な事件、つまり憲法的な問題とか重要な法令の解釈統一の問題について十分力が割けるような制度改正をいたしまして、まだ二年ちょっとでございますけれども、かなりの効果が上がってきているというふうに承知をしております。 ○保岡委員 私は、当調査会においても、この最高法規、憲法、この国のあり方、進み方、そういったものを、新しい時代に向かって、二十一世紀に新しい日本の姿を描きながら進んでいく、したがって、憲法の判断というものの重要性をやはり重要なテーマにして、国民の中に将来にわたって憲法論議が活発に行われるような仕組みを工夫していく必要があるというふうに考えます。  そういった意味で、司法改革、私は党で責任を持っている立場でございますが、司法の頂点に立つ最高裁、あるいは最高法規、憲法、その違憲審査も、最高裁判所の国民審査の民主的コントロールの見直しなどを含めて、やはり重要テーマで検討すべきだと考えます。最後にそういう意見を申し上げまして、質疑を終わります。 ○中山会長 仙谷由人君。 ○仙谷委員 私の方からお伺いをいたします。  きょう、整理された御報告をいただきましたので、それを前提にまずお伺いをいたしたいと思います。  ここに、愛媛玉ぐし料訴訟違憲判決を御紹介いただきました。これは、愛媛県が玉ぐし料を支出した、その支出が憲法上問題があるかないかということが問われた事件であります。国が玉ぐし料なりなんなり宗教施設に金品を納めたというふうな事例があるとすれば、日本国民は、そのことが憲法上問題がある、憲法違反の行為である、あるいは違法な行為であるということで、この愛媛の訴訟のように争うことができるのかどうなのか、この点についてまずお伺いをいたしたいと思います。 ○千葉最高裁判所当局者 愛媛玉ぐし料の訴訟は、いわゆる住民訴訟でございます。住民が、地方公共団体が行います財務会計上の行為につきまして、その違法がある場合に訴訟を提起することができるということでございまして、愛媛玉ぐし料の場合には、それが玉ぐし料という形で支出した公金の違法を争ったというものでございます。  したがいまして、この住民訴訟が、公金の支出の違法ということを主張して訴訟を起こすということは、制度としては存在するというふうに申し上げられるかと思います。 ○仙谷委員 国がと申し上げておるのです。国の公金の支出について、住民訴訟を提起する、そういう方法は今日本の国民に与えられているのでしょうかという質問です。 ○千葉最高裁判所当局者 失礼申し上げました。  今の住民訴訟は地方公共団体が対象でございまして、国の支出それ自体を取り上げて国民が直接何か訴訟を起こすことができるかどうかということにつきましては、今すぐ思い当たるものはございませんが、少なくとも住民訴訟では無理だということでございます。 ○仙谷委員 まさにこの点が、先ほど来おっしゃっておる、具体的事件を離れては裁判所が違憲立法審査権を行使することができない仕組みになっている。  それはそれで、アメリカ流といいましょうか、ドイツ流に抽象的に法令の違憲性、合憲性を判断しないという意味において、いい面もある、悪い面もある。悪い面というか、国民から見ると非常に隔靴掻痒、フラストレーションがたまるような事態だという意味でということでありますが。あるいは、保岡先生おっしゃいましたように、私もそう思いますが、内閣法制局なる存在が、憲法の公権的解釈をみずからの手に独占するようなことを言って、むちゃくちゃな憲法解釈で既成事実をつくっていくというようなことが、戦後も行われたし、最近も行われておる。私は、全くもってけしからぬと思っておるのでありますが。  そのことはさておきまして、最高裁判所が、いわゆる具体的な事件として上がってこないと、そして、それが門前払い――当事者適格のある、あるいは訴えの利益のある訴訟として上がってこないと憲法判断はできないのだとおっしゃっておるのは、まさにそのことだと思うのですね。  それはそれで、我々育ってきた中である種の合理性を肯定しておるわけでございますが、地方自治法二百四十二条の二で住民訴訟が、住民にとっては、その向き合う地方公共団体、いわゆる自治体の公権力の行使については、ある種の、その行政行為の憲法基準に照らしての問題点を提起できる道が今開かれているのに、国の権力行使については、その媒介をする、訴えを起こす規定が一切ない。ここが私は、現憲法体制を前提にしても、今の一つの大問題だと思っているんですね。  そのこと自身が、日本の憲法裁判といいましょうか憲法訴訟のある種の沈滞を表現しておって、最高裁判所はそのことによって、最高裁判所が憲法判断に消極的だ、こういうふうなことを言われても、片腹痛いといいましょうか、そんなこと言われたって困るよねということじゃないかと私は見ておったのでございますが、いかがでございますか。 ○千葉最高裁判所当局者 個々の国民が国が行う行為について、それを憲法違反その他を理由として争う道というのはいろいろございますが、例えば行政訴訟では、行政庁が行う行政処分、これを直接争うということは、もちろん行政訴訟で可能ではございます。  ただ、今委員が御指摘されましたように、これはあくまでもそういう具体的な事件という形で争うということでございまして、抽象的にそれを争うことができるかと言われると、これはやはりできないということにならざるを得ないかと思います。  要するに、国の行為をどういう形で憲法的にチェックしていくかということにつきましては、現在の日本国憲法は、やはり立法権、行政権、司法権、それぞれのチェック・アンド・バランスといいますか、権力分立構造でやっておるわけでございまして、裁判所といたしましては、具体的な事件が提起されました場合には、その憲法上の問題について、その解決に必要な場合には憲法判断を行っていく、個々の事件を憲法、法令に従って適正に処理していくということに尽きるわけでございます。 ○仙谷委員 結局、住民訴訟というのは、自分が行政処分を受けたわけでもない、あるいは直接損得、利害が発生したわけでもないけれども、公金の支出の仕方自身が、あるいは行政行為自身が、あるいは行政行為をしないことが問題である、そういう訴訟を起こすことができるというのが地方自治法で決められて、そして裁判所に出される。そうしますと、その権力行使の基準としての憲法にそれが合致しているかどうかということが具体的な事件として問われる、こういう構造になっているわけですね。  国でも同じだと思うんですよ。現に、愛媛の玉ぐし料訴訟は憲法上の問題になって裁判所の判断が示された。しかし、中曽根先生いらっしゃらないので、ちょっと言っていいのかどうかわかりませんが、昭和六十年に中曽根総理大臣が靖国神社にお参りして三万円の公金支出をした、これが大阪地裁、大阪高裁で事件になっていますね。これは、ほとんど訴えの利益がないとは書いてありませんが、請求棄却でありますけれども、要するに、裁判所の判断になじまないし、そういうことを訴え出るそもそも当事者適格がないんじゃないか、こんな感じで判断がなされております。これは最高裁へ行かなかったような形跡がありますが。  事ほどさように、トーマス・ジェファーソンが憲法は権力行使に対する猜疑の体系であるというふうに言った、そして、法の支配というのも、そもそも権力行使が、国民がつくったあるいは議会がつくった基準に基づいて、つまり法によってコントロールされなければならないというのが近代国家の原則でありますから、その法自身の違憲性、合憲性を最終判断するのは最高裁判所あるいは裁判所、こういう構造のもとで成り立っているはずなのに、その判断を求める機会が実は実質的に失われているというのが、私は今申し上げたような問題だと思うんですよ。  そうだとすると、最高裁判所の方からも、憲法判断を積極的にやれというのであれば、媒介の、つまり地方自治法二百四十二の二に匹敵するようなものをおつくりになってはどうですかということを、判決文の中で示すか、国会に何らか別の方法で促さないと、これはそういうふうになってこない。憲法訴訟、憲法判断が活性化しない。そして、内閣法制局あたりが、何か一番権威があるらしくて、最高裁判所より権威があるような顔をして憲法解釈をする、こんなことは、これから二十一世紀の日本にとっては許されてはならないと私は思います。  最後に御感想があればお伺いをして、質問を終わります。 ○千葉最高裁判所当局者 少し技術的な話になりますけれども、地方公共団体の公金の支出を争う住民訴訟というのは、法律がつくり出した制度でございます。 国民の具体的な権利や利益の侵害とはかかわりなく、住民であるという資格だけで訴訟が提起できる、これは、法律がつくった、いわゆる客観訴訟と言われるものでございます。  ですから、もし国に対してもそういう制度をつくるということであれば、それはそれで機能していくものだろうというふうに思っておりますが、裁判所といたしましても、判決でどういう制度をつくったらいいかということを立法的な提言をするという立場にはございません。あくまでも具体的事件の適正処理を通じて、憲法、法令の解釈適用、法の支配の実現に邁進していくということに尽きるかと思っております。 ○中山会長 倉田栄喜君。 ○倉田委員 公明党の倉田でございます。  先ほど御説明いただきました点と少し角度は違うと思いますけれども、憲法の最高法規性あるいは根本規範という部分について、一般論としてでも御見解をいただければ、こう思うわけであります。  私の問題意識は、今、当調査会で憲法の制定過程を含めて憲法論議をさせていただいているわけでありますけれども、その中に出てくる議論の一つとして、憲法が解釈上明確でない、あるいは字義が不明確である、こういう議論も一つございます。  そこで、国の形を定める根本規範あるいは最高法規性、もちろん根本規範といった場合に、憲法の上位概念としての根本規範という言葉もあるでしょうし、あるいは憲法の中において、憲法の中の上位規範あるいは下位規範とか、そういう意味の中で使われる根本規範という言い方もあるんだと思うのですけれども、私が今から申し上げさせていただきたい意味は、最高法規性、根本規範、つまり、そういうものであるとすれば、もちろん憲法は不磨の大典ではなく、改正手続もあるわけでありますから、時代に合わなくなったら改正をしなければならないということは当然の前提だとしても、しかし、やはり根本規範、最高規範であるがゆえに、その解釈というのは一定の幅があってしかるべきである。つまり、根本規範が非常に明確になっていて解釈の余地がなければ、それが合わなくなってしまった途端にそれは改正をしなければならないという形になるわけであって、ある一定の期間、区切りの中に、当然それにたえられるだけというのか、それだけの解釈の幅がなければならない、こういうふうに私は勉強してきたというか、考えてきたわけであります。  そういう意味の延長線上にしても、例えば憲法九条論の解釈があって、これは全然解釈の域を超えているとか、あるいは解釈の幅の中にあるとか、あるいは憲法の変遷であるとか、いろいろ議論があるわけでありますけれども、根本規範あるいは最高法規性であるとすれば、当然一定の解釈の幅があってしかるべきだ、そうでなければ、明確であれば、次から次に変更していかなければならない、こういうふうに思っているわけでございますが、今私が申し上げましたことについて、最高裁の立場から御見解をいただける点がありましたらお答えいただきたい、こういうふうに思います。 ○千葉最高裁判所当局者 憲法の最高法規性、これは憲法自体に明記しているところでございます。  憲法の解釈、適用という点でございますけれども、憲法の解釈につきましては、それぞれの時代、そのときの時代背景などを踏まえましていろいろな議論がされておるわけでございます。そういう背景の中で、具体的事件が裁判所に持ち込まれるという場合に、憲法のそれぞれの条項につきまして解釈、適用していくというのが司法の役割でございます。  今委員の御質問で、憲法の規定というのは、一義的にもうほかの解釈を許さないほど明確なものというのが、どの程度あるかわかりませんけれども、やはり今までの憲法判例の流れを見てみましても、それは解釈という余地はもちろんあるのではなかろうか。その解釈も、一度した解釈がまた変わって判例変更ということももちろんあり得ることでございまして、そういう意味で、一義的にもうほかの解釈を許さないというものではないのではないだろうか。  もちろん、これはそれぞれの規定を個々的に見なければ一般論としては言いにくいことではございますけれども、一般的には、憲法解釈につきましては、具体的事件が出されまして、その判断の必要な限度で、その事件を解決する場合に、憲法の規定の趣旨、目的、内容等を十分踏まえた解釈をしていく、あくまでもそういう解釈をして適用するものだというふうに理解をしております。 ○倉田委員 今、あえてこのようにお尋ねをさせていただきましたのは、論憲という立場で憲法を論じているときに、憲法が不明確である、だから明確に書き込んだらいい、こういう議論がある中で、確かにその要請もよくわかるわけでありますし、理解もできるわけでありますけれども、しかし一方で、やはりある一定の時代の中にたえられるものでなければならない。これから刻々変化する状況の中でたえられるものであるとすれば、ある程度その時代の幅に対応できるだけの弾力性、解釈の幅をやはり根本規範というものは持つべきものなのではないのかな、こういうことを、少し抽象的でありますけれども、申し上げさせていただいたわけであります。  もう一点でありますけれども、憲法に何を書くかということで、よく人権と統治という二つの章に分かれて書かれるわけであります。今私どもが議論をしている中に、最近の時代の流れあるいは時代の状況を反映していることの一つなのかもしれませんけれども、先ほどのお話も、いわゆる違憲訴訟については人権にかかわる部分が多いというようなお話もございました。つまり、人権、権利ということを主張して、その反面にある義務というのは一体どうなっているんだ、その義務というものも憲法に書くべきことなのではないのか、こういう主張もある。  私も、一方では、権利のあるところに責任あるいは義務あり、もう場合によったら、それこそ義務あるところに権利ありみたいな、そういう議論も出る中で、うん、なるほどなんて思ったりする面もないわけではありませんけれども、しかし、憲法に何を書くかということになると、例えば人権規定というのは主として自由権からスタートをしている。それは国家からの自由というものを規定したものであって、個人というものに対して国家は干渉すべきではないということが大前提としてあるべきなんだろうと思うのですね。  そうすると、そこに義務を書き込むというのは一体どういうふうに書けばいいのか。それは人権の規定の話なのか、あるいは統治の中に書き込むべきことなのか、あるいはその前文の話なのか。そこを少しこれから整理をして考えていかなければならないな、こういうふうに思いながら、ちょっと私自身も整理がつかないまま実はお尋ねさせていただいておるわけでありますけれども、最高裁の立場で、憲法の一般論として、人権の規定、人権と国家の関係、あるいは義務を書き込む場合には一体どういうことなんだということについて、何か御見解をいただけたらお尋ねしたいと思います。 ○千葉最高裁判所当局者 大変難しいお尋ねでございまして、的確なお答えができるかどうかわかりません。  歴史的に見ますと、委員御指摘のように、憲法における人権規定、当初は、国家からの自由ということで、自由権というものの保障から始まったわけでございます。 その後、これとあわせまして、国民の福祉の増進のために、国家に対して積極的な活動を求める社会権という方に発展をしてきたものというふうに説明をされておるわけでございます。  こういう人権規定の中に、あるいはそれと同じ章の中に義務の規定を置いているということが、日本国憲法もそうですけれども、諸外国の中にもございます。我が国の憲法も、教育の義務とか勤労の義務とか納税の義務というようなものを憲法に規定してございます。さらに、憲法十二条におきましては、人権の行使に際しての一般的な義務、乱用はいけないというようなことも書いております。  こういうような義務というものが人権規定とどういう関係にあるのかというのは、なかなか難しい問題で、私としても的確なお答えはできません。これは、統治というものに関係するというふうにも読めますし、人権の行使に関連する面があるということで人権のところに規定されているという考え方もあろうかと思います。諸外国の中でもその辺はいろいろでございます。  裁判所といたしましては、やはり具体的な事件を処理する際に、こういう人権規定の性質の違いと申しますか、そういうようなものを十分見きわめた上で解釈、適用をしていきたいと考えております。 ○倉田委員 以上で終わります。ありがとうございました。 ○中山会長 佐々木陸海君。 ○佐々木(陸)委員 日本共産党の佐々木陸海です。きょうは大変御苦労さまでございます。  先ほどから日本国憲法第八十一条の違憲審査制の問題が一つ話題になっておりますけれども、まず、この八十一条が日本国憲法に設けられた、この八十一条について、明治憲法との比較で、この八十一条が設けられたことの意味あるいは背景、そしてその意義についてお聞かせ願いたいと思います。 ○千葉最高裁判所当局者 大変難しい質問でございまして、実は、そういう大きな問題につきましては、むしろ憲法学者の方の方が適当かというふうに考えております。  御承知のとおり、戦前の憲法では違憲立法審査権ということが認められていなかったわけでございまして、現行の憲法におきましては、立法、行政、司法、それぞれの分立、チェック・アンド・バランスということが民主主義、法の支配の貫徹のために必要であるという、そういう基本的な思想のもとにこういう違憲立法審査権が司法権に与えられたというふうに理解しているところでございます。 ○佐々木(陸)委員 先ほどの質問者の発言の中にもあったのですが、この八十一条を指してのことだと思うのですけれども、最高裁を憲法の番人であるという規定をする、俗説的な言い方かもしれませんけれども、この憲法の番人であるという言い方についてどうお考えになるでしょうか。 ○千葉最高裁判所当局者 最高裁判所は、法律、命令その他、国家的な行為について合憲性の判断をする最終的な機関でございますので、そういう意味では憲法の番人という言い方がされているのかなというふうに考えております。 ○佐々木(陸)委員 しかし、先ほどお話にもありましたように、三権分立、チェック・アンド・バランス、それはすべて国民主権の上で成り立っている問題でありまして、憲法を守るか守らないか、やはり最終的には主権者である国民がそれを決めていく、そういう問題になろうかと私は思うわけです。そういう意味では、最高裁を憲法の番人という、俗説的な言い方として成り立つ面もこの八十一条からあるとは思いますけれども、私は、本当に最終的な番人というふうに簡単に決めていくわけにはいかないと思っています。  特に、そういう点に関して言いますと、先ほどお話がありました統治行為論、いわゆる統治行為論ですね。やはり、重要な政治問題について、極めて政治的な問題であるから最高裁としては判断をしないんだと。結局、主権者である国民に判断をゆだねるんだということに結論としてはならざるを得ないと思うんですが、そんなことは最初から、最高裁がそういうことを言わなくたって、最高裁がどのような判断を下そうと、最終的に決めるのは主権者である国民であるわけですから、やはり、この三権分立の土俵の上で統治行為論をとるというのは、私は、一つの逃げとしか言えないという側面も、そういう批判もあるのではないかと思うんですが、統治行為論についてのそういう批判に対してはどういうふうにお答えになるでしょうか。 ○千葉最高裁判所当局者 我が国の憲法の思想は、先ほど申し上げましたように、立法、行政、司法、それぞれの抑制均衡の原理、三権分立の原理ということで動いているというふうに考えております。司法裁判所はあくまでも具体的事件の処理で憲法判断を行うということを再三申し上げているところでございまして、そういう大きな政治的問題について司法部が判断をするというのは、果たして司法部がふさわしいかどうかという根本的な問題があろうかというふうに考えております。  したがいまして、これは日本だけの理論ではございませんで、先ほども申し上げましたように、アメリカでも政治問題の理論というのがございまして、やはり大きな政治的な問題につきましては、いわばそういう国の命運を決するようなことを司法部が最終的に判断をするということではなくて、それはあくまでも主権者である国民に政治的な責任を負う国会、立法機関なりが処理すべきことである、そういう基本的な思想のもとにポリティカルクエスチョンという理論ができてきているんだろうと思っております。  講学上言われております統治行為の理論というのも、同じような思想からできているのではないかというふうに理解しているところでございます。 ○佐々木(陸)委員 これまで、いわゆる統治行為論と言われるものが最高裁の判決の中で使われたのはどのくらいあるんでしょうか。 ○千葉最高裁判所当局者 先ほど中山会長からの御質問にもお答えをいたしましたが、統治行為論、これは判文の中で明示的に表現したものということではございませんで、いわば教科書などで紹介しているものといたしましては、先ほどの砂川事件の判決と苫米地事件の判決、この二件が最高裁の統治行為論の判決ということで紹介されております。 ○佐々木(陸)委員 「主な憲法裁判例年表」の中の上から二十二番目に挙げられている、八幡製鉄政治献金事件判決について、その概要を説明していただけませんでしょうか。 ○千葉最高裁判所当局者 この一覧表では三十二番目になります。事案では、八幡製鉄の代表取締役二名が会社名義で自由民主党に対して政治献金を寄附したことにつきまして、この会社の株主が会社に代位をして提起した取締役の責任追及請求訴訟の上告審でございます。  判決は、憲法三章に定める国民の権利義務の各条項は、性質上可能な限り、内国の法人にも適用されるものであるから、会社は、公共の福祉に反しない限り、政治的行為の自由の一環として政党に対する政治資金の寄附の自由を有する、こういう判決と承知しております。 ○佐々木(陸)委員 判決の内容について、ここで批判をしたり議論をしたりする場ではありませんから、そうするつもりはありませんけれども、企業の献金というようなものについては、国会の中の議論でも、これを正しくないもの、規制していくべきものという流れになっているということを、私は今ここで率直に指摘をしておきたいと思います。  そして、最高裁判所が憲法の番人というのにふさわしい状況になっていくためには、やはり、統治行為論なんという方向に逃げるのではなくて、きちんと判断をしていくことが必要であるということも申し上げまして、質問を終わります。 ○中山会長 中村鋭一君。 ○中村(鋭)委員 きょうは御苦労さまでございます。  先ほどからの説明の中で、昭和四十七年十二月十日に行われた衆議院選挙について、選挙人が、公選法の規定によると、有権者数の最大値と最小限の比は四・九九対一にもなっており、合理的根拠なしに、国民を不平等に取り扱っている、こういうことで裁判が提起をされまして、これに対しては、非常に明快に、第十四条一項に基づいて、これは違憲であるという判断を最高裁は示しておられるところでございます。ただし、選挙の方は、これは無効にはできない、もうやったものであるからという判決であったわけでございますが。  一方で、事務局からいただいた「憲法訴訟に関連する用語等の解説」、この中の「立法権の裁量に属する事項」というところで、具体的事例として、昭和五十二年七月の参議院通常選挙について、議員一人当たりの選挙人数の最大格差及びいわゆる逆転現象の合憲性が争われ、これにつきましては、合憲であるという判断が最高裁において示されております。  それで、違憲判決の方は昭和五十一年の四月十四日でございますが、参議院の方の合憲判決は昭和五十八年の四月の二十七日でございますが、一方で合憲、一方で違憲という判断を最高裁は示しております。一方は衆議院で一方は参議院でございますが。  そこで、この昭和五十二年七月の参議院通常選挙、これにつきまして、簡略で結構でございますが、具体的な訴えの内容、それと判決をちょっとまず御説明をお願い申し上げたいと思います。 ○千葉最高裁判所当局者 いずれも定数訴訟と言われているものでございまして、地方選出議員の定数について、選挙区ごとに格差が非常に大きいということを理由といたしまして争われたものというふうに承知をしております。それが憲法十四条に違反するほどの大きな格差であるという主張で、その選挙の無効を求めたというものというふうに承知しております。     〔会長退席、鹿野会長代理着席〕 ○中村(鋭)委員 その昭和五十二年七月の、私がお願いを申し上げたのは、そちらに資料がありましたら、そのときの原告団の主張するところと、そして判決の概略を教えてもらいたい、こう申し上げたんですが、資料をお持ちじゃございませんか。なければもう結構ですが。きのう連絡を申し上げておいたつもりなんですが。――参考人、もう結構でございます。ありましたですか。では、簡略にひとつ。 ○千葉最高裁判所当局者 判決の内容でございますが、非常に大部なものでございまして、なかなか簡潔に御説明いたしかねるところでございますが、判決の内容を一般的な言い方で御説明申し上げますと、一つは……(中村(鋭)委員「参考人、もう結構でございます」と呼ぶ)よろしいですか。  要するに、投票価値の平等というものは、やはり憲法十四条もそう予定をしておる。ただし定数をどうするかというのは大きな国会の裁量にあるということと、それから参議院の場合には、三年ごとに半数が改選されますので、一つの選挙区については最低二人以上の定数を配分しなければいけない、二の倍数という形で定数が配分される、こういう特殊性がある。それらもろもろを考慮して、結局、格差があるといっても、それは国会の裁量の範囲内であるということを言った判決というふうに承知をしております。 ○中村(鋭)委員 私ごとにわたって恐縮でございますが、この昭和五十二年七月の参議院の定数訴訟は、実は私の選挙に関して提起されたことでございまして、五十二年七月の参議院は、私は五十五万余票をちょうだいいたしまして、落選をいたしました。一方、鳥取県はたしか十八万票余りで参議院議員を一人出したわけです。  原告団は、一方で五十五万票をとった人が落選をして、一方で十八万票ぐらいで当選をする人がいるのは憲法十四条違反であるということで訴えを提起されたわけでございまして、私は原告団にも何も加わっておりません。新聞に出て、ああ、そういうことがあったのかということで、新聞記者からあなたに関して訴えが出されていますよと言われて驚いた記憶がございます。  いずれにしても、この参議院の判決は、裁量権の範囲内ということを非常に重視しているわけでございまして、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断を要求するから、だから選挙制度の内容を決定する責務と権限を有する国会の裁量にゆだねられている、こういう判決の趣旨だった。だから合憲と言っているわけですね。しかし、こちらの方は、先ほど例示なさいました方は、非常に明快に違憲だと言っているわけですね。  だから、同じ国会議員を選ぶのに、衆議院と参議院で合憲と違憲の判断が示されるということは、やはり最高裁判所の権威からしても、国民にやや説明がしにくい面があるのではないか、このように私は思います。  そこで、この違憲判決に基づいて具体的な定数の対比というものの数が示されていると思うんですが、今一番直近の裁判等で、この定数関係の裁判で、最高裁判所が示しております定数に対する判断は、衆議院、参議院、分けていただいても結構でございますが、どういう数字になっておりますか。 ○千葉最高裁判所当局者 まず、衆議院の方からいきたいと思いますが、衆議院につきましては昭和五十一年四月十四日の大法廷判決がございまして、これは平等原則に違反して憲法違反であるということを言った判決でございますが、格差が一対四・九九の格差でございます。同じように、昭和六十年七月十七日の大法廷判決がございまして、これは年表では五十四番目、先ほどの五十一年の判決が年表の四十三番目の判決でございますが、この五十四番目の判決は、同じように平等原則に違反するということで、主文で選挙が違法であるということを宣言したものでございまして、一対四・四〇の格差がございました。  それから次に、その平等原則違反というところをきちっと言ったわけではございませんが、憲法が要求する選挙権の平等の要求に反する程度には至っていたけれども、まだ是正までの期間がそんなにたっていないということで、結果的には違憲とまでは断定できないという判断をしたものといたしまして、昭和五十八年十一月七日の大法廷判決、これは一対三・九四の格差について、こういう言い方をいたしました。平成五年一月二十日の大法廷判決も同じ趣旨でございますが、これも一対三・一八の格差でございます。  次に、そもそも選挙権の平等には反しないのだということを言ったものといたしましては、昭和六十三年十月二十一日の第二小法廷の判決がございます。このときの格差は一対二・九二の格差でございます。     〔鹿野会長代理退席、会長着席〕  簡単に申し上げますと……(中村(鋭)委員「もう結構です」と呼ぶ)よろしゅうございますか。  参議院につきましては、選挙権の平等の要求に反する程度には至っている、ただし、まだ時間的にたっていないので違憲とは断定できないということを言った参議院の判決は、平成八年九月十一日の大法廷判決、これは一対六・五九の判決でございます。  それから、選挙権の平等に反しないとしたものが、直近のものでは平成十年九月二日のもので一対四・九九の格差、その他一対五ぐらいのものについての判決が多数ございます。 ○中村(鋭)委員 最後に、一つだけお伺いいたします。  今幾つか数字を出していただきましたが、国会としては、直近の最高裁の判断の数字が、例えば一対三・一八であれば、その直近に示された数字というものが、例えば国会において審議をいたしまして、今回の選挙はこことここの定数をこのように改めようというようなことについて、その判断は国会の審議を拘束するものですか。国会の取り決めを拘束するものですか。それとも、それとは別に、国会には国会の裁量権として、それを最高裁はお認めになることができるわけでございますか。最後に、一つだけお伺いをして終わります。 ○千葉最高裁判所当局者 最高裁が判決の中で憲法判断をいたしまして、仮にそれが、一つの規定が憲法違反であるということを述べたときの効力の問題でございますが、これは一般的にその違憲とした法律の規定を無効とするものではございませんで、あくまでも当該事件における判決という、個別効力説といいますか、そういう見解をとっておるところでございます。したがいまして、最高裁の判決自体が法律の効力をなくしてしまうということはございません。  ただ、最高裁が違憲であるという判断を示した場合には、それは立法機関、行政機関それから公務員それぞれがその判断を尊重していただけるものというふうに考えております。 ○中村(鋭)委員 終わります。 ○中山会長 伊藤茂君。 ○伊藤(茂)委員 最高裁の皆さんには御苦労さまでございます。社会民主党の伊藤茂ですが、幾つか質問をさせていただきます。  同僚議員からも指摘ございましたが、憲法は社会、国家の基本ルールを決めるとございまして、それにつきましての衆議院における調査会の議論を今まで私ども展開をしているわけであります。  その中で、やはり憲法の持つ、社会のルールまたそのシグナルをどう示すのかということの重要性を改めて痛感をいたしておりますし、最近続発をする、何か信じられないようなさまざまの社会問題、事件を見ましても、政治の世界でも神の国とか憲法の基本にかかわるさまざまな御発言が首相から出るとかございまして、これは政治の責任で処理をしなければならぬという問題でございますけれども、非常に大事なときであるということを痛感いたします。  私は、憲法の理念と目標をより鮮明にしながら、社会のルールとモラルのある社会をつくりたいという立場から、二つの視点から伺いたい。  一つは、最高裁がそういう判断をより鮮明に、また的確に、機敏にやるための努力という問題でございます。もう一つは、国民主権の国家でございますから、憲法に基づく司法の判断の、やはり最大の権威のベースは、これは国民の信頼であるということは言うまでもありません。そういう国民に信頼性のある制度にするにはどうしたらいいのか、二つの方面でお伺いをしたい。  まず第一の問題でございます。先ほどの判例の御報告の中に、砂川裁判などがございました。一つの時期を振り返る思いがいたします。たしか、私の党の大先輩である鈴木茂三郎さんが代表で起こされたことだったと思いますし、それから、その判決の後、裁判所法の改正あるいは違憲裁判手続法などを、同じ鈴木茂三郎さんが提案の筆頭となられまして、国会に提出をしたという経過を思い起こしました。冷戦時代から五五年体制時代の象徴的な出来事でございまして、今はもっと違うと思いますし、もちろん違うべきだと思いますが、ということでございます。  先ほど来お話がありましたように、確かにアメリカ型、ドイツ型、具体的審査制あるいは抽象的審査制と言われる状況があり、日本の場合には、憲法八十一条、アメリカ型、そしてまた二つの機能を持っているということになっているわけであります。そういうことなんですが、私は、もっとやはり機敏に、どう変えていくのか、もっと機敏に、鮮明に憲法の判決を示すということが強化されていいのではないかというふうに思います。  具体的には二つ方法が出てくるのだと思います。一つは、ドイツ型のような抽象的審査制、憲法裁判所というようなものをつくるべきであるという意見もあると思います。  もう一つは、現在の憲法八十一条及び裁判所法という中で、先ほど申しました鈴木茂三郎さんなど、私どもの先輩が提起をいたしました裁判所法の改正という形で、より憲法裁判所的権威を持つ。その提出しました中身を繰り返し読んでみましたら、憲法に適合するかしないかを裁判により決定する権限を有することを明確に規定する。あるいはまた、日本国憲法第九十八条第一項及び八十一条の規定に基づき、最高裁判所が、裁判所法の権限として、憲法に適合するかしないかを裁判で決定する手続その他の事項について定めるというふうな中身になっております。  そういうやはり権威づけと任務の明確化をするということも一つの方法だと思います。国会で主として決めることなんですが、司法制度その他、いろいろな場で議論をされるべきことでございましょう。御所見を、発言できましたらお伺いしたい。 ○千葉最高裁判所当局者 最初のドイツ型の憲法裁判所をつくるということにつきましては、これも先ほど申し上げました憲法改正を伴う大きな問題でございまして、私の立場から申し上げることは控えたいと思います。  ただ、憲法裁判所によるチェックということになりますと、これは、司法権によるチェックということよりもう一段上の抽象的な形での規範統制ができるということでございまして、現行の三権分立による規範統制とは違う憲法原理がそこに出てくるわけでございます。そういう形での統制、これはドイツで行われているというところでございますが、あるいはフランスでも、議会で可決された法律が、大統領の署名する前に憲法院、コンセーユ・コンスティテューショネルというところで審査が行われる、そういうことでございます。より権限が強い形で、したがって政治的な問題もそこに持ち込まれる可能性があるという面もございますが、そういう制度で行うということになろうかと思いますが、いずれにしましても、現行憲法とは三権分立との観点が大きく違った憲法原理が入り、また司法権の範囲をどういうふうに考えていくのかという問題とも関係する、非常に難しい問題であるというふうに考えております。  もう一つ、裁判所法等を改正して、権限なり権威をもっと明確にするということでございますけれども、これは裁判所法の制度改正ということになろうかと思いますが、裁判所といたしましては、持ち込まれた事件につきまして、合憲性の判断、憲法判断が必要な場合には、毅然として権限行使を行ってきておりますし、今後とも、そういう事件処理を通じて憲法の解釈統一をしていきたいというふうに考えております。 ○伊藤(茂)委員 お答えをいただきましたが、もっと機敏な対応、鮮明な判決が求められている時代だなというふうに思います。もちろんですが、司法の反動化とか、これはおかしいではないかとか言われるような期待外れの方向で考えているわけではないことは、私は言うまでもないというふうに思っております。もう一つは、申しましたように、判決の権威というものの基礎は、やはり国民の高い信頼性、そして国民主権の国家にふさわしい運用ということにあることは言うまでもないと思います。そういう意味では、さまざまな努力をしなければいけないのではないかというふうに思います。  この間、東大名誉教授の芦部さんの「憲法判例を読む」という本を読んでおりましたら、日本の裁判官は行政官と同じキャリアシステムで任命、昇進をしていくというのですね。何かやはり制度として改革が必要なのではないか。法曹一元化とかあるいは陪審制、あるいは参審制という言葉もあるようですし、あるいは国民審査法が今の制度でいいのか、効果があるのかということについての問題などもございます。いろいろな意味で、やはり国民の高い信頼性を持つ、また国民主権の国であるということにふさわしい、そういうシステムとか努力がもっとなされるべきではないだろうか。私どももいろいろな場で、国会でも議論をしなければならないと思います。  いずれにいたしましても、世紀を越えるときでございます。新しい世紀に向けての、日本と世界の大きな変化の時期をどう設計し展望するのかという時代の節目にあるわけでありまして、いろいろな意味で、今までの延長線でまじめにやるというだけではないものが必要ではないかと思いますが、いかがでしょう。 ○千葉最高裁判所当局者 大変大きな観点からの御指摘をいただきまして、ありがとうございます。  もちろん、おっしゃるとおり国民主権、国民に信頼される裁判所、司法部でありたい、あり続けたいというふうに考えているところでございます。やや蛇足になるかもしれませんが、そのためにも、やはり裁判所といたしましても、国民に親しみやすい裁判制度をつくっていかなければならないということでございまして、司法制度改革審議会におきましても、そういう観点からの御検討をお願いしたいというふうに考えております。  また、国民一般に対する情報提供という点におきましても、なかなか裁判所というのは情報の発信が少ないというような批判がされているところもございますので、できるだけそういう情報発信をしていきたい。具体的に申し上げますと、平成九年五月に最高裁判所でホームページをつくりまして、そのホームページの中に、最高裁の判決で判例集に載るようなもの、これは言い渡し後余り長い期間をたたずに、二、三日以内ぐらいにホームページに載せるというような形で、いろいろな形の情報提供も進めているところでございます。  今の委員の御指摘も踏まえまして、今申し上げたことだけではございませんが、国民に利用のしやすい、しかも信頼が得られるような司法制度、最高裁の仕事のありようを心していきたいと思っております。 ○伊藤(茂)委員 ありがとうございました。 ○中山会長 二見伸明君。 ○二見委員 出たり入ったりして、参考人の御意見を十分に聞けなかったことを申しわけなく思います。それで、あるいはダブるかもしれませんけれども、ちょっとお尋ねしたいと思います。  実は、警察予備隊違憲訴訟判決ですけれども、このいただいた資料によりますと、憲法八十一条では、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」これは憲法の規定ですね。ところが、判決要旨では、「裁判所は、法律、命令等に関し違憲審査権を有するが、この権限は司法権の範囲内において行使されるものであり、具体的事件を離れて抽象的に法律、命令等が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有するものではない。」こういう判決ですね。  これは、アメリカがこうですね。憲法制定過程でアメリカの影響を受けておりますから、そういうアメリカの影響を受けているということが、こういう判決要旨になったのでしょうか。この点はどうでしょうか。 ○千葉最高裁判所当局者 委員御指摘をいただきましたとおり、この違憲審査制度につきましては、アメリカの制度を倣ったものというふうに言われておるところでございまして、この警察予備隊の事件についての最高裁大法廷の判決も、具体的審査制ということを言っております。  これは、まさにアメリカが、アメリカは判例法でございますけれども、具体的事件の処理に必要な限度で憲法判断をする、そういう判例理論ができてきておりますけれども、そういう思想を我が国の憲法も取り入れたということをこの判決でうたっているものと思っております。 ○二見委員 としますと、この解釈は今後永久に変わらないということになりましょうか。それとも、解釈は変わることも将来あり得るでしょうか。 ○千葉最高裁判所当局者 冒頭に申し上げましたとおり、将来の判決予測ということになりますと、とても私のなし得ることではございませんし、適当でもないと思いますので、御容赦いただきたいと思います。 ○二見委員 実は、抽象的違憲審査をやろうとする場合は、今の解釈ですとできませんですね。もし抽象的な違憲審査をしようということになりますと、憲法を改正しなければできませんか。憲法を改正しないで、解釈でもってできますか。 ○千葉最高裁判所当局者 この警察予備隊の大法廷判決は、司法権の行使のあり方として具体的審査制ということを言っておるわけでございまして、その範囲内で憲法判断を行うということでございます。したがいまして、これが抽象的な審査制を導入するということになりますと、現行憲法が予定した司法権の行使のあり方とは違うものをつくるということになろうかと思います。したがいまして、この大法廷判決を前提とする限り、恐らく現在の憲法のもとではできないのではないかというふうに考えております。 ○二見委員 ということは、もしそういうものにする場合には、憲法を改正する以外にはないというふうに、そう解釈していいわけですね。そう考えていいわけですね。 ○千葉最高裁判所当局者 現行憲法では無理であるというふうに思っております。 ○二見委員 はい。ありがとうございました。     ――――――――――――― ○中山会長 この際、一言申し上げます。  会期終了まであと二十四日ほどになりましたが、本調査会の開会も十回目となりました。ここで、今までの調査につき、改めてその経過を御報告いたしたいと存じます。  本調査会は、去る一月二十日、国会の召集とともに設置され、当日、第一回目として会長と幹事の互選の議事が行われました。  二月十七日には、各会派の委員六名より、憲法調査会の調査を開始するに当たり、意見を聴取いたしました。  二月二十四日からは、日本国憲法の制定経緯について参考人より意見の聴取をし、質疑を行ってまいりました。  日本国憲法の制定経緯についての参考人意見聴取及び質疑は、二月二十四日、三月九日、三月二十三日、四月六日、四月二十日の五回であり、お招きした参考人は十人、質疑を行われた委員の延べ数は六十四人であります。  十人の参考人の主な発言の論点としては、例えば、日本国憲法の制定経緯をどのような観点から評価すべきか、日本国憲法の制定の際にGHQからの押しつけはあったのか、占領下の日本国憲法制定はハーグ陸戦法規等に違反しているのか、いわゆる芦田修正の趣旨及び極東委員会の文民条項挿入要求との関係についてなど、多岐にわたるものがございました。  五月十一日には、日本国憲法の制定経緯についての五回、十人からの参考人意見聴取及び質疑を踏まえて、委員間の自由討議が行われました。この自由討議においては、三十九人の委員から御発言があり、これをもって日本国憲法の制定経緯については締めくくりといたしました。  これらの議論を通じて、日本国憲法の制定経緯については、それぞれの立場の違いによる評価は別といたしましても、各会派とも、客観的な事実に関する共通の認識を持たれたものと存じます。  また、四月二十七日には、衆参に憲法調査会が設置されてから初めて迎える憲法記念日に向けての委員各位の自由な意見の表明を聴取いたしました。当日、自由な意見表明を行われた委員の延べ人数は三十四人であります。  この意見表明におきましては、本調査会の今後の審議調査の進め方について、近代国家の憲法の原則とはいかなるものか、民主主義と伝統主義との関係をどのように理解するのか、日本国憲法の先駆的価値についてなどの観点から、多様な御意見をいただきました。  そして、本日は、戦後の主な違憲判決について最高裁判所事務総局より説明を聴取し、質疑を行ってまいりました。質疑者は、私を含め八名であります。  本日までの調査会において、発言をした委員延べ数は百五十一人、調査会開会時間は三十七時間を超えております。  憲法は国民のものであり、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならぬという原則を堅持して、二十一世紀の日本のあるべき姿を求めて、憲法に関する広範かつ総合的調査活動が今後もなされるべきものと信じます。  最後に、本日までの調査会において、幹事、オブザーバーの方々、そして委員各位の御指導と御協力により、公平かつ円滑な運営ができましたことに厚くお礼を申し上げて、閉会といたします。(拍手)  本日は、これをもって散会いたします。     午後零時六分散会