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今日はパレスチナの首長選挙が行なわれます。候補者の動向をめぐっていろいろ報道がなされてきましたが、この選挙そのものの意味がいかほどのものかということを思うと、あまり興味ももてません。「自由」選挙というしくみは、よーく内容を吟味しないと事実を隠蔽する道具に使われるだけだなあ。
パレスチナの自治政府代表を選ぶ選挙は英語ではpresidential electionで、これは大統領選挙と同じ言葉です。日本の報道では「自治政府議長選挙」となっていて誤解を与える余地は少ないのですが、英語で読む限りはまるでパレスチナという国の元首を選ぶかのような印象を与えます。そのあたりのことも踏まえて、民主的な自由選挙の実施に誇りを感じるパレスチナ人に、そんな勘違いはためにならないよというバルグーティ。

奴隷の主権 :占領下で実施されるパレスチナの首長選挙

オマル・バルグーティ
Slave Sovereignty −Palestinian Presidential Elections Under Occupation
Znet 2005年1月7日

多くのパレスチナ人が、自分たちはまもなくアラブ世界でもっとも自由で民主的な選挙をふたたび経験するのだと誇らしげに語っている。 ひとつだけ問題なのは、いまだに占拠支配の続くパレスチナでプレジデント<注1>を選出するという表現の自家撞着だ。 主権と占領はたがいに相容れない。 事情に通じた多くの読者をはじめ世界の人々は、パレスチナの国民がみずからの首長《プレジデント》を選出することによって、主権の行使の究極の形式を実践すると考えているらしい。 多くの人にとって、ここからパレスチナ人はある意味で自由なのだという思い込みにおちいるのはたやすい。 そうすると、占領についていろいろ言われているのは、いったいなんだったのかということになる。 例えば、パレスチナの一般市民が今もイスラエルの占領軍によって毎日のように殺害されていることについて、メディアは現在ほとんど関心を示さない。 もちろん彼らの唯一の関心事は、誰が出馬し、誰がしないかだ。マフムード・アッバースは何を言いたかったのか、マルワン・バルグーティがひっこまなければ何ができたか・・・ ラファの民家のブルドーザーによる破壊、ヘブロンの入植地の拡大、ベイト・ラヒヤの罪のない子供たちの殺害などは、退屈な瑣末事であり、選挙という非日常性のなかでの日常茶飯事なのだ。

そのような状況に対しては多々の問題が指摘されるが、なかでも最低限のものはそれが正確でないということだ。

まず、若干の事実を指摘しよう。 この日曜日に西岸地区とガザのパレスチナ人が選出するのは、パレスチナ自治政府(PA)の首長であって、パレスチナ人全体の統帥者《大統領》ではない。 パレスチナ自治政府は、1993年のオスロ合意に基づいて作り出された機関だ。この合意はパレスチナ解放機構(PLO)とイスラエル政府の間で交わされたものであり、そこに規定されているパレスチナ自治政府の役割は、教育、保健衛生、地方行政と課税徴収を行なう程度にすぎない。 それに加えて、自治政府は全力をつくしてイスラエルの安全を保障する。そのための主な手段は武装した抵抗組織の弾圧である。

イスラエルと合衆国がパレスチナ自治政府の創出に協力したのは、占領地を管理するためであり(もちろん、占領という基礎事実は維持しながら)、やがては「和平」条約と呼ばれるものに調印させて、パレスチナ難民に帰還や補償を与える、西岸地区とガザから植民支配の機構をすべて包括的に撤去する(軍を撤退させるだけでなく、不法なユダヤ人入植地も撤去させる)、自国のパレスチナ系市民を差別する人種差別制度を撤廃するという、イスラエルの法的かつ道義的な義務を免除するためだったのだ。

皮肉なことに、パレスチナ自治政府はせいぜいがパレスチナ人の全体における少数派を代表するにすぎない。西岸地区とガザの占領下の人々だ。 パレスチナ人の過半数を占めているのは難民とイスラエルのパレスチナ系市民だが、彼等はパレスチナ自治政府に代表されているわけではない。 ここに真のパラドックスがある。パレスチナ人全体の3分の1程度しか代表していないような政体が、残りの3分の2の権利を譲り渡すような条約に、いったいどうしたら有効で合法的な署名ができるというのか? 簡単だ。 パレスチナ人というものを再定義して、望ましくない3分の2を排除してしまえばよいのだ。 オスロ合意以来、西側の主流メディアは、アラブの傀儡メディアともども、まさにそのとおりのことをしてきた。 彼等はパレスチナ人という言葉をもっぱら占領下の西岸地区とガザの住民のみを意味するだけに使ってきた。 問題解決!

・・・というわけでもない。 残りの3分の2は、そう簡単に歴史から抹消されたり、パレスチナのアイデンティティから抹消されたりはしないからだ。 彼らはますます高度に組織化され、政治的に活発な存在で、自分たち独自の表現経路を開発しており、独自の表象の枠組みを形成するのも時間の問題だ。 おまけに占領地のパレスチナ人もその多くは難民であり、今はイスラエル領になってしまった故郷のハイファやヤッファ、リッダ、マジュダル、アッカなどへの帰還を熱望している。 正確とは言い難いにせよ世論調査の結果が示しているのは、西岸地区とガザのパレスチナ人が最優先の政治課題としているのは、一貫して難民の帰還権だということだ。 そういうわけで、パレスチナ自治政府というプロジェクトは、結局のところイスラエルとアメリカの投資に対して予想されたような見返りをもたらすことはなさそうだ。

このような状況では、たとえ制限されたものであっても、とにかく主権と呼べるものを手にすれば、パレスチナ人がイスラエルからの独立を宣言することにつながるのではないのだろうか? いいや、まさにそれこそが問題なのだ。 パレスチナ人は自由ではない。彼らは世界に対して自分たちが自由であるかのような印象を与えているべきではない。 彼らは本物の暴虐な占領のもとにおかれた国民であり、その占領者は往年の植民地主義のごう慢さと完全な免責のもとに犯罪を犯しつづけているのだ。 パレスチナ人が機会あるごとに世界に思い出させるべきなのは、 この地域の紛争に正当で永続的な解決をもたらす唯一の道は、イスラエルの圧制──上記の三形態すべて──を終わらせることを通じてであって、パレスチナ人のそれに対する認識を変えさせることによってではないということだ。パレスチナ人は消滅しかけているPLOの機構を生き返らせるべく努力すべきだ。すべてのパレスチナ人を代表することができたのは、この組織しかないのだから。 パレスチナ人を構成する3つのグループはいずれも、自分たちの権利を代表し、また自分たちの運命に対する責任を担うために、民主的に選出された単一の政治組織を必要としている。 この使命は、パレスチナ自治政府の力量も、職責も、努力目標も大きく越えたものである。

オスロ合意から10年を経て、パレスチナ自治政府の政治的な機能は、植民地支配のアクセサリーとしての役割を果たすことに制限されてしまったようだ。それによって、イスラエルは圧制を維持しながら、世界に対して自分たちは和平プロセスに取り組んでいると訴えることが可能になっている。 オスロ合意によって、イスラエルにはそれまで閉ざされていた扉が開かれた──ヨーロッパ、アフリカ、アジア、そしてアラブ世界の中でさえ。 かつてイスラエルを苦しめた手ごわいアラブのボイコットは崩壊したも同然で、イスラエル産業が進出して大きな利益を挙げることを許し、第二次インティファーダが勃発する直前にイスラエル経済は過去最大の成長率を記録した。 実際、このオスロ和平プロセスが達成した平和とは、抑圧された者たちが完全に沈黙する中、抑圧者たち人たちは従来通りのふるまいを続けるという平和でしかなかったのだ。

このような状況の下での首長選挙は、イスラエルがパレスチナに残された部分を猛スピードで植民地化することを隠蔽するのに役立っているだけだ。それなのに西岸地区とガザのパレスチナ人たちは自分たちの優れた「民主主義」を祝っている。

奴隷たちが自分たちの看守代理を選ぶ「自由」選挙に気を取られているのを、主人たちは喜んで眺めているだけだ。

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オマール・バルグーティはパレスチナに本拠地を置く政治アナリスト。

注1 日本の報道ではパレスチナ「議長」選挙と訳されていますが、英語では「大統領」も同じことばです。なぜ日本の新聞が「議長」という言葉を選んでいるのかは不明ですが、Parestinian presidentはパレスチナ自治政府をとりしきる人物のことで、独立共和国であれば「大統領」と訳されてよいものです


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Posted on 07 Jan, 05
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