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ペレツ労働党の誕生は画期的なできごとですが、現実にはそこから、なにが期待され、どんな限界があるのかを幅広く考察したミッチェル・プリトニックの文章。筆者はユダヤ系アメリカ人の和平活動家であり、外国人としてパレスチナの平和を願う者の視点から、今回の事件をどうみるかということも参考になります。


イスラエル労働党は生まれ変わるのか?
Michell Plitnick: Is There A New Labor Party in Israel?
ミッチェル・プリトニック、 Jewish Voice for Peace; November 15, 2005

先週労働党の党首選挙でアミール・ペレツが衝撃的な勝利をおさめたことは、イスラエル政界に新しい希望の時代の幕開けであるとして一部の人たちにはおおいに歓迎された。たしかにペレツはイスラエルの主要政党にはこれまでなかったような、きわめて新しいタイプのリーダーだ。このペレツという人物がなにを表象し、どのような希望をもたらすのかを理解し、彼の勝利が意味するものの限界を、バランスの取れた視野において理解することが重要である。

労働党の党首候補として名のりをあげたペレツは成り上がり者という印象をもたれた。だが彼が選んだタイミングは最適だった。労働党のメンバーたちは、久しい以前からシモン・ペレスの詐欺的な政治手法によってやる気を失っていた。ペレスは人をふるいたたせるタイプの指導者ではないし、特定の政治目標を強力に推進することもけっしてなかった。ペレスは日和見主義者であり、イスラエルの歴代政府においてたとえどんな性格の政権であっても常にそのトップの地位を占めることが彼の最大の関心だった。2002年の選挙で、政治家としては駆け出しのアムラム・ミツナが労働党書記長の地位を勝ち取ったことは、ペレス、ベンジャミン・ベン=エリエゼル、オフィール・ピネス=パズ、エフライム・スネーら堅固に守られた労働党の指導部が大幅に支持を減らしていることを露呈させた。ペレツが今回つけこんだのはそこだ。

短期的な見通し

ペレツの勝利そのものは、きわめて好ましい成り行きと受けとめる以外にないだろう──イスラエル政界にとってのみならず、占領を終結させイスラエル人とパレスチナ人の両方に公正な和平を実現するためにもそうである。それを否定するのはばかげているが、ペレツの勝利が、近い将来になにか劇的な方向転換をもたらすだろうと期待するのも同じくらいにばかげている。

もしもペレツが公約を守って、連立政権から労働党を離脱させるようであれば(どうやらそうなりそうだが)、2006年3月にイスラエルの総選挙が前倒しされる可能性も高くなる。アリエル・シャロンのリクード党首としての地位が依然ぐらついているため、シャロンが独自に第三党を結成する可能性は否めず、そこに労働党の不満分子が流れ込むこともじゅうぶんありうる。ペレツ体制への期待から労働党にリクード票が流れる可能性は、シャロンの離脱と相まって、リクードを無力化させるかもしれない。だからといって、そのことが来年3月の選挙で労働党の勝利を確実にするわけではない。

たとえペレツがほんとうに来年首相になったとしても、彼が現状を大幅に変革するような政策を矢継ぎ早に打ち出すとは考えにくい。分離壁については、建設予定地をさらに変更することはあっても、撤廃まではいかないだろう。パレスチナ難民のイスラエル本土への帰還にイスラエルの一般世論がしめす拒絶反応を彼はじゅうぶんに承知しているし、エルサレムの分割についても彼が大胆な提案をするとは考えにくい。長年にわたるイスラエル=パレスチナ紛争に、彼が特効薬を提供するわけではない。

だがペレツが3月の選挙に勝てば、長い目で見れば好ましい影響をおよぼすだろう。じゅうぶんな時間が与えられれば、彼もエルサレムについてのイスラエルの国民感情を動かすことができるだろう。もっと直接的なところでは、彼の社会改革理念が少しでも実現化されるのであれば、その資金をひねり出すためまっさきに予算配分を削られるのは入植事業だろう。入植地は、いわゆる「前哨基地」と呼ばれるものも、もっと大規模で定着したものも、いずれも違法な手段で資金が調達されていると、タリア・サッソンは2005年3月の報告書で告発している。これを武器に、ペレツは入植者の運動を大幅に抑え込むことができるかもしれない。

党内選挙の勝利を受けて、ペレツはクネセトに西岸地区から退去したい入植者に補償を支払うという法案を提出した。小さなものとはいえ、これは始まりの一歩である。

社会主義のルーツ?

アミール・ペレツの政治思想の根底には社会主義がある。彼のレトリックには、かつて社会主義政党だった頃の労働党を理想化するところがうかがわれる。労働党についての、そんなロマンティックな見方は、誤解を招くだろう(労働党の内部やイスラエル社会一般における社会主義とナショナリズムのせめぎ合いについては、ゼエブ・シュテルンヘルの『イスラエル建国神話』にすばらしい解説が載っている)。労働党は着実におおかたの社会主義の理念から遠ざかっていった。ペレツは実際、イスラエルの労働党の理念に、たぶんこれまで一度もなかったほど社会主義を前面に打ち出している。ここ数十年のあいだの傾向に比べればその対比はいっそう鮮やかだ。

ペレツは、イスラエルにおける社会的セーフティ・ネットの構築に乗り出すだろうし、貧富の差(西欧型の国家としては最大になっている)を縮小する方策も進めるだろう。だがイスラエル経済の方向性に、彼がそのような大転換をもたらすことができるかどうかは疑問である。多方面から大きな抵抗が持ち上がると予想され、とりわけ危惧されるのはみずからのお膝元の労働党からの抵抗だ──新自由主義経済モデルを1980年代から90年代にかけて積極的に受け入れてきたのは労働党なのだ。このことについて、彼が少しでも影響を及ぼせたならば、期待はおおきく膨らむ。それは次に記すように、なにもイスラエルの大衆だけに限ったことではない。

ペレツは和平を推進するか?

ペレツはアリエル・シャロンの「一方的撤退」計画に猛烈に反対してきた。これは特筆すべきことである。なぜなら「一方的な分離」という概念は、西岸地区に分離壁を築くという着想と同じように、それが最初にでてきたのはシャロンやリクード党からではなく、エフード・バラクが党首だった頃の労働党からなのだ。自分とマフムード・アッバースとじっくり膝を交えて話し合い、アメリカや他の勢力は抜きにして、最終地位の取り決めを結びたいと、ペレツは明言している。この表明はたいへん聞こえが良いが、もちろん実現させるのはさまざまな理由から困難だろう。とはいえ明らかにペレツも、シャロンの一方的な行動のおかげでアッバースの立場が大きく損なわれたことはよく承知しており、それによって真の打開がどれほど難しくなったかもわかっている。ペレツは長いあいだ「ピース・ナウ」(和平推進団体)のメンバーだったし、彼の妻はイスラエル人とパレスチナ人の現場における対話の促進に熱心に取りくんできた。パレスチナ人との紛争についての彼のアプローチは、アリエル・シャロンやベンジャミン・ネタニヤフと異なるばかりでなく、シモン・ペレスやエフード・バラク、イツハク・ラビンなどとも完全に異なっている。BBCは「占領は、なによりもまず不道徳なことだと思う」というペレツの発言を引用している。

2002年のアムラン・ミツナとは異なり、選挙戦が続いていくうちに徐々に和平推進提案をトーンダウンさせるようなことをペレツはしなかった。だがその理由のひとつは、和平問題はペレスにとって国内の社会経済改革に比べて優先順位がかなり低かったことにある。またペレツは国際関係の分野での経験はほとんどゼロに等しく、平和活動家としての彼の経験も、おおむね高度な政治の領域からは外れたところのものだった。それでもなお、彼の国内向け政策課題でさえも、占領政策に顕著な影響をおよぼす可能性があることに注目しよう。イスラエルの経済は国民の大半にとって悪化しており、パレスチナ人への対処に、より厳しく断固とした手段をとることを支持する者が増えている。経済不安を抱える社会は、えてしてナショナリズムの傾向を強めるものである。イスラエル経済がより平等なものになれば、真の変化が起こりパレスチナ人と本気で妥協しようという機運も整ってこようというものだ。

だが現時点であまりに多くを期待するのは賢明ではない。たとえペレツが首相になったとしても(ありえないわけではないが、前倒し選挙がそういう結果になる公算は大きくない)、国内問題への取り組みが彼の最優先目標となるだろう。また彼の抱える大きな課題として、外国の高官との接触がなく経験に乏しいことや、彼とそりの合わないアメリカ政府が少なくとも2008年まではつづくことが挙げられる。

リクード党のミズラヒーム支持基盤を侵食

イスラエル国家の初期の頃には労働党が政権を担っており、イスラム諸国からやってきたユダヤ人移民たちははげしい差別に直面した。差別は今日も消えたわけではない。ミズラヒ系ユダヤ人(ミズラヒは「東方」を意味し、たいていのアジアや北アフリカ出身のユダヤ人をさす)たちは、この歴史を引きずって労働党には疎外感をもっている。アシュケナージ系ユダヤ人(ヨーロッパの白人系のユダヤ人)は、イスラエルの少数特権階級のなかで不釣合いなほど大多数を占めているが、ミズラヒームはイスラエルのユダヤ人の過半をしめるにもかかわらず、概して所得水準が低く、労働者階級に属していることが多い。したがって労働党は、表向きは社会主義の傾向と和平志向を標榜しているものの、実のところはイスラエルの少数特権階級の党であり、いきおいミズラヒームの票はシャスのような右翼宗教政党あるいはリクード党にひき寄せられる。

アミール・ペレツはモロッコ生まれであり、従ってミズラヒ系ユダヤ人である。彼は常にミズラヒームのイスラエルにおける地位について率直に語ってきた。体裁主義の指導者たちとは大違いで、ペレツは自分のアイデンティティに誇りを持ってきたが、それでも全ての者のリーダーであるというオーラは常に維持してきた。ミズラヒームの支持を労働党に引き寄せることができるとすれば、それはまさに彼の役目だろう。大量のミズラヒームからの支持は同党がこれまで一度も経験したことのないものであり、それをバネにしてペレツがなにか大胆な改革を実施することも考えられる──国内政策においても、占領政策においても。

ペレツはまたイスラエル国内のアラブ系マイノリティーの権利擁護にもつとめている。近年イスラエルのアラブ系市民たちは、彼らが1950年代に危険な「裏切り者」として孤立させられたとき以来の最悪の差別を受けている。ペレツはこの流れを止めるために動くだろうし、それによってアラブ系市民の支持を集めるだろう。どれほどの支持が集まるかは予測できない。近年のできごとによって、イスラエルは国内のアラブ系市民との関係を大きく悪化させてしまったからだ。

ペレツの前途に控える障害

アミール・ペレツが労働党のリーダーに選出されたことは、真の変化をもたらす大きな可能性を秘めている。だがその変化が起こるのは遠い先のことであり、今回の選挙も彼の行く手に控える数多い試練のほんの最初のものにすぎず、もっと大きな試練を受けるのはこれからだ。ペレツの偽りのない社会主義の信念と、心からの労働者階級の擁護が、金と力のあるイスラエルの少数特権階級の金に糸目をつけない反発を招くことになるのは明らかだ。イスラエルの労働組合連合ヒスタドルートの委員長として10年にわたり闘い続けてきたペレツにとって、これはおなじみの戦場だ。イスラエルで大きな力を持つ軍のエリートからも、ペレツは大きな抵抗を受けるだろう。もしも首相になれば、ペレツはイスラエル軍将校の経験のないはじめての首相ということになる。このことは、彼が西岸地区について重大な譲歩をしようとしたときに、一般大衆の彼に対する信頼をおおきく傷つける要因になりかねない。

おそらくペレツの闘争でもっとも興味深いものとなるのは、ミズラヒーム差別に対する闘いだろう。モロッコ生まれのユダヤ人として、彼のミズラヒームのアイデンティティが前面に押し出されるだろう。そのことが彼の立場にどれほど影響するかを見守れば、アシュケナージ系ユダヤ人がミズラヒームを今日どのようにみているかがよくわかるだろう。

最後に、ペレツが直面することになるいま一つの大きな障害は、労働党からの猛反発である。たとえ82歳になるシモン・ペレスがこれを引退の警告と受けとめたとしても、古参の党員たちは自分たちの地位を取り戻そうと暗躍するだろう。ペレツの社会主義と人道主義の理想は労働党のレトリックには一致しているものの、依然として労働党の中核的存在である裕福なアシュケナージ系ユダヤ人たちは、そのような理想を実行に移すことに賛成するとはかぎらない。

アメリカ人はなにをすべきか?

ペレツの主張の目玉のひとつは、マフムード・アッバースとの直接交渉を望んでいることだ。この交渉にアメリカを引き込むつもりがないということは明らかだ。排除されたアメリカがどのような反応を示すかは不明だが、アメリカの主だった外交政策プランナーの多くがイスラエル中心にものごとを考えていることに鑑みれば、アメリカがそれを歓迎するとは考えにくい。またペレツがパレスチナ人に対して彼らの最低限度の必要を満たすような条件をオファーできるかどうかを考えてみても、たとえ本人が誠実にそれを願っていたとしても、それができる見込みは短期的にはきわめて薄いといわざるをえない。

つまり外国人の平和活動家にとっては、基本的にこれまでと同じ条件がつづくということだ。わたしたちは引き続き、西岸地区の違法な分離壁の撤去、西岸地区のイスラエル入植地の完全撤退、エルサレムを(分割あるいは共有により)パレスチナ人とイスラエル人の双方の首都とすること、パレスチナ難民の問題を公正で妥当に解決することを要求していかなければならない。この紛争の最終的な帰結がどうなるのであれ、上記のことをイスラエルが受け入れることが最低条件であることは、すでにじゅうぶんわかっていることだ。ペレツの勝利がこれらの実現に向けての第一歩である可能性はあるが、その先の道のりは長く、克服すべき大きな障害が残っている。

わたしたちがすべきことは自国の政府に対して、占領体制の強化につながるイスラエルへの支援の停止を要求し、パレスチナとイスラエルの両サイドに公平な政策をとるように圧力をかけつづけることだ。そしてアメリカから、ヨーロッパから、カナダから、南アメリカから、また世界中のどこからも、「占領は不道徳だ」というペレツの言葉をこだまさせることができる。イスラエルの指導者を支持したり、反対したりするのはわたしたちの役目ではないが、その人物の行動については支持したり、反対することができる。アリエル・シャロンの行動は、わたしたちか反対すべきものばかりだった。ペレツに対しては、もっとましな行動を望み、当然のこととして期待さえできるだろうが、それでもわたしたちの行動計画はなんら変わらない。


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(=^o^=)/ 連絡先: /Posted on: 21/Nov/058