新たな反セム主義?
Etienne Balibar, ≪ Un nouvel antisemitisme? ≫
エチエンヌ・バリバール
訳者による解説

「われわれのあいだに混在しているパレスチナ人は、追放以来身につけた高利貸し精神のせいで、彼らのほとんど大部分がそうなのだが、欺瞞的だという、根拠がなくもない批評を被ってきた。さて詐欺師からなる民族nationというものを想像するのはどこか奇妙な感じがする。かといって商人だけからなる一民族があって、彼らのうちの大多数のものが、自分たちのいま住んでいる国家に容認してもらっている古くからの迷信によって団結しながら、その国の市民としての栄誉を求めるのではなく、その点での不利を、欺くことによって得る利益によって償おうとするというのもまた奇妙な感じがする。彼らが犠牲とするのは、保護を受けている国の国民ばかりでなく、ときには自分たち同士さえも…」
イマヌエル・カント
『実用的見地における人間学』、一七九八年、第四六節
(M・フーコー訳、ヴラン書店、一九八四年、七五頁)。[訳注一]


憎しみにも歴史がある。外国人恐怖症xenophobie、人種主義racisme、反セム主義antisemitismeといったものを、永遠に同一である本質として取り扱いつづけるかわりに、おそらくはこの現実を見定めねばならないのだろう。

わたしはここである二重の仮説を進展させたい。

一方で、一般に人種主義と呼ばれるものと反セム主義を区別するのは重要なことであると、わたしは考える。反セム主義は、人種主義イデオロギーと合致し、「人種間の闘争」および「人種的不平等」というパラダイムの中で引き起こされた。だが反セム主義のうちには、ある還元不可能な意味の核があり、最も完全に世俗化した形態であっても、このことにかわりはないのだ。だがもう一方で、反セム主義の内容は変容したとも、わたしは考えている。反ユダヤ主義antijudaismeないしは「ユダヤ恐怖症」は、そうしたケースはかつて一度もなかったのであるが、もはや反セム主義の唯一の成果をかたちづくっているわけではない。反セム主義は「セム語族」という二〇世紀の神話を、それまでとは異なる基盤の上に再構成するカップルの片方となったのである。アラブ恐怖症ないしはイスラム恐怖症が、このカップルのもう一方の要素を構成することになる。中東での紛争が育んでいる暴力的な対立は、アイデンティティの局所化という紛争の効果を産み出すことにより、今度は当の紛争を育んでいるが、この暴力的な対立は、上記解釈に対しての一つの異議とはならない。反対にこの対立のうちには、わたしがここで提起している解釈に含まれる諸様相が見出されるのである。事態をこう提示した上で、わたしは、ある者たちを「新たなユダヤ恐怖症」について語るよう仕向けた諸現象の説明を試み、それと同時に、一方的で自己満足に基づいており、人を欺くようなこの〔「新たなユダヤ恐怖症」という〕定式の訂正を試みよう。

わたしは第一の点に簡潔に取り掛かろう。ただしこれは次につづくものと切り離すことはできない(ユダヤ恐怖症とアラブ恐怖症がその差異にもかかわらず互いに重なり合いうるのだとすれば、それはとりわけ、この二つが人種主義のパラダイムからともに隔てられているということを意味するのであるから)。次いで第二の点に、それが説明する諸事象とそこで提起される諸問題を喚起しながら取り掛かろう。

周知のように、人種主義および反セム主義に捧げられた豊富な文献は、二つの命題のあいだを揺れ動くことを止めなかった。すなわち、二つの現象の「際立った」同一性という命題(反セム主義は人種主義の典型的な形態、しかもその極限形態と見えるのであるから)と、二つの現象の異質性(世俗化した神学的源泉に由来する反セム主義は、矛盾に満ちた特徴を有する幻想上の「人種」にのみ関係するというばかりでなく、本質的なかたちで内的であるがゆえに、極限においては隔離が不可能であるような他者性を、その恐怖症の対象とするのであるから)という命題のあいだを。当然のことながら、こうしたことすべては議論されている。だがわれわれは二つの可能性は相互排除的なものだと確信しているのだろうか。また、他者の憎しみと自己の憎しみを不条理なかたちで合理化した場合、それが相互補完的なものとなりうるのかどうかについて確信しているのだろうか。結局のところは、問題を根本的なかたちで歴史化せねばならないのである。この歴史化という作業では、言葉の問いとその使用の問いは、恒常的に再評価を受ける対象となるはずだからだ。

反セム主義は、一六世紀から二〇世紀にかけての「人種間の闘争」という言説空間の中で表明された。そして今度は当の反セム主義が、この言説空間に終末論的な意味を賦与することに一役買ったのである。すなわち、「起源の」聖痕と「最終的」解決が結びつくことになるような意味を、である。反セム主義は、個別的にして集合的であるような系譜的幻想(他者の人種化、自己の人種化…)を投影した諸成果およびその恒常的諸効果と切り離すことができない。だが現実に生起した、つまりは、必然的ではないが不可逆的である二つの出来事が、二十世紀の反セム主義の変容にあたり、ある根源的な重要性を担うことになったのである。一方のものは、ナチスとそのコラボ;協力者たちによるヨーロッパ・ユダヤ人の根絶である。そこからは、抑圧された罪責感という効果とともに、反復強迫が引き起こされている。もう一方のものは、イスラエル国家の(「持続的な」ということのできる、すなわち、根源的に未完了であり、おそらくは完了不可能な)創設である。このイスラエル国家は、「生き残りの民族」という齢二千年にならんとする種族を寄せ集め、自らの民族を祖国なき民族という条件から、少なくとも彼らの理想に添ったかたちで引き離しただけではない。そればかりでなく、彼らを「内部の」ユダヤ人と「外部の」ユダヤ人に、深刻なかたちで分裂させてもいるのだ。人種主義についてわれわれが試みる表象にとり本質的なことは、これらの出来事はその諸効果を、脱植民地化という文脈の中に還流させているということである。この脱植民地化もまた未完了なものであり、あるいは(地中海地域におけるように)さまざまな仕方で阻まれているものなのだ。脱植民地化により、南の社会と同じく北の社会も、ポスト‐コロニアルの社会となっている。このポスト‐コロニアルの社会では、明らかにアラブ‐イスラムの総体は、蝶番の役割を果たすきわめて顕著な位置を占めているのである。今度はこの総体が、支配しかつ支配されている「同一性による紛争」を賭札とする言説の、目標にして源泉となるのだ。    

何年か前にわたしは、第二次世界大戦直後に到るまで支配的であった生物学的人種主義を引き継いだ「差異主義的人種主義」に関して、当時なされた諸分析(V・ドゥ・ルデール、P・A・タギエフ)を深めようとする過程で、新人種主義のある特定の形態を、一般化した反セム主義という雛型を用いて思考するよう提案した。この新人種主義とは、ヨーロッパに定住した移民を標的としたものである。それは文化的「同質性」の人種主義、政治的「共同性」の人種主義であり、つまりは内的境界の人種主義なのである。この人種主義では、国家に対して、積極的に区別をせよという要求が絶えずなされる。これらの事柄に関して、わたしはすでに論じた(二)。だがさらなる一歩を踏み出さねばならない。クローバル化した空間の中で言葉や態度の意味がさまざまに流布することにより、われわれはそうした流布に加担してしまう。それは同時に、この種の流布が、グローバル化にともなう困難と危険をさまざまに増大させてしまうことを意味するのである。

パレスチナ人が自ら置かれた状況についてわれわれに差し出す表象は、精確を期して必要な修正を施すことがそこには求められるが、ときにはユーモラスになされる。「われわれはどこかユダヤ人のようなものだろう?」(カンヌ映画祭でのエリア・スレイマン)そしてときには悲劇的に。それは死刑執行人になってしまった犠牲者という、不吉なアイロニーに差し向けられている(「われわれはユダヤ人にとってのユダヤ人なのだよ」)。こうした表象は、出発点をわれわれに与えてくれるものなのだ(三)。特異なケースということを超えたところに、つまり、パレスチナ人の置かれた状況を、同一化および連帯の中心点とするばかりでなく、想像の上での代替物および代理でなされている闘争の中心点としているようなところに、(ハンナ・アーレントが述べるような)「パーリア」という条件の一般化があるのだ。これは世界のアラブ‐ムスリム出自を有する数多の共同体にとり、――程度は多様であり、その都度特殊な形態をとりながらも――共通している条件なのである。

だがこの反転図式が抱えている欠点は、ユダヤ恐怖症としての反セム主義が執拗に存続しているという事態、さらにはこの反セム主義が、中東での紛争およびこれを根拠とする幻想のグローバル化を基礎に再発しているという事態さえも、(もしこの欠点を原理的に排除しないのであれば)暗闇の中に放っておくということにある。ところが、この矛盾に満ちた多元的な決定surdeterminationこそが思考すべきことなのである。

これと同じ欠点は、エドワード・サイードが『オリエンタリズム』の最後に概略を示している転移の図式においても、ある些細な程度に(彼はユダヤ中心主義がアラブ中心主義に反転するのを注意深く回避しているのであるから)影響を及ぼしている。この著作は、《西洋》が《他者》の形象を投影することで己れの自己意識を構築したものである、カテゴリー化に関するわれわれの知覚を、その根底から刷新した。さまざまなニュアンスを込めて、サイードはこう主張する、(本質的にはアラブ‐イスラム的である)オリエント的なものは今日、内的で、不吉で、侵入者的であるような他者性の場所を好んで占めるに到っているのであり、かつてはそれがユダヤ人の位置だったのであると。したがってサイードは、「セム語族の神話」を巡る歴史記述で、大抵の場合に欠けているもう半分を復元するための方法として、「人種的」(アラブとしての《他者》)にして「精神的」(イスラム的な《他者》)であるという二重の呼称が有する象徴的な機能を、理解する方法を差し出しているのだ。それは奇妙なことに、精神的であると同時に物質的であり、国家的であると同時にディアスポラ;離散的であるような共同体としての、ユダヤ民族の二重の形象と、照応するものとなっている(四)。

だがそれにもかかわらず、わたしが考えるには、われわれは類比的analogique推論から、イデオロギー的であり歴史的であるような複合観念complexeの分析に移行せねばならないのである。この特異な複合観念こそが、新しさを、そしておそらくは出来事というものをなしているのだ。言説上の類比(反セム主義のステレオタイプの流通)、経験的なカップリング(統計上フランスの人口においては、ユダヤ恐怖症とアラブ恐怖症のあいだには高い相関関係があり、ノナ・メイエは最近の世論調査に関する注釈の中で、これを拠りどころとしている(五))、象徴的な対称性(その存在により、統一された国民共同体の可能性が問いに付されてしまうような内部の敵、この地位を巡るユダヤ人とアラブ人による「競争」)といったものは、固有の論理を持ち己れの矛盾さえも自ら育むような複合観念の存在を認めることから出発しない限りは、意味が把握されることさえもないのである。

この複合観念の基礎に、還元不可能な神学的痕跡を位置づけねばならない。ただし  その場合、神学的なものと宗教的なものを混同しないよう十分に配慮する必要がある。神学的なものは、われわれの社会がいかに世俗化しようとも、つまりは、宗教的信仰および実践がいかに衰退しようとも、決して消え去りなどしないものなのだ。そればかりか、「宗教的なものの回帰」という多様な現象とともに再生しているのである。神学的なものは、各々がその唯一神との関係の真正性を主張している三つの一神教の、「ライヴァル」と呼ばれるようなものとも混同されはしない。そうではなく、神学的なものとは、フロイトが説明していたように、選び、受肉、予定説、といった図式に根を下ろしている普遍主義のうちに見出される、不寛容の要素に差し向けられるものなのだ。そこから抜け出す準備をわれわれはまだ整えてはいない。というのも普遍主義とは、われわれを世界へと開く言葉であるとともに、この普遍主義の意味を、われわれがその独占的な保持者であるとされている、解放をなす使命に向かわせることを可能にするものでもあるからだ。

しかしながら、この神学的要素は、それが社会‐政治的諸条件により多元的に決定されているのでなければ、大衆的にして制度的であるような根深い敵意を育むことなどないだろう。同化不可能だという判断を下されるにもかかわらず、彼らと切り離しえないように見える経済に、文化に、そして市民権に、これほどまでに統合されている住民の形象が、「国民共同体」のネガ;否定的なものとしてかたちづくられてしまうには、国民共同体の不可能性ないしは変質を引き起こすような危機を支えとして、差別および差異の意味がさまざまに構成される必要がある。ブルジョワ国民国家が、伝統的社会秩序を犠牲として形成されていた時期のヨーロッパのケースがこれであった。おそらくは、国民国家の機能と未来が、グローバル化という現象により急激に問いに付されている時代のケースでもあるのだろう。想像の共同体は、その主権がいっそう制限され不安定なものと見えるだけに、なおさら物象化しているのである。

このとき第三の要素が、まさに幻想というかたちで介入する。陰謀のシナリオがそれである。疑いもなくここにおいてこそ、ユダヤ恐怖症とアラブ恐怖症の複合観念が、最も強固なかたちで結び合わさるのである。周知のようにユダヤ人は、犯罪と金にものをいわせた権力を用い世界規模で体制転覆を企てるファクターとして、絶えず表象されていた(有名な偽造文書であり、とりわけ中東では、今日なおもその効力が失われてはいない『シオン賢者の議定書』は、こうした表象の症例にして手段であった)。この表象は消え去っていないどころか、イスラムおよびアラブ人に関するそれと対称をなす表象により二重化した。この表象によれば、彼らはある秘術的権力の指揮のもとに、石油資源、原理主義布教活動、自殺テロリズム(ジハード(六))、といったものを地球規模で操っており、ユダヤ人たちはおろか、「自由世界」の核心さえも狙っているというわけなのだ。二つの場合とも、たしかにいくつかの「実在する事実」があるにはある。合州国では、シオニストによるロビー活動は、「ネオ・コン;新保守主義者」のサークルを遙かに上回るかたちでその影響力を誇っており、またアル‐カイダの、あるいはこのアル‐カイダという名のもとに想像されるものの企てが存在しているのであるから…。だが陰謀という幻想は、これらの要素を通り越してしまい、不可視であり怪物的な「もの」の中に、それらの要素を埋め込んでしまうのである。つまりそこでは、ユダヤ人ないしアラブ人は単なる手先でありエージェント;代理人であると見なされているのだ(七)。

このようにして、ユダヤ恐怖症とアラブ恐怖症を、同じ反セム主義という複合観念の中に包括するという行為には、おそらくは知的にして道徳的な陥穽が潜んでいるのだろう。わたしはそれを十分に意識している。それにもかかわらずこの仮説は、現下の状況で、とりわけヨーロッパでさまざまな偏見が集結している事態を唯一説明しうるものであるよう、わたしには思えるのである。この仮説は、精神を虜にしてしまうような恐るべき機械仕掛けがあることを指し示している。これに抵抗することが不可欠なものであるだけに、この仮説のうちには、既存のさまざまな反人種主義の戦線を転換しうるますますの可能性があるのだ(あの〔極右政党「国民戦線」党首〕ル・ペンであれば、サダム・フセインばかりでなく、アリエル・シャロンの賛美者でもあると、難なく公言することだろう)。そしていっそう重要なことは、この仮説がわれわれ各人のより奥深いところで、正義ないしは連帯の感情を開拓しうるということである。われわれ各人はこの感情により、犠牲者と死刑執行人の歴史的役割が交替し反転している事態の原因をさまざまに考慮することで、己れをアンガージュすべく促されるのである。こうした理由により、ハンナ・アーレントは反人種主義に関して、正当にもこう主張したのである。すなわち、それは自らが戦う敵についてさえ、敵は悪であると告発し、迫害された者に自らを同一化するという立場に甘んじることなく、能動的、変転的、自己批判的であるような概念にその基礎が置かれねばならないのであると(八)。危機が到来しているこの今日、いまやわれわれこそがそうした手腕を発揮する番なのだ。

原註
(一)本テクストは、二〇〇二年五月二四日に国際哲学学院で行われた「人種主義の危険を冒す哲学」を巡る研究発表会での口頭発表を要約したものである。短縮版は二〇〇二年七月九日付の『リベラシオン』に発表された。

(二)エチエンヌ・バリバール、イマニュエル・ウォーラーステイン『人種・国民・階級――揺らぐアイデンティティ』、ラ・デクヴェルト出版、パリ、一九八八年(再版、一九九七年)。[訳注二]

(三)すでに雑誌『レ・タン・モデルヌ』の「歴史を画す」特集である「イスラエル‐アラブ紛争」、関係資料、第二五三号別冊、一九六七年にまとめられている諸論考を参照(今日のアラブ系イスラエル市民の条件に関しては、とりわけラシード・ハムザーウィーの論考「中世におけるユダヤ‐アラブの関係」、三四六‐三五八頁)。

(四)E・W・サイード『オリエンタリズム――西洋が創造するオリエント』、フランス語訳、スイユ出版、パリ、一九九七年(新版)の、とりわけ四一頁(「反セム主義と、そのイスラムの分枝としてわたしが示したオリエンタリズムが、きわめて厳密なかたちで類似しているということは、歴史的文化的にして政治的真実なのである。これに含まれるアイロニーが完璧なかたちで理解されるには、どんなアラブ・パレスチナ人に言及するだけでも十分である」)および一一八‐一一九頁、一六五頁以下(ルナンに関するもの)、さらには三一九頁以下(「大衆的な反セム主義的憎悪はユダヤ人からアラブ人に、それと気づかれないうちに移行した。というのも、両者のイメージはほとんど同じだからである。」)、等々。[訳注三]

(五)ノナ・メイエ「フランスは反セム主義ではない」、『ル・モンド』、二〇〇二年四月四日付。

(六)ジハードという言葉には、コーランおよびイスラムの伝統においては、複合的にしてつねに変転的な意味がある。それは一方の極では、信仰の普及ということも含まれる精神的な領野で、神への完全な従属に到達するための「努力」を意味する。もう一方の極では、日常言語により近いが、「レジスタンス」というわれわれの概念に近似した意味に転ずる。とりわけ、聖なる務めとされた祖国防衛ないしは民族解放運動そのものの枠組みの中で、これが当てはまる(アルジェリア独立戦争におけるムジャーヒドという言葉を参照)。この二つの極のあいだで、この言葉は、とりわけムスリム共同体(ウンマ)により導かれた戦争を指し示すのに用いられている。この戦争が目的とするのは、異教徒たちを打ち負かして「イスラムの家」の外に追い返すことである。おおよそのところで「聖戦」と翻訳されているこの言葉は、当然のことながら、きわめて多様な歴史的現実を包括するものである。西洋の言説では、きわめて稀にしかこうした翻訳の問いに注意が払われてはいない。

(七)非常に驚くべきことは、フランスにおいてミメーシス的な言説の出現をさまざまに目撃することである(これは合州国の後につづく事態である。たとえばユダヤ名誉毀損防止同盟により、そのインターネット・サイトhttp://www.adl.orgに発表された「新たな世界規模の反セム主義」に関する諸テクストを参照)。これらの言説は「ユダヤ人の陰謀」を、「アラブ人の陰謀」そして/あるいは「反セム主義の陰謀」に移し替えている(この陰謀は、西洋諸国における、アラブ・ナショナリストたちの共同謀議、戦闘的イスラム主義、「第三世界」反植民地主義、といったものがその陰謀元だとされている)。例えばそれは、ピエール‐アンドレ・タギエフの著作においてなされている(『新たなユダヤ恐怖症』、ミル・エ・ユンニュイ出版、パリ、二〇〇二年)。タギエフは彼自身『シオン賢者の議定書』注釈版の著者である。

(八)見事な書物であるマルチーヌ・レイボヴィッキ『ハンナ・アーレント、あるユダヤ人女性――政治的および歴史的経験』、ピエール・ヴィダル‐ナケ序文、DDB出版、パリ、一九九八年を参照。

訳注

[一]イマヌエル・カント「実用的見地における人間学」、渋谷治美訳、『カント全集一五 人間学』所収、岩波書店、二〇〇三年、一三八‐一四〇頁。訳文はフランス語訳に合わせて変更させていただいた。ここで言及されている「パレスチナ人」、「迷信」とはそれぞれ「ユダヤ人」、「ユダヤ教」のこと。なおこのフーコーによる翻訳は一九七〇年が初版である。

[二]エティエンヌ・バリバール、イマニュエル・ウォーラーステイン『人種・国民・階級――揺らぐアイデンティティ』、若森章孝他訳、大村書店、新装版、一九九七年。

[三]エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』上下、今沢紀子他訳、平凡社ライブラリー、一九九三年。日本語版ではそれぞれ順に、上巻七一‐七二頁、二三四‐二三六頁、三二二頁以下、下巻一九八頁以下。

Etienne Balibar, " Un nouvel antisemitisme? ", in Collectif, Antisemitisme : l'intolerable chantage, Israel-Palestine, une affaire francaise ?, La Decouverte, 2003, pp. 89-96.

翻訳=丸山真幸(高等研究実習院EPHE在籍)


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