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「自由を守るという名目のもとに自由が制限されています。いったんわたしたちが自由を引き渡してしまえば、それを取り戻すためには革命が必要になるでしょう」--アルンダーティ・ロイが816日にサンフランシスコのthe American Sociological Associationで行なった講演です。真の選択肢のない選挙という各国共通の問題からはじまる明晰な分析で、わたしたちが今現在おかれている危険な状況が鮮やかに浮かび上がります。読み進むうちに、うかうかしていると非暴力の抵抗運動にかわって「テロしか選択肢がない」という状態に追いやられるのではないかという危機感がわいてきます。映像でもみられるようになっていますし→ Watch 256k streamwatch 128k stream listen only
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帝国の時代におけるパブリック・パワー
Public Power in the Age of Empire −Arundhati Roy
2004年8月16日 サンフランシスコ

わたしは「帝国の時代におけるパブリック・パワー」について話すように頼まれていました。 言われた通りにする習慣はないのですが、幸いなことに、それこそまさに今日ここでお話したいテーマでした。

言葉がずたずたに解体され、意味を抜き取られてしまっているようなときに、パブリック・パワー(民衆の力)という言葉はどのように理解したらよいのでしょう。自由が占領を意味し、民主主義がネオリベラル資本主義を意味し、改革が抑圧を意味し、「権限の付与」とか「平和維持」というような言葉を聞けばぞっとするような時代です。さすれば「パブリック・パワー」という言葉もまた、使い手の望むままにどのような意味にもなるのでしょう。「上腕二頭筋増強マシン」でもよし、「コミュニティ・パワー・シャワー」(「民衆の力の誇示」とも取れる)でもよいのです。そういうことですから、わたしも自分なりに「バプリック・パワー」の意味するところを定義しなければならないでしょう──こちらの都合にあわせて。

インドでは、パブリックという語はいまやヒンディーの語彙になっています。それは民衆を意味します。ヒンディー語には、サルカール(sarkar)とパブリック(public)、すなわち政府と国民があります。この用法がおのずと前提にしているのは、政府は「国民」とははっきり別のものだという想定です。そのような区別がでてきたのは、インドにおける自由のための闘争が、壮大ではあったけれど、決して革命的なものではなかったという事実と関係しています。インドのエリートは優雅に楽々と、イギリスの帝国主義者の後釜に座ったのです。極貧に喘ぐ基本的に封建的な社会が、近代的な国民国家として独立したのです。あれから57年たった今でさえも、完全に屈服させられた人々は政府を"mai-baap(扶養してくれる親)として頼みにしています。もうすこしラディカルで、まだ信念を保っている人たちは、政府のことを"chor"だと見ています。すなわち泥棒、すべてをかっさらうひったくりです。いずれにせよ、ほとんどのインド人にとってサルカールはパブリックとはまったく別のものです。けれども、インドの社会階層を上にのぼるにつれて、サルカールとパブリックの区別はぼやけてきます。世界のどこでも同じですが、インドのエリートには自分たちを国家から分離することが難しいのです。エリートは、国家のようにものごとを理解し、国家のように考え、国家のように話すのです。

でも合衆国では、サルカールとパブリックの区別は社会のずっと深いところまで浸透しています。このことは、強靭な民主主義のしるしでもありえるのですが、残念ながら事情はもう少し複雑で、そんなに体裁のよいものではありません。なによりもまず、それはアメリカのサルカールが生み出し、企業メディアとハリウッドが紡ぎだす手の込んだパラノイアの仕掛けに関係しています。普通のアメリカ人が信じ込まされているのは、自分たちは国民として絶えず脅かされており、自分たちの政府だけが唯一の避難所であり保護者であるという妄想です。脅威が共産主義者でないというなら、アルカイーダです。キューバでないというなら、ニカラグアです。その結果、この世界で最強の国──比類のない武器保有量を誇り、はてしのない戦争を遂行し、遂行させ、歴史上でただひとつ核爆弾を実際に使用した国──に住んでいるのは、影を見ても縮み上がるほど怯えた一般市民です。この国民の国とのつながりは、社会福祉や公共医療や雇用確保によるものではなく、恐怖によるものです。

この人工的につくりだされた恐怖は、さらなる侵略行為の遂行に民衆の認可を獲得するために使われます。そうして、自己充足的なヒステリーのスパイラルが進行し、アメリカ政府の超テクノカラー・テロ警戒警報によって段階付けられる──フクシア!ターコイズ!サーモンピンク!

外から見れば、合衆国におけるこのようなサルカールとパブリックの融合によって、アメリカ政府の行動とアメリカ国民を分けることが難しくなります。この混同が、世界中で反米気運をあおっているのです。そうすると今度はアメリカ政府と忠実なメディアがこの反米気運をとらえてそれを増幅する。例のきまり文句です─「なぜかれらはわたしたちを嫌うのか?わたしたちの自由が嫌いなのだ」・・・エトセトラ、エトセトラ。これによってアメリカ国民のあいだに孤立感が深まり、サルカールとパブリックの抱擁をいっそう強めます。赤頭巾ちゃんが狼のベッドでだっこをねだるようなものです。

国民の支持を集めるために外部の敵の脅威を利用するというのは昔からの陳腐な手口です。何世紀ものあいだ政治家たちはこの手を使って権力を掌握してきたのです。でも、普通の人々はこのくたびれた手口にうんざりして、なにか違ったものを求めているということはないのでしょうか? 古いヒンディー映画に、こういう歌がでてきます。yeh public hai, yeh sab jaanti hai(民衆は、なんでもお見通し)。この歌が正しくて、政治家たちが間違っているとしたら素敵じゃありませんか。

アメリカ政府が非合法にイラクを侵略する前の、ギャラップ・インターナショナルの世論調査では、ヨーロッパのどこの国でも一方的戦争への支持は11パーセント以下にとどまっていました。侵略の数週間前、2003年2月15日には、1千万人以上の人々が、北米も含むさまざまな大陸で反戦を訴えて行進しました。それなのに、多くの民主主義とされる国々では、政府がそれでも戦争に走ったのです。

ここで問われるのは、「民主主義」はいまも民主的なのかということです?

民主主義政府はそれを選出した人々に対して説明責任をはたしているのでしょうか?そして重要なことですが、民主主義諸国の民衆はかれらのサルカールの行動に責任があるのでしょうか?

これをつきつめると、テロリズムとの戦争を支えるロジックはテロリズムを支えるロジックとまったく同じだということがわかります。両方とも、普通の市民に彼らの政府がしたことの代償を支払わせるのです。アルカイーダはアメリカの民衆の生命をもって、彼らの政府がパレスチナやサウジアラビアやイラクやアフガニスタンで行なった行為をつぐなわせています。アメリカ政府はアフガニスタンの民衆に何千人もの生命を持ってタリバンの行動を償わせ、イラクの民衆に何十万もの生命をもってサダム・フセインの行動を償わせた。

決定的な相違は、誰も本当にアルカイーダやタリバンやサダム・フセインを選挙で選んだわけではないということです。けれどもアメリカの大統領は選挙で選ばれました(・・・ ある意味で、ですが)。イタリア、スペインと英連合王国の首相は選出されています。ということは、これらの国の市民は自分たちの政府の行動に対して、イラク人がサダム・フセインの行動に対して、アフガニスタン人がタリバンの行動に対して負っているよりも重い責任があるということになるのでしょうか。

どれが「正義の戦争」であり、どれがそうではないのかを決めるのは、誰の神さまなのでしょう。先代ジョージ・ブッシュは、かつて言いました。「わたしは合衆国のしたことを詫びるつもりはない。事実など、どうでもかまわない。」世界最強の国の大統領が事実などどうでもかまわないというのであれば、わたしたちは少なくとも帝国の時代がきたことを確実に悟ることができます。

では帝国の時代にパブリック・パワーはなにを意味するのでしょう?いったいそれになにか意味があるのでしょうか?ほんとうにそんなものが存在するのでしょうか?

この民主主義とされる時代には、従来の政治思想によればパブリック・パワーは投票を通して行使されることになっています。今年は世界の何十もの国々で選挙が予定されています。そのほとんどのところでは(すべてではありません)、投票結果に従った政府が成立するはずです。けれども、それは民衆が望んでいる政府なのでしょうか?

インドでは今年、選挙によってヒンドゥ・ナショナリストたちが政権を追われました。わたしたちはこれを祝いながらも、核爆弾、ネオリベラリズム、民営化、検閲、巨大ダム建設など、ヒンドゥ至上主義を除くすべての主要問題に関して、コングレス党(国民議会派)とインド人民党(BJP)のあいだに大きな思想的相違はないことを知っています。文化的にも政治的にも極右が台頭する基盤を整えたのは、コングレス党が支配してきた50年の遺産であることをわたしたちは知っています。企業のグローバリゼーションにインド市場を最初に開放したのも同じくコングレス党でした。

コングレス党は選挙運動で、従来の経済政策の一部を再考する用意があることを示しました。何百万人ものインドの最貧層は選挙で投票するために大挙してくり出しました。インドの素晴らしい民主主義の光景がテレビで生放送されました。貧しい農民、老人、弱者、ヴェールをまとい美しい銀の宝石をつけた女たちが、象やラクダや牛車に乗って投票所へと古風な旅をするところが映されました。あらゆるインドの専門家や世論調査員の予言に反して、コングレス党が他のどの政党よりも多くの票を獲得しました。インドの共産主義諸政党は、それぞれ結党以来の最大得票率を記録しました。インドの貧民層は明らかにネオリベラリズムの経済「改革」とファシズムの台頭に反対する投票をしていたのです。選挙結果の集計がなされるやいなや、企業メディアはまるで低ギャラの映画エクストラを扱うようにさっさかたずけてしまいました。テレビ各局は分割スクリーンを採用しました。画面の半分には、あたふたと連立政権がまとめられているあいだ、コングレス党の指導者ソニア・ガンジーの屋敷の外の混乱した状況が映されました。

もう半分には、ボンベイ株式取引所の外で興奮する証券業者の姿が映っていました。かれらはコングレス党がその選挙公約をほんとうに実行し、選挙で与えられた権限を行使するのではないかと考えてパニックを起こしていたのです。Sensex株価指数は乱高下していました。みずからの株価も暴落していたメディア企業は、株式市場の下落をまるでパキスタンの大陸間弾道ミサイルがニューデリーに向けて発射されたかのように報道しました。

新政府が正式に発足する前から、コングレス党の幹部たちは声明を出して、公共事業の民営化政策が継続することを確約し、投資家やメディアを安心させました。一方、野党となったインド人民党は、シニカルでもコミカルでもありますが、今や外国からの直接投資とインド市場をこれ以上開放することに反対し始めました。

これが選挙制民主主義の、見かけだけの発展的弁証法です。インドの貧困層はといえば、いったん投票さえしてくれれば、あとはさっさと家に帰ることだけが期待されていました。政策は、彼らの意思にかかわらず、決定されるのです。

では合衆国の選挙はどうでしょう?合衆国の投票者には真の選択が与えられているのでしょうか。確かに、もしジョン・ケリーが大統領になれば、ホワイトハウスに巣くう石油業界の大物やキリスト教原理主義者たちの一部は入れ替わることになるでしょう。ディック・チェニーやドナルド・ラムズフェルドやジョン・アッシュクロフトが去り、彼らの露骨な蛮行が終わるのを見ても残念がる人は少ないでしょう。けれども真の問題は、新政権のもとでも彼らの政策は継続するということです。ブッシュなしのブッシズムが継続するのです。

真に権力を握る地位──銀行家やCEOたち──は選挙の洗礼を受けることはありません(・・・どのみち、彼らは両方の陣営に資金供給しています)。残念ながら合衆国の選挙の意義は、一種の性格コンテストのようなものへと後退しています。誰の方が上手に帝国を監督するかをめぐる、口喧嘩にすぎません。ジョン・ケリーも帝国の理念を熱烈に信奉することにかけてはジョージ・ブッシュにひけをとりません。アメリカの政治システムの念入りなしかけによって、軍=産業=企業の権力構造の天賦の善良さを疑う者はだれひとり、権力への門をくぐることを許されないのです。

そんなわけですから驚くこともありませんが、今回の選挙で争うのは2人のエール大学出身者で、どちらもスカル・アンド・ボーンズという秘密結社のメンバーであり、どちらも百万長者、どちらもソルジャー・ソルジャーごっこをし、どちらも戦争気運を盛り上げて、テロ戦争を上手に率いるのは誰かをめぐってほとんど子供じみた議論をしているというありさまです。先輩のビル・クリントン大統領と同じように、ケリーも合衆国の経済的、軍事的な浸透を世界中に拡大する政策を続行するでしょう。

彼は、たとえイラクは大量破壊兵器を持っていないと知っていたとしても、ブッシュにイラクと開戦する権限を与えることに賛成票を投じただろうと発言しています。彼はイラクへの派兵を増強することを公約しています。彼は最近、イスラエルとアリエル・シャロンに対するブッシュの政策を100パーセント支援すると言いました。ブッシュの減税策の98%は継続すると言いました。そんなわけで、金切り声で侮辱をぶつけあう背後には、ほとんど絶対的な意見一致があるのです。これではまるで、アメリカ人は、たとえケリーに投票しても与えられるのはブッシュだというようなものです。大統領ジョン・ケブッシュ、あるいはジョージ・ベリー。

それは真の選択ではありません。表面的な選択です。洗剤のブランドを選ぶように。「アイヴォリースノー」を買っても「タイド」を買っても、どちらもProctor&Gamble社の製品なのです。そこにニュアンスの違いがないといっているわけではありません。コングレス党とインド人民党、ニューレイバー(新労働党)とトーリー(保守党)、民主党と共和党が同じだとは言いません。もちろん、違いはあります。「アイヴォリースノー」と「タイド」だってそうです。「タイド」は酵素配合だし、「アイヴォリースノー」はおしゃれ着洗い用です。

インドでは、はっきりファシストの政党(人民党)と、陰険にひとつのコミュニティを別のコミュニティにけしかける政党(コングレス党)という違いがあります。後者によってコミュナリズムの種がまかれ、前者がそれを刈り取るという仕組みです。今年のアメリカ大統領候補のあいだには、I.Q.レベルや無慈悲のレベルに差があります。合衆国の反戦運動は、イラク侵略へ導いた嘘と金の力を見事に暴き出しました。プロパガンダや脅迫にもかかわらず、すばらしい成果をあげた彼らには、心から拍手を贈りたいと思います。

アメリカの民衆に対してだけでなく、世界全体に対する奉仕でした。けれども今、もしアメリカの反戦運動がケリーの選挙運動を公然と支持するならば、彼らは「気配りのある」帝国主義という彼の是認しているのだと世界の人々は受け取るでしょう。国連とヨーロッパ諸国の支持さえ獲得すれば、アメリカの帝国主義は好ましいものになるのでしょうか。もし国連が、インドやパキスタンの兵士に対しイラクに行ってアメリカ兵の代わりに殺し、殺されるよう依頼するとすれば、その方が好ましいというのでしょうか。イラク人が期待できる唯一の変化は、フランスやドイツやロシアの企業もイラク占領の戦利品の分け前にあずかるようになることだけなのでしょうか。

わたしたち属国の住民にとって、実際にこれは改善なのか、悪化なのか。世界にとって、利口な皇帝と愚鈍な皇帝のどちらがよいというのでしょう。これしかわたしたちの選択肢はないのでしょうか。こういうことは不愉快で野蛮な質問だということはわかっています。でも、それは問われねばならないことです。
真実を述べれば、選挙民主主義はシニカルなごまかしの手続きになってしまったのです。今日では、この制度はきわめて縮小した政治空間しか提供しません。この政治空間が真の選択肢を与えていると考えるのは、無邪気というものでしょう。現代民主主義の危機はきわめて深刻です。

世界を舞台に、主権国家の政府の支配権を超えて貿易と金融の国際機構が監視する多国間の法や合意の複雑なシステムは、植民地化政策も顔負けするような横奪のしくみを揺るぎないものにしてきました。このシステムは第三諸国の国内市場に大量の投機資本──ホットマネー──が無制限に参入し、撤退することを許し、それによってこれらの国々の経済政策を実質的に支配することを可能にしています。資本の逃避という脅しを梃子に、国際資本はこれらの国々の経済をどんどん侵食していきます。巨大な多国籍企業がこれらの国々の不可欠なインフラや天然資源の支配権を握り、鉱産物も、水も、電気も支配されます。世界貿易機構、世界銀行、国際通貨基金に加え、アジア開発銀行などの金融機関が、事実上これらの国々の経済政策と議会立法を策定しているのです。ごう慢と無慈悲という最悪の組合わせによって、これらの機関は、相互に依存した複雑な歴史を持つ、壊れやすい社会に大鉈をふるい、荒廃させます。

こんなことが「改革」の旗のものに進められるのです。このような「改革」の結果、アフリカ、アジア、ラテンアメリカで、何千という零細企業や産業が閉鎖され、何百万という労働者や農民が仕事や土地を失いました。ロンドンのスペクテータ紙は、「わたしたちは人類の歴史で最も幸せで、健康で、平和な時代に住んでいる」と断言しています。何十億の人々が首をかしげるでしょう──「わたしたち」って誰のことだ?その男はどこに住んでいるのか?彼のクリスチャン名は何だろう?

理解しておきたいのは、現代の民主主義は国民国家によって宗教に近いような是認を得ていると考えてよいということです。けれども企業のグローバリゼーションはそうではありません。流動資本もそうではありません。たしかに資本は使用人たちの反乱を鎮圧するために国民国家の強制力を必要とするのですが、個々の国には企業のグローバリゼーションに反対することができないようになっているのです。

急進的な変革は政府間の交渉で決めることはできません。民衆の手によってのみ実現できるのです。民衆によって。ネイションの垣根を超えて手をつなぐことができる民衆です。

ですから、「帝国の時代におけるパブリック・パワー」を語るとき、論じる価値のある唯一のものは異議を唱える民衆の力だと想定してもよいだろうと思います(僭越に響かなければよいのですが)。帝国という概念そのものに異議を持つ民衆です。帝国を支え、帝国に奉仕する現行の権力──国際的、全国的、地域的な諸政府──や機構と対決する民衆です。

帝国に抵抗したい人々には、どのような抗議手段があるのでしょうか。ここで言う抵抗とは、単に異議を表明することだけでなく、実際に変革を迫ることも含みます。帝国は広範囲にわたる召集リストを持っています。さまざまな市場をこじ開けるために、それぞれにふさわしい武器を使い分けるのです。小切手帖と巡航ミサイルというような。

多くの国々の貧しい人々にとっては、帝国はいつでも巡航ミサイルや戦車のかたちをとって現れるわけではありません。イラクやアフガニスタンやヴェトナムではそうでしたが。でもそれはむしろ、きわめて局地的な現象として具現化します──職を失い、高額すぎる電気使用料の請求書を送られ、水道供給が止められ、家や土地から立ち退かされる。こうしたことを監督しているのが、国家の抑圧機構──警察や軍や司法当局です。貧者には昔からおなじみの、容赦ない貧困化の進展なのです。帝国の働きは、すでに存在する不平等をいっそう拡大し、強化することです。

ほんの最近まで、自分たちは帝国による征服の犠牲者だと民衆が悟るのは難しいこともありました。でも今では、局地闘争がみずからの役割を明白に見通すようになっています。いかに尊大に響こうが、事実として、かれらは帝国に対して、自分たちなりの、さまざまなかたちで立ち向かっているのです。それぞれのやりかたで、イラクでも、南アフリカでも、インドでも、アルゼンチンでも。同じことはまたヨーロッパやアメリカの街頭でも行なわれています。大衆的な抵抗運動、個々のアクティヴィストやジャーナリスト、アーティストや映画作家が、帝国から壮麗な衣装をはぎとるために協力しています。かれらは点を結んで、キャッシュフロー・チャートと役員会議の演説を、現実の人々と現実の窮乏についての現実の話へと変えました。ネオリベラリズムのプロジェクトがどのように人々から家を奪い、土地を奪い、仕事を奪い、自由を奪い、尊厳を奪ったかを見せてくれました。かれらは無形のものを有形に変えたのです。かつては無形(in-CORP-o-real=非・企業の現実)のように思えた敵が、いまや実体のあるもの(CORP-o-real=企業の現実)になったのです。

これは巨大な勝利です。それが作り出されたのは、いろいろな戦略を持つ、異なった政治団体が協力したおかげです。彼らはみな自分たちの怒りの対象、アクティヴズムや不屈の信念の対象が同じものであることを認識しました。これが真のグローバリゼーションのはじまりでした。反体制のグローバリゼーションです。

おおざっぱに言って、第三世界の国々の大衆的抵抗運動には今日2つの種類があります。ブラジルの土地を持たない人々の運動、インドのダム反対運動、メキシコのザパティスタ、南アフリカの反民営化フォーラムをはじめ何百もの運動は、主権を持った自らの政府と闘っています。彼らの政府はネオリベラルのプロジェクトを推進する代理人になってしまったのです。これらのほとんどは急進的な闘争で、自分たちの社会を「開発」するために選ばれたモデルや構造の変革を目指しています。

もう一つは、20世紀に帝国主義列強によって独断的に境界線や断層線を引かれた正当性の怪しい領土における正式で野蛮な新帝国主義の占領と闘う急進的な闘争です。パレスチナ、チベット、チェチェン、カシミールやインド北東部の諸州では、住民たちが自決権を要求して戦っています。これらの闘争の多くは、はじまったときには急進的で、革命でさえあったのですが、彼らに向けられた野蛮な弾圧のおかげで、保守的で、退行的とさえ言える空間に押し込められていることが多いのです。そこで彼らが用いる暴力的な戦略と宗教・文化的ナショナリズムの言語は、彼らが追い払いたがっている国家が用いるものとそっくり同じなのです。

これらの争いに兵卒として参加している人々の多くは、南アフリカでアパルトヘイトと戦った人たちのように、いったん公然とした占領に打ち勝つことができると、今度は別の戦いが重くのしかかってくることに気づくでしょう──人目につかない経済的な植民地化です。その一方で、金持ちと貧民の断絶がますます広がり、世界の資源管理をめぐる争いが激化するにつれ、正規の軍事侵略を通じた経済の植民地化が復活しつつあります。

今日のイラクは、このプロセスの悲惨な例証です。不法な侵略。解放という名目の残忍な占領。国の富と資源の破廉恥な横奪を占領に協力する企業による許すために法律が書き変えられ、いまや現地人による「イラク政府」という茶番が登場する。このような理由から、イラクにおける合衆国の占領への抵抗を、テロリストだとか、反乱だとか、サダム・フセイン支持者が首謀者だとして非難することは、ばかげています。もし合衆国が侵略されて、占拠されたとして、それを解放しようと奮闘するものは誰でも、テロリストとか、暴徒とか、あるいはブッシュ派などと呼ばれるものになるのでしょうか。イラクのレジスタンスは帝国との戦いの最前線で戦っているのです。それゆえ、彼らの戦いはわたしたちの戦いなのです。

たいていの抵抗運動と同様に、イラクのそれも、さまざまな派閥の雑多な寄せ集めです。旧バース党員、リベラル派、イスラミスト、アメリカに愛想をつかしたかつての協力者、共産主義者などです。もちろん、そこには日和見主義やローカルな対立関係、民衆扇動、犯罪などが渦巻いています。けれども、もし清純な運動しか支援しないというのであれば、どんな抵抗運動もわたしたちの基準には合格しないでしょう。

べつに、抵抗運動を決して批判してはいけないといっているわけではありません。その多くは民主主義の欠如、「指導者」の偶像化、透明性のなさ、展望や方向性のなさという問題に苦しんでいます。けれども肝心なのは、彼らが中傷や弾圧や資源の欠乏に苦しんでいるということです。

イラクの抵抗運動に、いかにして世俗的で、フェミニストで、民主的で、非暴力の闘争を遂行すべきかを指示するよりも先に、わたしたちの側の抵抗を強化してアメリカ政府とその同盟国の政府に対しイラクからの撤退を迫るように努力すべきでしょう。

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アメリカにおいて、グローバルな正義を求める運動とネオリベラル派のクーデター政権[ブッシュ政権]がはじめて武力対決したのは、周知のように1999年12月にシアトルで行なわれたWTO(世界貿易機構)の会議でした。長いあいだ孤立した戦いを強いられてきた多くの発展途上国の大衆運動にとって、シアトルのでき事は、自分たちの怒りや、もう一つの世界という自分たちの展望が、帝国主義国家の内部に住む人々にも共有されていることを示す最初の嬉しいサインでした。

2001年1月、ブラジルのポルト・アレグレに20,000人のアクティヴスト、学生、映画作家たち−世界中の素晴らしい人たち−が集まって、自分たちの経験を共有し、帝国と対決するためのアイディアを交換しました。これが今では歴史に残るワールド・ソーシャル・フォーラム(WSF)の始まりでした。教条主義を排したアナーキーで精力的な新しいタイプの「パブリック・パワー」が、はじめて正式に集結したのです。WSFのデモの掛け声は「もう一つの世界は可能だ」というものでした。その場は、何百という会話、討論、セミナーが行なわれる会場と化し、どんな世界であるべきかというヴィジョンがそれを通じて鍛えられ、磨き上げられました。

2004年1月に第4回のWSFがインドのムバイで開かれたときには、200,000人もの代表者が集まりました。これ以上に刺激的な集会は、これまで一度も経験したことがありません。インドの主流メディアが完全にこれを無視したことは、この社会フォーラムの成功を示す一つのサインでした。けれども今、WSFはその成功ゆえに存続を脅かされています。このフォーラムの安全で開放的な、お祭り的な雰囲気は、フォーラムが加担に反対しているような政治・経済システムに重ねられるような政治家たちやNGOたちのが参加し、彼らの意見を発表することを許すことになりました。

もう一つの脅威は、グローバルな正義を求める運動に決定的な役割をはたしたWSFは、みずからの終わりを招く危険をおかしているということです。毎年これを開催するだけでも、何人かの優秀なアクティヴィストたちの全エネルギーが消費されてしまいます。抵抗について会話することが実際の市民としての抵抗に置き換えられてしまうなら、WSFはそれが反対している勢力にとって逆にありがたいものになるでしょう。フォーラムは開催されるべきだし、成長すべきだと思いますが、そこで話し合われたことを具体的な行動へと再び転換する方法を見いださなければなりません。

抵抗運動が国境を越えて広がるようになり、真の脅威となるにつれて、各国政府はそれに対処する戦略をつくりあげています。その手法は協力から弾圧まで広くまたがっています。今日、抵抗運動が直面する脅威を3つ取り上げてお話しましょう。大衆運動とマスメディアの妥協点の難しさ、抵抗運動のNGO化に潜む危険、抵抗運動と抑圧を強める国家の対決の3点です。

マスメディアと大衆運動の妥協点の問題は複雑です。政府が学んだのは、メディアは危機を追い続けるため、あまり長い間ひとつのところで時間をつぶすことができないということでした。事業所が手元資金の回転を必要とするように、メディアも危機状況の回転を必要とするのです。多くの国々では、国全体が古いニュースになっています。それらは存在しなくなり、短期的なスポットをあびた前よりもいっそう深い闇にとざされています。アフガニスタンで、ソ連が撤退したときそれが起こりました。そして今、「不朽の自由」作戦が終了してCIAのハミド・カルザイが政権につき、アフガニスタンはふたたび軍閥たちに投げ与えられています。CIAはまた別の工作員イヤド・アラーウィをイラクの政権につけました。多分メディアには他の場所に移動する潮時がきたということでしょう。

各国政府は危機が過ぎ去るのを待つという技を学びつつありますが、それに対して抵抗運動の方は次第に危機製造の渦にはまり込んでいます。気軽に消費できるような観客に親切なフォーマットで、危機を製造する方法を求めるようになっているのです。すべての真剣な民衆運動、すべての「問題」は、みずからのブランドと目的を広告する熱気球を空に上げることが期待されています。このため、餓死者による貧困の宣伝効果は何百万という人々の栄養失調よりも高くなります。後者は絵になりませんから。ダムは、それらによって災害が引き起こされ、テレビ向けの映像が撮れるまではニュース価値がない(その時には、もう手遅れなのですが)。水位が上昇していく貯水池の中に何日も立ち続けて、自分の家と所有物が流されていくのを眺めながら巨大ダムに抗議するというのは、昔は効果的な作戦でしたが、いまはもうだめです。メディアはもうあのシーンにはあきあきしているのです。そこでダムによって住むところを失った何十万という人々は、新しいトリックを魔法のように呼び出すか、さもなければ闘争を断念することを迫られています。

多彩なデモンストレーションや週末の行進は不可欠ではありますが、それだけで戦争を止めるほど強力ではありません。戦争が止められるのは兵士が戦うのを拒否したときだけです。労働者が武器を船や飛行機に荷揚げするのを拒絶し、人々が世界中に張りめぐらされている帝国の経済的な出先機関をボイコットしたときだけなのです。もしわたしたちが市民としての抵抗のスペースを取り戻したいのならば、危機ばかりを追う報道や日常性を恐れるメディアの横暴から自分たちを開放しなければならないでしょう。わたしたちは自らの経験、自らの想像力、自らの技術を動員して、残酷で不公正で容認し難いものが「常態」でありつづけることを保障している国家の機構を問いたださなくてはなりません。ごく普通のものごと──食物や水や避難所や威厳といったもの──が、普通の人々にとってこれほど遠い夢になってしまった政策やプロセスを暴き出さなければなりません。真の先制攻撃は、戦争というものは欠陥のある不公正な和平の最終的な結果であるということを理解することです。大衆の抵抗運動に関するかぎり、結局のところマスコミ報道をどれほど積み重ねてみても、現場の大衆による迫力の埋め合わせにはなりません。結局は、時代遅れの、骨の折れる政治動員に代わるような選択肢はないのです。

企業のグローバリゼーションによって、意思決定を下す人たちと、その決定の影響をじっさいにこうむって苦しむ人たちのあいだの距離が拡大しました。WSFのようなフォーラムは、局地的な抵抗運動が裕福な国々の仲間たちと手を結ぶことによって、この距離を縮めることを可能にしています。この同盟は重要で侮りがたいものです。例えば、インドで最初の民間ダム、マヘシャワール・ダムが建設されていたとき、Narmada Bachao Andolan (NBA)とドイツのUrgewald、スイスのBerne Declarationの三者が協力して、いくつもの国際銀行や企業をこのプロジェクトから締め出しました。こういうことも、現場での強固な抵抗運動がなければ可能にはならなかったでしょう。現場の運動の声はグローバルな舞台で支援者たちによって増幅され、投資家たちを当惑させ、撤退を余儀なくさせたのです。特定のプロジェクトや特定の企業を標的した同じような同盟が無数に誕生すれば、もう一つの世界を可能にする一助になるでしょう。まっさきに標的にすべきは、かつてサダム・フセインと取引をしていながら、今ではイラクの荒廃と占領から利益を得てきる企業でしょう。

大衆運動が直面する第二の脅威は抵抗運動のNGO化です。これから述べることを、すべてのNGOに対する告発であると捻じ曲げて解釈することは簡単でしょう。でも、それは正しくありません。交付金めあてや税金対策(ビハールのような州では納税が免除される)のために創設された偽物NGOの濁った水の中にも、貴重な仕事をしているNGOはもちろん存在します。けれども、もっと広い政治的文脈でNGOという現象をとらえることは重要なことです。

例えばインドでは、交付金を受けたNGOのブームがはじまったのは1980年代後半から1990年代にかけてのことでした。それはインドの市場がネオリベラリズムに開放されたの時を同じくしていました。この当時、インドの国家は構造改革の要求にそって、地方の開発、農業、エネルギー、運輸、公衆衛生などの分野への資金供給を打ち切りつつありました。国が伝統的な役割を降りてしまったので、それに代わってNGOがこの分野に参入したのです。これまでとの相違は、もちろん、NGOが使える資金は公的支出の実際の削減額に比べればほんのわずかな部分でしかなかったということです。

大型の資金を得ているNGOはたいていの場合、支援機関や開発機関の庇護下にあり、それらの機関は西側諸国の政府や世界銀行、国連、若干の多国籍企業から資金を供給されています。まったく同一の機関ではないでしょうが、それらは確かにネオリベラルのプロジェクトを監督し、まっさきに財政支出の削減を要求する同じ緩やかな政治的つながりの一部なのです。なぜこのような政府機関がNGOに資金を供給するのでしょう?単なる古臭い伝道師的な熱意からでしょうか。罪の意識からでしょうか。真相はもう少し複雑です。NGOは、国が撤退した後の空白を埋めているような印象を与えます。確かにその通りなのですが、実質的には取るに足らないような役割しか果たしません。NGOの本当の寄与は、政治的な怒りを和らげ、民衆が当然の権利として持っているはずのものを、支援や慈善として分け与えているところにあるのです。

NGOは民衆の精神を作り変えます。NGOは民衆を自立できない犠牲者に変身させ、政治的な抵抗の勢いをそぐ。NGOはサルカールとパブリックのあいだで一種の緩衝材の役割をはたす。帝国とその臣民のあいだで。NGOは仲介人、通訳者、世話人になったのです

長い目で見れば、NGOは出資者に対して責任を負っているのであって、彼らがそこに入って働いている人々に対してではありません。NGOは植物学者が指標種と呼ぶようなものです。まるでネオリベラリズムによって引き起こされた荒廃が大きければ大きいほど、NGOの発生数も増大するかのようです。なによりも辛らつにそれを物語っているのは、アメリカが他国を侵略する準備をするとき、同時にNGOにも現地に入って破壊の後始末をするよう用意させていることです。

資金供給を危険にさらすことなく、また受入国の政府に活動を容認してもらうことを確実にするためにも、NGOは自分たちの仕事を多かれ少なかれ、政治や歴史の文脈を刈り込まれた底の浅い枠組みにはめ込んで提示しなければなりません。都合の悪い歴史や政治に触れるのは、ご法度です。貧困な国々や戦争地帯から発せられる、政治に無関係な(それゆえ、実際にはきわめて政治的な)窮状の報告は、結局のところダーク(陰惨)な大陸に住むダーク(色黒)な人々を病理的な犠牲者であるかのように感じさせることになります。ほらまたひとり栄養失調のインド人、またひとり飢餓しそうなエチオピア人、またひとり身体障害のスダーン人が、白人の助けを求めている。かれらは気づかぬうちに人種差別的なステレオタイプを強化し、西洋文明の偉業と快適さと同情心(愛の鞭ですが)を再確認します。現代世界における世俗的な伝道師なのです。

やがては──より小規模ですがもっと狡猾に──NGOが利用できる資金がオルターナティブな政治の中においても、貧しい国々の経済に流入、流出するする投機的資本と同じ役割を演ずるようになります。資金確保の要請が重要課題を規定しはじめます。それは「対決」を「交渉」へと変化させます。それは抵抗運動から政治的要素を取り除きます。おまけに伝統的に独立独歩だった現地の民衆の運動にも干渉するようになります。NGOの資金は現地の人々を雇用することができます。そうでなければ抵抗運動で活躍していたかもしれない人々が、雇われることによって何か直接的で創造的な善行をしているような気分になるのです(おまけに、この仕事についていれば生活費も稼げます)。真の政治的な抵抗は、そのような近道はなにも提供してはくれません。政治のNGO化で懸念されるのは、抵抗運動を、よく管理されたそこそこ満足できる9時5時のサラリーマン稼業へと変えてしまうことです。いくつか役得もつくでしょう。真の抵抗運動は真の結果を生みます。でも給料はありません。



ここから、本日お話する三番目の脅威が浮上します。それは、抵抗運動と次第に抑圧を強める国家との実際の対決の恐ろしい性格です。民衆の力と帝国の代理人の対決です。

民衆の抵抗が象徴的な行為から少しでも脅威をほのめかすものに発展する気配を見せたとたんに、容赦ない弾圧措置が取られます。シアトルで、マイアミで、イェーテボリで、ジェノアで、わたしたちはデモンストレーションに何が起こったかを見てきました。合衆国には愛国法があり、これを下敷きにしたテロ取締法が世界中の政府によってつくられました。自由を守るという名目のもとに自由が制限されています。いったんわたしたちが自由を引き渡してしまえば、それを取り戻すためには革命が必要になるでしょう。

一部の政府は、自由を制限しておきながら善良に見せかけるという経験を積んでいます。インド政府はこのゲームの達人で、いちはやく先例を示しました。ここ数年のあいだに、インド政府は多大な数の法律をつくり、ほとんど誰であろうとテロリスト、反政府活動家、過激派と呼ぶことができるようになっています。インドには軍隊特別権限法、公安法、特別地域保安法、暴力団法、テロリストおよび危険地域法(この法律は形式的には失効しましたが、それに基づいて裁かれている人々はまだいます)、そして最新のPOTA(テロリスト予知法)など、反体制という病気に効く抗生物質が広範にとり揃えられています。この他にも、法廷判決によって実質的に言論の自由や政府職員のスト権、生存権を抑制するといったような様々な手段がとられています。インドでは裁判所がわたしたちの生活を隅々まで綿密に管理しはじめました。そして裁判所を批判することは犯罪です。

テロ対策の先鞭をつけたという点に戻ると、この10年間で、警察や治安部隊によって殺された人々の数は何万人にものぼっています。アンドラプラデシ州(インドにおける企業グローバリゼーションのアイドル)では、毎年平均しておよそ200人の「急進派」が「遭遇」と呼ばれる状況で殺されています。ボンベイ警察は、「撃ち合い」で何人の「ごろつき」たちを殺したかを自慢する。カシミールはほとんど戦争状態で、推定80,000人が1989年以降に殺されています。何千人もの人々が「姿を消し」ました。北東の諸州でも状況は似たようなものです。近年、インド警察は武装していない人々に発砲するようになりました。たいていはダリット(不可触賎民)やアディヴァシ(先住民)たちです。警察がよく使う手口は、彼らを殺しておいて、あとからテロリストと呼ぶことです。けれども、インドだけがそうなのではありません。同じようなことが、ボリヴィアでもチリでも、南アフリカでも起こりました。ネオリベラリズムの時代には、貧困は犯罪であり、そのことに抗議することが次第にテロリズムと定義されるようになってきているのです。

インドで、POTA(Prevention of Terrorism Act テロ防止法)はしばしばテロ製造法(Production of Terrorism Act)ともじられています。 これはなんでもありの融通の利く法律で、アルカイーダの工作員から不満を持つバスの運転手まで、およそ誰にでもあてはめることができます。すべてのテロ対策法規と同じように、POTAの特質は、それが政府の望むままに何にでもなるということです。2002年グジャラートの国家が幇助した大迫害事件では、推定2,000人のムスリムがヒンドゥ教徒の暴徒によって惨殺されました。150,000人が家を追われ、287人がPOTAに基づいて告発されました。このうち、286人はムスリム、一人はシーク教徒でした。

POTAは警察に拘留されているあいだに引き出された自白も裁判の証拠として採用することを許しています。その結果、調査に代わって拷問が用いられる傾向がえています。南アジア人権記録センターSouth Asia Human Rights Documentation Centerは、拷問や拘留中に起こった殺人の件数ではインドが世界一多いと報告しています。政府記録によれば、2002年だけでも1,307人が拘置所で死亡しています。数カ月前、わたしはPOTAについての人民法廷のメンバーを努めました。2日にわたって、わたしたちは自分たちの素晴らしい民主主義に起きていることについての恐ろしい証言を聞きました。まさになんでもありでした──尿を飲まされたり、衣服をはがれたり、屈辱を受けたり、電気ショックを受けたり、火のついたタバコを押し付けられたり、鉄棒を肛門に詰め込まれたり、殴る蹴るで殺されたり。

新政府はPOTAを撤廃すると公約しています。その公約が、別の名前で似たような法律を成立させる前に実現されるようであれば、わたしには驚きです。POTAでなければ、MOTAでもなんでもいいのです。非暴力反体制活動の手段がすべて閉ざされ、人権の剥奪に抗議する人々がすべてテロリストと呼ばれるような時代ですから、国土の大きな部分が武力闘争を信じる人々によって侵略され、おおむね国家の制御のおよばないところになっているとしても、そんなに驚くことではないでしょう。カシミール、東北の諸州、マドヤプラデシュの大部分、チャティスガール、ジャルカンド、アンドラプラデシなどがそうです。これらの地域の一般住民は、国家と武装集団の板ばさみになっています。カシミールでは、常時3,000人から4,000人の武装集団が活動しているとインド軍は推定しています。それらをコントロールするために、インド政府はおよそ500,000人の兵士を配置しています。明らかに、軍が管理しようとしているのは武装集団だけではありません。屈辱を味わい不満をもつ住民全体がインド軍を占領者だと考えています。

軍隊特別権限法は、陸軍の将校だけでなく、下級将校や下士官たちまでもが、公安を乱す嫌疑のある者に武力を行使し、殺すことまで認めているのです。この法律がはじめて適用されたのは1958年、マニプル州の少数の地区に対してでした。今日では、東北部とカシミール地方のほとんどすべてに適用されています。拷問や疾走、拘禁中の死亡、レイプ、治安部隊による見せしめ処刑などの記録は、胸が悪くなるようなものでした。

インドの中心地アンドラプラデシでは戦闘的なマルクス・レーニン主義の人民戦争団──長年過激な武力闘争を行なっており、アンドラプラデシ警察のでっちあげ「遭遇」の主な標的となっています──が、ワランガル市で2004年7月28日に最初の公開ミーティングを開催しました。何十万もの人々がそこに出席しました。POTAによれば、彼らはすべてテロリストとみなされます。彼らはみなインドのグアンタナモベイに放り込まれることになるのでしょうか。東北地方とカシミール渓谷の全体が動乱におちいっています。これらの何百万という人々に政府は何をするつもりなのでしょう。今日の世界では抵抗の戦略を議論するよりもずっと重大なことが、まったく議論がされていません。おまけに、戦略の選択はすべて民衆の手に握られているわけではありません。それもまたサルカールの手中にあるのです。

アメリカがイラクを侵略し、占領するのにこれほど圧倒的な武力を投入しているとき、抵抗が従来型の軍事闘争であると考えてよいのでしょうか(もちろん、たとえそれが従来型のものであったとしても、どうせテロリスト呼ばわりされるでしょう)。奇妙なことに、アメリカ政府の兵器保有量と無敵の空軍力と爆撃力は、テロリズムという反応をほとんど避けられないものにしています。民衆は富と力の不足を、隠密な手法と戦略でおぎなうでしょう。

この不穏で絶望的な時代には、政府があらゆる手段を用いて非暴力の抵抗に敬意を示さなければ、その怠慢によって暴力に走る人々を優位につけることになります。政府が非暴力の反対によって変りうることを示せなければ、いくらテロリズムを非難しても信用されません。ところが、非暴力の抵抗運動は逆に鎮圧されています。大衆的な政治動員や組織はどれもこれも、金で片をつけるか、潰すか、さもなければまったく無視するかなのです。

一方、政府と企業メディア、また忘れてならない映画産業は、戦争とテロリズムに対して、時間も、関心も、技術も、研究も、称賛も、惜しむことなく注いでいます。暴力が神聖化されているのです。これが送るメッセージは、深く憂慮される危険なものです──民衆の不満をぶちまける手段を求めているのなら、暴力のほうが非暴力よりも効果的ですよ。

金持ちと貧乏人のあいだの断絶が拡大し、巨大な資本主義マシンに供給するために世界中の資源を着服し、支配する必要が一段と切迫してくるにつれ、社会の動揺は激しくなる一方です。帝国の裏側にいるわたしのような者にとっては、屈辱は耐えがたいものになっています。合衆国によって殺されたイラクの子供たちひとりひとりが、わたしたちの子供でした。アブグレイブで拷問にかけられた囚人たちのひとりひとりが、わたしたちの仲間でした。彼れらの絶叫のひとつひとつが、わたしたちのものでした。かれらが辱められたとき、わたしたちが辱められたのです。イラクで戦っているアメリカの兵士たち──たいていは小さな町や都市貧民街からの志願兵たちです──もイラク人と変らぬほどに、同一のすさまじいプロセスの犠牲者なのです。このプロセスによって、彼らは決して自分たちのものにはならない勝利のために死ぬことを求められているのです。

企業の世界の役人たち、CEO、銀行家、政治家、裁判官、将軍たちが高いところからわたしたちを見下して、厳しく首を振るのです。「他に道はない」と彼らは言います。「戦争の犬たちを解き放とう」。

そうすると、アフガニスタンの廃墟から、イラクやチェチェンの瓦礫の中から、占領されたパレスチナの街頭やカシミールの山々のあいだから、コロンビアの丘と平原から、アンドラプラデシやアッサムの森林から、ぞっとするような返答が返ってきます。「テロリズムの他に道はない」。テロリズム。武力闘争。反乱。好きなようにそれを呼べばよいでしょう。

テロリズムは、犠牲者にとっても加害者にとっても、邪悪でおぞましい、人間らしさを奪うものです。けれども、戦争だって同じです。テロリズムは戦争の民営化であると言えるでしょう。テロリストは戦争を自由市場で売り歩く人たちなのです。この人たちは国家が暴力の合法的な使用についての専売権を持っているとは信じないのです。人間の社会は、ひどい場所になりつつあります。

もちろん、テロリズムにはそれに代わる他の道があります。それは正義と呼ばれるものです。どれほど大量の核兵器も、フルスペクトル・ドミナンス[注1]も、デイジーカッター(燃料気化爆弾)[注 2]も、見せかけだけの統治評議会も、ロヤジルガ(国民大会議)も、正義を犠牲にして平和を買うことはできないということを認識すべき時がきています。
一部の人々の覇権と優越への強い欲望に対して、他の者たちの正義と尊厳へのあこがれが、これまで以上の強烈さで対抗することでしょう。この戦いがどんなかたちをとるのか、美しいものになるのか血みどろのものになるのかは、わたしたち次第です。
(おしまい)
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注1 アメリカ統合参謀本部の「ジョイント・ヴィジョン2020」に示されている将来の軍事構想。どのようなレベルの軍事作戦においても、米軍は単独または同盟軍と共に絶対的な優位を保ち、どのような敵も打ち負かす能力を持つことが目標→ここ
注2 通常兵器中で最大の破壊力を持つ →ここ


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(=^o^=)/ 連絡先: /Posted on: 01/Aug/048