トリプル選挙直前の台湾を訪れて


本稿は、アジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)の月刊ニュースレター「APWSL TODAY」に掲載されたアジア連帯講座の仲間の台湾訪問記に加筆修正したものです。これ以外に台湾関係の文章として、週刊「かけはし」の98年12月7日号、14日号の「台湾を訪問して」、週刊「かけはし」99年3月1日号の「台湾選挙−国民党勝利と民進党敗北が示したもの」などがあります。できるだけ早い時期にアップしたいと思います。(い)


選挙戦真っ只中の台北
昨年の秋、初めて台湾を訪れた。といっても今回滞在したのは台北市だけなのだが。おりしもトリプル選挙(立法委員選挙=国会議員、台北・高雄両市長選)と重なったこともあり、道路の中央分離帯、陸橋、公園などにこれでもかと言わんばかりに立候補者のノボリが立てられており、大通りに面したビルにはこれまた大きな選挙広告。道には立候補者の名前が染め抜かれた小さな旗や帽子が落ちていたりする(もちろんこれは記念に持ち帰った)。「こりゃ金かかるわぁ」というのが率直な感想。台湾では金がないと当選できないというのが常識になっているそうだ。当然その資金はウラにオモテにと、いろいろな所を流れることになる。
選挙の結果はというと、立法委員選挙では与党・国民党が過半数を維持。台北市長は民進党の現職市長が国民党の候補に敗れ、高雄市長選は民進党候補が勝利した。立法委員選には労働運動活動家も労働団体の支援で立候補したが、残念ながら落選した。(詳しくは、週刊「かけはし」1999年3月1日号「台湾選挙−国民党勝利と民進党敗北が示したもの」参照)

日本の台湾侵略の足跡
滞在期間中、台北から車で2時間くらい南下した北埔という田舎町まで足を伸ばした。そこは客家(はっか)の人々が住む町だ。北埔の郊外で、かつて皇民化教育を受けたという方に日本語で話しかけられ、お宅でフルーツをご馳走になり、NHKの衛星放送まで見せてもらった。「政治はきらいで」という彼の居間には李登輝と一緒に写した記念写真が額に入れて飾ってあった。日本の侵略−国民党の独裁的支配−そして現在に至る歴史は、台湾の人々の心にしっかりと刻まれている。

台湾の学生運動
今回僕を案内してくれた台湾の友人は、まだ学生なのだが、参加しているサークルは環境運動や労働運動などに積極的に参加していたこともあり、その辺の話をいろいろ聞くことができた。「学生運動はどうなの」と聞いたところ、「台湾の学生運動で語ることはないねぇ」と。「学生サークルが社会運動に直接コミットしているなんて、日本ではあまり考えられないよ」との問いには、「それだけが唯一の救いかな」。
もちろん圧倒的大多数の学生は、社会運動に関心を示さないのだが、それでもいくつかのサークルは当然のように労働運動のデモに参加したり、原発反対で国会前に座り込んだりしている。このような学生たちは卒業後、運動団体の専従になる人も少なくないので、社会運動の活動家層は日本よりも若いような気がする、それに女性も多いな。

秋闘デモ
台湾には、春闘ならぬ秋闘というものがある。11月初旬におこなわれる労働者の集会とデモである。労働運動支援組織の一つでもある工人立法行動委員会が主催する集会で、98年で10年目を迎えた。各地の運動の報告なのだが、いわゆる基調報告というものはなく、各地の報告も寸劇やパフォーマンスなどがメインだ。日本とはちょっと違う。もちろんここでも舞台準備に走り回っているのは学生を含めた若い活動家たちだ。
集会の後はデモに出発。デモ隊は国会を経て、行政院(総理府)前で解散した。「とても戦闘的で活気のあるデモだね」と友人に話したところ、「そうでもないよ」との返事。「台湾の労働運動は一時期よりも低調気味なんだ」とのこと。戒厳令解除から12年、労働運動が始まってから約15年。台湾の労働運動はこれからが正念場のようだ。

台湾の労働運動組織
台湾の労働運動組織について少し触れよう。台湾には、現在三つの労働運動支援組織がある。一つは工人立法行動委員会。もう一つは労動人権協会。そして台湾労工陣線だ。
台湾の労働運動は、87年の戒厳令解除の少し前から始まっており、80年代末に大きな高揚を迎えたが、大争議での敗北や労働者政党の分裂を経て、現在に至っている。この三団体は、90年代中頃から地域レベルの独立ナショナルセンターを各地に作っており(98年現在で9地域252労組、約15万人が加盟)、全台湾レベルでのナショナルセンターを目指して協議を進めている。また政府の民営化攻撃などに反発して御用ナショナルセンターから離脱した大労組も、この協議に参加している。
台湾の政治・労働運動は、これまで中国との統一か、あるいは独立かという問題に大きく影響されてきた。労働人権協会は、統一路線を明確に掲げている(現在は香港的な「一国二制度」を主張)労動党の影響下にある。台湾労工陣線は、台湾独立の傾向の強い民進党の中でももっとも独立を強く主張している新潮流派閥の影響下にある。工人立法行動委員会は、政治路線をあまり明確に馳せず、組合・労働運動に専念するという傾向を持つ。
ところで、先の選挙によって台北市では国民党の市長が誕生したことは前述したが、工人立法行動委員会の呼びかけ人の一人でもあり、秋闘集会の司会を務めた鄭村祺が、台北市の労働局長に就任した。当初、僕は台湾労働運動の成果と国民党の衰退現象によるものと理解していたのだが、台湾の友人曰く「台湾の労働運動が低調で、運動的に新たな局面が切り開くことができない中で起こったこと」と評価していた。立法委員選挙における労働運動活動家の落選と鄭村祺の台北市労働局長就任は、台湾労働者の目にはどう映っているのか。

統一・独立に関する私見
事実上独立している資本主義台湾と、ほぼ政治革命の展望がなくなり、経済体制も急速に資本主義的要素が力を増している中国。かつてであれば、中国の政治革命と台湾の社会主義革命の統一としての中国・台湾統一というスローガンが考えられたが、現在それを教条的に唱えることは台湾民衆との結合を事実上拒否するということである。また、逆に「台湾独立」を声高に叫ぶのも、台湾の労働運動の現状と中国の民衆の意識から大きく隔たるものとなる。考えの基本は、現在統一、あるいは独立を選択する自由は、台湾民衆にもないし中国民衆にもない。民主的で、力の論理ではない討論を中国と台湾の民衆によって、自由に繰り広げられなければならない。その中で私たちは資本主義的な経済体制ではないオルタナティブな選択肢を提起するだろう。その前提としてわれわれがなすべき任務として、中国においては、急速に進展する資本主義的政策の中で犠牲となる労働者、マイノリティーの権利を具体的に防衛すること。また、台湾においては90年代初頭にピークを迎え、現在は苦しい状況にある労働運動や、その他の進歩的社会運動に連帯していくことが必要となるだろう。われわれには、そのためのパイプがあるし、それはすでに開始されていることである。今後香港の同志や台湾の友人たちとの関係を一層発展させ、中国、台湾の政治的転換に備えなければならない。私たちのアジアのために!
99/4/18(I)