アジア連帯講座は、6月28日から7月5日まで、香港返還に際して訪問団を派遣しました。現地で民主派最左派として闘っている政治グループ・先駆社をはじめ返還後も活動を続けていく人々と交流を持つこともできました。返還時の息吹きあふれる民主派の活動を紹介します。なお、ここに掲載している文章は、アジア連パンフ『香港返還/7月1日を越えて』にまとめられており、200円とお買い得なのでぜひご購入下さい。

アジア連帯講座香港派遣団



6・30 香港で仲間たちとスクラムを組んで

 「真の民主派」の意気高い集会とデモ
官製返還式典に対決して


 日本の比ではない蒸し暑さ

 啓徳空港を降りると、機内のエアコンとはうってかわって、蒸せるような暑さで香港は私たちを迎えてくれた。日本の蒸し暑さの比ではない。香港は7月から一カ月間の雨季に入る。私たちが滞在中、この雨と蒸し暑さで、相当に体力を消耗した。
 空港を出ると、香港独特な看板と車の多さ(もう午後十一時を過ぎているというのに)に驚く。恐らく、空港と都心とが隣接しているために、それらが吐き出す車でごった返しているのだろう。
 空港から約十分くらい走ると、なだらかな斜面になっていく。車窓から高層住宅群がところせましと立ち並んでいるのが見える(香港の人口密度は一平方キロメートル当たり5639人。ちなみにアメリカは28人)。「ニューズウィーク香港特集」によると、若者たちが家で唯一、一人になれる空間はトイレだという。
 香港は、長崎や神戸のような、急勾配の土地を切り崩して高層住宅や道路が建設されている。私たちが滞在している間、大雨が何日も降り続き、災害が相次いだ。香港での大雨と災害は、日本でも話題になったようだが、斜面に作られた過剰な高層住宅や鉄道・道路などが大きな要因となったようだ。こんなこともあった。私たちが大雨の中、宿泊先までタクシーで行った。一方の道路が大雨で通行止めだから迂回して行くことになった。
 しかし、タクシーの運転手は、「大雨だから、これ以上行くことができない」と言うのである。確かに自家用車では車体が水につかってしまうぐらいの水かさである。そこから降りて、しかたなくバスを待つことになってしまった。
 最近の地価急騰によって、お金のない人々は山の中にある住宅街に移らざるをえない。これらを反映して土砂崩れ、鉄砲水などで、住宅難に苦しむ低賃金層が高い割合で犠牲になったのだろう。香港政庁は、災害があっても対策を講じることもせず、居住希望者者がいると居住させてしまうという。
 地理的条件による住宅難と政府による対策軽視によって起こる人災。立地条件のよい所はおおよそ資産家が所有してしまい立地条件の悪いところに低家賃の高層住宅を建てて対策を講じるという資本主義社会の顕著な姿が、香港の住宅問題から見える。

 返還式典に無関心な人たち

 翌日3日、中環(セントラル)という地下鉄駅を降りると立法評議会(日本の国会に相当)があり、そのすぐ脇の小さな公園で民主派の「630オルタナティブ回帰集会(以下『回帰集会』とする)」が持たれる。
 こんなに狭い所で集会を開催することになったのも、中国共産党の圧力による妨害工作が原因である。もっと大きな公園を申請していたのであるが、旧香港政庁はどの公園もイベントなどで貸し出してあるので駄目だというのだ。後日談ではあるが、回帰集会の最中に、当初使う予定だった公園に行ってみるとイベントはおろか人もまばらだったのだ。
 中国共産党による民主派への規制の中で、『回帰集会』が開かれ、約1000人が参加した。
 会場周辺をブラブラする。この公園は、日曜・祝日などになるとフィリピンから出稼ぎに来た家事労働者たちが集う場所らしい。今日も、会場脇にはフィリピンから来た多くの人たちが座っている。彼女らと「香港返還」はどのような意味をもっているのだろうか。
 香港返還に先立つ最後の立法評議会では、労働組合の団体交渉権などを保障する法律が採択された。しかし、中国政府の意向を反映した返還後の暫定立法機関である臨時立法評議会は、返還後にそれら労働者の権利をことごとく「凍結」してしまった。どうやら、彼女たちへの配慮をするどころか、彼女たちに対する権利を切り縮める役割をイギリスにかわって中国が行おうとしているようだ。
 彼女らにカタコト英語で「香港返還」について聞いてみた。彼女たちは、食べ物を食べながら「あまり(返還については)関心ない。私たちの仕事を確保してくれれば」と言っていた。
 ちょうど、アポロ二号打ち上げによる初の月面着陸で全世界が沸き返っていた時、「よく知らないけど、どうせ男たちがやっているんでしょう?男はいつも破壊的です。月で大いに破壊活動をやったらいいわ」(本多勝一『アメリカ合州国』)と言ったというハーレムの黒人女性とそのフィリピン女性がだぶった。
 フィリピンからおよそ20万人といわれる家事労働者が香港に渡ってきている。香港が返還されたって彼女たちの雇用状況や暴力的主人が減少するわけでもない。
 ある民間団体が香港市民2300人を対象に、七月一日の「政府関係者による返還記念式典はどうだったか」というアンケートを行ったという。その中で中国共産党を歓迎するとした人は一割、イギリス植民地に満足だったという人は七割、残り一割がイギリス植民地に不満を持つ人だったという。
 また香港紙『明報』が(香港のマスメディア)が1400人を対象にアンケートを行ったが、5億元(日本円で約75億円に相当)をかけた「返還式典」は、六割の人が「金のムダ使い」だと回答したという。中国政府は、香港に隣接する経済特別区のシンセンでは、解放軍を見送るために各家庭・企業から代表一人を必ず送ることを命じたという。その見送りに出席しない家庭・企業には1000人民元を罰金として取り上げると警告した。そして、学校の子供たちも動員しての見送りであったのだ。
 いくつもの部隊に分かれた人民解放軍を見送るためだけに子供たちが、一日中降り続いていた雨の中を立ち続けていた事を想像していただきたい。これらは、今回の「返還記念式典」の内実を示したものではないだろうか。

 オルタナティブ回帰集会

 立法評議会脇では、教育労働者だとわかる人たちが横断幕を広げ、プラカードをもって座り込みをしている。これは何かと尋ねると民主党議員が委員長を勤める教職員労働組合の教育労働者たちが、民主党議員の議員権はく奪に抗議して掲げている。
 また、「結婚は一生の監禁なのですか?」と男女の手の結婚指輪が鎖でつながっているポスターを下げている女性たちもいた。それぞれ楽器を手にもち、演奏しながら訴えている女性グループもいる。
 日本の集会というと、舞台に立つ人々のあいさつや演説が終わるとデモという形態だが、香港の集会は違う。それぞれのNGOや組合、さまざまな運動体が賑やかに露店を出して自己主張している。これはフェスティバルと言ったほうが正確なのだろうが、中央舞台ではなく各団体、個々人が集会を盛り上げている感じだ。
 香港に来て以来ずっと降り続いている雨であるが、激しく降っていたものが小降りになるが、集会開催中も止むということはなかった。
 だいぶあたりも暗くなってきた頃だろうか。ユニオンジャックがプリントされた帽子やTシャツを着て、楽しそうに歩いたり、裸で踊りまくっている白人たちの姿を見た。この人たちの姿は、香港が中国に返還されるから喜んでいるのではなく、植民地支配のもとで統治してきた者たちの最後のあがきのようにも見えた。中国大陸との分断によって150年あまりの間、植民地支配を続けてきたイギリスは、香港民衆への自由を抑圧し搾取してきた。公園に「犬と中国人は入場お断り」という表札が立ち、インド人の門番が厳しく取り締まっている姿や、憎しみの表情を隠し切れない中国人苦力が涼しげな顔をした白人を担いでいるイギリス植民地下の写真などを見れば容易に判る。

 のぼり掲げ登場した先駆社

 その後にこれらの白人たちの騒ぎをかき消すかのように先駆社のメンバーが宣伝をしながら会場脇に到着した。のぼり旗のスローガンには「返還を祝い、独裁に反対し、民主を勝ち取り、生活を守ろう!6・4の虐殺者は政権から降りろ!一党独裁を終わらせよう」と書いてある。
 のぼり旗を掲げると、のぼり旗を手に持ちたいとどこからともなく人々が集まって来る。この人たちの心境は、このスローガンのもとについて行きたいという意思表示なのか、それとも記念に写真に収めておきたいという気分なのか。
 のぼり旗と力強く歌われるインターナショナルを先頭に、先駆社が会場に入っていく。不意を突かれたと思ったのか、先駆社の入場に警察が介入し、代表者に職務質問している。会場には先駆社のようなのぼり旗を掲げている人たちはまずいない。そののぼり旗がとても目立つ。周囲のマスコミが競って、先駆社にインタビューをおこなっている。
 一方、民主党が立法評議会前で独自に集会を開いている情報を事前に入手していたので、私たちはそちらにも行く。途中で、横断幕を持った台湾の人々が激しく動きまわり、シュプレヒコールで気勢を上げている。何を訴えているのかは分からなかったが、「香港返還」は台湾民衆にとっても無関係ではいられないことがよく分かるものだった。
 当局に何の届けも出さずに行った行動に、警察も規制に入り、興奮気味に車道に溢れる人々を歩道に押し込もうとしている。警察は、このデモの責任者に職務質問し、パスポートの提示などを求めていた。
 立法評議会の周辺では、「前線」という回帰集会にも参加し、立法評議会議員を有する団体が横断幕を手に持ち、立法評議会を包囲している。ここでも白人男性が裸になって、横断幕を持っている姿には閉口した。
 議会入り口に行こうとすると、民主党の人たちがそれ以上の立ち入りを禁止している。一体民主党は何の理由があって歩道を規制するのだろうか。自分たちの示威行動に民衆を参加させるような開かれた行動でないのか。このような民主党の対応には疑問が沸くばかりである。立法評議会正面では、民主党の集会が行われている。集会参加者は5000人。広い会場が回帰集会とは対照的だった。
 気をとり直して、私たちが参加している「回帰集会」に戻る。ステージでは、各界を代表した人たちがスピーチを行い、香港が返還されるという事態の心境について語っているのだろう。ラジオ番組を担当しているという人気DJは、興奮気味にステージから身をのりだしながら訴えている。そのラジオDJは身を乗り出すあまりスポットライトが当たらなくなるので、定位置に戻るよう係の人に指示を受けるがお構いなしである。
 このラジオDJは、香港で人気があり、市民の反応も一番だった。民主党の議員も心境を語っている。民主党の議員は、前に登場していたラジオDJの気さくな雰囲気とは違い、聴衆の反応もいまいちといったところだろうか。というのも、民主党は、「草の根」民主派とは違う場所で集会を開いているのだから無理もない。
 先駆社の劉さんはこの事態を、「民主派の中での分裂は今回が初めて。この分裂が香港の中の真の民主派とは何かを民衆が理解する上で重要なエポックになる」と述べていた。釣魚台防衛委員会は、赤い字で「血染的風采」と書かかれた女性の生理用品を配布している。そして、ステージに登壇した青年がお祭り騒ぎのように喋った後に、公園の噴水の中にドッボーンと飛び込み自分たちの意思を表明していた。私たちは、基本的に帝国主義の手から釣魚台を防衛するという中国の青年の意思を支持するものである。しかし、その意思表示が生理用品に何かを書くとか、少なくとも人が死亡している闘争でこのようなパフォーマンスを行うことにやや疑義を感じる。
 先駆社も登壇した。気迫に満ちた簡潔な発言だった。群衆もうなずきながら拍手をしている。ブラック・バードは、レニーさんのアコースティックギターの軽快なリズムで「青春の墓地」という中国民主活動家・王丹を歌った曲を披露した。回帰集会もそろそろクライマックスに入る。キャンドルを灯して中国への「香港返還」をカウントダウンで祝いあった。

 警察の規制を突破してデモ

 カウントダウン終了後はデモに移る。デモコースは、集会会場から約10分くらいのところにある、特別行政区長官オフィスビルまでだ。立法評議会わきを三周くらい歩く。
 香港ではデモに対する民衆の関心が非常に高い。集会参加者でない人間がデモに出入りし、二階建てバスや街頭からはデモに対して声援が送られてくる。私たちの隊列は、インターナショナルを歌いながら、小高い山の坂道を登っていった。やや勢い余った私たちも日本語でインターナショナルを歌い出す。
 特別行政区庁舎前に行くと、集会が開催され、挙手をして何人かが発言をしている。その中には先駆社の劉さんの顔も見えた。集会の最中、特別行政区庁舎玄関の屋根では、国章プレートを作業員3人で溶接している。
 解散地点での集会の終了後、先駆社が政府主催の記念式典会場に向かおうと、新たなデモを呼び掛けるアジテーションを始めた。そして、デモに出発すると、警察による規制が入る。しきりに、先駆社のメンバーによる警察への規制解除のための工作が続けられる。その間にも、後続する人々がどんどん膨れ上がって行く。その数は百人以上はいただろうか。人々のシュプレヒコールが、デモの前に立ちはだかる警察に対して投げ付けられる。
 周辺の人々がデモに続々と参加し、シュプレヒコールを上げていく中で警察の規制が解除され、デモ隊が進んで行く。私は、デモで警察の規制を解除して進む、このような光景を見るのは始めてだった。まさに、民衆と民衆の意識をつかんだ先駆社との波長が一致した、革命的ダイナミズムの瞬間を見たような気がした。喜びと解放感に沸き返るデモの隊列は、先駆社の旗を先頭に記念式典会場に向かって進んでいった。

猿田耕作



7月1日を越えて

7・1支聯会デモ

赤一色のデモ隊列
三十日から一日にかけての行動は、午前三時に終了し、シャワーを浴びベッドに入ったときには五時近くだった。シャワーを浴びても先駆社の呼びかけによるデモ隊が警察の規制を解体した興奮は覚めやらない。だが眠気と疲れには勝てない。「昼過ぎまで寝よう」という提案に反対するものはいなかった。午後からは香港市民支援愛国民主運動聯合会(以下「支聯会」)の主催による「愛国愛港愛民主デモ」に参加した。支聯会は、八九年の中国民主化運動を香港市民が支援する過程で作られた組織である。毎年六月四日の天安門事件の日にはロウソク追悼集会をすることで有名である。
参加者でごった返すデモ出発地点に到着し、すぐ脇の食堂で集会発言や民主化運動のテーマソングを聞きながら昼食をとった。しかし、「はやく、はやく。もうデモが出発するよ」という先駆社の仲間の催促で食堂を出ると、それまでの眠気はどこかへ飛んでいってしまった。目に飛び込んできたのは赤一色に染まった横断幕やプラカードの林立。そこには「一党独裁を終わらせよう」「民主的中国を建設しよう」と書かれてある。
これまで支聯会というと、黒旗デモ(アナーキズムとは関係ない。死者を追悼するという意味が込められているのだろう)と蝋燭追悼集会が頭に浮かび、「なんか暗いな」といつも思っていたのだが、今回は違う。赤いプラカード群の中に、ひときわ大きい先駆社ののぼり旗が見えた。そこには、今朝まで行動を共にしていた仲間の姿がある。僕たち派遣団もその隊列の中にまぎれた。この支聯会にはいわゆる「民主派」の右から左までが参加しているが、民主党がそのヘゲモニーを握っている。彼らは「一二三民主聯盟」という政党は孫文の肖像を掲げて参加している。コースは天后駅から、特別行政区行政長官事務所までの約四キロの道のり。小雨の中のデモ行進となった。

警察権力の介入をはねのけて
デモを出発してすぐ、右側に大きな公園が見えた。ビクトリア公園だ。実は、返還前に支聯会が、この公園をデモの出発地点にしたいと旧香港政庁に申請したのだが、すでに親中派の女性団体がここで集会を行うとの理由で断られ、仕方なくその脇の路上からのデモ出発となったという経緯がある。この女性団体は、当初四万人の参加があるのでこの公園を使用したいといっていたそうだが、実際には数千人程度の参加者だったそうだ。
しかし、中国勢力によるこのような間接的な締め付けは、それに反発する市民がデモへ参加をすることを促した。当初支聯会は二千人の参加者を予想していたが、実際には三千人近い市民の参加があったのだ。だが、それも素直に喜んでいられない。というのも、警察側が「想定された参加人数に達したら、それ以上の参加者を受け入れないよう希望する。そうでなければ警察側の警備も無駄になってしまうからだ」と、口頭で警告したからだ。もちろんこんな乱暴な論理に屈する必要はない。これまで何度も予想参加人数と実際の参加者数が違ったことがある。まして今回の場合、公園を借りることができないという事態により参加者が増加したのである。
現在のところ、民主化を支持する市民が少なくはないので、この程度で済んだかもしれないが、今後もさまざまな手段でデモ・集会など民主化運動に対する締め付けを厳しくしてくるかもしれない。油断は禁物である。
話を、デモに戻そう。行進をはじめて間もなく、先駆社の仲間が「ちょっと待って」と私を引き止めた。どうやら後ろの方にいる学生と隊列を組むようである。ノンセクトの学生隊列らしいが、やはり若いだけあって活気がある。二十名ほどの学生がドラなどの楽器を持って行進してくる。彼らと合流して再び歩き始める。学生が作ってきたスローガンは、江沢民、李鵬、エリザベス女王、董建華、そしてデモ主催の支聯会と当会のヘゲモニーを握る民主党までもからかうようなものになっている。先駆社の仲間もこれには苦笑していた。

響くインターナショナル
しばらくすると「一、二、三(ヤッ、イー、サム)」という先駆社の仲間の掛け声で、インターナショナルの合唱が始まった。最初歌っていたのは、先駆社の仲間と学生だけだったが、そのうちに周りの市民も歌い出した。ここ香港では、インターナショナルは左翼だけの専売特許ではない。八九年の民主化運動では、誰もがこの歌を歌った。「それは中国共産党に対する隠れみのであった」という人がいるかもしれない。しかし、ここ香港でこの歌を歌っている人々の真剣な眼差しと力強い歌声を聞けば、この歌に込められた民主化の思いが伝わってくるはずだ。
もちろん、スターリニストや毛沢東主義者がこの歌を歌ってきたという事実がある。しかし、それとかつては天安門広場で歌われ、そしていま香港で歌われているこの歌とが同じであるとは思えない。ドラをかき鳴らしてインターナショナルを歌っている学生や雨に打たれ眉間にしわを寄せながらインターナショナルを歌っているおじいさんと、ソ連や中国の官僚が同じであるとは思えない。僕たち自身の反省で言えば、三十日のデモのときは、インターナショナルを歌う先駆社の仲間や学生、市民の隊列の真っ只中にいて、先駆社の仲間から「ぜひ日本語のインターナショナルを!」と要請され、勢いで歌ってしまったということである。また一日のデモでは、多くの学生に囲まれ、「ぜひ!」と言われて拍手の中でインターナショナルを歌った。しかし、返還以降、香港の政治団体が海外の政治団体と関係を持つことが禁止され、それを口実にわれわれの仲間が弾圧されるかもしれないという状況があるなか、そして訪問前には「なるべく隊列から離れて歩くようにしよう」という意志一致があったにもかかわらず、隊列に入らないどころか、隊列の真っ只中に入りトラメガで日本語のインターナショナルまで歌ったのは少し軽率だったかもしれない。
しかし、僕はここ香港で、民主化を願ってやまない香港の学生や市民と合唱したインターナショナルを、先駆社の仲間とこぶしを振り上げ何度も何度も声がかれるまで歌い続けたインターナショナルを生涯忘れはしない。

隊列の顔ぶれと沿道からの激励
先駆社の隊列の前には、「四五行動」の隊列が見える。香港トロツキストグループの一つである革命的マルクス主義者連盟のメンバーだった梁國雄氏や劉山青氏が所属するグループである。梁氏は返還前にニュースステーションでインタビューが放映されたので、ご存知の方もいるだろう。また劉氏はかつて中国へ潜入して逮捕・拘禁され、十年間を獄中ですごしたことがあり、アジア青年会議で日本にも招待したことがある。現在彼らは行動的民主派としてよく香港メディアに登場する(六月三十日の夜は、三十名ほどで独自に政府式典会場付近までデモを行ったりしている)。
帰国後に香港の新聞に、梁氏ら四五行動のメンバーが、返還前に立法評議会で採択された労働組合の団体交渉権を保証した法律などを、臨時立法評議会が凍結するとした決議に対し議会傍聴席から抗議の声を上げ、罰金刑に処されたという記事が載っていた(7月17日「明報」)。
梁氏や劉氏は、個人的には革命的マルクス主義者であると公言しているが、四五行動自体はトロツキスト組織ではない。梁氏は支聯会の複数の工作を担っており、劉氏は現在民主党に入党申請中である。梁氏とも接触を持てたので、その報告は次号以降に掲載する予定である。
歩き始めて小一時間、雨も上がり始めた頃、2月にブラックバードを読んで行った"HONG KONG CALLONG"実行委員会の仲間達を見つけた(というか見つけてもらった)。ブラックバードのキャシーの姿も見える。一行の宿泊先は、香港最大の島である大嶼山(ランタウ島)だそうだ。移動だけでも大変そうだが、九龍半島や香港島以外の島を見ることができたのは、少しうらやましい。
余談だが、このランタウ島の北部では、現在新たな国際空港を建設中である。先駆社の仲間の話では、空港建設に伴う環境汚染もひどいそうだ。だが現在使用されている啓徳空港は、繁華街に隣接しており、ビルのすぐ上をかすめるように離着陸をしているので、その危険性を考えると新たな飛行場建設はやむをえないそうである。「でも、それが最良の解決方法ではないはずだが…」と思いつつ話を聞いていた。
「慶祝回帰」(返還を祝う)と書かれた看板や香港特別行政区旗があちらこちらの高層ビルに掲げられている中をデモ隊は行進していった。歩きながら思ったのだが、デモを見物する人達の態度が、日本とは違うようである。身を乗り出すようにデモを見つめる人達、またバスの上から(香港のバスは二階建てなので)手を振ってくれる人達が非常に多いように感じた。すごく嬉しかったのは「そろそろ疲れたなぁ…」と思い始めた頃に、ビルの上から声援と共にフィリピンの女性たちが手を振りつづけてくれたことだ。もちろんデモ隊もそれに答えて手を振った。すばらしいデモンストレーションである。


「民主派」のなかで
このデモで、香港民主化運動の今後を暗示するような出来事が起こった。民主党の官僚的体質が改めてあらわになったのである。というのも、前にも書いたように、学生が支聯会や民主党をからかうようなスローガンを叫んだりインターナショナルを歌っていたときに、突然僕たちの隊列の前に大きなトラメガを二台乗せたキャリアーが前方から運ばれてきた。そこからは支聯会の指導部が叫ぶ統一スローガンが聞こえてくる。これは明らかに先駆社や学生に対するものである。僕たちの隊列は、前方のトラメガと少し距離を保つようにして行進を続けた。
そして解散地点である特別行政長官事務室前付近から、最後のインターナショナルを歌い始め、解散地点で二回ほどそれを繰り返した。その時に支聯会指導部から抗議が入り、先駆社の方はそれ以上の混乱を避けるために歌を止めたが、学生は抗議に反発し歌い続けた。そんな状態が二十分ほど続き、会場の一部は一時騒然とした雰囲気になった。学生は異なる声を認めない支聯会のやり方に抗議した。その一方で、先駆社の仲間は各マスコミのインタビューを受け、「支聯会は大衆的組織であるから、市民に発言させる機会を設けるべきである。しかし支聯会の会議でこのように提起しても否決されてしまった」と語った。だが、支聯会指導部は、このような抗議の声をまったく無視するかのように、統一スローガンを叫び、集会を一方的に終わらせてしまった。圧倒的大多数の参加者が、学生や先駆者の訴えを横目に集会から去っていったが、それでも五十人ほどの市民が先駆社のトラメガを取り囲んで、学生の訴えや先駆社の仲間の訴えを聞いていた。そしてその集まりは徐々に自由討論の場となっていった。
初めてトラメガでしゃべる初老の男性や、学生は少しやりすぎたんではないかと訴える人、またその一方で支聯会は大人なんだから学生の主張を聞きいれるべきであると語る女性。ブラックバードのキャシーも真剣な表情で聞き入っていた。また先駆者の仲間も次々に発言した。「支聯会は、集会参加者にも発言させるべきである」と語った仲間に対して「でも、こんなにたくさんの人間に発言を認めたら収拾がつかないじゃないか」と問いかける人もいた。それに対して「しかし、数年前の六・四天安門事件追悼集会では、実際に会場からの発言を認めていた。決して不可能ではない」という回答には参加者の多くが納得したはずだ。「一つのスローガンに縛ろうとするやり方は、共産党と変わるところがないじゃないか」と語る人もいた。これに対する支聯会主席で民主党議員の司徒華の回答は次のようである。「市民には発言する自由はあるが、状況を見て判断しなければならない」(7月2日「明報」)。いかにも官僚的な模範解答ではないか。
約一時間近く続いた自由討論会の最後に先駆者の仲間は「確かに学生は少しやりすぎたかもしれないが、故意に集会を混乱させようとしたのではない。我々はインターナショナルを歌うということで、支聯会指導部に抗議をした。今回の事態の責任は支聯会の体質に求められるべきであり、そのような体質が変わらなければ問題が根本的に解決することはない」と発言して最後を締めくくった。その直後、参加していた市民の数人が先駆社の仲間に握手を求め興奮気味になにかを語っていた。非常に感動的な光景である。僕は活動経験も短いせいか、デモンストレーションによる大衆の動員という光景を直接目にしたことはほとんどない。だからだろうか、一日未明の先駆社の革命的デモとこの大衆的自由討論の光景は今もって瞼の裏に焼き付いている。
解散後、先駆社の仲間は次のように語ってくれた。「三十日は、八九年から香港民主化運動が始まって以降、民主派が初めて分裂して集会を開いた。そしてその夜、われわれの呼びかけによるデモと今日の解散地点での自由討論会が行われた。これら一連の事態は、今後大衆が民主党ではない新たな民主化運動指導部を模索するうえで非常に重要なものになるかもしれない」。
香港の民主派、特に革命的左派が、今後とも非常に困難な状況に立たされることは間違いない。しかし、決して孤立無援ではないことが、今回の訪問で感じることができた。もちろん安心はしていられない。返還後すぐに特別行政区は、組合の集団交渉権をはじめとする法律と凍結することを決定し、また台湾やチベットの独立を主張する集会やデモは認めない考えを示した。「返還後すぐにわれわれを弾圧することは、さすがにできなかったようだ。しかし半年後、一年後はどうかわからない」という先駆社の仲間の言葉を重く受け止めてもらいたい。香港におけるわれわれの仲間達の闘いにこれまで以上に連帯していくこと、中国官僚の独裁を支える資本のグローバル化のあらゆる現われに反対していくこと、またわれわれ自身が内実をともなったグローバル化を進めていくことこそが、長期的に見て香港の民主派を防衛することにつながる。なぜならそれは香港民主派最大の同盟軍となり得る中国の労働者人民の闘いとその高揚を促すからである。

早野一




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