台湾の新政権、第四原発の建設中止を提言


【解説】台北県貢寮郷塩寮鎮で建設中の第四原発の建設を中止するという判断を台湾の通産省にあたる経済部の林信義部長(長官)が下し、内閣に進言することが決まった。一九九一年の建設計画発表以来、現地の塩寮反核自救会を中心に全国規模の反対運動を展開してきた。五月に陳水扁・民進党新政権が誕生し、陳総統は選挙公約で第四原発計画の中止を訴えてきたことで、反対運動は勢いづいたかにみえた。しかし就任後の政権の立場は動揺をみせたことで、反対運動や社会運動からは厳しい陳政権批判が相次いだ。経済部は、最終的に反対運動とそれを支持する世論に押された形で第四原発建設中止を決定したが、議会内では多数を占める国民党が推進の立場を崩していない。また十月三日には唐飛・行政院長(首相、国民党)が健康を理由に辞任した。唐は一貫して推進の立場を表明しており「この問題が辞任する理由の一つになるかもしれない」と揺さぶりをかけていた。後任には副院長(副首相)の張俊雄(民進党)が就任したが、伍世文・国防部長(防衛庁長官)は第四原発の必要性を公に訴えている。張俊雄は「行政院はまだ第四原発についてなんのタイムスケジュールも作成していない」と立場をあいまいにしつづけている。民進党政権は、今後少数与党としてますます厳しい局面に立たされることになるが、それはブルジョアジーや保守勢力との妥協をこれまで以上に強いるものである。
 民進党は党綱領で「原発の新設反対、代替エネルギー開発で既存原発も廃止」をうたっている。新政権は、原発停止あるいは建設計画の凍結はすでに国際的世論となりつつあることを背景に原発建設の停止を選択した。しかし、林信義は九月三十日の記者会見の中で「これは経済部の立場と意見を代表したものであり、行政院を代表したものではない。行政院はこの進言をもとに法律、工程、政党の立場および国会関係などを考慮して最終決定を下すだろう」として、経済部による決定が最終決定ではないことを強調した。また代替エネルギー案として北部の天然ガス発電の拡充を挙げるとともに、他の三つの原発の廃止にも触れ、「中華民国暦百十五年(西暦二〇二六年)以降には台湾では完全に原発がなくなっており、完全な非核地帯になっている」と発言をしているが、第四原発でさえなんのタイムスケジュールもない中で、他の原発の廃止などを挙げても全く現実味がない。
 第四原発の安全性については、九月二十八日に日本の小村浩夫静岡大学教授が「炉心溶融などの大事故が発生すれば、台湾市など台湾北部で八千人あまりが放射線で急死、三百万人以上ががんで死亡する」との予測を台湾の国会で発表した。これに対して政府部門の原子力委員会や台湾電力などが反発し「安全問題で建設を停止するのであれば認められない」と強硬姿勢を崩していない。また全台湾住民による住民投票を行なうべきという意見もあるが、現地の塩寮反核自救会をはじめとする運動団体は、現地住民が反対しているのになぜ全住民による投票が必要なのかと疑問を投げかけている。
 この第四原発はアメリカのゼネラル・エレクトリック社が受注し、原子炉関連機器は日立製作所と東芝などが、発電機は三菱重工が請け負っている。アメリカのエネルギー省は専門家を台湾に派遣して詳しい資料を収集しはじめている。派遣された専門家は、建設反対意見に対して「むやみに反対を煽っているきらいがある」とコメントしている。台湾政府は否定しているが、建設推進のネックになってきた核廃棄物の処理について、日米の関係筋が最新の技術を提供し、建設反対の世論をかわすのではないかという報道もされている。日本の原発企業は国内の原発受注のうち止めを懸念して、新たな市場開拓として台湾や中国に照準をあてている。台湾の反原発に連帯するということはストレートに日本の原発に反対することにつながっている。二十一世紀に原発と核兵器を持ちこむな!
 動揺を続ける陳水扁・民進党政権への過度の幻想は極めて危険である。自立した社会運動の発展こそが新しい台湾の未来をつくりあげる。新しい政治的空間の間隙をうつ国際連帯がますます重要になっている。
 以下は、政府が第四原発建設の中止を進言する前に書かれたもので、台湾で新しい世代の社会運動を模索する友人たちが昨年創刊した季刊誌『連結』二〇〇〇年夏からの翻訳である。(十月九日 早野一)


『連結』第三期 二〇〇〇年夏号


反核運動の途上で「反核の父」と遭遇する

劉聆

2000年5月13日、反原発デモ(台湾)
 五月十三日、うららかな日差しをついて、反原発運動家がこれまでと同じように街頭を歩き、老いも若きも同じく「反核は台湾を救う」と叫んでいる。違っているのは「反核は揺るがない」として、さらには反核を党綱領に記していた民主進歩党(民進党)が参加していないことだ。政権党として当然の如く「行政的中立」を表明し、当然の如く民衆や反対の声と「適度な距離を保つ」としている。
 進歩的旗印を掲げてきた民進党は、かつて反原発デモの際には積極的に動員をし、議会内でも第四原発の建設のペースを落とすために、予算審議で必死の闘いを繰り広げてきた。最近民進党主席を退いた林義雄は九四年には、ハンストまでして反対の決心を表明し、「第四原発住民投票十万人署名」活動を立ち上げ各地を行脚し、十数年の反原発運動史において忘れがたい印象を刻み込んだ。総統選挙期間中、民進党候補の陳水辺の誠実で信用できる公約に加え、党内一致の反原発立場の表明は、反原発運動が苦難の道をぬけだして希望ある一日を迎えようとしているかのようであった。

 陳水扁の公約はまだ記憶に新しいが、「反原発は不変、だが対案を出さなければならない」から「第四原発をどうするのかは民進党綱領の制限を受けない」という立場の変化は、第四原発工事を洗髪になぞらえると、半分しか頭を洗わないという困難性を感じる。普段から反原発の父といわれている林俊義は環境保護署(環境庁)の署長に就任し、「個人的には反原発の立場である」から「第四原発を建設するかどうかについては、あらかじめ決まった立場を持つものではない」へと変わり、そして「反原発は反独裁のためであり、現在のように国民党が下野したのであれば反原発の立場でなくてもかまわない」という驚くべき発言をした。さらに反原発運動の心を痛めたのは、民進党の立場が動揺しつづけ、前主席の林義雄が住民投票について聞かれた際に、「必要ではない」から「あるかもしれない」となり、「民進党は党によって政治を導く政党ではない」を叫んだ。反原発活動家もかつての恋人が薄情者になってしまったことを嘆くしかない。
 相対的に国民党政権の「既定政策」にくらべ、現在の陳政権は虚構の「全民衆による統治」といううわべだけの現象で、民間意識調査や住民投票の実施という主張は、価値観が中立の意識調査でしかない。三ヶ月を期間とする「第四原発評価グループ」も同じロジックによる遅延戦術であり、推進派、反対派の専門家や民間代表がそれぞれ半数ずつ出席して、結局膨大なデータや抽象的な議論がのこるだけである。皮肉にも民主的政治における理性的な意志疎通システムを自称するこの組織から、第四原発の最も深刻な影響を受ける貢寮現地住民は排除されている。そしていわゆる「再評価」も、経済部部長の林信義の言う「第四原発建設案は十分で開かれた討論をして、共通認識を打ちたて、内閣に答申を進言する。もし共通認識を形成できなければ少数意見として一章を設けて報告書に組み入れることになる。しかし、これは内閣の参考とするのであり、行政院こそが国会に法案を提出して第四原発に関する法案を覆す裁量を持つ」というものである。このような「再評価」はお茶を濁すだけのものなのではないか?

 環境保護署署長の林俊義は数十年前に「反原発は反独裁のため」という論文集で、科学は万能ではなく、台湾においては工業、労働力、地理、生態など様々な制限のある中で、このようにすばやく核を有することになった理由を以下のように詳細かつはっきりと分析している。第二次世界大戦後、アメリカは「核の平和利用」を声高にさけび、一方で原子力に対する恐怖心を払拭しようとし、自らは大量の核兵器を製造しつづけ、原子力産業の世界市場を拡大した。その一方で、他国の核兵器開発を阻止し、原発技術を制御してきた。原子力産業はアメリカの政治、経済、社会に対して多大な影響を与えた。一九七五年以降アメリカ国内の環境意識の高まりとグローバル経済の変化などによって、各電力会社は次々に原発施設の開発を見送り、原子力産業を操る多国籍企業は、その重心を海外市場へと移していく。また原発を導入した第三世界の国家は三つの特徴がある。すなわち民主主義と開かれた政治の欠乏、国内において深刻な内部矛盾があり、軍事の強化によって民衆の注意をそらす必要があった、西側先進諸国の発展様式は万能であるという科学官僚の信仰である。

 反原発は反独裁のためであったのだが、官僚独裁および科学独裁はいまだ存在しており、国家およびブルジョアジーの独裁も依然として存在している。一般民衆が原発情報を十分に与えられていない情況で、新政権は旧来の台湾電力と経済部エネルギー部門のコネクションをそのままにし、多国籍企業、政客、公営企業、軍部は利益をむさぼり、台湾産業およびエネルギー政策の重大な欠陥も真剣に検討していない。さらに貢寮の第四原発がうみだす生態系に対する環境破壊、住民の生存権の侵害は見てみぬふりである。また核廃棄物と隣り合わせの蘭嶼のダウ民族や三つの原発付近の住民、放射線の汚染を受けている原発労働者や下請け労働者、そしてさらに多くの被害を受けるであろう人々の状況は一向に改善されていない。

「第四原発に反対する」と約束した陳候補のポスターを掲げて
 はっきりしているのは、当時、林俊義や反原発活動家の言っていた独裁は、「国民党の独裁」というだけではなく、民主的制度と基本的人権を甚だしく抑圧していた官僚独裁と科学独裁をも指していた。新政権の反核の立場の動揺は、貢寮民衆を宙吊りにした。独裁は反対党の執政によって消滅はせず、民進党は長期間反対派の代理人として多くの反核活動家の政治的信仰を集めたが、それが敵によって巧妙にかく乱されている。それは多くの人間の民進党に対する政治的信仰の崩壊を免れない。しかしながら、これは覚醒のチャンスになるかもしれない。体制の弊害をはっきりとさせ、改めて反原発運動に厳しい認識と行動計画を行なわせるかもしれない。第四原発はもしかしたら最終的に建設を停止するかもしれないが、それは民主的政治の真の大きな一歩ではあるが、しかしそれは官僚独裁という病人が墓場へ入るということを意味するものではない。






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