進歩的旗印を掲げてきた民進党は、かつて反原発デモの際には積極的に動員をし、議会内でも第四原発の建設のペースを落とすために、予算審議で必死の闘いを繰り広げてきた。最近民進党主席を退いた林義雄は九四年には、ハンストまでして反対の決心を表明し、「第四原発住民投票十万人署名」活動を立ち上げ各地を行脚し、十数年の反原発運動史において忘れがたい印象を刻み込んだ。総統選挙期間中、民進党候補の陳水辺の誠実で信用できる公約に加え、党内一致の反原発立場の表明は、反原発運動が苦難の道をぬけだして希望ある一日を迎えようとしているかのようであった。 陳水扁の公約はまだ記憶に新しいが、「反原発は不変、だが対案を出さなければならない」から「第四原発をどうするのかは民進党綱領の制限を受けない」という立場の変化は、第四原発工事を洗髪になぞらえると、半分しか頭を洗わないという困難性を感じる。普段から反原発の父といわれている林俊義は環境保護署(環境庁)の署長に就任し、「個人的には反原発の立場である」から「第四原発を建設するかどうかについては、あらかじめ決まった立場を持つものではない」へと変わり、そして「反原発は反独裁のためであり、現在のように国民党が下野したのであれば反原発の立場でなくてもかまわない」という驚くべき発言をした。さらに反原発運動の心を痛めたのは、民進党の立場が動揺しつづけ、前主席の林義雄が住民投票について聞かれた際に、「必要ではない」から「あるかもしれない」となり、「民進党は党によって政治を導く政党ではない」を叫んだ。反原発活動家もかつての恋人が薄情者になってしまったことを嘆くしかない。 相対的に国民党政権の「既定政策」にくらべ、現在の陳政権は虚構の「全民衆による統治」といううわべだけの現象で、民間意識調査や住民投票の実施という主張は、価値観が中立の意識調査でしかない。三ヶ月を期間とする「第四原発評価グループ」も同じロジックによる遅延戦術であり、推進派、反対派の専門家や民間代表がそれぞれ半数ずつ出席して、結局膨大なデータや抽象的な議論がのこるだけである。皮肉にも民主的政治における理性的な意志疎通システムを自称するこの組織から、第四原発の最も深刻な影響を受ける貢寮現地住民は排除されている。そしていわゆる「再評価」も、経済部部長の林信義の言う「第四原発建設案は十分で開かれた討論をして、共通認識を打ちたて、内閣に答申を進言する。もし共通認識を形成できなければ少数意見として一章を設けて報告書に組み入れることになる。しかし、これは内閣の参考とするのであり、行政院こそが国会に法案を提出して第四原発に関する法案を覆す裁量を持つ」というものである。このような「再評価」はお茶を濁すだけのものなのではないか? 環境保護署署長の林俊義は数十年前に「反原発は反独裁のため」という論文集で、科学は万能ではなく、台湾においては工業、労働力、地理、生態など様々な制限のある中で、このようにすばやく核を有することになった理由を以下のように詳細かつはっきりと分析している。第二次世界大戦後、アメリカは「核の平和利用」を声高にさけび、一方で原子力に対する恐怖心を払拭しようとし、自らは大量の核兵器を製造しつづけ、原子力産業の世界市場を拡大した。その一方で、他国の核兵器開発を阻止し、原発技術を制御してきた。原子力産業はアメリカの政治、経済、社会に対して多大な影響を与えた。一九七五年以降アメリカ国内の環境意識の高まりとグローバル経済の変化などによって、各電力会社は次々に原発施設の開発を見送り、原子力産業を操る多国籍企業は、その重心を海外市場へと移していく。また原発を導入した第三世界の国家は三つの特徴がある。すなわち民主主義と開かれた政治の欠乏、国内において深刻な内部矛盾があり、軍事の強化によって民衆の注意をそらす必要があった、西側先進諸国の発展様式は万能であるという科学官僚の信仰である。 反原発は反独裁のためであったのだが、官僚独裁および科学独裁はいまだ存在しており、国家およびブルジョアジーの独裁も依然として存在している。一般民衆が原発情報を十分に与えられていない情況で、新政権は旧来の台湾電力と経済部エネルギー部門のコネクションをそのままにし、多国籍企業、政客、公営企業、軍部は利益をむさぼり、台湾産業およびエネルギー政策の重大な欠陥も真剣に検討していない。さらに貢寮の第四原発がうみだす生態系に対する環境破壊、住民の生存権の侵害は見てみぬふりである。また核廃棄物と隣り合わせの蘭嶼のダウ民族や三つの原発付近の住民、放射線の汚染を受けている原発労働者や下請け労働者、そしてさらに多くの被害を受けるであろう人々の状況は一向に改善されていない。
|