東京・山谷での越年越冬闘争に参加して

【管理者】越冬闘争の報告です。速報という形式をとりたかったのですが、年末年始は管理者が不在ということで、越年越冬闘争が終了してからのUPとなってしまいました。報告者の方並びに越冬に関わってこられた方にお詫びします。
→ 山谷・00-01越冬越冬闘争写真集


山谷越冬闘争に突入
12月29日
 12月28日より、山谷越年越冬闘争が今年も始まりました。これから来年1月4日の早朝まで都・城北福祉センター前の路上を拠点に、炊き出しや、パトロールなどの活動を野宿者、活動者、支援者、が一体となってやり抜きます。
 新宿や池袋などの分の飯も山谷で炊きます。他にも、都内では渋谷でも越冬が行われていますし、全国でも大阪釜ヶ崎、横浜寿町、名古屋笹島などの「寄せ場」以外でもこの数年越冬の闘いが取り組まれています。
 暖冬と言われていますが、不寝番などをやっているとやっぱりかなり寒いですね。
 衣類や野菜、肉などの支援物資、そして布団や炊き出しの燃料にするパレット(木材)などの物資もセンター前や山谷労働者福祉会館には集まっています。
 しかし、やっぱり「お金」が一番不足しているみたいです。ぜひみなさんカンパを!そしてセンター前に来てみませんか。(板橋道雄)
カンパ送り先 
〒111 東京都台東区日本堤1ー25ー11
郵便振替口座 00180ー4ー189179
連絡先 TEL0901-429-9485(山谷越冬実行委員会)


山谷越年越冬闘争続報
1月1日
 山谷の越年闘争もいよいよ折り返し点を過ぎました。昨日の大晦日はセンター前で恒例の「年越そば」をみんなで食べました。
 雨が心配されましたが、ちょっとポツポツと来た程度で済んで助かりましたが、1時を回った頃から風が出てきてブルーシートで作ったテントが飛びそうになり、ちょっとビビリました。シートが風であおられる音で目がさめて眠れなかったという人も多かったようです。
 明けて1日は大井のなぎさ寮に出向いての餅つき、午後からはセンター前でも餅つきが行われました。
 炊き出しなどを行うスタッフも当初の三十人程から、少しずつ増えて、四十人程の仲間がススだらけになりながら、頑張っています。(板)


山谷越年闘争が終了
1月6日
 山谷越冬闘争の第3報を送ります。
 2日、支援者約10人は上野にビラ撒きに。ビラの内容は翌日の上野での餅つきとさすらい姉妹の芝居の呼び掛け、上野の先輩の案内で2手に別れて公園内と地下道でビラを撒く。「明日、餅つきです、来てください。」と声をかけると「御苦労さん」とか「明けましておめでとう」という声も帰ってきたりして、初めて越冬闘争に参加した仲間も感激。
 その後は、新宿の餅つき、に合流、しかし少し遅くなった為、餅つきは終わっており、お芝居の途中でした。
 翌3日は上野での餅つき、前日のビラ撒きの効果があったためか沢山の労働者の参加で用意したコップが足りなくなって、とりに戻る程でした。
 お芝居の方は何回か回数をこなしているためか、かなり最初よりもコンビネイションなど良くなっているようでしたが、やっぱり大晦日のセンター前の雰囲気というのはたまりません。
 4日の撤収に向けて、3日の夜は泊まり込みましたが、疲れがでたのか?お腹の調子がちょっとおかしい。なんだか異様にオナラがしたくなった、しかしナンカおかしいぞ!と我慢してトイレへ、やっぱし下痢でした。初めてセンター前でウンコしたけど、あそこでおもいっきりオナラしていたら大変なことになっていたでしょう。越冬闘争史上はじめてのウンコ漏らした支援なんつっても、何にも自慢になりません。
 撤収は朝4時半から開始。ブルーシートを外し、物資を労働者会館へ運ぶ。7時には全ての作業を終了し、反省会の後、解散。
 結局この日は一日中お腹が痛くて、唯一の正月休みだったんですが、家で寝てました。
 1月14日には日雇全協の全国集会が山谷の玉姫公園で行われます。各地で越冬を闘った仲間が結集します。ぜひとも多くの参加を呼び掛けます。(板)

佐藤さん虐殺16カ年、山岡さん虐殺15カ年弾劾!国粋会金町一家解体!
1・14日雇全協総決起集会 午前10時 玉姫公園(南千住駅下車徒歩5分)




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