名護・平島キャンプ
1997.09.15〜1997.09.19

台風19号は進路を北に変え、奄美大島で停滞していた。わたしの乗った飛行機は別段揺れることもなく、そのまま那覇空港に着陸。はじめての沖縄だった。タクシーの運転手は東京から来た私にとても親切だった。普天間基地のみえる高台に連れて行ってくれたり、みちみち自分が子供だったときの話を聞かせてくれたり、基地被害の体験を聞かせてくれたりした。夕方、目的地の名護市瀬嵩(せだけ)に着いたときには、沖縄の人からじかに話を聴けたという充実感まで覚えてしまった。
名護といえば、ヘリポート基地建設をめぐって市民が毎日反対運動を繰り広げている現場である。建設予定地とされているのは目の前の海だ。 翌日、反対派の市民が立てた監視テント(私が行ったときはプレハブになっていた)の近くを歩いてみた。浜辺にさんごのかけらがうちあげられて散らばっている。砂は星の形はしていない(星の砂はもっと南にあるらしい)。キャンプシュワーブから時折「タタタタタ。。。。」と銃声の軽い音が聞こえたが、それ以外は静かだった。海辺の民家の庭にはやしの木、ハイビスカス、門柱にはシーサー(獅子)がいてのどかだった。現地の人が教えてくれた。「キャンプシュワーブの後ろにずーっと続いている森は弾薬庫だよ。中には核もあるらしいっていうんだけど。」そう言えば来るときに乗ったタクシーの運転手は「森に見えるのは全部基地か弾薬庫だと思っていいですよ。」と言っていた。緑が多くていいなぁと思っていた私にはものすごいショックだった。
次の日、キャンプシュワーブ沖の無人島(「平島」という名前がついていた)へ行った。船で渡る途中、頭の上を黒いヘリが2機飛んで行って、キャンプシュワーブの森の中(たぶんヘリポートが隠れて見えないのだろう)へホバリングしながら降下していった。のどかな海の風景と軍隊のヘリはあまりにミスマッチで、違和感があった。ところで、無人島から見る海は見たこともない美しさで、「きれいなあ!」「はぁぁ、きれいなあ!」何度きれいと言っても足りないほどきれいだった。コンクリートとかプラスチックのようなものとは無縁の世界だった。青い空、白い砂浜、透き通った海に囲まれて、今思えば夢のようだった。あんな美しいものを軍事基地でこわしてはいけないと思った。来年もさ来年もずっと遊びに来れるように、あの海をきれいなままで残さないといけないとおもった。(S)





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