天安門事件9周年
香港返還1周年
特集号
98年8月28日発行/300円



はじめに
弾圧に屈せず民主と自由を求める民主派
進む資本主義化に対抗して立ち上がる労働者

天安門事件から9年

1989年の中国民主化運動が中国共産党の血の弾圧に沈んでから9年目を迎えました。最近では、78年の民主の壁で活躍した民主化のシンボル魏京生や89年民主化運動で学生リーダとして名を馳せた王丹が、病気治療と言う名目で国外追放になったことや、返還後の香港で4万人に上る天安門事件追悼集会が行われたこと、6月のクリントン米大統領の訪中の歳に天安門広場での歓迎式典に参加するかどうかがニュースになったくらいです。中国民主化の闘いは、9年という歳月の中で歴史の一エピソードになってしまったのでしょうか。少々長くなりますが、現在の中国の経済的状況を把握したうえで、それにお答えしようと思います。
現在アジア全域に経済危機が吹き荒れていますが、中華人民共和国もその嵐に直面しています。今年は、78年12月18日から開催された中共11期3中全会でケ小平路線、いわゆる「改革・開放」路線が採択されてから20年目にあたります。「改革・開放」は、官僚統制経済によって疲弊しきった農村の圧力から始まり、請負制や単独経営を認め、郷鎮(農村)企業という新たな企業形態を生み出し、中国の経済発展の推進力のひとつとなりました。対外開放でも、79年から日本政府に円借款を要請し、80年には世界銀行、国際通貨基金にも加盟し、海外からの直接投資も積極的に受入れ、経済発展の推進力のひとつとなりました。98年6月現在で、約25万の外資系企業が存在し、5,500億ドルの資金を運用しています。78年から96年までの平均年間成長率は9.4%と、世界でも類を見ない高成長率を維持してきました。
97年9月に開催された中国共産党15回大会では、「中国の特色ある社会主義」の道を歩むことで、2010年に国民総生産を2000年の倍にするという宣言をしました。また、株式化を中心とし、赤字企業を淘汰することも含めた国有企業改革が打ち出されました。

アジア経済危機と中国の経済改革

しかし、その直後、返還後間もない香港で株価が暴落しました。香港株式市場に上場し、改革の資金を調達しようとしていた国有企業は大きな打撃を受けました。また東南アジア各国が経済危機で、対ドルのレートを切り下げて、相対的に輸出競争力が強まり、中国は輸出が伸び悩むという状況が続いています。
98年3月に開かれた第9回中国人民代表大会(国会にあたる)では、「一つの確保」として8%の成長率、3%以下の小売り物価上昇率、人民元レートの維持を宣言し、「三つの実現」として中央と地方の行政機構改革で中央省庁については現在の40省庁を29に削減し3年以内に公務員を半減させるという行政機構改革、中央銀行の管理・監督の強化と商業銀行の自主経営という金融体制改革、国有企業の赤字脱出と現代企業制度の「初歩的」確立という国有企業改革を約束し、「五つの改革」として食糧流通体制、投融資体制、住宅制度、医療制度、財政・税制を掲げました。なかでも「三つの実現」は、「改革・開放」20年の最大の難関であると言われています。

「三つの実現」に横たわる壁

しかし、これらの改革を実施する前提として、今年度は8%の成長率が確保されていなければならないと言われています。中国では成長率が1ポイント下がるごとに失業者が90万人ずつ増加すると予測されています。98年度上半期の成長率は7%にとどまりました。
行政機構改革は、リストラされる地方公務員の再配置が難しく、地方行政の抵抗もあります。また93年から実施されてきた行政機構改革の結果、結局全国で500万人もの公務員が増加してしまいました。
7月に発表された金融機関の不良債権は、3月末で87兆円にのぼり、貸し出し総額の11%を占めました。また企業間の返済不可能な債務連鎖である「三角債」も12兆円に達しています。不良債権はさらに増えていくと予想されています。それに伴い銀行の貸し渋りが拡大し、国有企業をはじめとする各企業は、ますます経営困難に陥っています。
国有企業の改革も、大きな壁に突き当たっています。現在、全国の国有企業は約30万社、4000万人の労働者を抱え、赤字国有企業には2000万人が勤めています。政府の進める国有企業改革には、今後1兆元の資金が必要となりますが、その調達は今後ますます困難になるでしょう。国有企業の改革とは、労働者のリストラを意味しています。現在都市部の失業者は570万人、レイオフは1000万人以上に達します。中国の李伯勇労働大臣は「国有企業従業員のレイオフは、昨年787万人。非国有を含めると1051万人。そのうち480万人が再就職先を見つけられない。今年はさらに350万人増える」と言っています。また今後3年間に製造業だけで800万人から1000万人がレイオフされます。最近、全国各地で養老金(国有企業労働者は、退職後も賃金の何割かが死ぬまで支給される)や一時帰休者に支払われる救済金が工場経営者や公務員によって使い込まれて、それが820億元に達しているという報告がありました。
これまであった労働者の権利がますます切り縮められていく中、労働者は抵抗を始めています。そしていま、中国の民主派は、ここに連帯しようと奮闘しています。経済危機が拡大する中、民主派はついに最強の同盟者を見出したのです。最近の労働者の決起や民主派の闘いは、収録されている「中国における人権弾圧の現状と労働者の闘い」や「立ち上がる中国の労働者」を参照していただくとして、ここでは6月25日からのクリントン大統領訪中以降の状況を紹介します。


弾圧に屈せず立ち上がる民主派

クリントン大統領の最初の訪問地、西安は異論派が集中している地区でもあり、クリントン大統領の訪中直前にも、500人のタクシー運転手が省政府を取り囲んだり(5月27日)、建設労働者200名が大通りに座り込んで抗議をしたり(6月3日)、クリントン大統領の訪問に伴う強制移動に対して露天商や障害者が街頭で示威活動を展開したりしていました(6月23日)。それに危機を感じた当局は、事前に現地の記者の馬暁明、異論派の顔均、李智英、楊海を拘束しました。
今年に設立された中国民主正義党の創始者の1人である陳増祥が5月末に拘束され、7月初めに正式に逮捕されました。彼は78年と89年の民主化運動に参加した人物です。
7月10日、浙江省で中国民主党の準備メンバー9人が逮捕されました。呉高與、王有才、王剣培、程凡、王東海、王強、祝正明、方笑凰、朱虞夫の9人です。王有才は、クリントンの訪中期間中、中国民主党浙江省準備委員会の設立を申請し、当局から警告を受けていました。
しかし、全国の民主主義を求める闘士たちは、この弾圧に黙ってはいませんでした。7月12日、全国の18人の異論派が、江沢民国家主席と朱鎔基首相に9人の釈放を求める書簡を提出したのを皮切りに、7月16日、全国19省の100名の異論派が、拘束されている人間の釈放を求めた公開書簡を、江沢民と朱鎔基に送りました。また公開書簡では、7月14日に外務省のスポークスマンである唐国強が「異論派の大多数が犯罪分子である」と語ったことに抗議し、中国外務省に法治概念を徹底するよう求めています。杭州では、異論派の毛慶祥と王栄清が、中国民主党メンバーの釈放を訴えるデモを当局に申請しました。海外では、アメリカに出国した魏京生や王丹、89年民主化運動の理論的支柱であった方励之、アメリカの中国人権センター代表の劉青などが、クリントン米大統領が中国に中国民主党メンバーの釈放を求めるように訴えました。王丹と王希哲は連名で緊急声明を、また中国民主団結聯盟と民主中国陣線も共同で抗議文を発表しています。8月7日には、杭州の民主派が、王有才らの釈放を求めるデモを申請しました。同日、杭州市公安局は、「国家政権の転覆を煽動した」として王有才を正式に逮捕しました。その6時間後、浙江省の民主派53人の連名で杭州市公安局に公開書簡を提出し、王有才らを釈放するように求めました。また、徐文立、林牧、楊梅らが中心となり全国91名の民主派の連名で書かれた「我々の抗議」という公開書簡を提出し、王有才ら中国民主党準備メンバーを釈放するように求めました。また徐文立は、王有才の裁判に全国の民主派が駆けつけるように呼びかけています。ちなみに王有才は、今年32歳で、89年民主化運動に北京大学の学生として参加し、天安門事件後に3年の刑に服していた人です。
中国民主党に関連して浙江の異論派で、天安門事件後に8年の刑を言い渡され、93年に釈放されていた毛国良が、7月17日に公安に拘束されました。
これとは別に、7月21日、広東の民主派活動家である範一平は、広州中級人民裁判所で開かれた公判で、96年に国外へ亡命した王希哲の逃亡を手助けしたとして、3年の禁固刑と1万元の罰金を言い渡されました。彼はこれを不服とし、10日以内に控訴することを宣言し、家族も「当局による民主化運動へのさらなる弾圧だ」と声明を出しました。王希哲は、範氏が捕まった本当の理由は、独立労組の結成を支持したからであると語っています。
湖南省では、7月22日に「一時帰休者の権利を保護する会」の設立を準備していた張善光が逮捕され、彼の釈放を求めた公開書簡を準備していた劉海、李英之、宋歌、金継武の4人の異論派も逮捕されました。前述の「我々の抗議」の中では、一刻も早く張善光らを釈放することを要求しています。
クリントン大統領の訪中が終了して3週間も経たないうちに、計21名もの異論派が中国当局によって不当に拘留されました。状況は非常に厳しいですが、民主を求める闘いが、決して冒頭で言ったような歴史の一エピソードではなく、激変する中国の社会体制の中で、工場から街頭に放り出された労働者たちの権利を防衛することに重点を置いたものに変化していることは確かです。


1998年6月4日−−−中国では

天安門事件は、中国では決して忘れ去られてはいません。虐殺が行われた六月四日には、浙江省安吉県の中心にある勝利橋の欄干に、赤ペンキで書かれた1文字が1メートル四方の「勿忘八九民運、平反六四」(89年民主化運動を忘れない、天安門事件の名誉回復を)というスローガンが登場しました。また、上海では公園で20名ほどの異論派が集まり、お茶を飲みながらサロン形式で、追悼集会を行いました。
労働者の闘争も各地で闘われています。武漢市では6月11日から、レイオフ労働者と退職した労働者による、大規模なデモが発生しており、16日には2000名が街頭に繰り出しました。同じ16日、四川省逐寧市のオートバイ工場の労働者200人が市役所入り口で、同工場が生活手当ての削減をしないよう行政が圧力をかけるように抗議を行いました。香港の「中国民主化運動情報センター」は、今年の上半期だけで1000件以上のレイオフ労働者による抗議活動が行われたと発表しています。この数は、今後ますます増加し、中国政府の弾圧とそれに対する闘いはこれまで以上に激しさを増すでしょう。ここで挙げた民主化、労働者の闘いは、ここ1ヶ月のことです。それ以前の情報は、本誌に集録されている各論文をご参照ください。

国際主義の再生に向けて

アジア連帯講座は、中国民衆の闘いが孤立することがないように、今後もできる限りの情報を集め発信していくとともに、香港の友人たちとの関係をさらに密にしていき、中国、香港、そして台湾を含めた地域の闘いに連帯していきます。香港返還を前後する私たちの取り組みは、「香港返還」という冊子にまとめられていますので、ご一読ください。
アジア全域を覆う経済危機と資本のグローバリゼーションに対峙する各国・地域の闘う労働者同士の団結した闘争こそが、危機から脱する方法です。経済危機はインドネシアのスハルト独裁を打ち倒しました。しかしその独裁体制を最後の最後まで支えてきた日本政府の責任はあいまいにされたまま、民主化を求めるインドネシア・東チモール民衆に干渉しようとしています。インドネシア発の民主化運動を、東南アジアから東アジア、そして日本へと、アジア全域に拡大させていく努力をしていかなければなりません。アジア連帯講座は、今後もアジア諸国・諸地域の民主化と労働者の闘いに連帯し、新自由主義を許さず、新ガイドライン安保と戦争のための有事法制に反対し、労働者の権利を打ち崩す労働基準法の改悪を阻止し、差別と抑圧のない社会を目指して闘い続けます。

アジア連帯講座




目次
中国民主化闘争の歴史とこれから
民主中国陣線日本分部・趙南さん


6・4天安門9周年忌集会

中国における人権弾圧の現状と労働者の闘い

中国共産党第15回大会が示したもの
加速する資本主義復活の過程


立ち上がる中国の労働者

附録 中国の私営経済

香港・返還後初の立法評議会選挙
先駆社の林致良さんが立候補


林致良立候補宣言

中国返還後初の香港立法評議会選挙の示したもの
先駆社・劉宇凡さんに聞く


香港反失業マーチ
敵の不在から敵の発見へ





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