スハルト独裁政権崩壊

次は何か−−−新自由主義との意識的対決に向けて

遠山裕樹

 五月二十一日、インドネシア民衆の闘いは、ついにスハルト大統領の辞任を勝ち取った。すでに学生・民衆は、スハルト残存体制解体とハビビ打倒、真に民衆のための政権樹立をめざして新たな闘いを開始している。
 スハルトは、最後の選択肢であった辞任を表明し、ハビビ副大統領を新大統領に就任させた。この日、国会占拠闘争を続けていた学生たちは、スハルト辞任勝利集会からハビビ退陣集会に変え、「スハルトの財産を没収し、裁判に引きずり出せ」「スハルト辞任は勝利だ。だが、スハルト側近のハビビ大統領なんか認めない」「政治改革は期待できない。民衆自身の手によって行っていこう」と次々に怒りを述べ、自由と民主主義を求めて闘い続けていく決意を打ち固めていった。
 また、「ジャカルタ・ポスト」は「ハビビ大統領は、旧体制の人物であり、権威主義や縁故主義、腐敗と無縁ではなく、最近までは改革を求める国民の要求に反対していた」(五月二十二日)とハビビ大統領就任の本質を暴露し、厳しい批判を行っている。
 生活防衛とスハルト打倒が結び付いて発展した民衆の闘いは、現在、暫定政権であるハビビ体制との新たな闘いの局面に入った。
 学生ネットワークをイニシアチブとする広範な反スハルト勢力は、二十日の「民族覚醒の日」をスハルト打倒の日として設定し、全国的な統一行動として実現していった。ジャカルタの大統領官邸前での百万人集会は、軍と治安部隊の厳戒体制によって中止せざるをえなかった。しかし、学生たちは結集場所を国会に設定し、全国から結集した学生や民衆約二万人による反スハルト集会を打ち抜き、ただちに国会占拠闘争に入った。また、ジョクジャカルタ、スラバヤ、ソロ、メダンなど全国各地においても大規模な集会とデモが行われた。
 スハルトは、十九日の演説で@改革評議会の設置A総選挙の実施B大統領再選はしないC内閣改造などを掲げ、「当面、改革を指導する」と必死で大統領辞任を拒否していた。だがスハルトを支えてきたハルモコ国会議長、閣僚、与党ゴルカル、イスラム教団体などの各界各層は、このような民衆の闘いの高揚の圧力に耐えられず「スハルト辞任要求」をしなければならない事態にまで追い込まれていった。もちろん各界各層のスハルト下ろし運動は、自らの政治的地位の危険性を察知した自己保身に貫かれたものであり、民衆の要求に対して一定の妥協と受け入れポーズを行うことによって闘争の引き潮を作りだすことをねらったものだ。
 側近や与党ゴルカルの辞任要求をやむなく飲まざるをえなかったスハルトは、リモートコントロールが可能なハビビ副大統領に二〇〇三年まで権限を引き継がせ、「院政」によって延命していくことを選択した。事実、二十三日に発足したハビビ新内閣は、開発統一党や民主党、イスラム関係者などから三人を入閣させたが、半数以上がスハルト前政権時の再任や閣内移動だった。サディラ・ムルット前官房長官は、「九〇%近くがスハルト氏の提案によって決まった」ことを明らかにしている。
 ハビビは、就任演説において、「汚職・腐敗・縁故主義をなくす」などと言っているが、これまでスハルトファミリービジネスに加担し続けてきた張本人だ。当然のごとくスハルトファミリーの五兆四千四百億円の財産と莫大な利権に対して具体的にメスを入れることさえ言及しなかった。そして、これまで自分がオーナーである企業の国産航空機製造に対して多額の国費を投入させ、私腹を肥してきたことを棚上げにしようとしているのだ。
 さらにハビビは、真っ先に「IMFとの間で合意した経済構造改革を履行する」と表明し、民衆に犠牲を強要するIMF構造改革プログラムを忠実に行っていくことを明らかにすることによって、凍結状態にあるIMF、米日などからの追加融資を早期に取り付けようとしている。ハビビ新政権の経済担当調整相にスハルト政権時にIMFとの交渉役だったギナンジャールが就任したのはその現れだ。ギナンジャールは、「経済再建には国際的信用が不可欠であり、IMFとの合意は守り、加速して行く」(五月二十三日)と述べ、民衆の生活が物価暴騰によって極度の困窮状態にあるにもかかわらずIMFや米国の新自由主義的要求に忠実に応えていく決意を明らかにした。
 米クリントン政権は、一月に表面化したIMFの構造調整政策へのスハルト政権の抵抗とサボタージュ、そして各地における民衆の物価暴動の頻発化という状況に早々とポスト・スハルトに向けて動き出していた。米国の狙いは、スハルトが民衆の闘いの高揚に対して武力弾圧を強行することによって、経済活動が停止し、危機と混乱がアジア規模で拡大することを回避するところにあった。
 五月に入るとアメリカはスハルト批判を強め、「スハルト大統領は広範な政治改革の必要性を認識するのが遅れていた。できるだけ早く政治改革についての対話を実現するよう求める」(国務省)と突き付け、二十一日にオルブライト国務長官が「退陣要求」を行った。
 クリントンはハビビ政権支持を表明しつつ、脱スハルト化と経済改革の断行を強制していくことを明らかにしている。だが、ハビビ政権は、かろうじて軍の支持を取り付けて内閣の体裁を繕っているにすぎない。そして早晩、経済改革と政治改革の行き詰まりによって内部対立を深め崩壊の危機に直面し、ポスト・スハルト体制は増々混迷を深めていくだろう。
 他方、スハルト体制を支えてきた軍は、新たな再編を迎えている。ハビビ新内閣に再任されたウィラント国軍司令官兼国防相は、以前から対立が表面化していたプラボウォ陸軍戦略予備司令官およびその系列を解任した。プラボウォはスハルトの続投を主張したが、実現せず、ハビビ内閣によって新たな態勢が作られていく流れに便乗して、ウィラントとの派閥抗争の挽回を狙おうとした。
 十八日の段階においてウィラントは、軍主導による反スハルト勢力も含めた「改革評議会」の設置を呼びかけ、スハルト体制の崩壊後に対する受け皿を明らかにしていた。そして、ウィラントは米国の脱スハルト化と強力な内閣作りという要求を受け入れながら、治安・情報関係などのポストに国軍出身者を入閣させるために動いていたのだ。現段階においてウィラントをトップとする軍は、ハビビ体制を支持しているが、ハビビ内閣崩壊後を見通して米国との連携を強めながら次の準備に入っている。
 民衆の闘いによって辞任に追い込まれたスハルトに対して橋本は、「ASEAN(東南アジア諸国連合)の指導者のひとりとして国際社会の平和と安定にも多大な貢献をなされたことに心からの敬意を表したい」(二十一日)などと、莫大な開発援助(ODA)や経済支援によって三十二年間もの長期にわたるスハルト独裁体制を支えてきたことを正当化する発言を行っている。さらに、橋本は「ひきつづき支援を惜しまない」と強調し、民衆に敵対するハビビ体制を支援していくことを表明した。
 橋本は、日本資本の防衛と軍事介入の既成事実作りのために自衛隊機と巡視船を派遣した。インドネシア外務省が「現段階では軍用機を派遣する必要がない」と判断しているにもかかわらず、橋本政府は、自衛隊法百条の八(邦人輸送)の「準備行為」にあたるなどと法的根拠もあいまいなまま航空自衛隊のC一三〇輸送機六機をシンガポールに派兵待機させ(十八日)、インドネシア軍事介入の機会をねらった。
 五月二十日には、自衛隊先遣隊が民間機でジャカルタに到着し、反政府活動の調査を含めた軍事偵察活動と日米共同軍事行動などの諸シュミレーションにもとづく軍事行動準備を行っているのだ。また、海上保安庁法の「関係省庁との協力」の一環などとデタラメな説明で海上保安庁の巡視船も派遣した。
 いずれもガイドライン安保の先取り的運用であり、米軍のインドネシア情勢をにらんだ周辺の軍事演習とセットで強行しているのだ。橋本政府によるハビビ体制支援と自衛隊機派兵に対して抗議し、新ガイドライン関連法案を阻止していかなければならない。
 五月二十二日の国会でのハビビ退陣集会には、市民が続々と駆け付け、参加者は十万人となった。二十三日、泊まり込みで占拠を続けていた学生たちは、治安部隊によって強制排除されてしまった。だが学生たちは、終始整然と対応しぬき、各地の拠点へと撤退していった。学生たちは、明日からの新たな闘いの準備に入ったのだ。インドネシア民衆の闘いに連帯し、民主化を支援する運動を作り出していこう。

「週刊かけはし」1536号より