アジア連帯講座 2001年上半期連続講座
6月30日(土)  韓国梅香里・米軍基地反対闘争と沖縄の闘い


都 裕史(と ゆさ) さん
米軍基地反対運動を通して沖縄と韓国民衆の連帯をめざす会

 



  6月30日、「韓国の反基地運動から―梅香里の抵抗はいま」と題して、アジア連帯講座が開かれた。今回の講座は、大阪から沖韓連帯ネットワークで活動する都裕史さんを招いて行われた。
 最初に、韓国の米軍基地について2000年7月に制作されたビデオを上映し、都さんに解説してもらった。ビデオの前半は、2000年5月に民家への誤爆事件の際、米軍の不真面目な事後対応に対する怒りがきっかけになって、梅香里の住民が積極的に反基地実力闘争が繰り広げる様子が描かれている。
 梅香里はソウル近郊にあって、朝鮮戦争後から米軍が好き勝手に使える海上、陸上射爆場として存在してきた。24時間、爆撃機が自由自在に飛びまわり、50年近くの間に爆撃を受けて原形をとどめぬまでに破壊された島は数知れない。また、非常な爆撃頻度のために鉛などの重金属による住民の被害は、金属加工に従事する労働者をも上回るという。世界中でこれほど民間人の居住地域と爆撃場が接近している例はないという事が画面から伝わってくる。
 カメラは「梅香里は韓国ではなくなった」として葬送の列を作り、韓国の住民登録証を返上する様子、集会に介入しようとする戦闘警察と住民との衝突の場面、射爆場占拠を試みる学生たちの様子、演習中を示す旗を破り捨てたチョン・マンギュさんが拘束される様子なども映し出す。
 解説の中で都さんは「戦闘警察の前線に立たされる若者には、徴兵義務に従う学生が多く、し烈な弾圧をしないと部隊に帰ってリンチを受けることになる。民衆、学友の間に憎悪感をかき立てようというのだ。だが、カンパをくれたり陰で支援をする戦闘警察も多い。私が韓国で一番の矛盾だと感じる点でもあるし、韓米政府のもっとも許せない点である」と語った。
 後半部はプエルトリコ・ビエケス島における米海軍の射爆場だ。1999年に誤爆(しかし米軍は誤爆をしたなどとは思っていないだろう)によって警備の仕事についていた地元民間人が死亡し、射爆場閉鎖を求める闘争が米本国にまで波及し、一時閉鎖されたが、2001年6月に入って、米軍は恥知らずにも模擬弾による射爆演習を再開した。
 そのビエケス島で劣化ウラン弾が公然と使用され、ガンによる死者が多いという現実。そして拘束された住民が収容される刑務所の前に、家族や友人が集まって手で合図を送ったりしながら身の上を気遣っている光景は、静けさに満ちながらも、民衆の無限大の絆をあらわしているようで印象に残った。
 最後に登場するのが、サミット時嘉手納基地包囲に湧く沖縄の様子だ。反サミット行動も含めて見覚えのあるアジア連帯講座の旗、仲間たちの顔がハングルのテロップに飾られて紹介される。このときにビデオの取材班が米軍から「嘉手納基地から梅香里に飛行する米軍機がいる」という言質を初めて取ったことは韓国の闘争に影響をもたらしたという。
 貴重なコメントを受けながらビデオの上映を終わって、都さんは、自身が在日朝鮮人であることを紹介しながら、差別・被差別の構造のなかで、どのように米軍基地被害が押し付けられているのか、基地被害を実感することのない東京周辺でどのような意識で反基地闘争を作ればよいかということに重点を置いて、梅香里をはじめとする米軍基地の現状について熱弁をふるった。(講演要旨別掲)
 質疑では徴兵拒否を貫くブンブン君のこと、ベトナム戦争時の韓国軍の加害のことなどを含めて、韓国での運動の状況、その主体について質問が集中した。最後に沖縄の反基地闘争についても、グローバルに展開してやまない日米軍事戦略を打破するために、民衆の側から作り出す国際連帯の必要性が強調された。
 講座を開催する前日には、沖縄の北谷での米軍人による女性への性暴力事件が報道され、その後も米軍が容疑者の身柄引渡しを渋ったために県民の反米軍感情は再び高揚している。同時に日本政府の官僚が名護市議に対して環境アセスを行う決議に反対するよう圧力をかけたことも明るみに出て基地建設に賛成する名護市民からも怒りをかっている。
 これに呼応して東京でも国会行動を軸にさまざまな抗議行動が展開されるので、アジア連帯講座として出来るだけの参加を呼びかける。沖縄、梅香里、ビエケスの民衆の怒りをわが身の満身の怒りとして表現し、日本政府にまずは『名護新基地建設断念』『米海兵隊完全撤退』を表明させるのはいましかない。(N)



 私は日本で生まれた在日朝鮮人です。幼いときは長崎の佐世保にいたこともあって、米軍基地に勤める父親が基地からハムなんかをもらって帰ってきたという記憶もあります。3歳から大阪に移って学生時代は朝鮮人の民族運動に関わっていた関係で、政治、軍事に偏った語学能力を持っています。
 95年に沖縄で米兵による、少女に対する性暴力事件が起きて、闘争が盛り上がりましたが、96年の8月に韓国で運動をする友人を沖縄へ連れていった事がきっかけで、正式には「米軍基地反対運動を通して沖縄と韓国の連帯を目指す会」というのを作り、在日朝鮮人の立場で活動しています。

 昨年、ようやく韓国を訪れることが出来たが、一番驚いたのはソウルの飲食店で、梅香里のニュースを見て怒った若者たちが、公然と「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫んでいたことです。反米、反日感情の強さは沖縄、韓国に共通するものですが、幾多の先輩、後輩が政治犯として投獄された経験を持つ身として、いままでのタブーが破られていることは、にわかには信じがたいことでした。
 だがその背景には、例えば、梨秦院において売春を生業とする女性が米兵に殺された事件で、「米軍は国土防衛に貢献している」という理由で米兵に対して情状酌量を認める判決が裁判所から出された、などという経緯に対する憤りがあると思います。

 駐韓米軍犯罪根絶本部で活動する女性たちは米兵による殺人事件などが起こると、その検死に立ち合うということも含めた活動をしています。基地周辺に暮らす女性のことを社会問題化するために、しつこく警察などに圧力をかけてきて今にいたっています。その中の金同心という女性は「本当に虐げられた人の生活の現場から基地問題を考えるべきだ。理屈を振りかざす平和運動だけでは問題が大きい」と言っているが、私も同感です。

 一方で、沖縄に行くようになって思うのは、世界中を戦争のたびに移動する海兵隊の若者にもまた、アメリカ国内の被差別者が多いということです。彼らはよく見るとあどけない顔をしているが、アメリカでは貧しくて疎外されています。そして、いったん軍に入ると星条旗を背負った英雄になるというアメリカの思想を表しているのです。

 米軍は日本、韓国などという国境を気にすることなく、戦争をし、訓練をできる軍隊です。日本をその枠組みにさらに組み込もうとしたのが、いわゆる新ガイドライン法制なわけですが、支配する側に国境線がないのに、沖縄、韓国をはじめとする支配される側の民衆、抑圧される人々が国境線を引かれたまま闘っていては勝ち目がない、と思うのです。

 日本政府は軍事貢献をするべきだという主張をよく聞きますが、現時点で米軍に世界で一番貢献している国は、と聞けば、それは100%日本です。ベトナム戦争以降、アメリカが世界を支配する上で独自に捻出できない資金を提供してくれる最大の国が日本なのです。そのためにアメリカは、沖縄の反基地感情に気遣って大統領にわざわざ謝罪させたりするのです。
 沖縄では、インフラを事実上管理しているのは米軍なので、県の担当者が点検するときはパスをもらって基地内に入るというようなことをいまだにやっています。日本政府はそういった権限を持つ米軍にカネをつぎ込むほかに、沖縄に対して、海の環境を損ねるリゾート投資、本土に利潤が還流する公共投資を行い、うがった見方をすれば公務員か基地労働かしか安定雇用がない沖縄の若者に対して、安室奈美恵に代表される芸能界ブームを政治的に作り上げてきました。

 韓国に話を戻すと、梅香里という場所は元々、朝鮮戦争時に北から逃れてきた人たちが暖かくていい所だといって住み着いた場所ですが、入ってきて爆撃演習をはじめたのです。なぜ、230世帯の住民がいる場所をわざわざ選んでこんなことをするのか。話は逆で、住民がいるからするのです。命令があれば明日にでも世界のどこへでも飛んでいって、赤ん坊でも妊娠した女性でも殺すという訓練を受ける彼らにとって、赤ん坊や妊娠した女性を見ながら爆弾を落とすという事が重要なのです。
 梅香里のほかにも主要な都市の中心を多くの米軍基地が占めています。日米地位協定より劣悪だと言われる韓米地位協定は66年に、米兵犯罪のあまりの多さへの対応、韓日国交正常化と韓国軍のベトナムへの参戦を促す目論見のためにやっと作られたものです。そしていまでも南北停戦の名のもとに駐韓米軍司令部が韓国軍を統制する現実が、韓国における米軍の影響力の大きさを物語っています。
 沖縄でも韓国でも、米軍に関する事件のない日は一日としてない。その現実に目を投じようとしないで「沖縄は基地が多くて大変だ」と言っては記念日闘争に参加したりして分かった気になっている。そこにこそ、東京などの都市部に住む人間の沖縄差別がある。

 2000年の7月に韓国では、米軍によるホルムアルデヒド不法投棄事件の告発とそれに対する米軍の隠ぺい工作、おざなりな謝罪が広範な国民の怒りを呼び起こし、それまで日本における沖縄と同じく韓国人の視野の外にあった梅香里が見える問題としてあらわれてきた。韓国、沖縄の住民にとって米軍基地とは、韓国の若者が「ヤンキーゴーホーム」と叫んだような存在です。直接見えない場所にいると論理的に考えがちですが、論理的に反発しているだけでは支配者は怖くない。現場に足を運ぶこと、論理より感情があふれる活動、ということを強調したいと思います。(講演要旨。文責アジア連帯講座)




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