セクシャルライツミニ学習会

反ポルノ運動と表現の自由をめぐって




 去る3月23日、アジア連帯講座によるセクシャルライツミニ学習会が行なわれた。テーマは反ポルノ運動と表現の自由について。
 3人の発表のうち、Y氏からは、1980年代以降の反ポルノ運動の展開の流れが紹介され、反ポルノ運動が右派とのブロック関係を持つことに対して是非があることについて『インパクション』84号(1994年1月)に掲載された市川恵理氏の論文など用いて説明された後、日本におけるポルノに対する諸見解が紹介され、フェミニズムの中にも国家による規制の是非、性表現とポルノ表現に対しての各論が紹介された。さらに、規制の容認・強化をテーゼとして取り上げている「北京行動綱領」への評価が提起され、その指針として「男にとってポルノは自己完結的であり論議する事にはためらいがある。これを突破するためにはメディアに対する批評を行っていく中で方向を見て行かなければならない」という意見が出された。
 S氏からは、男が反ポルノ運動を語らないのは「端的にいえば、(男たちのとっての)男らしさが「女とやったか」などであらわされて内面の問題を語るのが正しくないと思っている。」ことだという意見が出され、男たちは未だ男性側の性の権力性にメスを入れたことはなく、自分たちの内面にある性の権力性に対して自己点検を行わなくては、現在
行われている「セックスワーカーの人権」など、セイクシャルライツの問題を論議するにも限界があると、問題提起された。
 K氏からは、『女たちの21世紀』bP6号の伊田広行氏の論文をテキストに、性的人権の保護は、表現の自由よりの重要であるという大前提を元に、現在の性表現は「表現の自由」という言葉が意味をなさない貧困性の中にあって、男性による性的な差別秩序を助長させるために存在していることは間違いないとし、商品化されたポルノを温存している主体がなになのかについて、改めて分析を行う必要性を提起した。
 この後、討論が行われ、表現持つ暴力性の一面に対する問題、性表現自体が悪とする保守派の概念に変わるもの見つける必要性、ポルノ規制において保守派と共闘することの問題が語られた。
 参加者は少数であったが打ち解けた雰囲気の中で討論は行われ、様々な立場からこれまで各人が認識していなかった意見が交換され、この問題をさらに深く討議し「人の足を踏みながらも気がつかない状態」から少しでも早く脱していく多くの材料を得ることができた。会の後、参加者全員によって交流会が開かれ連帯を深めた後、それぞれの日常任務に戻っていった。
寒無木 翠(かんなぎ みどり)





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