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 代表・十文字修からのメッセージ (少し長いけど読んでください)

木質エネルギーって何? 〜私たちはなぜ木を燃やそうとするのか〜

 木を燃やしてエネルギー源とする。古来より薪、炭といった形で人間が慣れんできた木材のエネルギー利用が、今また蘇ろうとしている。ストーブで、ボイラーで、そして発電所で、木が燃やされはじめている。「森林バイオマス」「木質エネルギー」といった新しい呼び名をもって。私は、そこに大きな希望を見ている。同じ希望をいだく人びとが出会い、昨年11月、市民団体「神奈川森林エネルギー工房」を立ち上げた。

木を燃やすと・・・二酸化炭素排出が減る・・・?

 「木を燃やすなんて、自然破壊じゃないか。二酸化炭素だって出るし」という声がきこえる。現に身近な緑地が壊される無残な風景があちこちにある。熱帯雨林やカナダの森林の実状、そこでの日本企業の行いについての報道がある。焼き畑農業が二酸化炭素増加の原因のひとつという話もある・・・。
 私たちが木質エネルギーに注目する理由をわかってもらうためには、二つのことをあらためて整理する必要があるだろう。一つめは「森林に人が手を加えることの意味」、二つめは「二酸化炭素と森林の関係」である。

森林に人が手を加えることの意味

 一言に森林といっても多種多様だ。人間の関わりの濃淡によって、「原生林」「天然林」「薪炭林」「人工林」といった分け方が妥当なところだろう。人間の関与が少ない原生林や天然林にくらべ、薪炭林や人工林は薪や炭焼き、用材のため、伐採利用してきた森林である。例えば里山の雑木林は薪炭林、スギ、ヒノキ林は人工林だ。
 ながい薪炭林の育成、利用の歴史、戦後の拡大造林もあって、日本の森林の多くは前述の薪炭林、人工林で占められている。こうした、自然度の低い森林構成のあり方について、長期的な視点からの賛否の議論はあっていい。
 ただ、差し迫った深刻な問題として明らかなのは、薪炭林、人工林の荒廃だ。原因は、化石燃料と輸入材に押され、日本の森林の材が利用されなくなったことにある。薪炭林、例えばクヌギ・コナラなどは適正に伐採されてこそ、萌芽更新による再生力が保たれる。林への出入りや堆肥利用のため草刈りをすれば林床に陽射しが届き、植物の種類、それを食べる虫、鳥、けものといった生態系が豊かになる。また、伐られない人工林、例えばスギ・ヒノキが過密により根張りが貧相になり、山崩れを招くことが知られている。木材が利用されず、経済が成り立たなければ、手入れのための人員も十分には確保できない。
 日本の薪炭林・人工林の環境とそれを支える経済の再生、山村を再び人の暮らせる場所にするためには、そこで産出される木材の利用が活発になることが必要だ。私たちが、木質エネルギーに期待する理由の一方はそこにある。

二酸化炭素と森林の関係

 もう一方は、地球温暖化防止のため。大気への二酸化炭素の排出を抑え、減らす。それについて森林の役割は二つある。一つは「貯留」である。樹木は、光合成で吸収した炭素をストックしている。だから現状の森林はそのままにし、さらに植林により森林面積を可能なかぎり拡大し、その成長によって炭素を吸収させようというものだ。しかし「貯留」には限界がある。なぜなら、今後あらたに森林化できる土地は有限であり、一方、すでにある森林は老齢化するほど成長は鈍り、つまり炭素の吸収も鈍る。枯死、分解による炭素の放出が増える。
 もう一つの可能性が「代替」である。森林の伐採、燃焼は二酸化炭素を放出する。しかし伐った後、萌芽更新や植林でそこに森林が再生すれば、先に放出された分と同量の二酸化炭素が吸収される。プラス・マイナス、ゼロとなる。「木質エネルギーはカーボンニュートラル」、二酸化炭素を増やしも減らしもしない、と言われるゆえんである。
 反対に、地中深く眠っていた炭素を掘り出し、大気中に放出させるのが石油など化石燃料だ。寝た子を醒ますだけ、二酸化炭素を増やすだけの一方通行。ならば化石燃料の利用を減らすため、代わりに森林のエネルギー利用を導入しよう。それが「代替」というわけである。木質エネルギー利用が二酸化炭素抑制につながる主な理由は、ここにある。 

かつて行かなかった道を、こんどこそ                      

 木質エネルギーの先進地は、スウェーデンなど北欧である。1970年代の石油危機に際し、政府および自治体がエネルギーの安定確保を重要施策とした。以来、輸入重油など化石燃料を、自給、再生可能な木質エネルギーに順次、切り替えた。現在、スウェーデンは一次エネルギーの20%以上を木質エネルギーでまかなう。さらに、温暖化防止の有力策としての位置づけが加わり、EU、アメリカも急速に取り組みはじめている。
 スウェーデンにしろ、いきなり盛んになったわけではない。資源化は手のつけやすい林業廃材の利用からはじまった。利用の側も、既設の石油ボイラーの木質燃料用への改造、木質ペレット(木材を破砕、圧縮、加熱した固形燃料)や、それを燃やす家庭用ストーブの普及などにより、徐々に浸透していった。炭素税の導入という政策の支えも大きい。
 1980年頃、原油価格の上昇をうけ日本もスウェーデンと同様の気運にあった。木質エネルギー研究が盛んになり、現在2ヶ所の木質ペレット生産も、かつては全国30数ヶ所にのぼった。しかし原油価格の下落とともに総撤退。十数年前の資料を見るにつけ、そのとき行きかけてやめた道を、私たちは今度こそ辿りたいと願う。
 一昨年6月、政府の「地球温暖化対策推進要綱」に木質バイオマスエネルギーの導入推進が盛り込まれた。1999年11月には250名をこえる超党派の議員による「自然エネルギー議員連盟」も発足した。ソフトエネルギーに取り組んできた市民と、私のように里山にかかわってきた市民の合流による当会のごとく、“地球環境派”も“地域環境派”も手を携えて、このチャンス(ラストチャンス?)を、ぜひ生かしていきたい。

利用のルールづくりの必要性

 木質ペレット(木材を破砕・圧縮・加熱した固形燃料)は、生産地周辺では輸送コストがかからないため、現状でも灯油より価格面で有利だという。今後さらに生産から流通、消費にいたる仕組みが整えば、コストはさらに下がる可能性がある。炭素税の導入があれば、利用に一層拍車がかかる。
 しかし、木を燃やすことをすすめる一方で、というよりもっとすすめるためには、コスト面だけでなく、広く社会的合意を得ることが不可欠だ。つまり、利用のためのルールづくりである。
 木質エネルギー利用の基本は「森林の成長量をこえた利用をしない」ことにある。いわば、自然資源の利息のみを利用し、原資には手をつけないのが鉄則である。そこを踏まえないと森林の収奪、破壊になる。二酸化炭素の抑制にもならない。例えば、熱帯雨林材による安価な木質ペレットの大量生産、輸入などがあってはならない。そうした事態への警戒感はきわめてまっとうであり、それへの歯止めの提案なくして、木質エネルギーは広く社会的合意を得ることはできないだろう。
 例えば、その木質燃料が「生態系の保全に配慮し、特に森林の持続を位置づけた経営のもとに生産されたもの」であることの調査、認証などは、今後必要な仕組みである。私たちのようなNPOの役割も、一つはそこにあるに違いない。さらに生産のみでなく、流通から消費にいたるまで、地域社会や自然環境にあたえる影響全般を見まもる必要がある。コスト削減、炭素税などの政策とともに欠かせない第三の課題である。

突然、個人的な話と会のこと

 いずれ山村に移住し、木工ろくろをまわして暮らそうと思っている。そのための電気を「木質ガス発電」でまかなえないか、と考えたのが昨年春ごろ。「ソフトエネルギープロジェクト」(NPO法人)の佐藤一子さんに相談した。すると彼女も先日、木質エネルギーの専門家、島根大の小池浩一郎氏に会ったという。小池さんといえば、10年以上前、私のいた「まいおか水と緑の会」が水車を作った時アドバイスに来てもらい、その後も舞岡公園予定地での井戸掘り、田んぼづくりでご一緒した。早速、彼を講師に招いて木質エネルギーの勉強会をもった。思いがけない再会である。
 ソフトエネルギープロジェクトのメンバー、里山の資源利用の必要性を痛感していた人たち、「よこはまの森フォーラム」の事務局をしているアリスセンターがそこで出会い、「神奈川森林エネルギー工房」の発足となった。この名称への個人的思い入れを言えば、「木質」「エネルギー」という言葉のみ強調すると、森林を利用すべき資源として見るニュアンスに傾きがち。森林を愛する態度を基本とするためにも、「森林エネルギー」という言葉を工夫した。これは新語だと思っていたが、“炭焼き博士”岸本定吉氏の著書名にあることを後で知った。(『森林エネルギーとは何か』1981年)
 当会では、今後、月一回程度の勉強会、木質エネルギー利用をすすめるための各種事業をおこなうほか、都市の木質廃棄物の実態調査を実施している。ゴミとして処分される木材のエネルギー利用から着手して、森林活用まで進んだスウェーデンの例を念頭に置いている。

 当会ではスタッフ(当面、無償ボランティア)、および会員を募集しています。一緒にやりたい方、ぜひご連絡ください。