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「成田空港の暫定滑走路供用開始に賛成しない!」こと
について思ったこと

西村直子(地球的課題の実験村の村民・ワンパック野菜会員)

 生命ということ、あなたも私も存在しているということを思い、私は平行暫定滑走路供用開始を祝って賛成することができない。
 私は4月18日から21日まで、東峰(樋ヶさん宅階下の実験村研修生宿泊所)に行っていた。家に帰り、私は思ったことを話した。すると祖父は、国のためを思ったらそんな一部の人のために何を言っているんだ、国益を何だと思っているんだ、と言った。私は国益! と言うならば、暫定滑走路の供用開始は負の国益だと思った。
 今朝、朝食をつくろうと思ったら、私のにんじんがねずみにかじられていた。今日はねずみをつかまえてやる、ぶっ殺してやる、とは思わなかった。東峰に行っていて、いろいろな人の話を聞いたり飛行機の下に立っていたから、ねずみに復讐してやろうという気が起きなかったのだと思う。
 あのにんじんは、私のにんじんだったけれど、あなた(ねずみ)のにんじんでもあった。あのにんじんは、三里塚ワンパックのにんじんで、たくさんの人や生き物の営みを経て、ねずみの食事にもなり、私の朝食にもなった。
 実験村の花祭りの帰り道、小寒田〜辺田〜木の根を歩いた。とても素敵なところで切なかった。気持ちのいい空気と場所だった。うわぁ、いいなぁと思った。けれども、とっても悲しかった。何度か警察の青い車とすれ違った。
 実験村にであえてよかった。ワンパックのやさいを食べることができ、ニワトリさんたちとであえてうれしい。これからもよろしくおねがいします。
 私は、生き物らしいくらしが(あなたととも)したい。飛行機に乗らないような。合成洗剤を使わないような。電子レンジでチンしないような。コンクリートを増やさないような。原発を減らす(なくす)ような。毒のお世話にならないような。パソコンをあまり使わないような。電気をたくさん使わないような。大豆を食べるような。お金をたくさんかせがないような。落ちついた気持ちで。

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成田空港の暫定滑走路の供用開始に反対です
根本行雄(学習塾経営)

 わたしは近所の子どもたちに勉強を教えていますが、成田空港の歴史を説明することはとても難しい仕事です。
 1966年、地元住民の意見を全く聞くことなく、空港の建設が閣議決定されました。71年の強制代執行では千人を超える人々が負傷をしました。また、「東峰十字路事件」では警察官三名が死亡しました。78年に、滑走路一本で開港しました。86年、二期工事開始。91年からはシンポジウム、93年には円卓会議が行われました。政府は「ボタンの掛け違い」があったことを認め、今後は「強制的な手段を用いず、あくまでも話し合いにより空港問題を解決する」と約束をしました。しかし、またしても政府は地元住民と十分な話し合いをすることなく、暫定滑走路の建設を決め、工事を強行しました。そして、暫定滑走路の使用を開始しようとしています。
 こういう成田空港の歴史をただありのままに伝えればいいでしょうか。子どもたちはそれでは納得してくれません。
 日本国憲法の三大原則は基本的人権の尊重、国民主権、平和主義だと教えられ、現在の日本は民主主義の国だと教えられているからです。
 ところが、成田空港の歴史においては、率先して憲法を遵守すべき政府が何度も何度も憲法に違反しています。民主主義を守っていません。暴力はいけない、いじめはいけないと教えていながら、民主主義のルールに違反しているのは政府なのです。
 これでは言っていることとやっていることは違います。子どもたちは敏感です。大人のウソを容易に見抜いてしまいます。
 こういう政府の態度ややり口は、成田だけではありません。日本全国いたるところで起こっています。
 暫定滑走路は成田の住民だけの問題だと言えるかも知れませんが、我が国の民主主義のあり方の問題だと考えれば、対岸の火事だと手をこまねいて見ているだけというわけにはいきません。
 わたしは成田空港の暫定滑走路の供用開始に反対します。子どもたちに民主主義を守り育てていかなければいけないと教えているのですから。憲法12条にも、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と明記してありますから。

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新東京国際空港の新滑走路を使い始めるという決定の
撤回を求めます

花崎皋平(哲学者)

 昨年から今年にかけて世界的にひどい出来事が積み重なっています。アフガン報復戦争に続いて、いま、激化しているイスラエルのパレスチナへの軍事的制圧行動は、中東平和の全面的崩壊の危機をもたらしています。
 力、力、力、ブッシュもシャロンも力だけがものをいうという哲学を信奉しているように思えます。そして、この日本でも腕力の哲学が横行しています。
 この四月から新滑走路を使用し始めるという措置は、まさに力によって懸案をなかったものにしてしまう手口です。風聞によればTッカーのワールドカップで見物客がやってくるのに間に合わせるためだとか。金もうけや遊びのためとあれば、現場に住む農民市民の生存の権利や静穏な環境を享受する権利など蹴とばして顧みないやり口は、空港建設の当初となんにもかわらないではありませんか。空港用地の取り上げ方は間違いでしたの謝罪はどうした!、共生をうたった円卓会議とその後の閣議決定はどうした!、すべて反古にしてしまうそのやり口にはいうべき言葉を失います。
 頭上40メートルの上をかすめて、巨大なジェット機が一日中離発着するところに住むことになる人の暮らしを想像してみるだけで耐え難い気持になります。これは公序良俗に反する行為ではないでしょうか。空港の発着を多くすることを、現地住民の生存権の保障より上位に置くことが許されていいのでしょうか。このような道義に反し、権利を侵害する行為を住民に対して行う国、公団とはいったい何なのでしょうか。
 田中正造のあとについてこういいたいです。
「唯今日はこの政府が安閑として太平楽を唱えてからに、また日本はいつまでも太平無事でいるような心持をしているのである。これが心得が違うということだ。たいていな国家が自分が亡びるまでは、自分は知らないもの、(中略)人民を殺す、人民を殺すは自分の身体に刃を当てると同じことであるということを知らない、自分の大切なるところの人民を自分の手に掛けて殺すというにいたってはもう極度で、これで国が亡びたといわないで 、どうするものでございます」
 亡国の警鐘は私たちの足元で鳴っているのだと思います。いまの政府は亡びてもいいが、それぞれの地域に根ざした人民の生活、生産、文化を亡びてはならないものです。
 新滑走路の使用開始決定の撤回を要求し、現地で闘う方々に連帯します。

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限りない政府・空港公団のモラルハザード
林 廣治(ちば・市民ひろば)

 最近の新聞紙上では「モラルハザード(崩壊)」という言葉がよく出ている。雪印事件のように一つの小さなモラルなきゴマカシが次から次へと広がって最後には収拾がつかない大きな事態になる事が連続して起きている。
 今回の成田空港の暫定滑走路問題こそ最大の「モラルハザード」状況である。シンポジウム、円卓会議で政府・空港公団は今後の成田空港問題は農民住民との徹底した話し合いを行うモラルを確認したはずであった。
 ところが、この暫定滑走路の工事は東峰神社の立ち木の強行伐採など農民住民との話し合いを無視して進められている。今まで政府・公団が成田空港を建設する過程で行ってきた果てしなきモラルのなさを性懲りもなく繰り返している。成田空港は人としてのモラルなき空虚さを積み重ねて出来上がったものである。

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成田・暫定滑走路の「暫定」は、「臨時措置」を意味しないのか
―ワールドカップ対策より成田の大地と緑を守るとき―

筆宝康之(経済学者)

 1976年9月、成田の農家有志がワンパック野菜運動を開始した日から、25年になる。三里塚の農民が丹精込めて耕し、そこから有機農法と協同耕作と自主流通の運動は広がった。
 鎌田慧さんに誘われて、成田の無農薬野菜と黄味が締まった卵をたべて三人の子供も育ち、健やかに成人していった。わが家の自然食の歴史は成田農民が大地を守る歴史であった。
 ところが、この4月18日に暫定滑走路の供用が強行されようとしている。「暫定」とは「しばしの」という意味ではないようだ。長さこそ短いがれっきとした「第二滑走路」なのだ。となると、今後、その畑を作り、鶏を飼い、野菜を出荷してきた成田の農家には、頭上40メートルを離着陸するジェット機が午前六時から夜11時まで平均6分毎に、一帯を襲ってくることになる。6分毎の轟音と排気ガスが、おびえる鶏群や人びとと無農薬野菜のうえに降り注いでいくのだ。何ということか。それはいつまで続くのか。農民と支援する市民がこれまで25年もかけて築き上げたものはどうなるか。ここに私たちの最大の問題がある。
 一体、何のために暫定滑走路などいま使うのか。その必要性、公共性、緊急性はどこにあるのか。政府・公団・住民が公開シンポジウムと円卓会議で「児孫のために自由を律する」合意にこぎつけたのに、また各地に国際空港があるのに、なぜいま再びその成田に負担を集中させて、平時に波乱を起こすのか。その場合、「暫定」とは「一時しのぎ」ではなく、まだ本来の滑走路条件を充分みたしてはいないが、れっきとした法律上の滑走路と当局がみている点を誤解すべきでない。つまり、臨時使用の滑走路なのではない。政府も公団も第二期工事をまだあきらめていない。その意味は大きく、住民抵抗次第で、「暫定」は恒常化しかねない。
 このように、今回の政策判断には「暫定」の曖昧化と目的の矛盾と「成田」軽視がある。
 まず、さしあたりの供用目的は、サッカーのワールドカップ(W杯)対策だという。あのフーリガンが暴れまわるスポーツイベントの客寄せへの協力である。だが、W杯(5月28日〜6月30日)の安全対策となると、当局は57品目の持ち込みを厳禁とした。凶器・毒物・ピストルは当然として、発煙筒、照明器具、石油・ガソリンはすべて不可。大旗も不可で小旗のみ。酒・ビン・カン・ペットボトルも不可。大カバンも密封封筒も、花吹雪さえも持ち込み不可とはよほどの観客不信である。W杯期間中、日韓間を約11万人が往来するが、氏名と生年月日まで登録確認を要すとは入管以上に異常だ。それほどガンジガラメに警察管理されては、日本に来るまでもない、海外で自宅でテレビをみることだと、誰もが考える。それほどの外国人観客不信なら、「暫定滑走路使用規制」をする方がよほどスジがとおるが、「W杯後は使用しない」とも決して言わない。なしくずしに恒常化するのか、そこがおかしい。
 第二に、もし、不信観客の財布をアテにした暫定航空不況対策なら、成田の犠牲は、日本の航空運輸史上恥ずべき汚点と軽蔑される。この点は、政府と航空各社の問題にもなる。
 第三に、「暫定だが存続使用もある」のなら、「暫定だから成田」となる根拠はない。暫定の羽田使用枠(KAL他)は大幅未充足。最低私が訴えたいのは、問題ある成田にだけこれ以上負担をかけず、各社の空港使用申請を他の大空港に分散するよう、当局は強力に行政指導すべきだ、という点である。会場は、横浜・新潟・仙台等。客減り中の関西空港なら海上立地だ。
 660兆円以上の赤字。「小さな政府」に国をあげて「構造改革」にとりくむ、この定常型経済の時代は、スポーツイベントに便乗したり、住民・市民抵抗が激しい「暫定臨時増収」航空を助成する時代ではない。政府と公団と航空各社は、基本的必要条件=「適切・安全・確実・信頼性」ある、「児孫に恥じない」賢明な日本航空行政と空港運用に専念してもらいたい。
 イベント行事の尻押しや便乗に流されず、フーリガン対策だけにのめり込まず、もし安全にことを運ぶなら、まず成田の大地と農民・市民消費者の生命と緑、安全環境を守るのが、「緊急の公共の必要性」というべきではないか。観客も、官民も痛みを分かつときである。
 今からでもおそくない。第二滑走路の供用即時停止を航空当局に心から切望したい。

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地球の姿に、涙を流さずにはいられない
平田理沙(愛玩動物管理士一級)

 隔週土曜日に届けられるワンパック野菜の出迎えは、ペットのフェレット達(イタチ科)が担当している。受取のサインをする間もなく、まずはダンボール箱の指穴に鼻を突っ込み、葉っぱを何枚か引っ張り出して、味見をする。
 箱の開封と同時に、今度はガサガサと中に潜り込む。ピンクの鼻っ柱に土をくっつけて、得意げに捕獲物を齧っている。春は小松菜のトウ、夏はピーマン、秋からは小カブの葉っぱ……など、まったく、私たちよりもはるかに、季節毎の美味しい野菜をよく知っている。
 ワンパックの仲間に入れていただいたきっかけは、空港問題や東峰部落の問題とは異なる経緯による。単純な「食欲」。大切な動物たちの健康のため。野菜に染み込んだ農薬や化学肥料は、人間のみならず、ペットの健康にも長期的な弊害を及ぼす。皮をむかないで、土から齧れる野菜、生命力に溢れた完全無農薬の野菜を求めて、さまざまな文献や雑誌を探し、ワンパック野菜と出会う機会を得た。
 実際に、「美味しくて安心な野菜」のホンモノ度を見極めるため、畑を見学させていただき、野菜と生産者の顔を見比べ、土の上を歩いてみたが、土地の持つ、良い「場」がいつまでも心地よい印象として残っている。青い空をバックに、畑に浮かぶモンシロチョウたちの優雅な舞は、映画さながらの風景であった。
 無農薬野菜を齧るようになってから、野菜果物による慢性的な下痢を繰り返していたメスのお腹が崩れなくなった。三里塚の野菜や土壌に多く含まれているカルシウムとミネラルを、自然のまま体内に取り入れたために、腸内細菌が安定したようである。フェレットという動物は肉食動物のため、野菜摂取に関する専門的な記述は少ないが、野草にも近いこの健康野菜を本能的に取り入れて、自分たちの自然治癒力を発動させているのだと思われる。
 もちろん、この生きた野菜は草食動物の病気予防にも欠かせない。ハムスターから爬虫類まで、小さな命への大きなサポートは、どんなに高価なフードでも補うことができない。
 今、空港問題により、世代を越えて心を込めて作り上げた土地と空と風が、変わりつつある。野菜だけではない。野鳥、虫たち、鶏たちも、安心して生活できるための場を追われている。
「一所懸命」とは一つ所で命を懸けて、何かを作りつづける人間の生き様と考える。お百姓さんたちが懸命に作ってきた野菜は、体を支え、また、タネとなって次の命を育む。
 正身端座で築き上げてきた生命の源は、『一所』、大地と空と風の三位一体の中にある。人間の利権や利便性が、生きとし生けるものたちの生活に立ち入る行為は、宇宙の法則に・った良心に叶うとは思われない。
 烏合の衆ではない、独りの人間として、地球に生きる命を脅かすために進化してゆく地球の姿に、涙を流さずにはいられない。
 生活の場を奪われてゆく多くの動物たちと、共存共栄を実行してきた人々が暮らす大地への感謝をこめて。

一皮むけばこういうことか
藤井正道(鍼灸師)

 強制代執行のかわりに飛行機を真上に飛ばして追い出しをはかる。乱暴このうえないやり方だ。最近は行政の方で住民参加をさかんに言い出しているが、一皮むけばこういうことか。暫定滑走路に反対します。

私たちの原風景
藤川泰志(調布市・八百屋)

 高木仁三郎さんが話してくれたことで忘れられないことがある。三里塚の山と谷津田が入りくんだ緑の風景が自分の原風景だ。それが壊されていくのを見ると身を切られるような思いがする。この高木さんのことばに心底から同感する人は多いと思う。自分も成田にでかけるとき、車窓に小高い丘と田んぼが入り組んだ北総台地の里山の風景が見えてくると、いまでもやるせない思いに沈んでしまう。
 そこで生まれ育ったかつての仲間たち、仕事仲間でもあった農民たちの中にはすでに新しい生き方を選んでいる人も多い。「外の人間に原風景だといわれても、ここでいちばん苦しんだのは自分たちだ」といわれるのかもしれない。しかし私にしても、もう三〇年近くこの風景にかかわってきた歴史が積み重なってしまっている。この思いをいまさらどうすることもできない。
 東峰はその体験の中でも出発点といえる。運動へのデビュー、有機農業との出会い。というより自分が選んできた今の生きかたそのものの出発点なのではないか。初めて畑に立って人参の間引きをして、石井家で風呂に入れてもらって紀子さんが作ったカレーをごちそうになった。味噌汁のようなカレーだったことまで覚えている。
 この東峰の地が滑走路隣接の飛行直下となったとき、やるせない思いはさらに増幅されていくしかないだろう。さまざまな立場の違いがある。しかしこのやるせない思いは共有できるのではないか。私たちの小さな力でできることは少ないのかもしれないが、この思いを増幅させてつなげていきたい。

成田暫定滑走路供用の強行にあたり
藤原 信(森林学者)

 いま私は、全国各地でのダムに反対する運動を支援しています。
 ダム建設に反対する理由はたくさんあります。ムダな公共事業であるとか、自然環境が破壊されるとか。しかし、ダム建設によって立ち退きを余儀なくさせられている水没予定地の人たちの思いは、そんな原則的なことではありません。
 生まれた家で死を迎えたい、物心ついたときから慣れ親しんできた山や川から離れがたい、生まれ育った”ふるさと”に対する愛着であり、親から受け継ぎ子供たちに伝えようと思っていた家屋敷を失うことの悲しさだと思います。
 一方的な通告により、多くの人たちが権力に負け、納得できないままに補償金をもらって”ふるさと”を離れる中にあって、なんとしても家や土地を守りたい、理不尽な権力に負けてむざむざ追い出されてたまるか、との思いで立ち退きを拒否している少数者を、単なる地域エゴと片づけられるものではありません。必要でもない事業を、公共の名の下に押し進める権力に対し、私たちは力を合わせて抵抗していかなくてはならないと思います。
"成田"もまったく同じ構図です。
 11年前には円卓会議がもたれ、「空港問題シンポジウム」で国はこれまでの強権的な手法を反省し謝罪したのではないですか。
 しかし、その舌の根も乾かない6年前には2500メートルの滑走路の完成を国際公約とし、今年開催されるW杯サッカーに間に合わせるためとの名目で2180メートルの暫定平行滑走路の工事を始め、4月18日から供用を開始するとのことです。 飛行の支障になるという理由で、一方的に、神社の木を伐採し、居座る農家のすぐ真上を飛行機が飛び、発着の真下の騒音値は100デシベルを超えるとのことです。 騒音による健康被害が想定されていますが、何が何でも追い出そうという国の無法さは、機動隊を使っての暴力的な排除とまったく変わっていません。
 このような非人道的なことが国ならば許されるのでしょうか。
 昨年私たちが「千葉を変えよう」として擁立した堂本暁子知事は、当選するや、あろうことか「四者協議会」を作り上げて、遮二無二農民を押しつぶそうとしています。これは沼田武前知事もなし得なかった許し難い非行です(不明をお詫びします)。 私は、三里塚で頑張っている人たちと連帯して、このような国家権力とそのお先棒を担ぐ千葉県に対して、徹底的に戦っていきたいと思います。

野菜のむこうに顔が見える
蒔田直子(ワンパック野菜会員・京都在住)

 今夜の夕食は里芋の煮物、大根と人参の皮を豚肉でいためたきんぴら、キャベツのスープ。昨年から、東本願寺のTさんの紹介で始めた「三里塚ワンパック」が届く土曜日を中心に我が家の食卓が回り始めた。「三里塚で今農業してる人たちの状況は、口で説明できないほどきびしくて……」Tさんがぼそぼそ言った時、私がとらわれたのは苦い罪悪感のようなもの。今、三里塚がどうなっているのか、ずいぶん長いこと知ろうともしなかったから。そんな気持ちで野菜の消費者になるのはどんなものかと迷いながらも,お願いすることにした。
 20代の初めに二回だけ三里塚へ行ったことがある。木の根部落に泊めていただき、かぶったことがなかったヘルメットをつけて、緊張と興奮で顔を紅潮させて現地集会に出た。20数年も前のできごとである。いったい何万人の若者があの地へ行き、私のように忘れていったのだろう。
 初めてワンパックが届いた日、ダンボールを開けた瞬間に香った土の匂い、見事なサツマイモの甘さが口の中にひろがった時、26年前に土間でごちそうになったふかし芋の味と、それをほおばっていた友人たちの顔が記憶の底から立ちのぼった。どの野菜も滋味、時間がたっても水に放つと採りたてのみずみずしさで、昨年の九・一一以降の目の回るような毎日に疲れ果てた体を支えてくれた。子どもたちと私の食意地は、最初感じた申し訳なさを吹き飛ばしてしまい、野菜は幸福な夕ご飯の主役になった。
 ワンパックに入っているお便りで、東峰神社の木々が伐採されたのを知った時、人間と木々に対する暴力に怒りでカラダが震えた。ワンパックの野菜を食べていなければ、関西の地でこのことを知るよしもなかったのだ。権力が「立ち退き」を迫る時、心が宿る場所を破壊していく。
 阪神大震災の後、被災地のテント村や避難所でひとりひとりがばらばらにされ、その人のたいせつなものを根こそぎにされて、はるかかなたの仮設住宅に追いたてられていった。「支援者」として何年かその場に立ち合いながら,小さなテント村で知り合った人々の間で右往左往することのほかは、ほんとうに無力だった。こんなひどいことが起きているのに、なぜ黙殺されるのか、なぜあっという間に忘れるの? と、何度も問うた。私もたくさんのことを忘れてきたというのに。
 今年の二月、野菜の作り手である石井紀子さんが京都に来てくださり、ゆっくりお話する機会に恵まれた。紀子さんはこの二〇年以上を、あのおいしい野菜の胎になる土を耕し、工夫の限りを尽くして働いてこられた。今日一日を紡ぎ出してあの場所を生きてきた。今は、いよいよ野菜に付いている土がいとおしい。顔が見え、手が見え、作っていただいたものを食べている。自分の場所を生きて、手をつなぎあいたい。紀子さんの今日一日の仕事に想いは飛んでいく。

安全な野菜は一朝一夕にできることではありません
三上三千代(ワンパック野菜会員)

 石井さんのおいしい野菜と卵を毎週楽しみにしている私たちにとっても、今回の暫定滑走路建設は人ごとではありません。「ワンパック野菜」の存亡の危機です。
 より良い農業を目指している人々、より良いものを子供達に食べさせようと運動してきた人々を国がつぶすというのは本当に暴挙です。本来なら率先して安全な食べ物を国が作っていかなければならないのに、それを怠り、さらに悪いことにそれを無視しつぶそうとしている。絶対に許せないことです。
 50年、100年先のビジョンを持たず、いつも行き当たりばったりのポリシーなきやり方で国を動かしている政治家・官僚には本当に腹が立ちます。
 安全な野菜を作るということは一朝一夕にできることではありません。何十年も苦労して、やっといい土ができるのですから……。頑張ってこられた石井さんを初めとする農家の方々にこれから苛酷な日常が待っていると思うと怒りを押さえることができません。
 いいものを作ろうと努力している人がむくわれない世の中は絶対間違っています。
 みんなで滑走路建設に反対しよう!

暫定滑走路供用中止を訴える
水原博子(日本消費者連盟)

 成田空港は、成田市三里塚と芝山町北部地区の広大な農地を、地元の人々から無断で奪って建設されました。三六年前、国は住民に知らせる事なく閣議決定によって新空港の建設地を決めたために、三里塚と芝山町では空港反対同盟が組織され、農民が反対に立ち上がりました。全国に反対運動は拡がり、国と農民・反対する人びとの対決は、双方に犠牲者を出す事態となりました。その後、運輸省(当時)は「強制的手段を用いず、あくまで話し合いにより空港問題を解決する」と、反対派の人々と約束したにもかかわらず、4月18日に供用が行われるという暫定滑走路は、またしても地元の農家の存在を全く無視した形で建設されたものです。
 サッカーワールドカップの5月開催に間に合わせるための暫定滑走路というのですが、この期間に空の便を利用してサッカーを楽しむ人びとのために、滑走路の南端に住む人びとや鶏や、有機農業の野菜などは、生存を脅かされるのです。
 私たちの暮らしは、スポーツや旅行、娯楽を楽しみ、余暇を海外で過ごすことができるところまできたのですが、暮らしは、昔から言われる通り衣食住を基盤とすることを変えることはできません。
 食は生命の根源ですが、いま、安全な食べ物の供給にさまざまな問題が生じています。三里塚の農地は、戦後のきびしい開拓の歴史の上に、うつくしい農村地帯となってひろがり、多くの農産物を私たちに提供し続けてきたところです。いま有機農業の安全な生産物は、狂牛病問題や表示の改ざんで店頭の食べものを信用できなくなった消費者が求めているもので、有機の肥えた健康な土は私たちの共有財産ともいえるものです。
 広大な農地が成田空港のコンクリートで固められてしまったのですが、残された土地がまたも暫定滑走路のために迷路のように仕切られた壁に囲まれ、頭上わずか40メートルをジェット機が飛びかう状況に置かれています。サッカーを楽しむために人びとは空を往来するのですが、その直下で有機農産物をつくる農家の人びとは、ジェット機の排気ガスによって、畑の作物や飼っている鶏が汚染されることや、轟音の下で鶏が生き延びることができるかどうかを心配しています。私は貴重な農地の存在を全く考慮しない国の空港運輸政策に怒るとともに、成田を飛び立ち、成田に降り立つ人びとが、眼下に見える農民や生き物たちのことを思い起こして、野菜やコメや麦などを育む畑や、農を営む人びとの住居がそこにあることを、しっかりと見てほしいと思っています。自らの行為が環境や他者に与える影響を自責することが世界の消費者の責任としてあげられています。
 私は一消費者として成田の暫定滑走路の供用の中止を訴えます。