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空港の中に家が建っている
石原道知・正枝
(東京都練馬区在住・くらしをつくる会・ワンパック野菜会員)

 人の住んでいる家のすぐ上を旅客機が離発着するという異常な成田空港暫定滑走路を見てきました。施設はほぼ完成しているようすで、巨大な飛行機を誘導する進入灯が、家のすぐ脇に立ち並んでいました。
 印象は、空港が「民家と隣り合わせ」というような生易しいものではなく、「空港の中に家が建っている」というものです。滑走路の一部である設備の進入灯と民家の距離が数メートルしかない。もし飛行機が離着陸に失敗して、滑走路をオーバーしてしまったら、最悪な事態が頭をよぎり、とても恐ろしいです。
 このような空港がこの世に存在していること自体が信じられません。
 これを作った人たちは、計画者から作業者、関係者まで、とても人として心をもったものではないように思えます。とても醜いものができてしまった。
 物作りを仕事にしている人間として、このような醜悪なものを恥ずかしげもなく作ってしまう日本という国、しかも海外からの玄関として使おうというこの国をとても恥ずかしいと感じます。

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島村さんたちの隣人として
弥永健一(数学者)

 毎朝のタマゴ一個が私にとって活力の素になってもう30年。島村さんの鶏舎で慣れない私をそれとなく助けながら一緒にタマゴを集めていた良助さんのことを今思い出す。彼の葬式の日、鶏舎の屋根を叩きつけるような豪雨が上がって見事な虹が広い空を飾っていた。遠くの滑走路にジェットが小さく見えていた。茂みの中にある良助さんたちの小さい墓場から今では暫定滑走路が近くなった。
 夏のイベントに集まって穫れたての野菜や鶏肉の鉄板焼きを囲むひとびとの傍らで、草原を駆け回って虫たちを追う子供たち。その草原に今はよそよそしいフェンスが所狭しと並ぶ。飛行機が低く飛ぶときは身体ごと震えるようだと聞いた。4月からは日々ジェットも飛ぶ。かってない試練がこの地に住む子供たち、女と男、トリたちや緑のものを襲う。
 共生、話し合いといった言葉が、ここ三里塚では無残に汚れてしまった。共生とは、立場や生き方の違うもの同志が互いを尊重しあって、それぞれの役割を分担しながら生かし合うことであろう。ところが三里塚では、話し合いというと空港用地に住むものの立ち退きを前提とするものでしかなかった。大地から緑を剥ぎ取りここに住むトリたちや虫たちから住みかを奪い風をジェットの金切り声と排気ガスで毒する空港。空港工事の際に回る金に依存し滑走路完成を願うひとびとは、土や水、生命たちと引き換えに増殖し続ける空港に寄生することになる。自分たちが生きる大地から舞い上がってしまったひとびとが、この空港から世界にでかけて資源を奪い、生命を損ね、腐敗と強権政治を生む。空港が落ち目になればたちまちこの町も寂れるだろう。
 成田空港との共生はあり得ない。私にとってこの空港は侵略者で在り続ける。空港よりも土と生きることを選んできた島村さんたちとこれからも隣人で在り続けたい。

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強制がいかに高くつくかの教訓
岩見千丈(医師)

 成田空港は、たとえ暫定でも新しい滑走路を作ってはいけない。強制がいかに高くつくかの教訓として成田空港は一切拡張するべきではないと思います。

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土のやさしさ
上島聖好(論楽社)

 ワンパック野菜のやさいさんたち、とびきりうまい。
 土のやさしさそのものの味。
 私は土に還るのだ。土が大きな母だから。
 口が教えてくれたこと。

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二十年先を想像して……どうしても暫定滑走路に反対である
上野 香(地球的課題の実験村第二期研修生)

 昨年6月木々が切られた後の東峰神社を歩いた。寒々とした景色のなか、切りかけてそのままになっている榊の枝だけが目に入った。機動隊で囲んでの大がかりな伐採が強行されたのに切られなかった榊の木。それは畏れからだろうか良心からだろうか。「良心」だとしたらなんと悪質な「良心」だろうか。
 私は二十年先を想像する。実験村の夕立の森に雨の気配はあるだろうか。麦・大豆トラストの畑は一町歩位になってるだろうか。田んぼや畑が誰の身近かにもあるだろうか。土に直に触れることは可能だろうか。海外旅行する人は増えてるだろうか。砂漠化はどこまで止められているだろうか。それぞれの国でどれだけの方言が残っているだろうか。日本政府は借金を返し終えているだろうか。私は畑や田んぼのことを少し分かってきただろうか。それともアトピー性皮フ炎が悪化して生活もままならないだろうか。市民科学者は大勢育っているのだろうか。生命技術がさらに「研究」されているのだろうか。原発・火力発電所はとまっているだろうか。二十年先の東峰部落は……。
 たかが二十年先のことなのに想像するのがむつかしい。むつかしいけれども想像すると、私はどうしても暫定滑走路の供用に反対である。

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歴史の歯車の逆回転のなかで
大野和興(農業ジャーナリスト、地球的課題の実験村代表)

 歴史の歯車が猛烈な勢いで逆回転しはじめた、と最近痛切に感じている。戦後60年近く、曲がりなりに食い止めてきた国家直轄の武装集団の海外派遣を、私たちはやすやすと許してしまった。有事法制化、憲法改訂はすぐ目の前に迫っている。人のくらしのすぐ上40メートルを、轟音と油と排気ガスを縦横に撒き散らして、数分おきにジェット機が行き交う暫定滑走路の建設も、そうした流れの中で強行されたものだ。
 このメーッセージ運動の呼びかけ人のお一人、森林学者の藤原信さんからメールをいただいた。千葉県堂本暁子県政が土地収用委員会を再発足させようしているという情報だった。ゴルフ場・リゾート開発反対運動で名をはせ、いま各地のダム開発反対運動の先頭にたつ藤原さんは、土地収用法改悪の怖さを骨身で感じている。暫定の次は2500メ―トル滑走路強行だということを言外に警告してくれているのだと思った。ここでも歴史の歯車があからさまに逆回転しはじめているのである。
 今日、平和を願うパレスチナとイスラエルの女たちを囲む集いが東京であり、出かけた。イスラエルにもアメリカにも、パレスチナ自治政府にも、パレスチナの人々の悲しみ、苦しみを解決し、暴力が暴力を生む絶望の連鎖を断ち切る力はない、第三の道を探そうと女たちは訴えた。それを受けていま沖縄に住み、日本の反戦平和の運動を先頭にたっているダグラス・ラミスさんが、第三の道とは人々の具体的な動き、ピープルズパワーが作り出すものだ、と提起した。
 この議論に参加しながら、いま私たちは三里塚で何ができるのだろうかと考えていた。率直に言って暫定滑走路開港を止める力は私たちにはない。だが、空港を人々の力で包囲することはできる。包囲の仕方にはいろいろある。巨大国際空港という存在がもつ便利さとか能率のよさとか経済的な豊かさといった、いまの世の中の主流の価値観とは異なる価値観、思想で空港を取り囲む、そんな包囲網もある。思想は具体的実践で裏打ちされてはじめて力をもちうる。三里塚の地に豊かな土や水や大気をよみがえらせ、不便さや能率の悪さや金のないことを苦にしない心やくらし方を皆で作っていく、そして同じような意思を持つ人々と地域や国境を越えてつながっていく。そこにつながる人々の力はやがて空港という存在を覆いつくしてしまうはずだ。
 そんな動きをこつこつと積み上げてゆくことが、三里塚の第三の道、もう一つのたたかいなのだろうと考えている。

この国にこれ以上の空港はいらない
(愛知万博と中部空港反対運動からの報告)

大沼淳一(万博やめよう愛知県民会議・自治体労働者)

 成田空港の暫定滑走路だけでなく、神戸空港、関西空港二期工事、静岡空港など、これでもかこれでもかと空港の新設、拡張工事は目白押しである。日本有数の内湾である伊勢湾を埋め立てて中部国際空港(中空)の造成工事も急ピッチで進んでいる。2005年に愛知で計画されている万博の開催日に間に合わせるための突貫工事である。大型海上空港は、木曽三川の恵みを受ける最も豊かな漁場を抹殺しつつ徐々にその輪郭を現しつつある。
 しかし、どう考えてみてもこの空港が採算ベースに乗るとは思われない。なにしろ関空でさえ利子も返せない状態にあるし、エールフランスや英国航空の撤退など現名古屋空港へ乗り入れる航空会社がどんどん減っているという情況がある。しかも、上海、仁川、香港など極東地域のハブ空港は供給過剰状態にある。そもそも七年前に500億円もかけて建設した名古屋空港国際線ターミナルビルは、がらがらで余裕がある。この現状からすれば中空は確実に新たなる不良債権となる。
 日本列島にはすでに新幹線と高速道路が網の目のように建設されている。そのうちバブル期以後に建設されたものは採算ラインを大きく下回って、公的債務残高を異常に肥大化させている。この上さらに航空路線ネットワークを細かいものにする必要などどこにもない。
 この中空と第二東名名神高速道路などの巨大公共事業の起爆剤として愛知万博招致が計画された。ソウルでオリンピックが開催された1988年のことである。

 愛知万博反対運動の経過
 提案以来、愛知万博は実にさまざまな紆余曲折を経てきた。オリンピック招致でソウルに敗れて以来、名古屋政財界の「悲願」となっていた世界的巨大イヴェントである。オリンピックと万博でインフラ整備を果たした東京、大阪にならっての三匹目のドジョウすくいである。しかし本音のところでは、インフラ整備よりも政財界人たちの土地投機に最大の目的があったようである。すなわち、海上の森周辺に土地の先行取得をしておいて、県有林の多い海上の森で巨大イヴェントをうち、関連道路や鉄道などのインフラ整備をはかれば土地の価値は何十倍、何百倍になるという筋書きである。だからこそ万博開催候補地についての鈴木前知事の鶴の一声は海上の森だったのである。
 新住宅市街地開発計画(すでに桃花台ニュータウンで失敗している時代遅れの法律を使って)で海上の森を開発し、土地造成費をタダにして万博をやろうという目論見は見事に失敗した。決定打となったのは99年11月来日BIE(国際博覧会事務局:本部はパリ)視察団からの「新住計画は二〇世紀型開発至上主義だ」の批判であった。しかし、若いお母さんたちによる「ものみ山自然観察会」などの市民運動が発掘した「里山としての海上の森の価値」が逆転劇を生んだ本当の理由である。
 それまで見向きもされずにどんどん破壊されてきた「ごくあたりまえの自然」の価値に市民権を与えた海上の森を守る運動は、日本自然保護運動史にさんぜんと輝く金字塔である。日本自然保護協会などの自然保護団体を動かしたのも海上の森の運動であったし、今では愛知県や環境庁が里山の研究や保全に殺到している。そして、万博のテーマが「技術・文化・交流」から「自然の叡智」へと書き換えられ、メーン会場は青少年公園へとシフトし、市民合意がないままに2000年12月にBIEへの正式登録が行われた。
 この間、二度にわたる県民投票条例制定請求署名運動が規定数を超える署名を集めたが、オール与党体制の県議会は十分な討議もないままで否決した。県知事選挙では万博中止を訴えた影山健さんが80万余票を集めて肉迫したが及ばなかった。
 万博推進派にとって、テーマの変更は悩みの種となった。巨大開発のホンネをそのままにしてタテマエのテーマだけを環境にしてしまったがゆえの乖離の苦しみである。このままでは失敗するというあせりからであろうか、豊田章一郎博覧会協会会長がつれてきた堺屋太一最高顧問によるアミューズメント型万博への転換策は市民の強い批判を浴びて、わずか三ヶ月の退陣劇(2001年6月)へとつながった。
 続いて登場した木村尚三郎氏ら70歳台を中心とする複数プロデューサー制で、市民不在のまま2001年12月に急ごしらえの万博基本計画が発表されたが未だ具体性に欠けている。しかし万博開催(2005年3月26日)までわずかに三年しか残っていない。たとえ計画が未熟であろうと、本年4月からはなりふりかまわぬ工事が始まることが予想される。
 愛知万博への出展の意向を示した国、団体が30に近づいている。多いとはいえないが、これらの国が出展準備を始めると、万博を中止したときに損害賠償を請求されることになる。YOSHIKIに万博のテーマソングを依頼したり、ジャズの渡辺貞夫氏やライターの山根一真氏をパビリオンのプロデューサーにするなど芸能人や文化人の動員が始まっている。これほど知名度が低く、しっちゃかめっちゃかな愛知万博ではあっても、万博なりの引力が働き、文化人や芸能人の総動員情況が出来上がる可能性は高い。彼らはともかくも何らかのイヴェントで飯を食っている人たちだからである。そういうにぎやかな情況が、事態の深刻さを覆い隠す効果をもち、イヴェントが終わって彼らが去った後に惨状だけが残されるということになりかねない。

 財政破綻(愛知県はサラ金地獄状態)
 万博推進側にとって最大の悩みは国と愛知県の財政破綻状態である。しかし結局のところ最大の被害者は私たち県民なのだから、この問題が万博を中止させるための最大の鍵となるはずである。しかし多くの県民はこのことに気がついていない。
 愛知県は1月7日に来年度予算案、2月14日に財政中期試算を発表した。予算案のほうは、762億円とふくらんだ万博空港関連予算と肥大化した公債費によって前年当初比1.8%増の膨張予算案である。公債費が急増して3465億円となり、歳出予算全体に対する比率が14.7%にもなったのは鈴木礼治前知事時代の箱もの中心県政で乱発された県債の返済期限が殺到しているからである。この返済のために前年当初比60%増の4438億円という過去最大の県債を発行する。そのうちの1157億円は借換債〔過去の借金を返すための新しい借金〕、まさにサラ金地獄状態なのである。県債残高は本年度でついに三兆円の大台に乗り、2002年度は3兆3272億円に達する。これは年間税収の三倍に相当する。万博空港関連総事業費1兆3168億円のうち県の負担額は2477億円、貸付金を加えると2922億円と新聞発表されているが、あくまで現時点での概算にすぎない。企業庁事業の前島埋め立てや名古屋空港買取、空港関連漁業保証金などを加えれば7000億円を超えるとされている。また、関空では最終的にかかった事業費が概算の二倍まで肥大化していることを考えれば、出費はさらに増えると考えるべきであろう。万博も赤字で終わればさらなる県費の投入となることは目に見えている。空港も完成後の赤字をどうするのであろうか。考えただけで恐ろしい。
 財政中期試算のほうは、県税収入が2005年度以降3%程度ずつ上昇するとしているなど、ご都合主義と希望的観測で組み立てられている。それでも公債費のほうは厳然たる事実として確実にやってくる将来であり、2003年度に4000億の大台に乗り、2006年度には4400億、2008年度には4500億に達する。おそらく公債費比率は20%に近づくであろう。
 さしあたって2002年度の収支ギャップ1900億円さえクリアできない可能性が高い。都道府県の場合、税収の5%の赤字が出れば財政再建団体転落(市町村は20%とハードルが低くなっている)である。愛知県の場合は500億円ちょっとであるから簡単に危機がやってくる。アップアップの旧東海銀行(UFJ)が県債を買ってくれなくなる可能性だってある。なぜなら、つい先頃UFJ銀行は、蒲郡に建設中の愛知県を最大出資者とするリゾート施設「ラグーナ蒲郡」への貸付金400億円のうち200億円を債権放棄し、残りをトヨタに肩代わりしてもらう決定をしているのである。

 危ない企業庁会計
 愛知県企業庁はかっての高度経済成長期には儲かっていた。海を埋め立てたり、里山を破壊したりして造成した工場用地が飛ぶように売れていたからである。それが今では塩漬け土地が228ヘクタール。これに空港前島157ヘクタールが加わる。これらの造成費用は借金でまかなっており、売れなければ金利さえ払えないことになる。
 幡豆の空港造成用の土取り場買収費用も全額こげついている。空港造成に間に合わなかったからである。さらに、長良川河口堰の水を売って河口堰建設に出資したときの借金を返すつもりでいたが水がまったく売れない。借金返済どころか利子も返せない。そこで県の一般会計から返済金が支出されている。この例からすれば、企業庁赤字は結局一般会計から補填するしか方法がない。この隠れ借金の負担が数年後には顕在化しよう。ちなみに、大阪府では企業庁廃止の方向が打ち出されている。  

 万博も空港もいらない
 万博を起爆剤として空港や高速道路を整備しようというのは、さらなる経済成長を目指しているからである。ところが愛知県はすでに工業出荷額日本一を23年間も続けている。温暖化ガスの排出量も世界全体の0.5%を下らない(人口は0.1%)。経済成長すればそのシェアも上昇するであろう。その愛知県が環境万博を行うというのは大いなる矛盾である。しかし推進派に残された時間はあと三年間しかない。環境アセスメントも満足に行わないままで工事が強行されようとしている。
 市民運動に残されたチャンスは来年の県知事選挙ぐらいしかない。一方、推進側にも不安材料は山積している。万博の出典参加国不足や、空港での財政破綻や経済恐慌に起因した資金不足などによる工事停止である。しかし、そういう形で工事が止まるようなら事態は深刻である。できれば市民運動のイニシアテイブで、愛知県民の覚醒によって、本当の破綻が来る前にこの無謀な計画をやめさせたい。

一成田市民として
小川ルミ子(千葉県成田市寺台住民)

 私は成田市民です。家の窓からはいつも大きな飛行機が見え、騒音と振動と電波障害に悩まされています。燃料パイプラインも近くに埋設されており、地下水汚染も心配です。
 石井さんや島村さんの暮らしがどんなか、想像に難くありません。
 この日常のなかから、どうしたら止めることができるのか、考えていかなければと思います。

難問を障害物としてではなく、智慧の泉とする生き方
興野康也

 数は力。力の大きい方が勝つ。こういうやり方はわかりやすいですが、無駄が多く、智慧を枯渇させ、人を傷つけます。
 空港をどこに、どれだけつくることが必要か。これは実際難問ですが、難問だからこそ智慧が磨かれるのではないでしょうか。
 難問を障害物としてではなく、智慧の泉とする生き方。そういう生き方を、「また繰り返すのか。成田空港暫定滑走路供用の強行」の文面から感じます。

神様を追い出すサッカー
尾瀬あきら(漫画家)


 純白の高いフェンスにはさまれたチリひとつないアスファルトの一本道を歩いていくとその奥に、かつては東峰神社と呼ばれた「もの」があった。一本の木々もなく、まっ青な空の下でフェンスに囲まれた古ぼけた鳥居と祠は、まるでS・キューブリックの映画のようにシュールな風景だった。おそらくもう神様はここにいないだろう。怖れを知らない人たちが、「サッカー見物の邪魔になるから」と、追い出してしまったのだ。
「今後の成田空港問題の解決にあたっては、『空港をめぐる、地域の理性あるコンセンサスをつくりあげる新しい場』がもうけられ、そこに委ねられるべきである」。
 今から十年前に行われたシンポジウムの、この民主的な結論には、私も含めて誰もが感動した。空港がどのような形になろうとしても、平和的解決以外にないという未来を、シンポジウムは長く、重い話し合いの日々を経て、手に入れたはずだった。
 突然の暫定滑走路建設は、全国の住民運動の規範となった「成田方式」と呼ばれるこの成果を無視し、東峰神社の神様すら追い出してしまった。「サッカー見物に訪れる人たちのために」という理由で……。
 強硬な空港建設計画は、空港問題の解決をこじらせ、空港自体の完成も遅らせるだろう。それはこの地の長い歴史が明確に語っている。

木々に囲まれていた東峰神社(1999年)→

畑に戻すことを願う
加藤タイ(神奈川県相模原市・ワンパック野菜会員)

 暫定滑走路使用に絶対反対です。建設されてしまった部分も、ここで全面的に取り壊し元の畑に戻すことができることを願ってやみません。成田空港の建設そのものが、羽田空港に関する東京湾汚染問題のごまかしの犠牲にすぎなかったと私は感じています。
 まして、暫定滑走路の位置が、東峰部落の皆様のお住いぎりぎりに設定され、高くて厚い囲いが作られ風通しが悪い上、皆様の頭上を、試験飛行がなされているだけでも大変な思いをされてますのに、本格的な離着陸が始まれば想像以上の危険と住環境の汚染に悩まされることになる訳ですから、暫定滑走路の全面的排除がなされるようがんばりたいと思います。おいしくて安全な野菜・卵・米をいただけますように。

生命は結局、自然の懐の中でしか生きていけない
川浪寿見子(東京都杉並区・ワンパック野菜会員・地球的課題の実験村村民)

「ブドリ」と「ネリ」のお父さんとお母さんは子供達に種もみを残して森の中に消えて行きました。
 残された種もみは「ブドリ」と「ネリ」の手で北総大地にまかれ、森からの恵みの豊かな水と土そしてお日様のお陰で芽を出し、沢山の実をつけました。
 そうやってこの大地は生命を育くんできました。
 その大地に飛行場が出来ました。40万〜60万本の木を切りました。コンクリートの塊の飛行場は「ブドリ」と「ネリ」から森を奪い、今また、頭上40メートルの所にジェット機を飛ばし、お日様さえも奪い去ろうとしています。
 私達の文明は「ブドリ」と「ネリ」をコンクリートの下敷きにして殺し、そして年老いた「ブドリ」と「ネリ」のお父さんとお母さんからは帰って行く森さえ奪い去ったのです。
〈生命は結局、自然の懐の中でしか生きていけない〉
 その事を一番良く知っている人達に今おしよせている問題は私の身の内の事です。これ以上、「ブドリ」と「ネリ」を殺してはいけない!! 帰って行く森をコンクリートの塊にしてはいけない!!
 生命豊かな大地をコンクリートの塊にして、飛行場を作った私もまた帰っていく森を持たない「ブドリ」と「ネリ」なのだから―。

註:「ブドリ」と「ネリ」は、宮沢賢治作『グスコーブドリの伝記』の中のイーハトーブの大きな森に生まれた兄妹です。