11)ルイボスティの木

 えっ、これがお茶の木なの! というのが第一印象です。どう見ても針葉樹なのです。周囲の景色は高山地帯。日本の山の感覚では2000メートルです。ルイボスティの木は私が北アルプスで見たことがある背の低い松の潅木のようです。季節が真冬から春に移行しつつある時期だったせいか松葉のような葉はうす緑色でしたが、気温50度にもなると聞いた夏には赤くなるようです。ルイボスティの『ROOI』は「赤い」、 『BOS』は「藪」を意味するそうです。葉は3センチくらい。成長すると20センチにもなるとのこと。どんなに成長しても1.5メートルにしかならない木なのに、根は7〜8メートルも地中に張りめぐらしているそうで、このことがこのお茶の成分が生成されるうえで重要なのです。アフリカ大陸の南部は地層がたいへん古く、カルシウム、ナトリウム、亜鉛、マグネシウム、カリウム、鉄、マンガン、リンなどのミネラルをたっぷり含んでいます。ルイボスティの木はその古代の地層に根を伸ばしてこれらを吸収して葉や茎に蓄えているのです。そのバランスが人間の体にとてもいいらしいのです。
 霧のような雨が降ってきました。冬のコートを着ているのにとても寒い。靴は泥水でずぶぬれです。真冬には雪がうっすらと積もり、真夏は50度にもなるという激しいここの気候からすれば、まだしのぎやすい時期なのでしょうが、それにしても寒い。ルイボスティはこのような環境の中で育っていたのです。先ほどの村民集会でひとりの農民かいっていました。『ほんとうにいいお茶はここのような山奥でないとい作れないのに、白人たちは麓のクランウイリアム周辺に移植して粗悪品を作っている。それを私たちが育てた最高のお茶に混ぜて儲けているんだ』。この発言が実感できました。私自身が今朝見てきたクランウイリアムの町は、こことは地形も気象もまったく別世界といっていいでしょう。
 雨が激しくなってきました。私たちはまた岩場を車まで降りて行きました。そこでこの山の民とのお別れとなりました。私は夢中でルイボスティの木ばかりを撮っていたので、この場所では自分の入った写真は一枚も撮っていないことに気がつきました。そこで動き始めた村長のトラックに止まってもらって、運転していたその息子に声をかけて、ふたりで並んだ記念写真を撮りました。息子はテレまくっていましたが、何回も握手をしてくれました。言葉はサンキューしか通じません。この写真が私がこの地に到達した唯一の証拠となりました。
 ブッパータールに戻った私たちは、村の中をあちこち見て回りました。印象的だったのは、ヘリポートのようなコンクリートの広場と壊れた小さな小屋です。コンクリートはひび割れて、びっしりと草が生えています。これこそが、ルイボスティ市場が白人に独占された30年前まで、彼ら自身がお茶の加工をしていた跡だったのです。お茶の葉を自然発酵させ、乾燥させて、クラッシュする、その工程を手作業でおこなっていた小さなプラントだったのです。それを見て私は、この村には設備さえあれば自力でお茶を生産する技術が眠っているな、と思いました。
 ブッパータールを後にする時、村を見下ろす丘から村の全景が見えました。実はこの村に足を踏み入れた時から、たまらなく懐かしいような、以前にも来たことがあるような変な気持ちがしていたのですが、この時に見た村の全景でその訳がわかりました。まるでナウシカの風の谷なのです。

ルイボスティーの木。まだ小さい

プッタパールの家並

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