メインタイトル オスプレイ沖縄配備 ―上

         「辺野古」移設は周到な強化計画

                 真喜志好一(SACO合意を究明する県民会議)

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 稲嶺知事は、ヘリ基地の候補地を日本政府のシナリオ通りに表明させられてしまった。稲嶺県政が、SACO合意の背景に少しも疑問を持たずに、基地の県内移設を進めているのは残念なことだ。

 米軍が那覇軍港の浦添移転を三三年も前から計画していたことがこの八月に判明したように、SACO合意の全てが、米軍の基地を強化し近代化する長期計画に従っていることは疑いがないのに。

 SACO合意の背景を知るために、私たちは「SACO合意を究明する県民会議」をこの夏につくって、米軍の文書などを手に入れて分析してきた。分析結果のひとつは、機能強化のために、ヘリ基地の辺野古沖への新設を海兵隊が以前からねらっていたということである。

 三〇年以上も使っているヘリコプターに代わる新鋭機「オスプレイの沖縄配備」が計画されているが、北部訓練場などの返還は、実はこの「オスプレイの沖縄配備」と密接に関係し、新たな訓練場を作る意図が隠されていることも明らかにしたい。

新鋭機オスプレイ配備計画

 オスプレイは、従来のヘリコプターより三倍も荷物を積め、二倍の速度で朝鮮半島までもいける新鋭機だ。オスプレイの生産を一九九四年一二月に国防総省は承認しているから、一九九五には配備計画に着手したと考えられる。

 米軍がオスプレイ配備を計画しはじめた一九九五年という時期と、県民からの基地「整理・縮小」要求が強くなった時期とは重なっている。インターネットで見つけたオスプレイの配備計画表には(http://mv22.sra.com/)普天間にいる第三六海兵航空群を再編成して二〇〇六年に三機、翌年二四機のオスプレイを配備すると記されている。

SACO最終報告は九六年一二月だから、私たちには見えないところで、オスプレイ配備計画と普天間移設計画などが日米両政府によって周到に練られていたことだろう。

シュワブからの弾薬空輸

 海兵隊「キャンプシュワブ一九八七年マスタープラン」がある。要約すると、「辺野古弾薬庫から海上の船にヘリで弾薬を吊して運びたいが、米軍内部の安全基準で禁じられている。弾薬空輸を可能にすることが海兵隊の長期的な課題である」と記されている。

 すなわち米軍としては、念願の弾薬空輸も実現するため、「ヘリ基地建設地は辺野古」しか念頭になかったことになる。危険な弾薬空輸と民間機の就航が両立するはずもない。

 そういう事情を隠して、日本政府は複数の候補地を浮上させて県民を引きまわしてきた。

 しかも、すでに公然となっているオスプレイの沖縄配備を、日本政府は今も「聞いていない」と隠し続けている。

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メインタイトル オスプレイ沖縄配備 ―中

         「普天間返還」は米軍の事情

         

                 真喜志好一(SACO合意を究明する県民会議)

 

 先にみたように、アメリカが承諾するヘリ基地建設地は辺野古しかない。にもかかわらず、政府は複数の候補地を浮上させ県民を引きまわしてきた。

 しかも公然となったオスプレイの沖縄配備を、日本政府は今も「聞いていない」と隠し続けている。日本政府が行ってきたこの二つの情報操作と、明らかになっている事実から、次の推理が成り立つだろう。

普天間返還の真相は

…辺野古からの弾薬空輸を実現し、オスプレイを配備するための長期計画に、SACOを立ち上げる前から海兵隊は取りかかっていた。「辺野古海上に新ヘリ基地を建設する」それが海兵隊にとってふたつの課題を解決するベストな案であった。

 しかし、新たな基地建設だけを打ち出すと失敗することは目に見えている。この新ヘリ基地建設をうまくすすめる方策はないか。アメリカの外交、軍事担当者は、基地「整理・縮小」を求めて燃えている沖縄人のエネルギーを利用することに目をつけた。

 手はじめに日米両政府の息がかかったとされる人物を通して、「普天間撤去」の可能性を沖縄側にささやき、九六年一月末、沖縄県に普天間返還を第一期とする「基地返還アクションプログラム」を発表させた。翌二月、橋本元総理とクリントン大統領は、そのプログラムを根拠にして普天間返還は「県民の要求」だ、とすり替えることに成功した。…

 小渕総理に、私たちは「SACO合意の背景を明らかにすること」などを求めた公開質問を行った。政府は回答してこない。これが「推理の正しさ」を示していないか。

ヤンバルにオスプレイ訓練場が

 オスプレイはヘリコプターのように、垂直に離着陸できるし、一五二メートルという短い滑走でも離陸できる新型機だ。短距離滑走の方が三、五トンも積み荷が増えるので、海兵隊は、その訓練場も準備したいはずだ。それは直径八五メートルほどの従来のヘリパッドではなく、「オスプレイパッド」とよぶべき長さ二〇〇メートルくらいの滑走路である。

 SACO合意にもとづいて新設するヘリパッドの配置計画図を私たちは手に入れた。それによると、国頭村美作の南、宇嘉川の中流域に四カ所。東村高江の西、福地ダムの水源地に三カ所が予定地になっている。二個ずつ眼鏡形に並んでいるのが目につく。この眼鏡の鼻のところをつなげると、端から端まで二〇〇メートル以上になるではないか。

 二つ並びのヘリパッドに見せかけて、実は「オスプレイパッド」を作る。それが真の目的であるのに、県民の目をそらすために、すでに不要になっている訓練場の一部を返し、「返還にともなう代替ヘリパッド」だ、と県民をあざむいていると考えられる。

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メインタイトル オスプレイ沖縄配備 ―下

        新たな基地ノー 

                 真喜志好一(SACO合意を究明する県民会議)

 オスプレイパッドのひとつは宇嘉川の中流域に配置されている。そこは北部訓練場と安波訓練場を返す代わりとして、米軍が新たに訓練場に組み入れた地域だ。その河口部は、断崖が続いているこの地域で、水陸両用戦車の上陸訓練ができる唯一の場所である。  

 海と空からの上陸訓練ができる絶好の地形だ。空から入り、川を下って待機している水陸両用戦車で退避する、などという訓練ができるようになる。

ブルービーチも強化

 ブルービーチは金武町が保養地として強く返還を求めている。しかし、米軍はギンバル訓練場の方を返す。ヘリパッドをブルービーチに移すことが条件だというが、ギンバルには小高い丘があるので、オスプレイパッドが作れないからだろう。キャンプハンセンにつながる戦車道とオスプレイパッド。ブルービーチも二一世紀型の訓練場になりうる。

 日米両政府は、基地を二〇パーセント減らしたと宣伝する裏で、オスプレイの訓練場を作り、上陸訓練もできる宇嘉川流域という新たな訓練場も手に入れている。北部や、安波、ギンバル訓練場の返還の真意は、オスプレイ配備をチャンスにして、新鋭機にみあう近代化された訓練場にチェンジすることであった

 SACO最終報告の返還リストで、普天間飛行場が最初に、次に北から南へ北部訓練場、安波訓練場、ギンバル訓練場の順に記されているのは不自然である。これこそオスプレイ配備にともなう基地機能の再編を検討していたことを示す証だ、と私は考えている。

SACO合意の真相を確かめて正しい判断を

 このようにSACO合意は、基地を強化し近代化する計画である。SACO合意の真相を知らないままに、沖縄の私たちが世論を二分し、身内がふたたび争う。それは愚かなことではないだろうか。基地の機能強化や近代化にみあうほどの「振興策」があるだろうか。いや、振興策のばらまきに心の目を曇らせてはいけないのだ。

 沖縄の歴史を振り返ると、キャンプシュワブ、キャンプハンセンなどの完成から四〇年あまり、沖縄で新たな基地は作らせていない。国頭村での実弾射撃は未然にふせいだし、東村ではハリアパッドを作らさなかった。この沖縄が歩んできた道を思い起こそう。

 辺野古へのヘリ基地建設の反対は、名護市民投票ですでに明らかにされている。 

 稲嶺知事よ、市長たちよ、SACO合意の真相について、情報の開示を日米両政府に求めよう。真相が明らかになれば、私たちは日米両政府にだまされることはない。「今」をより良く生き、子や孫に、二一世紀の若者たちに、沖縄が自分で立てる「夢」を伝える道を歩もう。今ならまだ間に合う。

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