お茶を飲む礼拝 

1999 7/4 「お茶を飲む礼拝」を試みました!

 「主の食卓礼拝」(ご飯を食べる礼拝)の様子 

 この日のメンバーは、4人+マキの5名でした。
 初めてこのスタイルに参加した方も2人いたので、ちょうどよい人数だったかも。 
 お茶とお菓子をいただきつつ、自己紹介や近況報告、それから牧師のメッセージを聞いての感想などを、自由に出し合いました。

 お茶は狭山の抹茶入り玄米茶と(竹迫牧師の母が、いつもたくさん送ってくれます)、レギュラー珈琲。お好きな方をどうぞ♪
 熱心に語っている、竹迫牧師。

 (他の方の写真は、ちょっと逆光で暗くなってしまって・・次の機会をお待ち下さい☆)

 浪岡伝道所では、2月から月に1度の割合で「主の食卓礼拝」(ご飯を食べる礼拝)を行なっています。6月で5回目が終了しました。
 
 「ご飯を食べる礼拝」。みんなで共同の「ご飯を食べる」という出来事を通して、イエスが生きておられた時代に、どんな人とつながっていたか・つながろうとしておられたか・・それらに思いを馳せたり、また「洗礼を受けている・受けていない」にとらわれずに、共通体験として「ご飯を食べる」という行為を大切にしてきました。

 いつも礼拝に出れるメンバーの中ではずいぶん定着し、楽しみにしている方も多いのですが、でも初めて教会に来られた方(特にレポートのための高校生など!)がずいぶん戸惑うかもしれないな・・そんな中から新しく試みたのが、「お茶を飲む礼拝」です。

 初めての人と「ご飯を食べる」よりは、「お茶を飲む」方がまだ抵抗がないかな・・。それに準備も楽だし!・・ということで、7月に第1回目を試みました。
 
 
< 当日のプログラム >

前  奏(黙 祷)
応  答
 司会)主は言われた、「二人または三人がわたしの名によって集まる所には、
     わたしもその中にいる」。
 会衆)主よ、わたしたちはあなたの聖なる御名によって集まっています。
 司会)また言われた、「私の家は祈りの家でなければならない」。
 会衆)主よ、わたしたちは祈るために、この家に集まりました。
讃美歌 司会)この世の闇が深まるとき、主よ、
         わたしたちはあなたの光を求めて、歌を持って祈ります。
          (教団讃美歌委員会Aコース 講習会の式文より転載)
       490 <かみさまに感謝>
詩篇の交読 102
讃美歌    463 <わが行くみち>
共同の祈り  (教団讃美歌委員会Aコース 講習会の式文より転載)

聖  書  マタイによる福音書 14章 27−52
説  教  「裏切り、見捨て、逃げる」  竹迫 之牧師
祈  祷

主の交わり  

 ☆ お茶やお菓子をいただきながら、フリートーク ☆

讃美歌  532 <やすかれ、わがこころよ>
献金と感謝  (自由祈祷)
報  告
讃美歌  92 <主よ、わたしたちの主よ>
出発の祈り 
祝福の祈り  竹迫 之牧師
後  奏(黙祷)


 第1回目の感想としては、「とても良かった!」です。
 この日は久しぶりに教会員のHさんがいらして(年に2−3回の出席)、彼を囲んでのお話となりました。
 礼拝後のお茶の交わりだけではなかなか聞けないような、これまでのHさんとキリスト教の出会いや、東京のある教会に出席していた大学生の頃の「違和感」等、いろいろ聞くことが出来て、とても良かったです。
 その話から、「じゃあ、私たちはこの浪岡の地で、どんな宣教や伝道をしたらいいのだろうね!?」という自然体の話にもつながりました。

 また浪岡伝道所では来年2000年に「創立50周年」を迎えるのですが、Hさんやまだお元気な教会のメンバーから、早いうちに「浪岡の歴史」について聞いておかなければ!という確認もみんなで取れたので、本当によいタイミングでいろいろな可能性を示されました。
 
 やはり出席者にとっても準備する側にとっても、「お茶の方が気軽でいいかな♪」というのが、大まかな感想です。

 これからも「ご飯」や「お茶」など、その時のニーズに応じて、いろいろと試みたいと願っています。
 全ては、「神様の御心に叶いますように☆彡」

 ぜひ浪岡で、共に「ご飯を食べる礼拝」「お茶を飲む礼拝」してみませんか?
 お待ちしています!

     竹佐古真希 

 (最終更新日 Wednesday, July 07, 1999 4:31:46 PM)

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<共同の祈り>

司会)全ての平和の源なる神よ
     尽きることのない平和が この地に確立されるために
会衆)主よ、力を与えてください。

司会)力あるもののおごりを取り除き、
     憐れみと、知恵が与えられるように
会衆)主よ、力を与えてください。

司会)この地上から、一切の銃声と砲火が止むときを
会衆)主よ、あなたが来らせてください。

司会)多数派が少数派を力で脅かすことがないように
会衆)主よ、その心をつくりかえてください。

司会)裂かれた家族や、悲しみの中にいる人々のために
会衆)主よ、慰めを与えてください。

司会)疲れた人々に安らぎを、病む人にいやしを
会衆)主よ、あなたがそれをもたらしてください。

司会)恐怖と不安におびえる幼子たちを覚えます。
会衆)主よ、恐れと苦しみを取り去ってください。

司会)小さなキリスト者の群れの、
     あなたに従い行くための忍耐が強められるよう
会衆)主よ、共にいて力を加えてください。

司会)わたしたちが傍観者であることをやめ、
     小さなことからでも平和を作り出すために
       行動するものとなることができるよう
会衆)主よ、希望と勇気を与えてください。

司会)相違なる思想・信条に生きながらも、
     人々がお互いに強め支えあえるように
会衆)主よ、謙遜な思いを与えてください。

司会)あなたの平和がこの世界に満ちあふれるために
会衆)主よ、わたしたちをあなたの器として用いてください。

一同)わたしたちはあなたに心を開きます。
   わたしたちはあなたのみさかえをたたえます。
   わたしたちは、あなたこそ命の源であり、
   わたしたちの救い主であると信じます。 アーメン

(教団讃美歌委員会Aコース 99年度講習会の式文より転載)


<出発の祈り> 〜アッシジのフランチェスコ「平和の祈り」〜

 主よ、あなたの平和を人々にもたらす道具として、
わたしたちをお使い下さい。

  憎しみのあるところには愛を、
  不当な扱いのあるところにはゆるしを、
  分裂のあるところには一致を、
  疑惑のあるところには信仰を、
  誤っているところには真理を、
  絶望のあるところには希望を、
  くらやみには光を、
  悲しみあるところには喜びを
もっていくことができますように。
  慰められることを求めるよりも慰めることを、
  理解されることよりは理解を
  愛されることよりは愛することを、
求める心をお与え下さい。

 わたしたちは自分に死ぬことによって自分を見出し、
 自分自身に死ぬことによって
 永遠の命をいただくのですから。
   アーメン 


     
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