我が愛しの函館 

2001年 8月に再訪


五稜郭へ。
函館戦争の舞台にもなった地です。


展示館にあった、五稜郭全景の模型。

●五稜郭タワーのサイトから引用●
↓     ↓
 
幕府は開港地となった箱館を直接治めるために箱館奉行を設置、
それに伴い蝦夷地の防備強化のための要塞の建設を進めました。
当時箱館で諸術調所で洋学の教授を務めていた武田斐三郎が
フランス軍艦の士官から西洋式築城術の指導を受けてヨーロッパで発達した
城郭都市をモデルにして要塞を設計しました。それが五稜郭です。

幕末期、西洋では大砲や鉄砲が発達し、日本の城では格好の的になって
しまうため、西洋式築城をとりいれました。当初の計画では中に一つの町が
すっぽり入ってしまうような城郭都市を目指していましたが、
工期短縮や幕府の予算の都合で今の大きさにまで縮小されました。
五稜郭は今までの城のように藩主が居住することを目的としていないため、
政治機関としての箱館奉行所と、兵舎、弾薬庫、食糧庫などの
背の低い建物しか建っていませんでした。




アイヌの視点から見てみると、「蝦夷地の強化」というのは
とっても気になります・・。それは他ならぬ、アイヌにとって大切な
資源や文化さえも奪っていく文化だったのだろうな。


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