2003年ヨーロッパ旅行(報告編)

< ライプチヒからドレスデンへ >

ドレスデンの最後、二人でフラウエンキルヒェ(聖母教会)を訪れた。
ドレスデンは今回の旅行で最も冷え込んでいたし
(風が冷たかった・・)少し疲れたので
教会目の前のカフェに入る。
まだこの時点でも、私はフラウエンキルヒェの
歴史と凄さに気付かされてはいなかった。



カフェの上にあるおもちゃ?が
ドイツっぽいような。( ^^)r



フラウエンキルヒェの全景模型。
一日も早く元の姿を見たくて、これを飾っているのだろうか。




黒い部分は、以前からあった石。
使えるものは最大限用い、白っぽい石は
新たに組み合わせて途方もないパズルのような
復興運動をしている。
完成予定は、建都800年にあたる2006年だそうだ。
それでも技術の力が進歩しているので、
中世の頃のように数十年・数百年は
かからなくなったのだろう。






外に展示されていた写真。
戦災の様子が非常によく分かった。
第2次大戦後間もなくして、ドレスデンは旧東ドイツになったので
この教会もかなり長いことこのままで放置されていたようだ。
東西ドイツの統合後、ようやく復興の動きが始まる。



聖堂内部の様子。
この教会は、実はJ.S.バッハとも深い関わりがある。
写真右側に写っている大オルガンは
名器ジルバーマンオルガンで、
J.S.バッハが生存中に演奏をしたという!
戦争の被害を受けるまでは大切に残されていた
楽器が、一夜にして破壊された・・。






この光景を見た時、大きなショックと感動を受けた。
現在建築中の聖堂と、その前に立ちはだかる
ルター像、そして金色の十字架。
ドイツ人の不屈の魂のようなものを見せ付けられた。

ギリシャの作曲家で建築家のヤニス・クセナキスという人がいる。
彼の存在を、先日初めて知った。
彼は戦時中に顔に傷を受け、今もその傷跡が顔に残っている。
しかしこの傷は彼にとって、とても大切なそうだ。
戦争を「生き残ってしまった」ものとして
同士への償いの気持ち、そして戦争を決して
忘れないために傷の手術を受けないのだと言う。
フラウエンキルヒェのまだらな模様を見て、
そんなことを想い出した。

  


こちらは数年前の工事の様子。
まだ建物がほとんど出来ていない。




金色の十字架も、爆撃でこんな哀れな姿だったのだ・・。
この十字架は、2000年に英国から寄付されたそうである。
「軍事的に無意味だった文化都市への空爆に対して、
補償を行いたい」というドレスデン基金によって。


ドイツ人は、「忘れない民族」なのかもしれない。
自己の過ちを忘れない、そして他者の過ちも忘れずに
深く心に刻み込む・・。



●現在のフラウエンキルヒェン建築の様子は
こちらのサイトで見ることが出来ます。

ドレスデンに関しては、以下のサイトがお薦めです。
1)  2)






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