(学生YMCAメーリングリストより転載)
皆さんこんにちは。鳥取大学米子YMCAの大石です。
竹迫さんレスポンスありがとうございました。今回のミリアムは参加者5人ということで、自己紹介も必要なく、名簿も必要なく、ほとんど懇親会…。それはそれで楽しかったのですが、確かにもっと多くの人と分かち合いたいですね。

<目次>
・10月の男女ジョイントミリアムについて今回やったこと
・今回のミリアムの感想
  天野貴子 原江里奈 大石直子 大澤知子
・ふろく:「自分で選べないセックス・ワーク」のまとめ(大石直子)
※まだ感想が届いていない分に関しては、後日別に流します。

この間の6月22〜24日に京都の関西(在住)主事宅にてミリアムが開催されました。

参加者は
 天野貴子(京都大学YMCA)
 原江里奈(聖和大学YMCA)
 大石直子(鳥取大学米子YMCA)
 大澤知子(中四国地区共働スタッフ)
 樋口京子(活水YWCAシニア)

の5人で、人数が少ないせいでいささか寂しい会ではありました。
内容は、次回のジョイントについての話し合い、大石の発題「自分で選べないセックス・ワーク」(本を読んでのレポート:対象は「からゆきさん」「フィリピンのプロスティテュート(売春をする人)」「タイの少女売春」「従軍慰安婦」)が主なもので、あとはよもやま話。もっとも、そのよもやま話が一番大切なのかもしれませんが。

以下、目次の通りにレポートします。
職権乱用かもしれませんが、大石の今回のレジュメの最後をメールの最後につけておきます。今回のはまあまあの出来だったと思いますので。実は、これの前に本からのいくつかの抜粋があるのですが、売春を平行に比較するには割と良い資料ではないかと自負しております。

<10月の男女ジョイントミリアムについて今回やったこと>
・日程:10月5日(金)〜7日(日)
・場所:名島寮(九州大学YMCA)
・スケジュール
 6日(土)
  9:00 自己紹介
   アイスブレーキング
   ミリアム経過報告(天野)
  10:00 ライフプランニング
   発題 吉村亜紀子さん:「就職後の感想」(20分)(交渉中)
       蓑原夫妻:「結婚・家族について」(20分)(交渉中)
  12:00 ---昼休憩---
  13:00 シェア
   ロールプレイ(寸劇・各役割の立場になって感情を追体験してみる)
     scene1:職場で産休をとる女性をめぐって 
     scene2:仕事が終わり帰宅後の自宅にて
   シェア
18:00 夕食

 7日(日)
  9:00 聖書研究 マタイによる福音書1-18〜「聖霊によりて身ごもり…」の個所
     まとめ
   ジョイント参加に対する率直な感想
11:00 次回ミリアムについての話し合い

(話し合ったこと)
※「ライフプラン作成を通じて、人生観を交換しあう」企画
 →ライフプランの例を考えた。(Key Words:結婚・出産・就職・退職・親の介護…)
※「意見交換のための質問箱」
 →扶養される立場だから主婦は楽か?
  /就職・働くことに対する男女の意識の違い・意味の違い
  /女性であることに対する羨ましさはあるか?あるとすればどんな?
  /女性差別問題について、例えば学生の時はリベラルな意見を持っていても、
   就職して周囲に影響を与えられると通り一遍の見方しかできなくなるのは
   なぜだろう?

<今回のミリアムの感想>

●次回のジョイントに向けて話し合いをしているときなど、今回特に感じたのは「自分は実は非常に保守的なのではないか」という空しい気持ちです。例えば自分は将来どんな生活をしていると想像するか、どういう生き方をしたいのかと考えるときに、「こういうのはいやだ」と反発するイメージは非常に典型的もしくはそれを通り越して漫画のようなのです。たとえば、結婚して子どもいて主婦がいて幸せな家族・・・みたいないいかげんなものですよ。そうしてそういうイメージには陥りたくないと思いつつも、もしかしたらそういう暮らしが楽なのかもと逡巡するときに、自分がいかにとらわれているかという気がします。そういう「常識的なイメージ」とは離れて考える試みを持ちたいはずなのですが。

 あと、売春の話は難しいと思う。知ることは悪いことではない、もちろん。しかし、共感しきらん状況のなかで、分析評価をするのは怖いです。第三世界との関連で売春を考えるときと、日本などで職業として選択したと考えている人と、あるいはなんとなくやっているのか何を考えているのかわからんというように見える人とかいろいろな状況が推定できるのですが、なんか、状況によってかわいそうな人と、わけわからんと思う人とに別れてしまうのは何か変じゃないかな。別に自分で選んでやっていると思っている人に対してかわいそうとか本当に選択できる状況であったのかとか押しつけたいわけではなく。南北問題がらみの状況にいる人に勝手にしろと言いたいとかそういうわけではなく。

 私自身は、めんどくさがりがばればれなので、売春という職業には向いていないかなと思ったりしますね。喫茶店レベルでうつうつとしますからねえ。と考えるのだけれど、一般的には売春なんて「考えたこともない」ものなのだろうか。
 愚痴を言いたいだけの人に対して、はいはいとただ聞いてあげるという行為は、慰めの時間を無料で売ってあげたという気もしないでしょうか。もちろんそれは自分もしてもらうことはあるのですが。もちろんその人が気に入っているからそういう時間を与えても良いと考えているのですが。まあ、職業としてやるということではないですが。しかし例えば、酒をおごってくれるならば愚痴を聞いても良いかなとか考えるときには酒代と引き替えている訳ですよねえ。しかしまあ自分が愚痴モードのときには奢りたがったりしますね、後ろめたいから。とか、売春の話になるとそういうことをぐるぐると考えてしまう。


●西宮からこんにちは! 6/23・24と京都でおこなわれた“ミリアム”の感想を一言・二言述べさせて頂きます。鳥取大米子YMCAの大石さんの発題を聞き、フィリピンで実際に経験したこととoverlapしました。援助交際とセックスワークはどう違うのか?女性の権利などどこにもない社会の中で彼女たちは、生きている。自分の意思ではなくその仕事を選ばなければならない背景。あらためて自分が彼女たちと同じ女性だと気付く!今だにアフリカ・ソマリアに残る女性器切除(FGM)の因習。反対する女性たちの記事を目にし敬意を表すと共に自らもほんとうの“女らしさ”“人間らしさ”としての強さを追い求めていこうと思う。本当にいい加減な関わりしかできなくて、皆さんにご迷惑をおかけしています。ごめんなさい。
 今回も一部分しか参加できなかったのですが、こんなことを感じたのでした。以上です。


●前回出た疑問「自分で選べるセックス・ワーク」と「自分で選べないセックス・ワーク」とサービスの提供-報酬という点でどこが違っているかについては結論が出ませんでした。

 今回私自身が発題して分かったのは、売春婦問題が政治・経済問題であること。からゆきさんが日本のアジア経済戦略の第一陣を(結果的に)担ったことから、女性の性が政治の道具にされたことは疑いの余地がありません。
 「男はこういうもの」「女はこういうもの」という言説がまかり通っているようです。女性は受け身の性であるとか、男性に慰安を与えることが本能であるとか、あるいはレイプに遭った際にも女性の方にも隙があるとか実は誘惑したのだとか言われています。真相がどうであるかは難しい問題ですが、男性の性衝動をある程度容認する素地がこの社会にはあるようです。

 私見ですが、社会は、まず人の幸福のために秩序を維持する必要があると考えます。ここでいう「人」とは例えば「男性」であるとか「裕福なもの」であるとか特定の立場にある人をさすのではなく、あらゆる人をさすものと思います。しかし、この売春婦問題を勉強していくうちに、こうした女性たちが社会の秩序維持と便益のために犠牲にされてきたと分かりました。これは主客逆転で、こうした女性たちは秩序維持のために自分たちの幸福を犠牲にされていた(あるいはされている)のです。ここで、売春婦にみられる女性差別が人の幸福のために不合理だと分かります。

 女性を「一段低い性」と位置づけて搾取する。また、女性を一個の個性としてでなく、イブ(誘惑者)とマリア(母性)という属性に還元しようとする。さらにこうした価値観を女性・男性の中にともども内面化することにより、秩序維持がやりやすくなるのでしょう。私はこうした内面化のはたらきも政治の力によるものと思うのですが、私達自身のセクシュアリティを考えるにあたっても、こうしたバイアスの存在を念頭に置いたほうがより実り多い議論ができるのではないかと思いました。


●学習会では、自分の意志で選べない商業的セックスワークを中心に(自分の意志で選べる?商業的セックスワークなどとの比較を行いながら)考えていった。

 初めに、明治から大正中期にかけて「からゆきさん」がどのような状況の中で売春婦とならされ、働かされていたのかということについて学習した。「からゆきさん」という言葉は知っていても彼女たちが置かれていた状況については殆ど知らなかったので、彼女たちがいい仕事場があるからと騙されて連れて来られ,売春を強制され、そこからこんな条件ではなかったと辞めようとしても借金によって足止めされて帰れないという逃げ場のない状況に置かれていたこと、そして、お金を得たいという彼女たちの動機の根本には「家のため」ということが大きかったことも改めて分かった。
 まさしく、今世界中で売春を強制させられている人達の状況と何ら変わりがないことだったのだと思う。

 フィリピンでの買売春の状況については、今年春にフィリピンスタッディーツアーに行った原さんから、「女性が客を得るために裸にまでなってステージで自分をアピールし、その中で男性は気に入った女性を指名するシステムがとられていた。自ら裸にまでなってアピールしなければならないほどに彼女たちが追い込まれていることに胸が痛んだ」という報告もあった。

 仕事についた段階で既に騙されており、そのことに気付いてからも辞めることが出来ないままにある彼女達は、殆どが人間不信に陥らされるという。そんな状況にある彼女たちにどうやって希望を取り戻してもらい、人を信じる気持ちを取り戻してもらえるのだろうか。
 そして、このような強制売春をさせられている彼女たちの声からは、日々の痛みに対して自らの感情を鈍くさせることでどうにか生きているという、訴えを感じずにはいられない。こんなひどい生への侵害が日々何処かで行われていることをもっと考えていきたい。

 そこで疑問に思うのは、自らが選べる?セックスワーカーの人達は自分の感受性を保てる状況で仕事ができるだろうか、ということ。自ら選ぶセックスワークの場では「体を売る」ではなく「行為を売る」という言葉が使われているそうだが、その行為の中には何が含まれるのだろうか、やはり自分の精神を売るという部分が含まれるのではないか、と私は想像してしまう。

 この自ら選べるセックスワークについては、正直なところ分からないところが多いので、本当に自分の意志で選べているのだろうかというところも含めてもっとみんなと話をしてみたい。


<ふろく:「自分で選べないセックス・ワーク」のまとめ(大石直子)>
売春は差別問題・政治問題である
 「自分で選べるセックスワーク」としてはいわゆるコールガールが挙げられますが(最近の「援助交際」も似たようなもの?)、それと「自分で選べない…」との違いは中間搾取層の存在です。上から「からゆきさん」「フィリピンのセックスワーカー」「タイの少女売春」「従軍慰安婦」と挙げてきましたが、驚くのがこれらの搾取構造が殆ど同じだということ。売春の問題は(今回は政治的側面に一切言及してないけれど、それにもかかわらず!)政治問題なのだなと思わされました。
 こうしたsurvivorsはほとんど例外なく男性不信に陥っているようです。surviveするために、身体を売らざるを得ないときに彼女らは適応して、お金をかせぐことに徹していたりもします。端からみるとそれは私達を、何ら彼女らに痛みがないかのような錯覚に陥らせるかもしれません。しかし、最もひどい痛みを人は語ることが難しいことを思い出せば、そうした適応にこそ私達は想像力を働かせるべきでしょう。
 また、こうした明らかな差別にも関わらず、相変わらず「女性はrapeされるのを待っている」といったような通説があるところに、女性差別の根強さが感じられます。

強制された売春は労働でない
 労働を労使の契約に基づいた雇用関係と定義するならば、強制売春は労働とはいえません。

何をもって「自ら望んだ」とするか?
 個人の「意志」を尊重するという言い方があります。では、意思決定能力とは?例えば「自分で選んだ」と考えてセックスワークをしている女性達(「援助交際」してる人たちなどですね)は、それに付随するリスク(妊娠に伴う堕胎のリスク、性行為感染症のリスクなどなど)を十全に認識しているでしょうか?これは何に対してもいえることですが、「自分で選んだ」と思い込んでいることでも、実は「知らぬうちに選ばされていた」ことが多いのではないでしょうか。「自分で選んだ」売春だから放っておいたほうが良いという理屈が果たして通るのか?疑問です。逆に、それを「選択した」ことが一体どういうことなのか、更生する側にも同様に十分に分かっていないのですから、一方的に更生を是としてその価値観を押し付けることにもまた疑問を感じます。

売春婦には「易きに流れる」側面もある
 別の本で読んだのですが、一度売春婦を経験した人が更生するのは並大抵のことではないようです。例えばアメリカの売春婦(明治〜昭和)で一度は更生施設に入るものの、そこで読み書きを学んだり職業訓練を受けたりするよりもそれまでの暮らしの方が「楽」だとしてもとの境遇に戻る人もいたようです。「見知らぬ仏より見慣れた悪魔」というのか、人が生活習慣を変えるのは大変なことのようです。

参考文献
・山崎朋子、『サンダカン八番娼館』、文春文庫、1975年
・山崎朋子、『アジアの女 アジアの声』、文芸春秋、1985年
・松井やより、『女たちのアジア』、岩波新書、1987年
・松井やより、『女たちがつくるアジア』、岩波新書、1996年
・吉見義明ほか、『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』、大月書店、1997年

おわり
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(学生YMCAメーリングリストより転載)
ども、お久しぶりです。鳥取大学YMCAの川口です。新世紀になって初めての投稿です。
今年度はめでたく四年生に進級し、研究室に配属されました。
学校に自分専用の机があるのがとても新鮮な感じで嬉しいです。

…春ですね。先日こちらでは、新入生歓迎企画「鳥取大学YMCA 焼肉パーティ」を行いました。
なんと、30人近くの新入生が参加してくれました。
そのうち何人かは気に入ってくれた様子で新たなメンバーが増えそうな兆し。
これからが楽しみです。他の地区での新歓はどんな様子でしょう?

さて、今月13日から15日にかけて行われたミリアムin鳥取の報告書が鳥取大学YMCAの新部長、茅原さんから届いているのでお届けします。

−− ここから −−

2001年ミリアムIN鳥取報告書

参加者
スタッフ 大澤 知子(学Yシニア)
      宮田 葵(名島寮)・松本 麻里(鳥大Y)・茅原 由佳(鳥大Y)
      大石 直子(鳥大Y(米子))・天野 貴子(京大Y地塩寮)
      原 江里奈(聖和大Y)
聖研   平井 祐美子 (湖山教会会員)
      
●全体の流れ●
 4月13日〜4月15日の3日間、鳥取県のYMCA会館でミリアムが行われました。今回のミリアムは昨年12月の「ミリアムIN京都」を振り返った後で、京都大学YMCA天野貴子さんの発題で学集会を進めていきました。
これからのミリアム学集会で必要だと思われる知識や用語をいくつか挙げ「なんとなく意味が理解できるもの」「心からわからないもの」「初めて聞いたもの」の3つに分けて話し合いました。
「ウーマンリブ」「セクシャルハラスメント」などみんながその言葉に対してどのようなイメージを持っているのか? 辞書的な意味合いはなんなのか?セクハラの線引きは人それぞれなのでむずかしいなど黒板にかかれた言葉の一つ一つに疑問を持ち、話し合いが発展していきました。

● 聖研 ●
 4月14日19:00ごろより湖山教会会員平井祐美子さんによる聖研がひらかれました。
「ルカによる福音書11章38〜42節」マルタとマリアの個所でした。
自分にとって良いものを選ぶのは勇気がいる。
いくつかのの場面において大切なことを瞬時に判断するのは難しい。
自分はマルタ的かそれともマリア的か?祐美子さん自身の体験談を聞き、みんなでわいわいがやがや語り合い楽しい聖研となりました。
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参加者の感想

●今回初めてミリアムに参加しました。これまでフェミニズムや女性問題について友人たちと個人的に話す機会はあったのですが、テーマを決めて語り合ったことはありませんでした。
 今回はひたすら楽しむだけで、ノートもとらずに話に興じておりましたので、印象に残ったことしか覚えていませんが、とりあえず感想を。
 異性との関係に思い悩む日々を超えて、フェミニズムを意識しだしたのが4年前です(ちなみに現在私は32歳)。いったん異性と対関係を形成すると、なぜ自信をもって自己主張することができないのか、一体何を恐れて自己主張することができないのか、それに一つの解答を与えてくれたのがフェミニズムでした。
 我が意を得たりと思った私は、それに元気付けられて元気に日々を過ごしておりました。まず経済・生活・精神の面で自立することが必要だと思い、一人でいることを恐れないようにしようと頑張っていました。でも、どうも最近意地を張るのに疲れてきて、カップルを形成する人たちの気持ちも分かるなあと思うようになりました。
 もっとも、一緒にいて疲れたり足を引っ張りあったりするような関係性ならいらないという気持ちは現在も変わっていませんが。
 で、最近思うのは、(以前と比べると自分も少しは強くなったと信じて)相対する異性に対し、肩の力をぬいておいて、主張するべきは主張し、受容できることは受容して信頼関係を築いていけないかということです。
 男女が区別されている以上、両者は立場を異にしているので、同じ見方をすることはできないだろう。だが、敵対するより(お互いに話を聞こうという意志があるのなら)頑張って話し合う努力をしたほうがお互いに豊かになれるのではないかという、非常にorthodoxな結論です。
 今回のミリアムで感じたのは、若い世代(10代後半〜20代前半)の人たちが感じている女性であることの「違和感」は私が感じているそれと(当然ですが)異なったものであること。
 私は多くの女性が専業主婦を選んでいるのが「経済的理由から」と感じているのに対し、若い人たちは「精神的理由から」(学生)カップルが別れずにいると感じていました。
 これらの見方はおそらくどちらも正しいのでしょう。経済的には十分に自立できている女性でも、例えば暴力を振るう結婚相手と別れられずにいる人もあると聞きます。
 まず自立するためには経済的基盤を確保すること、次にそうとは意識させられずに刷り込まれている女性像とは一体何であるのかを認識すること。そのプロセスを経てこそ、「女性は差別されている」と叫ばざるを得なかった私自身からも解放されるのではないかと思っています。口で言うほど簡単なことではないのでしょうけど。


●ミリアムで自分と参加者の性に対する考えかたの違いや、今まで知らなかった専門用語やその意味を学習することができるのはとても楽しいです。職場でのセクハラにどのようなものがあるのか?
セクハラと悪ふざけの境界線を引くのは難しく個人個人その境目が異なるので、言葉は簡単なようでも話し合っていくうちに奥が深いものだと感じました。
 それからもう一点、幸せな結婚、専業主婦は気楽という理想や先入観があったために主婦という職業は男性に経済力という足を切られた売春婦兼家政婦で男性の経済力の恩恵を得るために愛されなければならないという話がでて、今までに考えたことも無かった主婦に対する見方だったのではっとさせられました。自分がもし結婚するような時期が来たときには愛情も大切だけれど自分がその後どんな風に生きていくのかをパートナーとよく話合えるような関係を作りたいと思いました。
 男女平等は難しいけれど男性も女性もお互いを尊敬しあい、思いやれるような関係がきづけたらいいなと思いました。 


●わからない言葉や、あまり考えずに使っている言葉をみんなでイメージし知っていることを出して話をしました。
 みんなで考えたり話をすることは楽しいなと思いました。それぞれの人の体験からの言葉のイメージや,その言葉から広がる言葉というのがおもしろかったです。
 聖研でもいろいろな解釈があっておもしろかったです。

 今回、フェミニズムと言われる分野に属すると思われる「基本的な単語」について、果たして私たちはどのように(自分の内面において/生活実感において)理解しているのか、ということを皆で語り合った。というのは足元を固めないまま、セクシュアリティとかフェミニズムとかのことを語りつづけても、あいまいなままになってしまう危険があったからです。
 だからこそ、今回、私たちが自分の言葉によって、どのように理解しているのかを確認しつつ、自分たちが日ごろ心の中で何が気にかかっているのかということを話し合うことができたのは良かったと思う。
 何といっても、内面の気にかかっていることを解決し行動につなげていけるには、言葉を獲得することが第1歩だと思います。
 しかし、フェミニズムという文脈には、何という多岐にわたる生活/人生のさまざまな地点における
多くの問題が含まれることでしょう。
 ミリアムでなにか1つの答えが出るということがなく、それゆえに「もしかしたらただのおしゃべりなのでははいか」と恐れを抱くことがありがちなのも、そのフェミニズムの裾野の広さに由来するものなのかもしれません。

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 今回、いろいろなことについて話をしたけど、特に印象に残ったのが主婦業についての話だった。
 「女性が仕事をやめて家庭に入るということは、自分で立つための足を切られ、夫に頼るという以外の生活手段を奪われることになるということから、これでは囲われているのと同じだと思った。主婦業に対する考えが自分の中でずいぶん変わった。
 それと祐美子さんの聖研がとてもよかった。聖研を楽しむということにちかづいたきがする。

 鳥取が受け入れ先であったのにもかかわらずあまり準備ができなくて皆さんにご迷惑をおかけいたしました。発送作業をしてくださった名島寮のみなさま、参加してくださったみなさま、影でミリアムを支えてくださったみなさまありがとうございました。
 報告書が遅れてしまったことを深くお詫びいたします。

−− ここまで −−

僕はこのとき15日に実家の方で情報処理技術者の検定試験があったのでYMCA会館にはいませんでしたが、よい話し合いが出来たようですね。(居ても参加は出来ませんでしたけど…)
僕もミリアムにはとても興味があるので、ジョイントプログラムをいつか実現させましょう!

最後にひとこと予告しておきます。数日のうちに中四国阪神地区学生YMCA初夏の集いin京都の案内を流す予定です。
みなさん新入生を連れて是非、参加してください。それでは、また。




ミリアム福岡のお知らせ
 初めまして。九大Yの嶺野(ミネノ)といいます。主に九州地区とミリアムに参加しているので直接会ったことのある人はあまりいないと思いますが、これから時々ML上でミリアムの報告や呼び掛けをすることになると思います。どうぞよろしく。

◆ミリアム福岡のお知らせ

 知らせるのが遅くなってすみません。3月18日(土)15:00〜20日(月) 11:30に福岡でミリアムを行います。今回のテーマは戸籍です。とくに夫婦別姓問題を取り上げようと思っています。このテーマを選んだ理由は前回のミリアムで「目に見える形のある性差別(就職とか)には気づくことが出来るけれども、内面化されたものに気づくことは難しいよね」という話が出ました。
この内面化された性差別に気づいていくのは自分一人では無理で、みんなで話すから気づける。自分の気づいていないことを気づいた人が話せば、ああそうか、それもおかしかったんだって思える。
この内面化されてしまっている性差別の一つの例として戸籍を取り上げることにしました。

現在既婚女性のほとんどが自分の姓を変えています。なぜ女性だけなのか。また、この民主主義(と言われている)の世の中で戸籍という家制度、これまでもっぱら女性を苦しめてきた(もちろん男性も別の形で苦しんでいるんだろうけど)制度が生き残っているのか。夫婦別姓法案はどうして成立しないのか。色々な視点から考えることが出来ると思います。

  参考図書決まりました。読んできてください。
「福島瑞穂の夫婦別姓セミナー」著者:福島瑞穂 出版社:自由国民社 ¥700
 薄くて読みやすい本です。まさに入門編。講師の方も何か本を紹介してくださるそうなので、また知らせます。

 講師は木村京子さん。以前ミリアムでメディアと性差別について講演されたことがあります。反原発運動や女子勤労挺身隊・「従軍慰安婦」の未払い賃金・補償を求める関釜裁判にもかかわっている方だそうです。

 参加費は¥10,000弱を予定してます。(食費別、交通費プール込み、全日程参加の場合。)宿はなんと1泊¥2,500。一応旅館(のはず)です。電話帳で調べたのでどんなとこかは行ってのお楽しみ。博多駅から近いそうです。予約の都合があるので参加者は早めに知らせてください。


 新しい人、常連大歓迎です。参加したいかたは九大YMCA名島寮・嶺野(ミネノ)まで。メールでもいいです。

*戸籍、結婚の話は学生にはまだ実感がわかない面もあると思います。シニアの方で自分のこととして話せる方にぜひ来ていろんな話をしていただきたいと思っています。
参加できない方でもメールなどで話せる範囲で自分の経験や想いを聞かせてください。
前回の東京ミリアムのように関わっていた年代は違っても、先輩後輩という関係というよりも同じ意識を持っていることだけが共通点だけどそこでつながっていける仲間として話したいと思います。

 !注意! 今回は(も?)女性のみを対象にしたプログラムです。


→学生YMCAのミリアムのページ
 

 

このページの作成者:竹佐古真希(東北地区共働スタッフ)
作成者のサイトに、「おんなにまつわるなーんでもブックガイド」あります♪