日韓交流プログラム報告  
  
<2000年2/29 学生YMCAメーリングリストよりの転載> 

こんにちは。花陵会シニアで同志社大のあかまむしコト水谷 憲です。
日韓から無事に帰ってきたヨーという簡単な報告をさせてください。
詳しい報告や感想は報告書にて。

  昨年の様子はこちら→(マキさんのサイトへ)

●'99日韓交流プログラム報告

今年度の日韓交流プログラムは、2000年1月5日から8日まで、韓国がホストとなる側で行われました。
日本からは、福富明日香(活水Yシニア)、西村考平(九大Y)、幸前 元(九大Y)、長谷川源秀(長崎大Y)、奥田万紀好(聖和大Y)、原 江里奈(聖和大Y)、川口善男(鳥取大Y)、山下健太郎(京大Y)、堀金 博(京大Y)、水谷 憲(同志社大)、桜井良孝(東北大Y)が参加する予定で、そのつもりで準備も進めていましたが、直前になって運営委員長でもある奥田さんが高熱のため参加を棄権せざるを得なくなってしまったことが残念です。

プログラムは「生命思想の起源と東学思想」というテーマで、テグのユースホステルにて行われました。
初日は、開会式に基調講演、ナショナルレポートの発表や、韓国側による東学思想を表現していると思われるパントマイムのパフォーマンスなど、興味深くプログラムに入ることができました。基調講演は、東学思想を専門にしている大学教授により行われ、なかなか難解であったにもかかわらず、講演後は日本側のメンバーが質問に殺到するなど、やる気だけは韓国側には負けていなかったと思います。

2日目と3日目は主に東学思想の起源や甲午農民戦争の足跡をたどるフィールドトリップを行いました。非常に厳しい寒さでしたが、みなそれぞれ何かを感じることができたと思います。
ただ、韓国側と日本側の考え方の違いが明確に浮き彫りになったのもこのフィールドトリップでした。韓国側は、基調講演を補う形でフィールドトリップがあるのであり、各自で何かを感じることができればそれで十分だということで、振り返りの時間をあまり取ってなかったのですが、私たちは、何かを感じてもそれを言葉に直す作業、みんなで共有する作業がないと確実に後に残るものではなくなるのではないか、フィールドトリップ(やナショナルレポート)の振り返りの時間をぜひもっとじっくりと取ってほしいと感じたので、2日目の夜にみんなで韓国側の運営委員にそれを訴えに行きました。韓国側の学生もそれをきちんと受け止めてくれ、せっかく彼らが一生懸命考えたであろうプログラムを大幅に変更して、振り返り、シェアの時間を作ってくれました。

しかしそれは結果的には韓国側の学生にとってもよい時間だったと感じてもらえたようです。
2日目、3日目の夜は文化交流がありましたが、韓国側の熱意をこの時に一番強く感じることができました。今回の参加者の中にも韓国の学生の気配り、もてなし、思いやりが非常に印象に残ったという者はかなりいるはずです。
私も、文化交流があると分かっていながら、プログラムのおまけだからと少し軽く考えすぎてあまりみんなできちんと準備をしていなかったことが反省されます。
最終日、正規のプログラムが終わってからは、テグYMCAの青年会議所のような所に韓国側のメンバー数人とともに1泊し、最期の交流のひとときをもてました。

韓国は予想以上に厳しい寒さで、残念ながら体調を崩して一時的に寝込んでしまった者もいましたが、それでも大きなトラブルもなく、みなそれぞれいろいろな思いを抱きつつ日本に無事に帰ってくることができました。
いろいろな方に導かれ、支えられてこのプログラムが作られ、無事に韓国から帰ってくることができたことは自分(たち)にも分かっているにもかかわらず、改めて皆様に感謝申し上げたいと思っています。


<2000年2/15 学生YMCAメーリングリストよりの転載>

第9回日韓交流プログラム「仮」報告書

  2000年1月22日  長崎大学YMCA 長谷川 源秀

韓国滞在期間:2000年1月5日〜1月9日

テーマ:東学思想

日本側参加者
 福富明日香(スタッフ,活水YOG)
 桜井 良孝(東北大Y・渓水寮)  堀金 博 (京都大Y・地塩寮)
 山下健太郎(京都大Y・地塩寮)  あかまむし(同志社大Y・花陵会OB)
 奥田万紀好(聖和大Y,当日欠席) 原 江里奈(聖和大Y)     
 川口 善男(鳥取大Y)      幸前 元 (九州大Y・名島寮)
 西村 孝平(九州大Y・名島寮)  長谷川源秀(長崎大Y・浦山寮)

 残念なことに、運営委員長の奥田万紀好さんが、高熱のために韓国行きを棄権しました。
 海外初渡航者4名
 初の、渓水寮・浦山寮からの日韓参加


韓国の学生
 ・女の子綺麗。男の子ユニーク。
 ・みんな元気が良い。よく歌い、よく踊る。そして親切だ。
 ・体を使っての感情表現、スキンシップ豊富。


 ・ソウル、プサンに次ぐ第3都市「テグ」。
 ・人口200万人。都会と自然の共存。
 ○街中に溢れる愛らしいハングル文字。漢字とアルファベットはほとんど無い。
 ・激しい交通。荒い運転。制限時速70キロの標識も。


 ・10ウオンが1円。
 ・10000ウォン札が最高通貨(1000円)。100円札がある感覚。
 ・物価約7割。缶ジュース550ウォン(55円)。バス1000ウォン(100円)。


 ・キムチ、キムチ、キムチ。毎食キムチ。
 ・主食の白米の他は、キムチ、辛い野菜、唐辛子丸ごと、キムチスープなど、赤一色。
 ・取り皿が無い。中央のおかずを皆で仲良くつついて食べる。スープも。
 ・ロッテリアの「プルコギバーガー」美味。セットで3600ウォン(約360円)。

コミュニケーション
 ・韓国人30人、日本人10人。通訳は会議時のみ。
 ・バスでの移動が多く、まわりいつも韓国人だらけで、初日、英語ノイローゼに。
 ○一見韓国人は英語が上手そうだが、実は間違った英語でも平然と話している。
 ・しかも人によってまるで発音が違う。(Korean English →コリングリッシュ)
 ・つい日本語で話し掛けてしまうほど、顔そっくり。
 ○どちらの国も英語圏ではないのに、唯一の会話手段が英語だという理不尽さ。
 ・身振りや紙とペンを駆使して理解し会える喜び。
 ・最終日にはほとんど苦労せずに意思疎通ができる喜び。

東学思想というテーマ
 ・東学農民戦争の東学。創始者チェジェウ。
 ・フィールドトリップで、東学思想の聖地などを見てまわる。
 ・「天すなわち人」。ある学生いわく「overcome!」(と雑談時に熱弁)
 ○近代化を遂げるにあたって、上からの圧力でなく、農民という下からの運動によって世の中が変わっていったことの重要性。学生運動に失敗した日本との差。
  この東学思想の考え方をこれからの時代にも生かすべきだ。

グローバリゼーション=世界化(討論から)
 経済
  ・各国が自国の得意とする産業に集中すれば、生産効率が良い。
  ・しかしマイノリティ産業従事者が打撃をうける(安い外国製品が売れてしまう)。
 文化
  ・韓国では外国(特に日本)の文化の流入を規制してきた。  
   (映画では年間の3割を韓国国内映画にする規定がある)
  ・ハリウッドなどと競う中から、優れた韓国映画も生まれ、消費者の選択眼も養われる(世界化賛成)。
  ・商業優先の大作主義により、韓国映画がつぶされ、選択枝そのものが無くなってしまう(世界化反対)
  ○現実には、インターネットの普及などにより、海外文化がどんどん流入していくのは避けられない。
  ・実際、街には、日本のアーティストやゲーム機などが溢れている。

徴兵制=アーミー(雑談時に個人的にきいたことから)
 ・20〜35歳のうち2年間、男子全員。
 ・「もし自由参加なら行くか行かないか?」
    →A君「行く。それが当然になっている。」
    →B君「行かない。」
    韓国内でも徴兵制の賛否は2分されているそうだ。
 ・「徴兵に行きたくないと言うのはタブーなのか?」
    →(無言だが動揺しつつ)「そうだ。」
 ・「それは通過儀礼のようなものか?」→「YES」
 ・「日本では大学入試を通過儀礼だと言う人もいるが、大学入試と徴兵制ではどちらが重いか」
    →「それらは別ものだから比較できない。徴兵は義務だが入試は自分の意思だ」
 ・Gさん「私の友達はアーミーに行く前はコメディアンだったけれど、帰ってきたらめちゃくちゃナイス・ガイになっていたの。だから私はアーミー賛成よ♪」
 ○S君「僕もアーミーでナイスガイになるよ。アーミーがつらいとしたら、人生全部がつらい。人生のつらい部分がアーミーの2年間に凝縮されているんだ。」
 
北朝鮮(雑談から)
 ・S君「もし朝鮮が統一されたら、アーミーが無くなるか、縮小されるのに」
 ・Jさん「北にある山に行きたい。スキーができるから。」
 ○映画「シリ」。韓国で大ヒット。シリは魚だから、国境を自由に動ける。

日本人について(雑談から)
 ○「正直、日本人について、どう思っているの?」
   →Jさん(言葉を濁して)「(最初良いイメージは無かったけれど)あなたたちに会ってから変わりました。」 
 ・Yさん「でも、ハセガワさんも、あまり日本人って感じがしないんですけど」
     (と日本語で言われた)
 ・3人くらいの人から、なぜこのJ&Kプログラムに参加したのかと真剣に聞かれた。

議論のありかた
 ・韓国の学生は論理的な議論の手法を持っている。
 ・通訳をはさむことに最初もどかしさを感じたが、これは逆に、議論を合理的に進める
  (惰性や感情論でなく)ことに役立ち、また、自分や相手の意見をきちんと整理しながら話し合っていくことにつながった。

意見の対立とプログラムの変更
 日本側は、この日韓交流プログラムについて、もっと両国が腹を割って話し合う時間と場が欲しいと、主張していた。しかし今回のプログラムにはそのような時間が不足している。そこで、2日目の夜にそのことを日本は韓国側に切に訴えた。韓国側は大いに考慮してくれて、それ以降のスケジュールを大幅に変更してくれ、お互いを知る時間を設けることができた。
 また、この日韓交流プログラムが、その場限りのものでなく、次回へとつなげていけるものでありたいとの願いも、韓国側にくみとってもらえたと思う。

僕が得たもの
 ・以前より大きな視野。
 ・自分の英語が十分に通じるという喜びと自信。
 ・韓国の学生の合理的な議論のすすめかた。 
 ・ハングル語への興味(合理的言語。母音・子音ともに豊富)。
 ・スキンシップなど身体的コミュニケーションの重要性を確認したこと。
 ・国際経済・文化、アジアへの関心。
 ・尊敬すべき友。
 (他たくさんの、言葉にできないもの)

 この「仮」報告書は浦山寮での報告のために用意させていただきました。
 正式な報告書は後日できあがる予定ですが、タイムラグを長くとりたくないと考えたため、このような報告書を用意させていただきました。
 別紙の「僕と日韓」「ゲンシュウノ活躍」もご覧ください。
 ありがとうございました。

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 僕と日韓(日韓交流プログラム参加動機)

                      1999年12月  長谷川 源秀

 一年前のある深夜、長倉さんから僕の元に、一本の電話がありました。
 「今回の日韓交流プログラムは「おいしい」から、参加してみないか」というものでした。そして、その時講師に来てくださる方の話や、外国人労働者の話をわかりやすくしてくださいました。
 それを聞いて僕は、確かに「おいしそうだ」と思いました。個人的に興味を惹かれる話題もありました。
 でも結局そのときは、参加できませんでした。
 そのあと個人的に長倉さんにお会いする機会があり、そのときに釜ヶ崎の労働者街(*マキのサイトに写真があります)などを案内していただきました。それはものすごいショックでした。同じ日本でこのような光景が見られるものかと、驚愕しました。
 
 長倉さんから電話をいただくまで、僕は「日韓」のことをほとんど考えたこともありませんでした。「日韓」どころか、学Yの全国プログラム自体が、僕からほど遠い世界にあるように感じていました。浦山寮から全国プログラムに参加する人がほとんどいなかったことも大きかったのかもしれません。

 僕は日頃から韓国と日本の関係について考えをめぐらしていたわけではありません。まして東学思想について関心を持っていたわけでもありません。
 実際、最近になって改めて韓国と日本の距離の近さを再確認したり、韓国語と日本語の類似点に驚かされたりしたものです。
 南北朝鮮が昔一つの国であったことさえ忘れかけていました。

 僕らは他のある国に対して、それが行ったことの無い国であっても、あるイメージを持っていると思います。それらは学校教育で植え付けられたものかもしれないし、ニュースなどによるものかもしれません。
 韓国に対しても、今僕が持っているイメージがあります。それが、実際に韓国の学生と会ってみて、どう変わるのかが楽しみです。
 また逆に、韓国の学生ひとりひとりが日本について抱いているイメージがどうなのかを知ることも楽しみです。極端に言えば、それは好意か敵意か、あるいはそのような次元を超えたものであるのか、日本は本当に日本人が思っているような「豊かな」国として世界の中に存在しているのか、などです。
 
 そしてもう一つ個人的に興味のあることは、言葉のほとんど通じない中でのコミュニケーションです。韓国の方々は身体的表現がさかんだと耳にしています。一方、日本人は身振りで感情を表すことが苦手だと言われます。楽しみなところです。

 最期に、正規の勉強会に出席できないにも関わらず、僕に参加の機会をくださった長倉さん、福富さん、名島寮で勉強会を開いてくださった森永さん、名島寮のみなさん、そして吉村さん、奥田さん、ありがとうございます。
 そして、この原稿がものすごく遅くなってごめんなさい。
 参加者のみなさん、よろしくお願いします。

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  ゲンシュウノ活躍

           第9回日韓交流プログラム・スタッフ  福富明日香

こんにちは。私は第9回日韓交流プログラムにスタッフとして参加した活水女子大学シニアの福富明日香といいます。
長谷川君とは九州地区の活動で顔見知りでしたが、今回一緒に韓国へ行く機会を得て、長谷川君の韓国での様子を皆さんにお伝えしたく思い、大変簡単で申し訳ありませんが一言寄せさせていただきます。

第9回の参加者は南は浦山寮から北は仙台の渓水寮と、全国からメンバーが集まりました。初対面の人同士も多かったのですが、長谷川君は「ゲンシュウ」というニックネームで皆に親しまれ、レクレーション係として出発前から準備に余念がありませんでした。

韓国では初日こそ韓国の学生との英語でのコミュニケーションに戸惑いを見せていましたが、翌日からは彼本来の人懐こい性格と明るさを発揮してみんなの人気者になっていました。風邪気味でしたが自己管理で乗り切り、周囲に心配を掛けなかったところはさすがだなと頼もしくおもいました。
 プログラムにも積極的に関わろうとし、「僕でできることがあったら教えてください」と運営自体を手伝う意志があることを言葉にして伝えてくれて,とても嬉しく感動したことを覚えています。私自身が代理スタッフということで不安を抱えての参加でしたので、このゲンシュウの言葉は特にじんときました。
 一参加者として存分にプログラムを楽しみながらも、スタッフや運営に関わる役職に在る学生への配慮も忘れない彼の視点は素晴らしいなと心から思いました。

 これからも日韓や九州地区の活動を造っていくキイパーソンとして活躍してくれることを願っています。
 いろいろありがとうね、ゲンシュウ。お疲れ様でした。
 


このページの作成者:竹佐古真希(東北地区共働スタッフ)
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