オオカミニュース キャンプ感想 アメリカの大自然保護の話し


オオカミニュース

International Wolf Center (November 1999) からの news によると、去る10月、アラスカ議会(立法部)で、1996年11月の野生生物保護法の1条項が廃止され、航空機を利用してオオカミ及びその他の捕食者を銃撃することについての規制が緩和されたということです。これまでは、オオカミその他の捕食者を撃つ場合、航空機から降りて、少なくとも300feet 歩かなくてはならなかったそうです。96年以前には、オオカミ管理の名目で、航空機からの射殺を含め、多数のものが殺されていたのに対し、オオカミ保護の国際世論が強まり、規制が法律に盛り込まれたそうです。オオカミにとって、また厳しい状況になっているのでしょうか。


WOLF-PALS −キャンプの感想

山中湖合宿 雑感
 山中湖畔、小倉さんの敷地に7月30日メンバーは集合、キャンプを張った。今回は、大学生と子供たちの若いメンバーばかり、林の中に賑やかな声が溢れかえった。

小倉さんは、カナダやイギリスをまわり、各地の環境保護活動に触れ、今年2月から子の地に事務所を設営し、一人でコツコツとログハウスを立てる準備をされている。将来は環境保護にかかわるNGOのセミナーハウスを創りたいと夢を語られる。私たちは、彼の敷地に始めてキャンプを張るNGO第一号だそうだ。1年にわたる鳥獣保護法「改正」運動から、3年後をめどとした新しい野生生物保護法制定をめざす運動に、私たちWOLF-PALSの事務局も参加を決め、1年間のハードな活動にお疲れさまを言い今後の息の長い活動への様々な想いを巡らせる。
 子供たちは日々成長し、若者達は一歩づつ大人への階段を登ろうとしている。
私たちをとりまく世界は、まるで歴史の流れに逆行するかのような日々が続く。彼等より、ほんの少し長くこの地球という星に生きた私たちが、今彼等に何を語れるのだろう?それぞれの夢を、パズルのようにあてはめて、美しい世界を創り上げるには、心の中の何が必要で何が不必要なのか?
「美しい」という言葉が価値観として今一度甦るためには
・・・夜空にきらめく星を見上げて、深いため息ひとつ・・・
夏のキャンプ地での感想です。

―ワタリガラス―

注:諸般の事情により小倉さんは活動の場を移動されましたのでお知らせします。

「オオカミと自然について語り合う」キャンプ報告
テーマ「日本へのオオカミ再導入は生態系の回復に繋がるか?」

8月21日、22日、秩父荒川村で行われたWOLF-PALSと「日本オオカミを探す会」共同主催のキャンプは、前週末の大雨により困難を極めましたが、多くの方の協力により無事終了することができました。参加者は22名、老若男女プラスワンちゃんも参加し、またスカイパーフェクTVの取材も入り、賑やかなキャンプとなりました(放映は12月6日〜)。
 当日夜は時折降る激しい雨の中、廃材を利用して一人で創り上げたという山小屋でみんなで手作りしたきのこ鍋を囲み交流を深めた後、テーマである日本へのオオカミ再導入について語り合いました。
 出された意見は
・天敵導入による野生生物の個体数のバランス調整は過去成功した例がない。
(マングースなど、かえって元の生態系を脅かしている例が多い)
・野生生物は本来の生息地でこそ生きるべきで、人間の都合だけで勝手に移動 させるべきではない。

・日本オオカミ生存の可能性も残されている現状で、外来種オオカミの導入は 危険である。
・オオカミが都合良くシカを食べるかは不明。
・環境の変化によって個体数が減った場合、その予防策として急激に個体数を 増やしてしまう生き物もいる(シカもそう)。シカの場合も、オオカミに数 を減らされた予防策として逆に増えてしまう可能性もある。
・アメリカのイエローストーンでのオオカミ再導入でも、様々な問題が起きて いるのに、動物保護の理念が遅れている日本では、導入をマネしようとして もより大きな問題になるだけ。陸続きでオオカミが移動可能なアメリカ大陸 と日本を同様に考える事自体が危険。自然環境もまるきり違う。
・人間が壊してしまった生態系、人間の側が生活や考え方を変えずに動物だけを動かしてうまくやろうというのは身勝手。
・自然というのは、複雑な仕組みで動いている。人が手を加えれば加えるほど、変になっていく。これは、昆虫の研究で身をもって知ったことである。
・中国のトキがあくまで中国トキでニッポニア・ニッポンでは無いように、中国から導入するオカミは外来種であり、移入種の侵入である。
・日本では移入種による生態系の攪乱が問題になっている。これ以上の移入種導入はやめるべき。
・現実にシカの被害にあっている立場としては、オオカミ導入でも何でもいいから、とにかくシカを減らして欲しいというのが切実な願い。
・シカやサルの被害が増えたのは、針葉樹ばかりになったから。昔は野生動物 などめったに見られることは無かった。
・以前、ウサギの被害を減らそうとキツネを導入したことがあった。ウサギは いなくなったが、キツネもいなくなってしまった。>オオカミもそうなる?
・オオカミに対して神格化しすぎるのは危険、インドではオオカミが子供を襲っている。オオカミが人やイヌなどを殺傷する力がある生き物であることを忘れてはいけない。
・鳥獣保護法改悪で、日本の野生動物は危機に陥るだろう。既存の野生動物たちが危機に瀕しているのに、さらに外来種の導入をするのは危険。
・シカの被害対策にしても、野生動物保護にしても、地元との合意形成が大切である。現場に足を運んで耳と目を傾けることが大切。

以上のような意見が出されました。
実際にシカやサルなどの被害に遭われている方たちの意見も聞くことができて、有意義な話し合いになったと思います。
また、日本オオカミを見た、声を聞いた、という方たちの話も聞かせていただき、「日本オオカミを探す会」との交流も深められたことも実りあるものだったと思います。
翌日は、好天の中、秩父地方に点在するオオカミに関係のある神社を巡り、日本オオカミの頭骨を所有する方を訪問し、頭骨を見せていただき頭骨にまつわる話しも聞かせてもらい、日本オオカミへの思いを馳せた日となりました。
参加された皆様、ご苦労様でした。またいつの日かお会いしましょう。
                      すずき あつこ

「キャンプに参加して」


 今回残念ながら、初日は雨に見舞われキャンプファイヤーも出来なかった。
しかし、悪条件の中でしか体験できないことも沢山あるということだ。かえって、そうした時には、後々語りぐさとなるような面白い事が生ずるものである。山小屋の穂の暗い照明の元での語らいは、深く心に残るものがあった。
雨中の夜半、遅れてご参加くださったNさんの、皆を呼ぶかぼそい声に、一瞬息を飲んだのは誰であったろう。
山、緑、そしてそこに暮らす様々な生き物たちに夢を乗せ、心をくだく仲間たちとの集いのキャンプ。心にしみぬわけがない。
もっと、もっと、心を伝えたい。もっと、もっと、仲間の心を識りたい。
                     伊藤 和貴


「アメリカの大自然保護について」
.......イエローストーン公園レンジャーの話

 春から秋にかけてイエローストーン公園でパークレンジャーをされ、冬は日本に滞在されている(奥様が日本人)S.Braun氏のお話を聞く機会があった。
興味深い数々の話のなかで、とくに心に残ったことを簡単に記したい。
アメリカでは、1〜2才から自然教育をし、パークレンジャーの遊びをしながら、正しいキャンプの仕方や、野生動物との交流を学ぶ。大人は、新しい法律が決まる以前に、必ず、新聞によって広報活動がなされ、人々は民主的に、法律作りに参加できる。
例えば、現在、裁判所に委ねられている「オオカミ プロジェクト」の場合、まず、新聞に会議を提示、30万人の声を聴く事から始められた。このプロジェクトは30年間、600万ドルをかけ、160頭にオオカミを増やしたが、現在、其の事が違法とされ、彼等の運命は次の裁判所での判決によって定められようとしている。 また、アラスカでは、ムースを増やすためにオオカミを殺しているが、例えば、アメリカでも、家畜を守るために何十万頭ものコヨーテを毒殺したが、ブラウン氏によれば、むしろ、コヨーテを殺さない方が被害は大きくならないという。
なぜならば、家畜は獲物ではないという事を知っているコヨーテまでも殺してしまう事により、コヨーテ全体の、知識や、教育などが崩壊し、結果、安易に家畜を襲うコヨーテが増え、被害は拡大する。
 このブラウン氏の話は、かつて、私達の会の発足のきっかけとなったカナダの環境保護活動家D.ギャリック氏の話を思いださせる。 彼は、野生の生きものたちの中にも、文化や、伝統、教育があり、特に、オオカミの群れにおいては、年を経て知恵を持った者が若者を教育し、一人前のオオカミとしての生き方を伝える。しかし、闇雲にオオカミを殺すことにより、群れはバラバラになり、伝統も、文化も失われ、人間との軋轢が増大する。
 また、鳥獣保護法が「改変」され、国内の野生動物たちは厳しい状況になりつつあるが、ネットワーク運動の中でであった人々の中に、一すじの希望を見た。
日本ザルの被害にたいし、闇雲にサルを殺すのではなく、学習させたサルによって被害を防ぐ方法を普及させようと寝食を忘れて活動されている「獣害総合研究所」の高木氏である。 
 高木氏も、ギャリック氏も、ブラウン氏も、国も生きる場もそれぞれ違うが、自然に向かう姿勢はみごとに一致している。それは、人間も大自然の一部であり、人間自身が、自然や、野生の生きものから学ぼうという、一番大事な姿勢なのだろう。私達人間が、そのような立場に身を置き、謙虚なまなざしで彼等を見つめた時、おのずと、人間と野生の生きものとの共存の道が示されるという事に他ならない。


鈴木 雅子