INVASIVE…


 侵入種はinvasive species の訳語だが、侵入種よりも侵略種と訳すべきことばだ
と思う。侵略というときまず思い浮かぶのは植民地主義時代に世界各地で先住民族を
追いたて、彼らの土地を奪い資源を収奪し抵抗するものを根絶していたひとびとのこ
とである。森が焼かれ草原が切り開かれ農地、牧場、都市などに姿を変えるなかで数
知れない生物種も絶滅に追いやられた。南北アメリカ、オーストラリア、そして、ア
イヌ民族の土地であった北海道などなどで起こった惨劇は、しかし、人類歴史の進歩
のためになされたこととして正当化された。
 あるエコシステムに入りこんだものが、そのシステムに寄与することなく奪い、在
来者を追いたて害毒を排出する場合、そのようなものを侵略者と呼ぶべきだろう。そ
して、侵略者として最悪な存在は人間それも現代文明人と呼ばれるものだろう。広が
り続ける都市、政治支配や巨大利益のための武器と化した大規模農業、PCB、DDT、ダ
イオキシン、「環境ホルモン」など生態系を攪乱し破壊する化学物質、原子力発電や
核実験、核兵器開発や使用に伴って排出される放射性物質などかつて見られなかった
ほどの破壊が続く。巨大空港や大規模海上交通の開発に伴い意図的、非意図的な生物
種の移動が巨大なスケールとスピードでなされる。侵入種といわれる生物たちはいず
れもこのような人間行為の結果として連れこまれたり新たに作られたりしたものたち
である。侵入種対策として根絶を第一義的なものとするべきならば、まず根絶される
べきものは現代人と彼らに付随する家畜類、農作物であろう。別に根絶を待つまでも
なく現代人は数知れない生物種を道ずれにして自滅への道を急いでいるようにも見え
る。しかしわれわれ人間によるこれ以上の破壊を放置することも人類の根絶を選ぶこ
とも許されない。
 植民地主義時代に遠方からやってきたひとびとを先住民族は客人としてもてなし、
あらたな土地で大地とそこに住むものたちとつきあって生きて行くための知恵をも授
けた。しかし、大地をあらゆる生命たちとの共生の場と見るのではなく、所有物占有
物として考えた植民者たちが侵略を始めたとき、先住民族はこれに抵抗して戦った。
そして根絶路線をとったのは侵略者の側であり、植民者に置き去りにされた幼児をわ
が子として育てたのは先住民族たちだった。
 人間だけが特別な存在であり、他の生物を管理し利用し、利用できないもの害を成
すものは排除し殺すことを当然とするという考え方は「文明人」にとっては常識のよ
うでもあるが、これは、彼らよりも圧倒的に長い時間あらゆる生命たちとともに生き
てきた多くの先住民族の生死観とは根本的に異なる。北アメリカの先住民族のひとつ
である北シャイアンの居留地で育てられたタシナワンブリから聞いた狩猟についての
はなしを紹介したい:
「わたしたちにとって狩猟はレクリエイションではない。獲物を追う長い忍耐の時
間、森の中で木漏れ日に揺れる小枝の動きを感じ、幼いものたちを育てながら精一杯
生きているものたちのいのちの掛け替えのなさを心に刻む。そのいのちをいただい
て、待っているものたちのために持ちかえる仕事は命がけのものです。狩るものは自
分が狩られるものに相応しいことを証明しなければならない。狩るものが殺されるこ
ともあります。獲物を持ちかえることができるとき、それを誇りに思ってよい。で
も、殺すことそのものに喜びを求めることは決して許されません。」
 食べ食べられるという網目のようなつながりによって編まれる壮大な生命の輪。そ
れぞれが絶えず変化し関係しあっているこの輪のなかで生きる営みを続けてきた先住
民族たちにとって季節の変化などに応じて移動して回る場所はそれぞれがまさに生命
の場であり、そこにすむあらゆる生命たちのそれぞれが掛け替えのない存在である。
一方、現代文明人は破壊力を力と勘違いし、エコシステムの極一部について知識を得
たことをもって自然世界の管理人であるかのように振る舞い、自分たち自身による侵
略行為についてはそれを制限することさえ十分にはできないにも拘わらず狩ることを
楽しみとして奨励したり、有害鳥獣や侵入種とされる生命を殺すことを積極的によい
こととして進めたりする。
 侵入種問題は現代人問題である。わたしたちのものの見方、生き方について根本的
に見なおすことから始めることこそ問題解決のための本道であろう。それぞれが生き
る場所の大地を掛け替えのないものとするような考え方、生き方への変換をはかるこ
とがまず必要である。地域の自立、自足への方向。そのための農政、交通行政に始ま
るシステムの見なおし。大規模単一種耕作や商業植林による生態系の破壊の中止と生
態系の回復。生態系攪乱と生息域分断を招いている交通システムの見なおし。水に住
むいのちたちを破壊している河川改修や護岸工事、湿地埋めたてなどを止め自然河道
や浜辺、湿地の回復をはかること。遺伝子操作によるこれまでなかった生命体の導入
や安易な移入種を利用する農業や牧畜業の方向転換。野生生物を生息域から引き離し
て移動させることの禁止。などなどまず人間社会の問題として始めるべきことが山積
している。
 導入されてしまった侵入種対策についても先住民族から学ぶべきことがあると思
う。侵略者と戦っていたときにも彼らはあらゆる生命にたいする尊敬の念を持ちつづ
け、殺すことそのものを良いこととは考えなかったはずである。かりに彼らが物理的
に滅ぼされることになっても大地の生命が絶たれることがなければ一番大切なものは
生き続け、やがて傷が癒されることを信じたのだと思う。エコシステムについてわた
したちに解っていることは極少ないこと、生態系に手を加えれば思いもよらない連鎖
反応が起こり得ることなどについても、わたしたちは十分理解していなければならな
い。自然(エコシステム)の本来持つ治癒力の邪魔をせず、それを助けることがわた
したちにできること、なすべきことの第一であると考える。本来人間によって管理さ
れるべきものたちをコロニーのような場所に囲い込み責任を持って管理することが必
要になる場合もあり得よう。しかし、侵入種といえども彼らもまた生命である。侵入
種の根絶は原則的に避けるべきだとわたしは考える。

「第4回移入種(外来種)問題を考えるシンポジウム」〔主催:生物多様性JAPAN]
2002.1.27発表

 弥永健一(生命の輪)iyanagak@sta.att.ne.jp

 オオカミとは直接関係ありませんが、命への考え方、今後のあり方など、個人的に
感じていることと非常に近い文章に巡り会えましたので掲載させていただきました。
あつこ