同じ二本足
タシナ・ワンブリ

 一粒でも自分の口に入れる前、祖父が天と地の霊たちに、氏神である狼の頭骨にも、そして大切な馬たちの霊にも食べ物を食べさせた。その時から30冬の後、私、東北のマタギの家でも同じ行為を見ました。老マタギのシカリさんが熊の頭骨をはじめ、あらゆるいきものたちの霊に食べ物を差し上げたんです

決して必要以上に殺したり邪魔をしたりしてはいけない。同じ心。
 そのような文化の中に生きた私、今の熊殺しを理解できない。熊が現われて二本足の人間がパニックに落ち、仔熊でも母熊でもただ殺すしかないとは、余程人間が自然界から遠く離れてきたとしか思えない。

 私、幾度も殺されている熊を見たんです。熊は人間の声で泣くんです。熊は自分の両手で自分の眼を隠して天を仰ぎ泣くんです。二本足の人間が人間のことしか理解できないなら私こう言う、あなたたちに一番近いのは熊ですよ。あなたたちと同じく母の胸の両乳房で育ち、同じ二本足で立ち、同じ心を持っているんですよ。それなのに、最近の熊殺しは無知と恐怖のせいで起こっている。
 狼の血を持つ者である私の声に耳を向ける人が少ない。耳を向けても私が言うことを「極論」と思われるに違いない。それでも言う。人間が「万物の霊長」なら、人間がそんなに知恵を持つなら、人間に心があるのなら熊たちに食べさせてあげたら…熊が生命を繋ぐには、あなたたちの昼の残りの柿の実が必要です。この冬を越すため食べ物が必要です。あなたたちには、いくらでも他の食べ物があるでしょう。熊たち程飢えていないでしょう。せめて、慈悲を持って熊に道を譲って存分に食べられるようにと、言っています。天と地はあなたたちだけのものではない。分け合うことは忘れましたか。譲り合いはそんなに難しいものなのか。

 熊は危ないと言う人々。しかし、戦争や今の世の苦しみをつくっているのは熊ではない。あなたたち人間ですよ。「危ない」のは、あなたたち自身です。

 熊は強い。確かに。しかし、それは生きるため。偉大なる霊が熊をつくったのは高慢になりやすい人間に自分より強いものがあることを示すためでした。それなのに、人間が「うちの子に危ないから熊を殺さなければ」と。けど、母熊の我が子への愛情は人間の女に負けないものですよ。母熊が自分の仔を身体の下において、自分だけが鉄砲の弾を受ける。「命の重さ、命の尊さ」を叫んでいる大人たちが熊殺しを進めている。そういう大人たちには、子供に命のことを言う資格がない。

 昔し、日本人は自然界と境の無い精神世界を日常として生きていた。人が鶴を助けて、その鶴が女の形をとって…昔し、日本人は世界に誇るべき自然界との一体感に立つ文化を生きた。しかし、それもただただ昔話のようになったらしい。
熊の死ひとつひとつによって、その美しい世界が遠ざかる。
熊の苦しみは人間の重荷になる。人間は自分の魂まで殺している。
熊のいない世には人間の心もない。


2004年11月07日


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