湯浅誠『反貧困----「すべり台社会」からの脱出』岩波新書
益岡賢
2008年5月10日


最近、テレビでもよく見かける湯浅誠さんの最新刊(といっても私はテレビを持っていない)。

言葉に、力がある。

現場で地に足のついた活動を続けると同時に、自分が日々直面している事態を明晰に見通す意志を持った人だけが手に入れることのできる、言葉の力がある。

論理的に明快なので、すらすらよめるはずなのだが、言葉の力を前に、何度も立ち止まる。そして言葉が読後に戻ってくる。

リーロイ・H・ベルトン氏は、アメリカの児童虐待研究の蓄積を踏まえて、こう【次のように】断言している。
「二〇年以上にわたる調査や研究を経ても、児童虐待やネグレクト[筆者注・育児放棄]が強く貧困や低収入に結びついているという事実を越える、児童虐待やネグレクトに関する真実はひとつもない」

誰もが同じように「がんばれる」わけではない。「がんばる」ためには、それを可能にする条件がある。「自分は今のままでいいんスよ」という言葉が、現状への充足感を表現しているのか、それとも諦観や拒絶・不信感に基づくものなのか、それはその人の“溜め”を見ようとする努力の中で見極められなければならない。そして後者の場合、その言葉は何よりも“溜め”を回復するための条件整備を求めている。そのとき、“溜め”を増やすことなく、ただ御題目のように「がんばれ。誰だってそうしてきた。誰だって大変なんだ」と唱えても、状況を好転させることはできない。

貧困の規模・程度・実態を明らかにすることを拒み続けた末に【厚生労働省が】出してきた資料が、貧困問題の公認のための材料になるどころか、最低生活費の切下げ、国民生活の「底下げ」のための材料に使われた。この事実は、二〇〇七年段階における、日本政府の貧困問題に対する姿勢を如実に物語るものとして、人々の記憶に刻まれていい。

【生活保護申請をさせないようにしようとする自治体が数多く存在することをめぐって】各自治体で生活保護を担当している福祉事務所社員も、全般的な社会保障費の抑制、自治体の緊縮財政化と公務員バッシングの中で、常に限界を越える仕事を抱えている。「水際作戦」【生活保護申請を窓口で断念させようとするやり方】の問題が単に担当公務員の資質の問題としてのみ処理されてしまうのであれば、結局は公務員の身分保障を切り崩すことに利用されるだけで、公共サービスの民営化によるダンピングに帰結してしまうだろう。

障害者の人たちが長年かけて浸透させてきた概念の一つに「バリアフリー」がある。誤解してはいけないのは、駅にエレベータをつけたり、歩道の段差をなくすこの「バリアフリー」は、障害者の人たちが「かわいそう」だから進めるのではない、ということだ。少なくとも障害者の人たちは、そうは主張していない。医療過誤訴訟やハンセン病問題にも取り組んできた弁護士・八尋光秀氏は次のように書いている。
「変わらなければいけないのは、不具合を不具合のまま続けている社会のほうです。(中略)なすべき社会の援助がうまく機能していない。そのような意味では社会に「障害」はあるし、「障害」は人間ではなく社会のほうにしかないということです」

湯浅氏の前著『貧困襲来』(山吹書店)には、購入して読むのが難しく公共図書館で借りなければならないような人々に読んでもらいたいといった趣旨があとがきに書かれていた。

『反貧困』は、社会的には誰もが読むべきもの、というだけではない。

年間10万冊近い本が出る中で、読むこと・本に接することの意味がじかに活性化される経験を味わうことのできる、希少な本でもある。

巻末にこの本で言及された団体の案内が掲載されている。ここでは、反貧困ネットワークだけ、リンクを張っておく。


仕事と家庭事情とコンピュータ事情が混乱していたため、益岡ページは二カ月以上も更新していませんでした。

■ イラク・アブグレイブ

アブグレイブ虐待で有罪になった米国女性兵士へのインタビューがあります。

■ 辺野古・東村高江情報

現地からの最新情報があります。

■ 宇宙戦争

チェコのミサイル防衛反対国際オンライン署名があります。関連情報は、核とミサイル防衛にNO! キャンペーンをご覧下さい。

■ イスラエル「建国」60年

色々本が出たり出る予定ですが、その一冊。土井敏邦『沈黙を破る―元イスラエル軍将兵が語る“占領”―』(岩波書店)。


益岡賢 2008年5月10日

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