米国がイラク侵略を急いだ理由
イラクは経済封鎖を生き延びつつあった

トム・ジャクソン
CounterPunch原文
2004年2月20日


ブッシュ政権によるイラク侵略準備を振り返ってみると、侵略の理由については多くのことが書かれまた語られてきたことがわかる。ポール・オニール[米国元財務長官]が、ブッシュ政権は2001年9月11日よりもはるか前からイラク侵略を計画していたことは、広く報じられた。

ブッシュ政権によるイラク侵略占領の主な動機は、イラクの地下にある石油であると考える人は多い。私もそう考えている。けれども、ブッシュが何故侵略をかくも求めたのか理解するためには、ネオコンたちが歴史を永遠に書き換える前に、最近の歴史を振り返っておくことが有用だろう。

2000年夏の終わり頃から、対イラク経済制裁は大きく崩れつつあった。2000年8月、バグダッド空港が再開し、多くの国からたくさんの国際便が行き来するようになった。元の大敵であるイランからの航空便もあった。バグダッドでは年次貿易フェアが開催され、45カ国から1500社以上が参加するという驚くべき結果を生んだ。フランス、ドイツ、ロシア、スペイン、トルコそしてアラブ諸国のほとんどが参加していた。国連安保理では、常任理事国のうち3カ国[米英以外]が経済制裁への反対を主張した。

任期を終えつつあったクリントン政権は、多くの人々が「ジェノサイド的」と呼んだこの8年に及ぶ経済制裁政策を堅守したが、政府の最後の仕事としてイラク侵略を選ぼうともしなかった。クリントンもマドレーヌ・オルブライトも、任期の末期に、サダム・フセインが失脚するかあるいは任期終了まで、そのいずれが先かはわからないが、経済制裁を続けると述べた。経済制裁の影響で50万人以上の子供たちが死んでいるというユニセフが出した数値について尋ねられて「代価は払うに値した」[オルブライト]と語った政権の政策としては、驚くべきものではない。

ブッシュとその一味がホワイトハウス入りした後、ブッシュはすぐにコリン・パウエルを、経済制裁への支援取り付けミッションへと送り出した。ブッシュは、経済制裁が「スイス製チーズ、つまりあまり効果的ではない」と不平を述べていた。イラクにおける罪のない民間人に対する経済制裁の影響をはっきりさせようとする制裁反対活動家の圧力にもかかわらず、ブッシュ氏の「改正」政策がイラク人を助けるものにはならないことは明らかだった。

パウエルはアラブ諸国数カ国を回り、欧州経由で帰国した。各国は経済制裁反対の声を出し続けはしたが、バグダッドへの大規模な航空便運航を取りやめ、ビジネス契約を分け合おうという試みも停止したりした。

米国の主流メディアは、状況に人道的色合いをつけようとしていた。2001年2月27日、CNNは、「サウジアラビア、ヨルダン、シリアの指導者たちとの3日にわたる会談の後、パウエルは、米国は、イラク軍だけを標的とし、イラクの人々を標的とはしない新たな経済制裁を形作りつつあると語った」と報じている。

一方、ブッシュ氏はといえば、たまたま、経済制裁を米国中心の政策として確保することを明らかにした:「機能する経済制裁は、地域の集団的意志がその政策を支えるような制裁だ。米国が打ち出した政策に同意する諸国の同盟があるようなものだ。私としては、それが最も効果的な制裁である」。

パウエルは旅の目的を正直に話している:「これは経済制裁をゆるめるためのものではなかった。崩壊しつつあった経済制裁政策を救うための努力だった。我々は、自分たちが墜落しつつある飛行機に乗っていることに気付いたので、ちゃんとした高度に戻すための、制裁同盟を元通りにするためにすべきことをし、また、しようとしている」。

これらの「会談」がどの程度外交的なものだったかについては疑問である。たぶん、第一次湾岸戦争時の米国の国連代表と同じようなものだったろう。当時、対イラク武力行使承認に反対票をイエメンが投じたとき、米国代表はイエメン代表に「あれはあなたがこれまで投じた中で最も高く付くものだ」と述べた。その後まもなく、イエメンに対するすべての米国の援助が停止された。

パウエルの旅行後、米英は「スマートな制裁」について語り始めた。おなじみのシニカルな政策のまた一つである。イラク人に対する制裁の影響を減ずるとの名目で行われた「改訂」は、実際には、イラクへの持ち込みを禁止する製品の膨大なリストを作成するものだった。

結局、経済制裁への支持は失われた。国連では、米英だけが孤立して、経済制裁政策を強化するよう求めた。世界中の他の国々の企業は、イラクとビジネス契約を交渉していた。石油契約も含まれていた。米国は、急いで何かしないと、非常に大きなパイの非常に大きな一切れを失う状況に置かれていたのである。

そんなとき、9月11日の出来事[航空機がニューヨークの貿易センタービルとワシントンのペンタゴンに突入した]が起きた。アフガニスタンを爆撃した後、ブッシュは、イラク侵略占領への支持を取り付けるために、従順な主流メディアの大きな助けも借りて、集中的なキャンペーンを開始した。2002年にこのキャンペーンが進められている中、イラクの貿易フェアは前年と同じようににぎわっていた。

ブッシュ政権が登場したとき、世界第二の石油資源のコントロールと大規模な再建契約とは、他の国々の諸企業が手にしつつあった。これが、イラク攻撃をブッシュ政権が急いだ大きな要因であったと私は思っている。今、大規模な契約が、競争なしで、ハリバートンやベクテルを始めとする政権の友人たちに与えられている。

ブッシュ政権は、好戦的な世界観を巡って歴史を書き換えようと多大な努力をつぎ込んでいる。2001年9月11日の出来事が、「我々の好きな時と場所で」戦闘を行うことの正当化に使われている。2000年秋のイラクの状況について真実を語ることは、ブッシュとその仲間たちがイラク及び世界の多くの地域に対して喧嘩腰になったのは2001年9月11日の出来事に対する反応であるとする神話の形成を阻止する一助となるだろう。

トム・ジャクソンは、2000年夏イラクのバスラ市でイラク人家族と過ごした「荒野の声」使節団につてのビデオ、Greetings From Missile Street"の制作者。メールはcoffeeanon@yahoo.com.


整理すべきことのいくつか」にも少し書きましたが、自衛隊のイラク派遣やブッシュによるイラク侵略占領に多少懐疑的な主流派メディアの中に、大量破壊兵器が無かったことに言及して、イラク攻撃の「大義」が崩れたというような論を目にすることがあります。そこでは書きませんでしたが、何人かの人々も述べている正論として、仮に(事実に反して)大量破壊兵器が発見されていたとしたら、ブッシュによるイラク侵略の大義はさらになかったことになります。イラクのサダム・フセイン政権は、自らが攻撃されている中でも大量破壊兵器を使うことを自制したことを、従ってほぼいかなる状況でもサダム・フセイン政権の大量破壊兵器は脅威とはならないことを証明することになるわけですから[米国がソ連への見せつけとして崩壊しつつあった日本に原爆を投下したことを思い起こすことは興味深いことです]。[朝日のどこかの社説には、そもそも先制攻撃論が正しいかどうか問われるべきだという、珍しくまともな論点がありました。でも、正しくないにきまってるじゃん・・・ということはやんわりとしか書いていない:とはいえ、こういう所は局所的にでも激励するのがよいのでしょう。]

東ティモールでインドネシア政府/軍[米英日が大規模に援助していました]とその手先の民兵が虐殺を進めている中、コソボには介入したのに東ティモールに介入しないのはダブルスタンダードだという議論が見られました。このような議論は、いくつかの点で根本的に倒錯しており、一見もっともらしいために危険なものです。第一。インドネシア軍や民兵による東ティモールでの虐殺については、既に米英日は十分介入している。インドネシア軍への最大の武器提供国として、あるいは政府への最大の援助・支援国として、虐殺を促進する側にたって。第二。コソボでの「介入」は、セルビアによる虐殺を促すことになり、NATOによる空爆も併せて、人道的破局を引き起こした/大規模に悪化させた。

地理的・歴史的に範囲を広げてニカラグアやエルサルバドル、グアテマラ、コロンビア、インドネシア、チリ等々への米国の介入を観察すると、それらがほぼ一貫して、人権侵害や虐殺を引き起こすかたちで介入していることがわかります。つまり、行為のレベルで観察するならば、残念ながら、米英やそれに追従する日本は、一般的な結論としては、人権侵害や殺害を行う側に荷担して/立っていることになります。ところが、「東ティモールに介入しないのはダブルスダンダードだ」と言うと、あたかも、介入するしないが問われている主体の「スタンダード」が人道的なものであり、それを恣意的に適用したりしなかったりすることが問題であるかのように、状況が提示されることになります。

実際には、虐殺を行っているインドネシア軍を支援するかたちで介入しているのに。コソボでは人道的破局を促進し悪化させたのに。様々な状況を見ると、米国や英国の軍事行動や日本の外交は、多く/ほとんどの場合、人権侵害や虐殺、人道的悲惨を促すことになっているのに。つまり、実際には米国や日本の「スタンダード」はむしろ人権侵害に荷担することであり、その「スタンダード」そのものが問題視されるべきなのに、米英日の政策を「ダブルスタンダード」と批判することは、米国やら日本やらがまことしやかに語る「自由や民主主義」あるいは「復興支援」などが行為においても妥当するとの前提を受け入れて、その上で、「そのスタンダードに反する」とか「反しない」という疑似問題をまことしやかに作り上げてあたかも問題を批判している構図をねつ造することに与することになっています。

例えば、Aという人が「自由」とか「人権」とか「民主主義」を語りながら、ある家に侵入して人を殺したとしましょう。また別の場所でBという人が人を殺しているのに際し、A氏は何もしなかったとしましょう。A氏を巡って問われるべきなのは、A氏が言っていることとやっていることの乖離(すなわちちょっとした虚言癖)でしょうか。A氏が「自由」とか「人権」とか「民主主義」を語りながら、B氏の殺人について何もしなかったことでしょうか?A氏については、何よりもまず、単純に、不法家宅侵入と殺人の罪が問われるべきであるはずです。A氏が人を殺してしまったのは既成事実だから、それは認めようという現状追認から出発しない限り、A氏の言葉と行為の乖離(のみ)が問われたり、B氏による殺人へのA氏の不介入が問題視されたりすることは、本来あり得ないはずです。

ブッシュ氏や小泉氏、石破氏などなどの言葉がメディアで広く伝えられており、それを巡って様々な議論があります。あまりに馬鹿げているので、これらの人々の言葉を何らかのかたちで批判するのは難しくはないですが、基本的な問題をふまえておかないと、上の「ダブルスタンダード」論のように、議論がどんどんずれていってしまう恐れがあります。ブッシュ氏や小泉氏が言い、マスメディアが繰り返することで固定しようとする「視点」が判断や認識の出発点となるのではないし、なるべきではありません。基本的な認識をふまえず、現状追認におちいって、そのままずるずるに判断や発言の視点をずらしていくことには注意する必要があります。

イラクにおける大量破壊兵器の有無など関係なく、イラク侵略は不法行為であり犯罪であること。大量破壊兵器の問題を問うのであれば、米ロ英仏等の大国の大量破壊兵器を何よりも問うのが順序であること。残忍な制裁を行った上で不法に侵略して破壊した地を自分たちの都合の良いように操作することは「復興支援」ではないし、仮にイラクの主権がイラクの人々の手にわたったとしても、米英が再建に対してする行為は「賠償」であるべきです。

「我らが」川口外相は、1月17日に開催された同志社大学の特別講義(主催=同志社大、読売新聞社、後援=外務省、文部科学省)の質疑応答(この「講義」では反対意見を言った学生はつまみ出されたとの情報も入っています)で、劣化ウラン弾の影響について、「世界保健機関(WHO)が(米軍などの空爆があった)コソボで調べた研究では、健康に(害を)及ぼすものではないというのが結論だ。国際的には、危険があるとは判断されていない」と、唖然とするようなことを述べました。

2004年に入って、英国では、劣化ウランの毒性による被害への賠償請求が認められました。毒をくらわば皿まで?毒を食った時には、できるだけ早く吐くものです。そしてそれ以上毒を食べ続けないこと。行ったからにはがんばれというのは、最も悪しきかたちの現状追認の一つでしょう。

3月20日、反戦・反派兵のラリーが計画されています。できるだけ幅広く広めて下さいとのこと。

益岡賢 2004年2月26日 

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