戦争と女性

パトリシア・ハインス
2003年3月13日
ZNet原文


米国主導のイラクに対する先制攻撃が今まさに行われようとしている。ただ一人の例外を除いて、現米政権の攻撃主唱者の中で、戦争で戦闘経験を持つ者はいない。ある戦争経験者が最近書いているように、「宣戦布告を行う者たちは、[代価の大きさを]知るべきだ」。そして、誰がその代価を払うことになるかについても。現代における戦争の最大の犠牲者は、一般市民である。そして、市民の犠牲者の中で、女性と少女はとりわけ意図的な標的とされ、戦争で大きな被害を受ける。

女性市民の死

20世紀を通して、戦争で殺される人々の中に占める一般市民(文民)の比率は増大していった。武装対立の中で使われる爆弾や武器は、一般市民男性と同じ位の数の一般市民女性を殺害し肢体不自由にしてきた。1999年代になると、戦争を直接的・間接的原因として死亡する人々の10人に9人が一般市民になった。20世紀の戦争で、市民の犠牲者、特に女性と子供の死者の比率が増大したのは、戦争テクノロジーと戦略の変化によるものである。空からのハイテク戦と大規模な火力が地上戦に取って代わった。そして、1991年に米国がイラクで行ったように、発電所や上下水道、病院や工場、通信システムといった市民社会のインフラに対していわゆる「精密爆撃」を行うという戦略が採用されるようになった。さらに、諸国の武力抗争において戦場というものが明確に定義されなくなり、武装兵士たちが、一般市民を標的として殺害や拷問、脅迫や追放を行うようになった。

第二次世界大戦以後、国内での紛争と人々の完全な抹殺意図が増加した。ナチスのユダヤ人に対する「最終解決」に類する方法は、ポルポトによるカンボジアの人々に対して、ユーゴスラビアでモスリムに対して、ルワンダでツチに対して、イラクやトルコでクルド人に対して、採用された。老若男女を問わずジェノサイドの犠牲となり、さらに女性は、民族を基準に殺害されたばかりでなく性的に悪用され性的拷問を受けた。中部アフリカのルワンダでは、1994年の3カ月間で、民族対立により100万人近くが殺害された。史上最も集中的に行われたジェノサイドであった。殺された人々のうち40%から45%は女性であると推定されており、50万人にものぼる女性や少女が強姦されたり性的な拷問を受けた。戦争の後、強姦を生き延びた多くの女性たちは、コミュニティから孤立し、猜疑の目で見られ、遠ざけられている。実質的に、社会的な死を言い渡されている。

強姦、性的拷問、性的搾取

戦争で女性に加えられる固有の危害として、女性を卑しめ攻撃し拷問するための武器として男性が振り回すペニスによるトラウマがある。軍買春所、強姦キャンプ、売春をさせるための性売買の増大は、男性による攻撃行為に依存しまたそれを公認する戦争の文化により促進され、女性と子供に特に破滅的となる、戦争が後に残す社会経済的廃墟により促される。けれども、戦時の拷問と性的搾取は、最近に至るまで、戦時残虐行為・戦争犯罪として体系的に記録され名指されてこなかった。それが開始されたのは、ユーゴスラビアにおけるムスリム女性に対する、そしてルワンダでのツチ女性に対するジェノサイド的強姦以来である。けれども、歴史が示すように、戦時の上級士官と軍事占領は、いつも、軍人による戦地女性の性的搾取を公認し正常なものと見なしてきたのである。戦争に参加するあらゆる政府が、兵士の「休息とレクリエーション」と称して軍買春所を作り、認め、あるいは黙認してきた。これについて、こうした統制は男性の性的攻撃を封じ込め、軍内の性病の伝染を抑え、兵士たちの戦争モラルを向上させるといったことを、私的に認めていた[中曽根元日本首相が「慰安所」を作ったことを自慢していたことを思い起こさせます]。

2002年2月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)とセーブ・ザ・チルドレンが、西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネの難民の子供たちに対する性的虐待の指摘を受けた調査報告を発表した。1500人の女性、男性、子供の難民に対するインタビューは、13歳から18歳の少女たちが、男性の援助職員に性的に利用されていたことを明らかにした。こうした男性の多くは、国内および国際的な非政府組織(NGO)の職員や国連職員、国連PKF、コミュニティの指導者たちであった。あるギニア出身の女性は「彼らは『一回のセックスで一キロ』と言った」と証言した。物品やサービスの配布権を握る地位にある援助ワーカーたちが地位を悪用して食料と引き換えにセックスを要求する状況の蔓延について述べたものである。インタビューを受けたある男性は、「NGOワーカーに提供する」姉妹や妻、娘がいない場合、油やテント、薬、ローン、教育、技術訓練、配給カードを受けられないことになると述べた。相対的な富と権力を持つ援助職員と平和維持部隊と、貧困と依存状態にある難民との間の格差により煽られる性的搾取は、大規模で確立したプログラムのあるキャンプで最も広まっていた。

地雷による負傷と死

農業を基盤とし自給農業を中心とする社会における紛争では、農民を殺すことにより人々を飢えさせようとする意図のもとに、農地や、水源や市場への通路に意図的に地雷が仕掛けられるため、多くの女性や子供が犠牲となる。世界中の90カ国にわたり、1億個以上の地雷や不発弾が、畑や路上、牧草地や国境地帯に、散らばって標識もないままに存在している。毎年、これらにより、1万5000人から2万人の人々が肢体不自由になったり殺されたりする。「スロー・モーションによる大量破壊兵器」と呼ばれるゆえんである。そして、犠牲者の70%が市民である。パキスタンのバホールでは何千もの地雷が散らばっている。アフガニスタンに対する戦争のときにソ連軍がパキスタンとアフガニスタン国境地帯に投下したものである。地雷犠牲者の35%近くが女性と少女であり、家畜の食物を取りに行ったり、農地を横切ったりといった日常の活動を行っているときに犠牲になる。けれども、地雷に関する教育は、まずモスクや学校で男性と少年に対して行われ、女性と少女への教育は、彼らが家で行うことが仮定されている。

アジアとアフリカでは、女性が農業で多数を占める。アフリカのいくつかの場所では、80%以上の食料を女性が生産している。肢体不自由になると農業を行うことができなくなり家族を養えなくなる。そして、夫はしばしばそうした妻を見捨て、それにより、しばしば、肢体不自由になった女性は路上で物乞いをするか性的に搾取されることになる。カンボジアでは、236人に一人が地雷の負傷により肢体を失っており、土地の半分近くが、耕作や人間による利用にとって安全でない。こうした状況では、戦争からの復興が進められるときに、さらに女性や子供の地雷による負傷者や犠牲者が増えることになる。平時の自給活動に戻り、蒔きや水を採集し、家畜を飼い、農業に従事するからである。

戦争寡婦

カンボジアの地方部では、家族を養う立場にある人の35%が女性であり、多くは寡婦である。子供を育てる若い母親の多くが生き延びるために売春をしなくてはならなかった。ネパールやバングラディッシュでは、インドの買春宿に少女たちが売られているが、こうしたところでは、寡婦の娘たちが母親を助けるために学校をやめたりそして特に売春をさせられるための売買の危険にさらされがちである。

アンゴラやボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、モザンビークやソマリアといった最近戦争で荒廃したところでは、成人女性の寡婦が非常に多い。ルワンダでは70%の子供が、母親や祖母あるいは長女により育てられている。ルワンダでは、推定5万8500家族で少女が家族を養っている。多くの戦争寡婦たちが、家の修復を助けてもらう男性の親類などがいないために難民キャンプで暮らすことになる。コソボでは1万人の男性が死亡したか失踪したと推定されているが、そこでは難民キャンプから帰還した多くの寡婦が何の社会的セーフティー・ネットもなくアドボカシ組織も不在の状況で貧困状態で社会的に周縁化されて暮らしている。

発展途上国に対する国連の家族調査では、多世代からなる家族内での寡婦の置かれた不平等で貧しい地位について記録しておらず、また、ホームレスの人々については全く欠けている。政治的・個人的危機を生き延びた寡婦たちは考慮の対象とされずまた特定もされず、その声は最も聞かれにくい。国連は、次のように結論している。「最も貧しい寡婦たちは、年老いて弱った人々、小さな子供を持つ人々、国内で追放されたり難民となった人々、そして、武力紛争により寡婦となった人々である」。

戦争難民

世界中の難民と国内避難民の80%は女性と子供である。20世紀後半の戦争の規模と性質により、過去にはなかったほど多数の人々が紛争を逃れて家を離れた。このため、1990年代には、多くの状況で、紛争そのものよりも、戦争により追放された人々が公共保健により深刻な影響を与えるほどとなった。ジェンダーに注目したデータは少ないが、それでも、難民キャンプでは、女性や少女は男性や少年よりも、汚染された水や汚物により多くさらされ、また、強姦や性的搾取の危険もより多く、場合によっては、地雷により手足を失うことも多い。女性と少女が基本的な日常必要活動を担い、食料や燃料、かいばや水などを調達し、ゴミを捨てるといった活動を行う一方、戦争により数の減った男性たちは、より簡単に女性を食い物にする。最近明らかにされた、西アフリカの難民キャンプにおける国連平和維持部隊や援助ワーカーによる少女や女性に対する性的搾取や、ボス二アにおける紛争後の信託統治領での国際警察による女性や少女の売買は、男性平和維持部隊や援助ワーカー、警察による略奪の実態と、そうした男性に食料や生活必需品、物理的安全を依存する難民の女性や少女が晒される危険を示している。

荒っぽい死亡率データは、追放の女性や少女に対する健康上のインパクトを覆い隠している。というのも、多くの社会・環境関係のインパクト・データと同様、データーがジェンダーにもとづく分類を示していることは稀だからである。 記録された数少ないケースの一つに、バングラディッシュのある難民キャンプがあるが、そこでは、1歳未満の女児死亡率は男児死亡率の2倍であり、5歳以上の少女と女性は男性の3.5倍の死亡率である。別の例として、ザイール東部の難民キャンプにいるルワンダの難民家族のうち、女性が長となっている家族は男性が長となっている家族よりも栄養失調が多い。ジェンダーにもとづくデータは少ないが、多くの人々が、難民の女性と少女は、男性と少年よりも死亡率が高いと結論している。これは、難民キャンプにおける保健や食料提供の体制が、男性と少年を特権的に扱うからである。ジェンダー平等が周知されていない場合、名民キャンプでは女性が長である家族や寡婦や少女たちは、食料や医療サービスを受ける列の最後におかれる。保護と平等法がない場合、食料と医薬品と引き換えに性を提供するよう強請られる。

20世紀後半と21世紀前半の戦争は、遠隔誘導された武器により遠隔から行われ、この距離により、戦闘員は自分が生みだした犠牲者の死と肢体切断を目撃しなくて良いことになる。市民の活動地域に植えつけられた残酷なおもちゃのように見せかけられた地雷も、それを空から植えつけたり地上でばらまいたりした者たちから遠いところにあり、製造工場からは何千マイルも離れている。一方、軍時強姦や性的搾取は、女性の体に対して面と向かって加えられる。戦争のトラウマに苦しむすべての人々の中で、女性と少女が軍事的文化により最も大きな代価を払わされる。というのも、軍事的文化により、男性は年齢やジェンダー、文民資格等にかかわらず無差別に殺害するよう指示され、さらに、軍事基地周辺や、武力紛争時、そして紛争後の平和維持と占領時に、女性と少女に対する男性の性的攻撃が多めに見られるからである。

結論として

米国が主導した1991年のイラクに対する戦争とその後続けられている経済封鎖は、イラクが1980年代に(抑圧的政権下でイランに対して戦争を行ってきたにもかかわらず)達成された社会・経済的成果をすべて消し去り、女性に対して巨大な困難を引き起こした。女性への家庭内暴力は増加し、離婚も増加した。そして、この戦争で最も大きな犠牲となったシングル・マザーや寡婦の中には、困窮して、生き延びたり家族を養うために売春をせざるを得なくなった人々もいる。イラク社会における少女と女性の識字と教育は崩壊し、地方では、性徴期以前の早期結婚が復活した。

現在米国が行おうとしているイラク攻撃は、1991年の湾岸戦争よりもはるかに多数の死者が出ると多くの人々が予測している。都市に落とされる爆弾は史上最も集中的なものとなり、それは、医療体制や社会サービス体制を破壊し、食料や水、電気や薬を奪い、爆撃とその後に50万人もの人々に死をもたらす。200万人の人々が家を失い難民となると推定されている。国民の大多数が15歳未満であるイラクで、米国の攻撃に対して最も高い代価を払わされるのは、女性と子供たちである。戦争に要する国内予算が1000億ドルとされている米国内では、貧しい女性たちとその子供たちが、すでに自らの生活により代価を支払わされている。というのも、住居、食料、教育、健康保険といった最も必要なものが、連邦レベルでも州レベルでもカットされ、廃止されているからである。

「正義の戦争」に関わるあらゆる原則により、米国が計画しているイラクに対する先制攻撃は、それが安保理により承認されたとしても、それを仕掛けた側の不正と道徳的破滅である。

パトリシア・ハインスはボストン大学の保健学部の環境保健学科教授。


 益岡賢 2003年3月15日

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