アメリカ合衆国とイランとイラク


アメリカ合衆国のブッシュ政権は、現在、イラク侵略の際に持ち出したのと同じような嘘をイランについて持ち出し、イラン攻撃の準備を進めていると言われています。その一つは、イラクでレジスタンスが使っているEFP(爆発型貫通装置)は、イランで製造されイラクに持ち込まれている、というもの。

ここでは、それをめぐる記事を一つ(Falluja, April 2004と同時掲載)および、イラン攻撃を目論むアメリカ合衆国と日本の関係について以前紙媒体に書いた益岡の記事を一つ、同時掲載します。

国際的陰謀ではなく、機械工場だけがあればよい
イラクでは、誰でも爆弾を作ることができる

アンドリュー・コックバーン
2007年2月16日
CounterPunch原文


爆発型貫通装置(EFP)として知られる爆弾----イラク駐留米軍兵士にとってとりわけ致命的な武器となっている----はイランで作られイラクに輸出されている。ブッシュ大統領は、最近、こう断言した。けれども、昨年の11月にバグダードの工場を襲撃した米軍兵士たちは、直径4インチの銅製ディスクの山を発見している。明らかにそのとき注文されたものの一部であることがわかる印がついていた。この不吉な発見----なぜか現在まで報道されていない--- - は、イラクのゲリラたちがEFPを入手するためにイランに頼る必要はないことをはっきりと示している。

実際、作り方さえわかっていれば、EFPを作るのは簡単である。EFPを作るために必要なのは、政府の監視が必要となるような複雑な工程ではなく、銅製のディスク、強力な爆発物(イラクでは容易に入手できる)、そして容器----ちょっとしたパイプのようなもの----である。私は、こうした装置を専門としているペンタゴンのアナリストに、これを一つ作るのにいくらかかるか聞いてみた。「20ドルだな」。彼は簡単に計算してこう答えた。「かかったとしても、30ドルだろう」。

EFPは、爆発物を圧縮して溶かし、凹型に押し型されたディスクからできた金属製の発射物を特定の方向に発射するかたちで機能する。イラクに駐留する兵士たちは、EFPを特に恐れている。というのも、EFPはM?1戦車の装甲に穴をあけられるだけでなく、小型軽量なので、これまでの即席爆発装置(IED)-- --大型の砲弾を用いることがしばしばだった----と比べて、見つからずに運んで設置することがはるかに簡単だからである。

「標的を狙った5ポンドのEFPは、エネルギーのほとんどを標的以外に向けるこれまでの200ポンドIEDと同等あるいはそれ以上のダメージを与えることができる」とペンタゴンのアナリストは言う。米軍は(遅ればせながら)IEDの脅威に応えて、ハムヴィーをはじめ、防御力の弱い車両の「装甲を強化」したが、EFPは最も厚い装甲さえ「バターを貫通するように」貫通する、とあるイラク人退役軍人は私に語った。

現在のところ、これらの武器は、米軍に対して用いられる爆弾のうちわずかな部分を占めているに過ぎない。ペンタゴン筋によると、占領軍兵士が発見したIED3000個の中で、EFPはわずか2・5%だった。けれども、装甲車両の中にいる兵士たちがEFPをどうしてそこまで恐れるかは、別の統計が示している。EFPが用いられている率はわずかなのに、昨年11月以来の爆弾による米軍犠牲者の15%はEFPによっており、しかもその比率は刻々と増加している。この状況が意味するものを考えたいならば、1990年代にイスラエルがレバノンでした経験を参照すればよい。そうすれば、「それらの爆弾がイスラエルをレバノンから追い出した」と同じ結果を生むるかどうかがわかるだろう。以前、ペンタゴンで武器の効果を専門としていたある人物は、はっきりと私にこう述べた。

米国政府が、ほとんど情報がないにもかかわらず、イラクでEFPが増えていることをめぐって、すぐさまヒズボラーの同盟者であるイランを非難したのは、ヒズボラーがEFPについて専門知識を有していた過去があるためである。けれども、EFPの歴史はそれ以上に由緒正しい。IRAは北アイルランドで英軍兵士にこれを用いて致命的な打撃を与えたし、第二次世界大戦中にはフランスのレジスタンス戦士たちがドイツ軍に向けてEFPを用いた。誰かがタリバンにEFPの作り方を教えるのも時間の問題であるし、そうすればアフガニスタンに駐留するNATO軍も同じ試練に直面するだろう。

EFPが致命的な兵器であることは知られていたにもかかわらず、元米国国防長官ドナルド・H・ラムズフェルドは、軍「転換」プログラムの中でそれを考慮しなかった。「実際、ラムズフェルドが米軍に遺贈したのは、未来型戦闘システムだった。これには1680億ドルという巨額の費用をかけたコンピュータとセンサーそしてロボットが含まれる。ロボットの提案者たちは、これは敵を殺すのに極めて有効なので、米軍車両の装甲など全面的に廃止してもよいと考えていた」。

様々な「手製の」爆弾、とりわけEFPが無視できなくなると、ラムズフェルドは通常の手続き通り、問題に金をつぎ込むことで対応した。

この問題に対処するために、「共同IED撲滅」タスクフォースが結成され、昨年には33億2000万ドルの予算が割り当てられたが、ほとんど何の効果も生まなかった。確かに、現在イラクの路上をパトロールしているハムヴィーには、一つ10万ドルもする専用の妨害機が二つ取り付けられている。これらは、路肩の爆弾を爆発させる電波を妨害するためのものである。けれども、相手側は単に起爆装置を有線に変えたり、赤外線装置に変えるだけである。遠隔カメラを備えた100の塔----一つあたり1200万ドルである----が、幹線道路に爆弾を仕掛ける者を監視しているが、攻撃と犠牲者の統計はまったく改善されない。

ラムズフェルドの親分である防衛専門学者アンドリュー・マーシャルは、未来型戦闘システムを正当化するために「軍事の革命」というキャッチフレーズを売り込んでいる。けれども、軍事における真の革命は銅製ディスクにあり、それは「我々」の不利に働いているのである。

アンドリュー・コックバーンはRumsfeld: His Rise, Fall and Catastrophic Legacy の著者。

石油・イラン・日本・米英

益岡賢
2006年4月


アザデガン油田開発 米、日本に凍結要請 イラン核阻止へ障害

イランの核兵器開発の動きに対する国際的な反発が強まる中で、米国政府関係筋は、ブッシュ政権のゼーリック国務副長官やジョゼフ国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)らが、日本政府に非公式な形でアザデガン油田の開発を少なくとも中断するよう要請したことを明らかにした。米国議会でも同様の要請を行う動きが目立っている。米国側は日本側に対し、国連の対イラン経済制裁の成否にかかわらず、同油田開発停止を強く求めており、日本側の対応次第では、日米関係に深刻な摩擦を生むおそれが出ている。(産経新聞 2006年3月23日)

イラクとの国境に近いイラン南西部で1990年代末に発見されたアザデガン油田は、埋蔵量250億バレル、可採埋蔵量は30から60億バレルにのぼるとも推定される世界有数の大油田で、日本が「自主開発」する最大の油田でもある。ハタミ大統領時代に日本企業に優先的な開発交渉権が認められたもので、日本の国際石油開発株式会社とイラン国営石油会社の子会社が共同で開発しており、2010年前後に本格生産に入ることが予定されている。日本が自主開発する油田の、超目玉である。

アザデガン油田に限らず、エネルギー部門における日本とイランの協力は、かなり活発に進められてきた。実際、2003年度の統計によると、イランからの原油は、日本の原油輸入全体の15・9%を占め、サウジアラビア(24・7%)、アラブ首長国連邦(23・4%)に次ぐ第三位である。一方、イランの原油輸出先として日本は第一位で、輸出量の27%が日本に来ている(以下、韓国と中国がともに11%、イタリア10%、南ア、ギリシャ、トルコ、台湾・・・・・・と続く。世界最大の石油輸入国である米国が基本的にイランから石油を輸入できていないことに注意しよう)。

日本にとって悲願とも言えるこのアザデガン油田の開発に「水をさす」のが、2006年以来とりわけ激しくなっている、「イラン核問題をめぐる」米国の対イラン強硬姿勢である。米国は、日本に対し、この一環として、アザデガン油田開発の中断を求めており、冒頭の記事に限らず多くのメディアでこのことは報道されている。イランが核兵器開発を進めているという疑惑に対し、国際社会が足並みをそろえて強硬な態度をとりつつある中で、いったい日本は何をやっているのか。石油欲しさに、世界の平和と安定をめぐる原則的立場を放棄したというのか・・・・・・。米国では、政府・議会レベルだけでなくメディアでも個人のブログでも、こうした論調、そして、日本はイランのようなならず者国家とのつきあい方について米欧の態度を見習うべきだといった議論が多い。

このような中で、

「日本政府は核不拡散問題で欧米と歩調を合わせるが、安保理でイランへの経済制裁の論議が具体化した場合、国際協調とエネルギー安全保障の板挟みになりかねない」(朝日新聞 2006年1月23日)。

日本の主流マスメディアには、こうした論調の記事が多数掲載されている。

***

ところで、歴史をたどってみると、日本は、イランとの石油通商関係をめぐって、以前にもこれとよく似た状況におかれた経験がある。

1979年、イラン革命によりパーレビー朝のシャー(米国の後押しによるクーデターでモサデクを追放し政権の座を奪回した独裁者でのちに述べるようにアムネスティ・インターナショナルはシャーがイランで行った人権侵害を「信じがたい規模」と述べており、革命後、シャーの秘密警察SAVAKを指導するためにCIAが用いた女性を拷問する手法のビデオなども発見されている)が追放され、イラン・イスラム共和国が成立した。同年11月、イラン人学生のグループがテヘランの米国大使館を占拠して外交官ら数十人を人質に取り、シャーの身柄引き渡しをアメリカ合州国に求めるという事件が起きた。英仏等の西欧諸国は、米国に歩調を合わせ、人質事件を強硬に非難する態度をすぐさま表明し、また、米国はイランからの石油輸入禁止を各国に呼びかけた。

ところが、イランとのエネルギー関係を重視したためか、日本は、人質事件への非難表明に立ち後れ、さらに、日本企業が高値での大規模な石油輸入契約をイランと結んだのである。これに対し、米国では大きな日本非難の論調がわきおこった。イランが大使館員を人質に取るという暴挙に出ているのに対し、国際社会が足並みをそろえて強硬な態度をとりつつある中で、いったい日本は何をやっているのか。石油欲しさに、世界の平和と安定をめぐる原則的立場を放棄したというのか・・・・・・、というわけである。

「核兵器開発疑惑」と「大使館人質事件」。背景をまったく抜きにして事態を見るならば、相手を非難する理由として、それぞれに説得力がなくもないものではあるが、それにもかかわらず、同じ形式が反復して現れるときには、喧伝される理由とは別に----とりわけ、その理由が、関与するプレイヤーにより主張されているものである場合には----何か同一の要因が関係している可能性を疑ってみる必要がある。そこで、両出来事に関係している、石油の観点から、関係するプレイヤーの背景を簡単に振り返ってみよう。

***

日本の石油政策は、第二次世界大戦後の当初から、米国の政策に規定されていた。当時、米国政策立案の中枢にいたジョージ・ケナンが、日本の石油輸入を米国が支配するという制約のもとで日本の産業化を進めるよう米国政府に提言し、米国政府はこの政策を採用した。それ以来、日本の石油輸入や精製は、かなりの部分、米国の統制下に置かれ、日本の石油政策は、おおざっぱに言うと、国際資本からの石油供給を維持することを第一に配慮して行われてきた。

1979年、日本企業がイランとの石油輸入契約を結んだ背景には、中東戦争とイラン革命を契機とした二度の石油ショックの中で、国際資本による日本への石油供給引き締めが進んでいたという事情がある。現在、アザデガン油田の開発に日本が力を入れる背景にも、世界的な石油需要の伸びに対する供給増加への全世界的な不安、米国の石油輸入増大、中国の石油消費の増大、カフジ油田(ペルシャ湾にある日本の自主開発油田で日本の会社アラビア石油が権益を有していた)の喪失など、石油供給が不安定化するかもしれない状況が存在している。

900億バレルという世界第5位の残存埋蔵量を誇り、1979年の革命後は米英および米英系の国際資本の関与が小さくなったイランは、日本にとって、米国を刺激しない限りにおいて、とても好ましい原油の供給源となっている。ただし同じことは、歴史的に海外石油権益の少ない中国や韓国にも言える(中国は、イラン西部にあるヤダバラン油田の権益を確保するなど、イランとの関係を強めている)。日本が、アザデガン油田開発を中断したら中国が開発に介入してくると米国に説明しているのは、このためである。

***

ここで、イランと英国・米国の関係を、やはり石油を中心として図式的に整理しておこう。

1900年頃までに、「列強」諸国から治外法権を認めさせられていたペルシャ(1935年よりイラン)カジャール朝のモザファル・オディン・シャーは、1901年5月、英国のウィリアム・K・ダーシーに対し、イラン=ロシア国境地域の一部をのぞく全土について、60年の石油探索・採掘・輸出権を与えた。イラン政府の取り分は純利益の16%だった。1908年からペルシャ南西部で大規模な石油が発見され、1909年にはロンドンでアングロ=ペルシャン石油が成立されて、ダーシーの権利を買い取った。ペルシャが最初の採掘権料を受け取ったのは1913年のことである。1914年、英国政府がアングロ=ペルシャン石油株の51%を保有し、実質的に同社は英国政府の企業となった。

第一次世界大戦の際には英国がペルシャを占領し、それ以後は、実質上英国の支配下に置かれる。英国との不公平な石油採掘協定に対する反対や英国の支配への反発が、人々やペルシャ議会(マジリスと呼ばれ、1906年に成立している)のあいだで続く中、1925年には、石油利権を確保したい英国の支持もあって、カジャール朝にかわりパーレビ朝が成立し、その後も英国による石油の搾取と実質支配が続く。中心的な石油産地のアバダンは、アパルトヘイトのような状況にあったという。

第二次世界大戦後、世界的に非植民地化の動きが強まる中、イランでも石油ナショナリズムは高まりを見せ、1951年には、マジリスで首相に選出されたモハマド・モサデクのもとで、アングロ=イラニアン石油(旧アングロ=ペルシャン石油)の国有化が可決され、国営イラン石油公社が設立される。

この国有化を、「英国からの略奪を提唱するイランの野蛮人集団により」、英国の「品位と正当性と理性は不遜にも拒絶された」(米国国務長官ディーン・アチソン)事態と見なし、米国が介入することとなった。1953年、CIAが後押しするクーデターにより、米英の後押しのもとでパーレビ朝シャーの独裁体制が復活・完成し、また、これを機に、イランの石油利権は、大幅に、英国から米国の手に移った。このときから、1978年から79年のイラン革命によるイラン・イスラム共和国成立までが、米国とイランの蜜月期間である。

ちなみに、アムネスティ・インターナショナルは、1976年、シャー独裁下のイランを、「死刑率は世界一であり、正当な文民法廷体制はまったく存在せず、累々たる拷問が行われており」、「その規模たるや信じがたいほどである」と述べている。米=イラン関係専門家のエリック・ホーグランドが言うように、「シャーの独裁体制が強くなればなるほど、米国とイランの関係は親密になっていった」。米国は、シャーの独裁体制を使って、イランの民族主義者たちから石油を守っていたのである。

1978年から79年のイラン革命、そして前述のイラン人学生によるテヘランの米国大使館占拠事件は、こうした背景のもとで起きた。また、革命イランを敵視し、大使館占拠事件を非難する米国が、イランから石油を買った日本にも批判の矛先を向けたことはすでに述べた通りである。

手先たるシャーを失ったこの出来事により、米国は、中東を支配するために代理人に頼るだけでは不足で、直接手を下す必要が出てくるとの判断を強めた。1980年1月、カーター大統領は、任期最後の一般教書演説で、次のように述べている:

「われわれは、外国の勢力がペルシャ湾岸地域を支配しようとすることを、米国の死活利益に対する攻撃と見なす。したがって、米国は、そうした攻撃を、軍事力を含む、必要なすべての手段をもって撃退する」。

イラク革命、そして1980年のソ連によるアフガニスタン侵略を機に、米国は中東に照準をあわせた米軍の再編を行い、緊急展開部隊を創設して大規模な予算をつけている。

その後、周知のごとく、イラン=イラク戦争においてサダム・フセインを米国が支援しはじめたことにも表れているように、米国は、一貫して、イランでの覇権を失わせたホメイニ政権とその後の政権に対して敵対的な態度をとり続けてきた。

ところで、当時のイランと米国の関係について、現在を読み解くためにも興味深いエピソードがある。ちょうど人質事件の当時、米国ではカーター前大統領とレーガン大統領候補との間で大統領選が戦われていた。レーガン側は、11月に予定されていた選挙よりも前にカーター政権が人質解放に成功すると自分の側が敗北すると考え、イラン当局筋と秘密裡に交渉して、武器提供と交換に、レーガンが大統領になるまで人質を解放しないよう求めていたのである。実際、人質が解放されたのはレーガンが大統領になったあとであり、米国は約束通りイランに対し秘密の軍事援助を提供した(これが後にイラン=コントラ・スキャンダルに発展する)。

米英が自己申告するプロパガンダ(およびそれをオウムのように繰り返す日本の主流メディア)を通してではなく、単純に事実的な観点から見ると、イランと米英の歴史的な関係は、石油を中心とするイラン関係利権の米英による支配と、それに抵抗するイランの民族主義的との相克のプロセスである。その中で、米国は、自らの利権と覇権を確保するために、一貫して、クーデターを後押ししたり独裁政権を支援して拷問法を教えたりといった行動を取ってきた。「大使館員を人質にするという理解しがたい犯罪行為」や、「イランの野蛮人集団」が「品位と正当性と理性」を「不遜にも拒絶」した許し難い出来事などへの非難が、その時々の都合で持ち出された宣伝であることは、反復するパターンの中に観察される見かけ上の変異としてはっきりと表れる。

***

もう一つ、米国の支配下にない他の産油国との形式的類似性を指摘しておこう。

まず、イラクについて。第一に、米国は、フセイン政権下のイラクで石油を支配できず、その恩恵を受けていなかった。第二に、イラクではロシアやフランス、中国などが、フセイン政権と石油採掘契約交渉を進めており、米英主導の経済制裁が終わり次第、これら諸国がイラクの石油を得る見通しだった。第三に、米国は当初、フセイン政権の「大量破壊兵器」を口実としてイラクを侵略した。第四に、メディアは、こうした背景を何らチェックすることなしに、米国政府の宣伝だけを繰り返している。

また、ベネズエラに目を向けるならば、第一点目については、イラクと状況は同じである。さらに、ブッシュ政権は、正当な選挙によりブッシュ自身よりもはるかに高い支持率で当選し、国際的な監視下での国民投票でも信任を得たチャベス大統領を「非民主的」な「独裁者」と非難し、クーデターにも手を貸してきた。

なお、例えば、イラクには大量破壊兵器は事実として存在しなかったのに対し、イランは核兵器開発を実際に進めているかもしれないといった相違はあり得る。けれども、こうした相違は、利権・覇権のために自分に従わない政権を粉砕してきた米国のイランにおける歴史、そしてイラクやベネズエラに対するふるまいを見るならば、米国のイラン威嚇という事態を、米国が喧伝する口実から離れて冷静に理解するための重大な手がかりとはなり得ない。

***

最後に、日本政府が現在置かれている、朝日新聞言うところの「国際協調とエネルギー安全保障の板挟み」に戻ろう。1979年に起きた米国による日本非難の理由は、米国が主張するような「人質事件」の重大性にはなかった。当然、現在、米国が日本によるアザデガン油田開発を批判する理由も、米国が言うように「核兵器開発疑惑」にはないのではないかとの疑念が生じる(実際、もう一つ付け加えるならば、イスラエルが核兵器を保有していることは周知の事実である。そして、よく知られているように、米国は、これに反対するどころか、強くこれを後押ししてきた)。

とすると、イランへの威嚇の中で、米国政府が日本政府にアザデガン油田の開発を中断するよう要請した背景にある理由は何か、これについても、イラクの現状が参考になるかも知れない。米国による2003年のイラク侵略前、イラクの油田に手をかけていたのは、カナダのレンジャー石油社やショーヴコ・リソーシズ社(アイラン・ザラー油田)、ロイヤル・ダッチ/シェル社やロシアのルクオイル社(ともにルマイラ油田)、フランスのトータル・エルフ社(マフヌーン油田)、中国国営石油公社などであった。米国のイラク侵略後、これらの契約・利権は宙づりにされ、米国の支配下でイラク石油利権は大きく再構成されることになっている。

米国がイランを侵略し占領するならば、ほぼ同様の事態が予測できる。いずれにせよ、日本とイラン政府によるアザデガン油田開発は、他の国による他の利権とともに宙づりにされ、米国の支配下で再構成されるだろう。とするならば、日本政府が現在置かれている立場は、リベラルな朝日新聞言うところの「国際協調とエネルギー安全保障の板挟み」ではなく、「米国の全面的配下でのエネルギー安全保障か、独自の保証経路をわずかでも保つかの板挟み」ということになる。

こう見てみると、冒頭に引いた産経新聞の記事中にある、

「米国側は日本側に対し、国連の対イラン経済制裁の成否にかかわらず、同油田開発停止を強く求めており」

というくだりがきちんと理解できるようになる。また、それに続く

「日本側の対応次第では、日米関係に深刻な摩擦を生むおそれが出ている」

という文が示唆する、問題はいささかも米国の側にはなく、ひとえに日本側の対応のみが問題となっているという立場の位置づけもまた、明快になる。

私自身は愛国主義者ではまったくない。しかしながら、こうした新聞を見ていると、右か左かに関わらず、「売国奴」という言葉が妥当ではないかと思わざるを得ない。

***

むろん、石油をめぐって歴史を振り返ることでこうしたことが明らかになるからといって、米国によるイランへの威嚇と侵略が、石油覇権を求めてのことであると単純に結論できるわけではない(イランを含む中東地域の石油支配確保は歴代米国政権が継続して重視してきた政策であり、今まさに、他のどの政権でもなくブッシュ政権がイランを攻撃するかもしれないというさらに特化した状況を説明するためには、論理的に言って、さらに特化した理由が必要となる)。また、日本政府の今後のふるまいを予想できるわけでもない。

そうであるとはいえ、ここで述べてきたような背景状況とそこから導かれるいささかの帰結は、多くのメディアがオウムのように、まるで確固たる事実であるがごとく繰り返す、「イラン核疑惑」に対する「米国をはじめとする国際社会の強硬姿勢」と「板挟みになる日本」という図式の目を覆うようないかがわしさを、メディア自身のどうしようもないいかがわしさとともに、否定しようもなく明らかにするものではあろう。


イラン侵略関係

イランに対する戦争に反対するオンライン誓願のページがあります。

(1)請願者の情報を入力する(*は必須項目)
(2)「Submit」ボタンを押す

それだけです。その後、「Tell a friend」というページに飛びますが、それは無視してもOK。アメリカ合衆国大統領・国防長官・国務長官へのメールは送られています。

東京都知事選が近づいています。都政・財政を私物化する石原都政の中で、都議会も「ワースト大賞」に選ばれました。

都知事選

石原慎太郎氏の発言:

「これを書いたのはIQが低い人たちでしょう」(熊本に水俣病視察に訪れた際、患者らが手渡した抗議文について・1997年)

「ああいう人ってのは人格あるのかね」(東京都の府中療育センターに入所中の障害者達を見て・1999年)

「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババアなんだそうだ」(2001年)

石原都政の真実については、サヨナラ! 石原都知事が詳しいです。ぜひ、ご覧下さい。

ひとりから始まる〜『君が代不起立』東京大上映会

2月23日(金)午後6時15分開場 6時30分開演(9時終了)
なかのゼロ小ホール(中野駅南口新宿方向へ5分)
・『君が代不起立』上映(87分)
・ミニシンポ「ひとりから始まる」
 制作者〜松原明・佐々木有美 出演者〜根津公子・河原井純子
参加費 当日1000円(前売・電話メール予約 800円)
主催 河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会(042-571-2921)
協賛 ビデオプレス http://www.vpress.jp/
賛同団体 被処分者の会・予防訴訟の会・都教委包囲首都圏ネットワーク・練馬区
教職員組合・町田市公立学校教職員組合ほか多数。
問い合わせ・メール予約は、TEL03-3530-8588 mgg01231@nifty.ne.jp ビデオプレスまで。

東京高裁、都教委を「違法」と判断

2007年2月14日、都教委「個人情報漏」洩糾弾裁判の控訴審の東京高裁裁判官(石川善則裁判長、倉吉 敬裁判官、増徳誠一裁判官)たちは、都(教委)が増田さんの個人情報を3都議(土屋・田代・古賀)に提供した件につき、地方裁判官(裁判長・菅野雅之、裁判官・杉山純一、岡本典子)による「プライバシー権は私生活情報に限るし、増田の損害は『軽微』だから、不法行為とはいえない」という原判決を取り消し、22万円の損害賠償を都(都教委)に命じました。

画期的なのは、「個人情報保護」の内容は、「プライバシー=狭い私生活情報」にとどまるものでなく、「伝統的,消極的意味におけるプライバシーの権利を保護するとともに、さらに、自己の個人情報の開示および訂正を請求する権利を保護することにより、積極的に自己の個人情報に関与するいわゆる現代的、積極的意味におけるプライバシーの権利の保護を目指したものである」と認定したことだとのことです。

チェチェン関係集会

日時:2007年2月24日(土)19:00-21:00
場所:文京シビックセンター学習室(地下1階)
住所:〒112-0003 東京都文京区春日文京区春日1−16−21
電話:03-5803-1119
交通:東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園駅」徒歩1分
 都営地下鉄三田線・大江戸線「春日駅」徒歩1分
 JR総武線水道橋駅徒歩8分
地図:http://www.b-civichall.com/access/main.html
HP: http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20070214#1171439461
参加費:500円
定員:64名
参加の条件:どなたでもご参加いただけます
主催:チェチェン連絡会議
お申し込み:事前のお申込みはご不要です
お問い合わせ:チェチェン連絡会議
 メール:clc@chechennews.org

9条改憲に反対する集会

《 憲法9条を泣かせるな ― 国民投票法案はダメ!― 3・10講演会 》
とき  2007年3月10日(土)
    14:00〜16:30(開場・13:30)
ところ 千駄ヶ谷区民会館
    渋谷区神宮前 1-1-10 Tel 03−3402−7854
    JR原宿駅「竹下口」から徒歩10分
講演者 斎藤貴男(ジャーナリスト 市民意見広告運動・賛同人)
    なだ いなだ(作家、老人党 市民意見広告運動・賛同人)
メッセージ 鶴見俊輔 澤地久枝 川田龍平 小森陽一 他
参加費 500円
主催  市民意見広告運動  http://www.ikenkoukoku.jp/ 
    市民の意見30の会・東京   http://www1.jca.apc.org/iken30/ 
連絡先 〒151‐0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷4−29−12−305
    Tel&Fax03-3423-0266  03-3423-0185
    E-mail:info@ikenkoukoku.jp 

益岡賢 2007年2月18日 

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