コロンビア:メディアの偏向

フィリップ・クライアン
2003年12月29日
CounterPunch原文


2000年以来、コロンビア軍は、コロンビア南部のプツマヨ州に焦点を当てて、対麻薬生産と不法武力グループ作戦を行なってきた。2000年は、米国がプラン・コロンビアとして知られる大部分が軍事的な援助パッケージで何十億ドルもの金をコロンビアにつぎ込み始めた年である。コロンビア軍は、最初の対麻薬旅団を小さなプルマヨ市郊外に、米国の資金で設置した。

3年たった今、このパイロット・プロジェクトが現地にもたらした結果について、コロンビアの全国メディアは、ほとんど報じない。とりわけ、右派準軍組織が、軍と警察の大規模な部隊とともに、プツマヨ州の都市部を統制していることについて、メディアは報じてこなかった。

コロンビア最大の週刊誌『セマナ』は、しばしば、ほとんどの全国メディアよりも、米国とコロンビアの軍事作戦に疑問を呈する。けれども、2003年1月1日から10月3日までの『セマナ』誌のアーカイブを見てみると、プツマヨ州を直接の題材とした記事は、たったの3つであることがわかる。このうちどれ一つとして、準軍組織については扱っていない。

2003年1月1日から10月3日までの9カ月間で、『セマナ』誌では51の記事がプツマヨに言及している。これら51記事の中で最も頻繁に取り上げられている主題は、コカ作物の空中薬剤散布による除去、コロンビア革命軍(FARC)ゲリラ、コロンビア軍、である。3記事が(ゲリラと準軍組織双方を含む)不法武装グループを一般的に、4記事が準軍組織を、扱っている。

これらの記事のほとんどで、「プツマヨ」はコロンビアの一地方として挙げられているだけである。

プツマヨの出来事を論じた3記事のうち、一つは、FARCが石油パイプラインを爆破したという一段落だけの記事、もう一つはプツマヨ州にどれだけコカが残っているかの比較統計、さいごの一つはプラン・コロンビアの元計画者ゴンサロ・デ・フランシスコによるプラン・コロンビアの擁護記事である。3記事で引用されているプツマヨ住人は一人だけ、州知事である。

2月8日の『セマナ』誌インタビューで、コロンビアの元人権オンブツマン、エデュアルド・シフエンテス・ムノスは、最近のプツマヨ州でのゲリラと準軍組織の戦いについて述べている。この珍しく直接プツマヨについて述べたくだりは、シフエンテスがプツマヨ南部の戦闘地ラ・オルミガを「プエルト・オルミガ」として引用しているために、印象が薄められてしまっている。

51記事のうちで準軍組織を扱った4記事では、すべて、「プツマヨ」はリストの一項目として現れているに過ぎない。4記事のうち2つは、準軍組織の「平和構築」について述べている。

ちなみに、1998年から2002年の間に、準軍組織は、プツマヨ州の都市部のほとんどを制圧した。お好みの手段は、虐殺、強請、選択的暗殺、公開拷問などである。

米軍の訓練を受けた対麻薬旅団が駐留し、それ以外にも約750人の軍人と警察部隊を擁するビジャガルソンでは、準軍組織が毎晩路上をパトロールしている、と現地の宗教指導者は語った。この指導者は、命を狙われるため、匿名にしてくれと求めた。

2001年以来、聖職者たちは、人口約7000人のこの町で、準軍組織による犠牲者170人を埋葬したと彼は言う。「けれども、犠牲者は遙かに多くて、その数はわからない。準軍組織は遺体を橋からモコア川に投げ捨てる」。

市民が準軍組織と軍や警察との癒着を法的に訴え出る窓口である地方検察官は、「準軍組織と一緒に酒を飲んだり踊りに言ったりする」とこの宗教指導者は言った。10月31日には、準軍組織が主催したハロウィーン・パーティーが、中央広場で行われすらした。

コロンビアの主要都市に住む住民は、コロンビア人も外国人も含め、プツマヨ州のようなところに住む住民とは別の見方をこの紛争に対してするのは不思議ではない。都市部の人々は、『セマナ』誌をはじめとする全国メディアでプツマヨ州といったところのことを知るだけであり、それはすなわち、何も知らないということなのである。

フィリップ・クライアンは、人権活動のためコロンビアで18カ月過ごし、米国に帰ったところ。本記事の短い版は、「コロンビア・ウィーク」に掲載された。クライアンはここに2週間毎のコラムを寄稿している。彼のメールアドレスは、phillipcryan000@yahoo.com。


この記事は、少し事情がわかりにくいものですが、基本的に、コロンビア国内でも、人権侵害の実状は主流メディアでは伝えられないという事情を簡潔に書いたものです。アチェでインドネシア軍が何をしているかについて、インドネシア内でも国際的にもほとんど伝えられないのと同様に。

コロンビアでは、「対麻薬戦争」から「対テロ戦争」へ。レトリックを変えて人権侵害が続けられます。「対テロ戦争」に名を借りた世界規模の犯罪行為(パレスチナ、イラク、アフガニスタン、アチェ、チェチェン等々)の一環を構成するものです。「対麻薬戦争」と称していたときには、米国は、議会の人権関係制約を逃れて軍事援助を行うために、人権侵害や麻薬に手を染めていないコロンビア軍部隊を捜し出すのに苦労していました。そのためにわざわざ新しい部隊をコロンビアに創設したほどです(記事参照)。また、アメリカ合州国内の米軍基地に出入りするコロンビア軍の機から大量の麻薬が見つかったこともあります。

プツマヨ州では、毒薬の空中散布により、作物だけでなく、人的な被害も大きく出ています。また、軍と癒着した準軍組織が、虐殺は公開拷問等を繰り返しています。米国から大規模な金を受け取っている軍が、準軍組織にいわば汚い仕事を「外注」しているわけです(この経緯については、ヒューマンライツ・ウォッチの報告書等に詳しく書かれています)。

「対テロ戦争」という名目のもとでの最近の動きは、準軍組織・軍によるFARCやELNゲリラへの攻撃とそれに対する抵抗という暴力に典型的に現されていますが、そうした中で、多くの労働組合員や学生、人権活動家が、とりわけ準軍組織の標的とされ殺されて行きます。「対テロ戦争」という名のテロ支援。インドネシアで民主化や人権の分野で活動する多くのNGOが、共同で、米国議会にインドネシア軍への支援再開を阻止するよう手紙を書いたことがありました。その手紙には、「テロリストの定義に従うならば、インドネシア軍こそがテロリスト」と明記されていました。

パレスチナでは、イスラエルが色々なところで殺害や家屋・果樹園の破壊を進めています。そうした行為への抗議行動要請一覧が、こちらにありますのでご覧下さい。

2004年元旦、日本の小泉首相が靖国神社を参拝しました。「すがすがしい」と述べたそうです。異常な感性に思えます(これについては、ここのページに色々タイムリーな感想が載っていて、参考になります)。とはいえ、イラク不法占領を行なっている米国の片棒担ぎをしようというのですから、一貫してはいるのでしょうが。戦地イラクへの自衛隊派兵に反対する緊急署名があります。また、1月以降の行動についても、色々なものが計画されているようです。
益岡賢 2004年1月3日

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