サント・ドミンゴ虐殺:ある証言

ルイス・ガルヴィス&ダン・コヴァリク
2005年10月10日
ZNet原文


[注:1998年12月13日、コロンビア空軍ヘリがサント・ドミンゴ村を米国製クラスター爆弾で爆撃した。コロンビア最悪の戦争犯罪の一つである。17人の民間人----そのうち7人は子供だった----が、この爆撃で殺された。ロサンゼルス・タイムズ紙が詳しく報じたように、この爆撃は、オクシデンタル・ペトロリアム社の命令で行われたもので、同社は治安契約企業(エアースキャン社)が使うスカイマスター機を提供して爆撃地の位置情報を提供しており、また、コロンビアのカニョ・リモンにある事務所でこの爆撃を計画していた。

当初、非難を逸らすために、コロンビア軍は、サント・ドミンゴの犠牲者は空襲で殺されたのではなく、FARCゲリラが仕掛けたトラック爆弾で殺されたと主張した。コロンビア軍のこの主張が嘘であることは以前から明らかになっている。独自の検死調査を行ったFBI、そしてFBIの解釈を受け入れた米国国務省さえ、コロンビア軍の主張が嘘であることを明らかにしている。ところが今になって、ウォールストリート・ジャーナル紙は、2005年9月23日の記事で、すでに十分明らかにされた虐殺の事実関係を無視して、コロンビア軍称する「ゲリラのトラック爆弾」説を蒸し返した。以下に紹介する記事は、サント・ドミンゴ虐殺を生き延びたルイス・アルベルト・ガルヴィスが、ウォールストリート・ジャーナル紙の記事に対して書いたものである。ウォールストリート・ジャーナル紙は、ガルヴィスの記事の掲載を拒否して自分の記事を擁護し、虐殺に関するコロンビア軍の見解だけを掲載する----もう一方の証拠が多い見解を無視して----のに何一つ悪いことはないと主張した。

注の最後に、米国会計検査院(GAO)による対コロンビア軍事援助に関する報告が、以前からアムネスティ・インターナショナル等の人権団体が主張してきたことを確認したことを指摘しておこう。すなわち、オクシデンタル・ペトロリアム社はコロンビア軍(悪名高いコロンビア陸軍第18旅団と空軍を含む)および地元のフィスカリア(検察庁)に対して直接軍事支援を与え、フィスカリアは、2004年8月第18旅団が殺した3名の社会活動家に対する逮捕状を発行していた。エコペトロル社(コロンビアの石油企業)とともに、オクシデンタル社は、年間865万ドルのこうした援助を提供している。----ダン・コヴァリク]

コロンビア、サント・ドミンゴ虐殺の真実

コロンビア、サント・ドミンゴの元住人として、また、1998年12月13日に私の町に投下されたクラスター爆弾により母と姉と従兄弟を殺され、生活を破壊された者として、私は、2005年9月23日に掲載された論説記事「コロンビアの村で起きた虐殺の真実を求めて」に対する反論を書いています。マリー・アナスタシア・オグラディの手になるこの論説記事は、実際のところ、虐殺の真実を求めるのではなく、この悲劇の日に7人の子供を含む17人の民間人がどうやって殺されたかをめぐる真実をごまかそうとするものです。

私は1998年12月13日のサンド・ドミンゴ爆撃をこの目で目撃しました。ヘリコプターが町の上空を飛ぶのを目撃し、爆発音を聞き、ヘリコプターからの煙を見たのです。何が起きたか調べに家に走っていったとき、コロンビア空軍(CAF)のヘリコプターが私に発砲してきました(同じヘリだったかどうかは定かではありません)。ほかの住人----中には非武装で敵でない民間人であることを示そうと白いシャツを掲げている人もいました----も、(「CAF」の)ヘリから発砲を受けました。家に着いたとき、建物がひどく壊れているのを目にし、父は重傷で、母と姉、従兄弟はヘリコプターから発射されたものにより殺されていました。

もう一人の住人----ノースウェスタン大学法学部の国際人権センターで開催された国際公聴裁判で私ともう3名のサント・ドミンゴ住民とともに証言した人です----も、同じ「ヘリコプターから白い紙を巻いたような複数のもの」が投下されたのを目撃しています。彼女は、それからすべてが暗くなり、何も見えなくなったと証言しました。彼女自身の肩が榴散弾でずたずたにされ、彼女の腕には今も榴散弾が残っています。ヘリコプターが投下したものです。

この日に起きたことの証拠を保存するために、サント・ドミンゴの住民たち----全員が小さい頃から私と一緒で、個人的な知り合いであり信頼している人々です----は、町中に広がる榴散弾を拾い集めました。これらは、爆撃の犠牲者の体から摘出された榴散弾とともに、FBIが分析し、FBIはそれが空中から投下された米国製のクラスター爆弾であると結論しました。さらに、シロ・ペニャという名の医師----彼は私の家族を含む死者の検死解剖を行った人です----も、人々はクラスター爆弾の榴散弾で殺されたと結論しました。ペニャ博士を黙らせるために、コロンビア政府は、彼がゲリラ寄りの活動をしていると非難し、2年間逮捕していました。最近、この告発は取り下げられました。これらの告発を支持するような信頼できる証拠など何一つなかったのです。コロンビア軍はまた、空襲について話させないよう、二度にわたり私を逮捕し、殴打し、サント・ドミンゴで起きたことについて話すのをやめろと言いました。今、私はカナダにいて、難民資格を申請しています。私の友人でやはり国際公聴法廷で証言したアンヘル・リヴェロ・チャパロは、サント・ドミンゴ爆撃の真実を語ったことにより永遠に口を封じられました。法廷で証言した直後、彼は、コロンビアのタメにある私の家で準軍組織に射殺されたのです。

こうしたことすべてを考えると、オグラディ氏の誤った論説を読んで苦痛と怒りを表明せざるを得ません。オグラディ氏は、すでに遙か以前に信憑性を失った説、すなわち、オクシデンタル・ペトロリアム社とエアースキャンの支援を受けたコロンビア空軍ではなく、ゲリラが、町に駐車していたトラックに爆弾を仕掛けたことで1998年12月13日の死を引き起こしたという説を再び持ち出しています。FBIもこの説を否定し、犠牲者の検死解剖に関するペニャの報告もこの説を否定し、コロンビアの文民法廷も最近CAFが爆撃に関与していたのだからサント・ドミンゴの犠牲者は政府から損害賠償を受ける権利があるとの判決を下すことでこの説を否定し、12月13日位置情報を提供するために上空を飛んでいたエアースキャンのパイロットがCAFが民間人を攻撃したことについて英語で罵倒の言葉を吐いたところが録音されているテープもこの説を否定しています。サント・ドミンゴ住民の目撃証言も、すべてがすべてこの説を否定しています。誰一人としてトラックの爆発を見た者はありません。多くの人が見たのは、上空を飛ぶヘリコプターから何かが発射されたことです。

最後に、オグラディ氏は、すでに信頼性の無いことが明らかにされている説を提唱する中で、FBIとペニャ博士が虐殺後に検査しクラスター爆弾の投下によるものだということをはっきり示している遺体は、コロンビア軍を陥れようとゲリラが町に運んできたという信じがたい主張に依拠しています。私の母と姉と従兄弟は----彼女らの遺体も解剖されたのです----、虐殺の後で町に運び込まれたものではないと証言できます。そうではなく、私の家族は、後に遺体が見つかったまさにその場所で殺されたのです。つまり、サント・ドミンゴの自宅でです。それを否定するオグラディ氏のおぞましい主張は、私がよく知っており今でも付きまとうこの恐ろしい現実において、何一つ根拠のないものです。

ルイス・アルベルト・ガルヴィス・ムヒカ
サント・ドミンゴ虐殺の生存者


次のような案内をもらいました。ぜひご協力を。

衆院解散・総選挙で廃案とされていた「共謀罪」が最上呈され、10月18日にも衆院委員会採決、11月1日の会期末までに成立 という日程が進められようとしています。

与党絶対多数という状況の中ではありますが、手をこまねいて座視するのではなく、できる限りの声と力を集めて異議申し立てをしていこうと、京都の地で緊急署名行動を立ち上げました。

第一次締め切りは10月17日という超短期的取り組みですが、ご協力ください、とのこと。

署名用紙は下記のHPからダウンロードできます。 http://kyobozai.hpcity.jp/
お一人分だけでも構いません。17日までに届くように投函してください。呼びかけ人の里中さんが17日の夜行バスで国会に届けます。18日が衆議院法務委員会です。最悪この日に委員会採決されるかもしれません。
とのことです。

コロンビアについては、フォト・ジャーナリスト岡原功祐さんが、写真をウェブサイトで公開しています。ぜひご覧下さい。

また岡原功祐さんの写真展(ダルフール内戦)が、2005年11月29日(火)から12月5日(月)まで新宿エルタワー28F・ニコンプラザ新宿内Nikon Stationで、2006年3月30日(木)から4月4日(火)まで新サンケイビル1F・ニコンプラザ大阪内Nikon Stationで開催されます。ぜひお出かけ下さい。
益岡賢 2005年10月13日

一つ上] [コロンビア・ページ] [トップ・ページ