米国の援助は人権侵害を悪化させている

2002年1月14日
ダグ・モリス
コロンビア・ジャーナル原文

2001年12月20日付けニューヨークタイムズ紙に興味深い記事が掲載された。コロンビアに対する米国の援助と人権状況との関連づけについて論じたものである。その記事の最も興味深い3つの箇所は、問題の核心に迫っている。そのうち一つは次のように述べている下りである。「ブッシュの外交政策に対して議会が[人権状況に関する条件を適用しようとすることにより]介入していると不満を表明する米国外交官もいるが、こうした人々は、それにも関わらず、議会の尺度が、コロンビアに対する援助提供や対麻薬戦略全般を阻害するものだとは考えていない。」言いかえると、何も変わりはしないだろうというのである。さらに、ブッシュ政権は、コロンビアでの人権侵害実行についてどのような制限も欲していないのである。一方、米国議会としては、活動家の働きかけにより、米国の軍事援助に条件を課そうという動きがある。というのも、コロンビア治安部隊及び治安部隊と一緒に活動する右派準軍組織が人権侵害を犯しているからである。こうした条件が「ブッシュの外交政策に対して議会が介入している」ということになるらしい。

市民の一部がしようとしているのは、米国政府が「援助」と呼ぶところの、悲惨さの「輸出を妨害する」ことである。ブッシュ政権は、前任者のクリントン政権と同様、大規模な人権侵害を促す外交政策にコミットしており、そうした外交政策に疑問を呈する人々は誰でも「介入して」いるとか、あるいは、司法長官ジョン・アッシュクロフトが言うように「テロリストを支援したり扇動したりしている」とされる。ニューヨークタイムズのくだんの記事は、また、次のように述べる。「米国はコロンビア治安部隊の人権レコードに関して長い間批判的であった。2月に、国務省は、その前の年全般にわたって、『軍と警察が深刻な人権侵害を行っていた』と報告した。それにも関わらず、米国政府はコロンビア軍に何億ドルもの支援をさらに行い、悲惨な人権侵害をさらに継続できるようにしようというのである。これは、公のレトリックと内密の目的との相違を如実に示している。

より正確には、記事は次のように書くべきだった。「米国は、西半球最悪の人権レコードを積み上げているコロンビア治安部隊に武器・訓練・資金を提供し支援している(米国の武器提供・訓練・資金提供を受けた国と人権侵害との相関は、長年にわたり、コロンビア以外の多くの国にも見られるものである)。公のレトリックとは裏腹に、米国は、同じことを続ける。現在、ジョージア州フォートエニングのスクール・オブ・ジ・アメリカズで、他のどの国からの兵士よりも多くのコロンビア兵士を訓練している」。

私が「平和の証人」と「スクール・オブ・ジ・アメリカズ」の使節として見たところによると、コロンビアの状況はほとんど以前と同じどころか、多くの点で悪化している。テロと暴力について語るべきことはたくさんある。これは、米国=コロンビア関係をはじめとする多くの国際関係で見落としてはならないことであり、そして、このテロ、暴力、戦争が、人々の生活に傷を負わせ、残酷なものにし、生活を破壊しているのである。残虐さとトラウマと破壊は、社会に沈殿していく。これは、9月11日の悲劇の後、米国でも観察できることである。20世紀の大虐殺とその残虐さは、すべての人々の頭に刻み込まれた教訓であったはずである。恐らく最も恐ろしいことは、この教訓は非常に明らかで、指導者たちもわかっているのではないかと思われる。米国政府お好みの大規模なテロは、結果が跳ね返ってきて、「ブローバック」と呼ばれる事態をもたらす。

コロンビアに限らず、こうした残虐さ、トラウマ、破壊の多くは、米国の政策の結果なのである。そして、それを変える立場にあるのは、我々である。コロンビアの人々は、「団結によってのみ、我々は暴力を乗り越えることができる」と言う。けれども、コロンビアの人々が経済的・軍事的暴力、薬剤散布の暴力、そしてその結果生じる感情的・心理的暴力を乗り越えるためには、我々米国の人々の団結、連帯も必要なのである。カンペシノたちは、米国に来て米国の政策を変えることはできない。その責任は、ここ米国に住む我々の手にあるのである。プツマヨの人々は、何度も繰り返し、「もしやつらが薬剤空中散布をもう一度行ったら、我々は死んでしまう」。

米国は、プツマヨでの空中散布を再開した。もし我々が傍観して、家を追われた人々の叫び、残虐な拷問や殺害、虐殺の被害者の叫び、毒を散布されている人々の苦しみに耳を傾けるのを拒否するならば、すべての抵抗が粉砕され弾圧されるまで、事態は悪化の一途を辿るであろう。それに対し、我々は、こうした犯罪を阻止し、ブッシュの対外政策に「介入」することもできる。行動を起こすことを拒否するなら、我々は自らに対し、ノーム・チョムスキーが述べたように、「誰が真の野蛮人なのか」と問わなくてはならないだろう。いや、我々はいずれにせよこれを問わなくてはならないのだ。答えはあまりに明らかである。

コロンビアの人権レコードは西半球最悪であり、そして、米国の軍事援助の最大の受け手である。コロンビアは、これまでずっと続いてきたこの興味深い相関の、最も最近の事例であるに過ぎない。コロンビアの前には、トルコが何万人ものクルド人を殺害し、何千もの村を廃墟にし、何百万人もの人々を家から追放していた。使っていた武器のほとんどは米国が提供したものである。そして、トルコの前は、エルサルバドルが何万人もの人々を殺害し、そしてその前は・・・と続く。

アフガニスタンに世界の目が注がれている中、コロンビア及び他の場所でテロを支援するという米国の政策は変更無く続いている。米国は、足を至る所に延ばした巨大なタコのようである。米国の武器輸出額は、第二位以下の14カ国をあわせたよりも多く、世界の武器販売の約半分をコントロールしている。昨年、コロンビアでは456の虐殺事件が起こり、31万9千人の人々が家を追われた。1日平均1000人が2001年に追放されているのである。家を追われた人々の数は西半球で一番多い。

「米国はコロンビア治安部隊の人権レコードに関して長い間批判的であった」というニューヨークタイムズを信じるべきだろうか。恐らくこの記事は、ボブ・グラハム上院議員のような人々のことを指しているのだろう。彼は、米国が利害関係を持つ施設に対して、昨年何百もの攻撃がしかけられたことを理由に、コロンビアで「対テロ戦争」を行おうとしている。彼が言っているのは、石油パイプラインに対する攻撃である。彼にとっては、むろんこれこそが人権侵害である。というのも、重要な人たちの利益を最大化する行為への妨害だからである。労働組合の指導者たちやカンペシノ、先住民の指導者たちを、米国の支援を受けた軍と近しい準軍組織が殺害することは、人権侵害には相当しないのだ。こうした人々の関連から、このような殺害は、土地と労働の搾取に適した環境を作るという点で人間への利益なのであり、もちろん、その利益は、たまたま、重要な人たちにとってのものなのである。

コロンビアで我々は追放された人々と会い、殺されかねない過酷な状況で人々が結成した支援・連帯グループと会った。ボゴタでのある会合では、我々は40名ほどの追放された人々と会った。ほとんどは女性で、そうした女性たちの知り合いの男性の多くが、準軍組織の死の部隊により殺されたり「失踪」させられたりしていた。我々の多くが、「追放された」という言葉を聞いた。これは恐ろしく聞こえるが、恐怖の深さは、遠くからではわかりにくい。

ある女性が、我々に、追放されることの意味を語ってくれた。ただA地点からB地点に移動するというのではない。「彼らはあなたの土地、あなたの食料、あなたの家、そしてしばしば「失踪」や殺害、虐殺によりあなたの家族と友人を奪い、あなたの支え、コミュニティ、文化、歴史を奪う。彼らは私たちの家畜を、私たちの目の前で焼き殺し、あなたは、背負えるものをなんとか背負って逃げ出し、町に出て、路上で乞食をすることになる。この苦痛は耐え難い。ショックは致命的なこともあり、多くの人が正気を失った。私たちは、基本的人権を求めて抗議することもできない。というのも、そうすると、家族のメンバーが失踪したり、私たちを殺したりするからだ」と、その女性は語った。そして彼女は苦痛と絶望の涙を流し始めた。

そのグループの一人の女性は泣かなかった。彼女は、笑いもせず、会合の間中、一言も言葉を発しなかった。私たちは後になってようやく理由を知った。多くのコロンビア人と同様、彼女は、自分の村で家族が残虐に殺されるところを目撃したのである。彼女は部屋にいて、「失踪」することとなった。といっても、昨年、物理的に「失踪」した743名の人々のようにではない。実際、我々が到着する1週間前に、40名が失踪していた。誰かを「失踪」させるというのは、殺害することを意味するが、死体は見つからず、だから犠牲者の家族や友人には終止符を打つことができない。

これは、人々に対する別のかたちのテロである。何が起きたか知っているが、確かに知っているわけではないというテロであり、心理的・感情的不安を引き起こすテロである。その女性は物理的に失踪したわけではなかった。彼女は、心理的・感情的に失踪したのである。コロンビアではこうした人々を多数目撃した。それにも関わらず、我々は、ニューヨークタイムズに、我々の政策は「親切」なものだと教えられるのである。そして、ボゴタで我々は苦痛と悲惨の暗澹たる物語を共有する多くの人々に出会ったが、プツマヨの状況はさらに酷いのである。

米国がスポンサーとなっている暴力の脅威をもろに受けている、コロンビア南部プツマヨ州のエルティグレの村の多くのイメージが、我々の記憶に永遠に残っている。コミュニティのパン屋の壁には、「我々はここに留まる」、「エルティグレは地図から抹消される」という「AUC」と署名されたスローガンが書かれていた。AUCは準軍組織、死の部隊である。このP(コロンビアで準軍組織を呼ぶのに使っていた)は町の多くを支配していた。中には、コロンビア軍の基地があるところもあった。エルティグレは、弾圧と虐殺の犠牲となった多くの村の一つである。

コロンビアでしばしば起こり、そしてエルティグレで起こったのは次のようなことである。米国が武器を提供し、訓練を与え、資金を提供したコロンビア軍が、村に入る道を封鎖し誰も出入りできないようにする。それから、準軍組織が到着し、人々に村の広場に集まるよう命令する。そして、名前を呼び上げる。名前を呼ばれた人々は前へ連れ出され、他の村人たちの前で殺害される。射殺されるときも、石で頭を叩き割られることも、手斧やチェーンソーが使われることもある。

東チモールで、米国が武器を提供し、訓練を与え、資金を提供したインドネシア軍が、手先の民兵を使ってやった虐殺行為を思い起こします。

エルティグレでは、人々を建物に集め、ガソリンをかけて火を付け、生きたまま焼き殺すこともやった。けれども、テロと脅迫としてそれでも十分ではないというかのごとく、次に人々をプツマヨ川の橋に連れ出し、首を刎ねて遺体を川に投げ込む。胴体は1、2日川で洗われ、それは、人々に、準軍組織は、いつでも望みさえすれば、エルティグレを地図から消し去ることができるのだと思い起こさせることになる。残忍な教訓である。

コロンビアには一つの法律がある。文章として書き記されてはいないが、誰もがそれを理解している。「沈黙の法律」である。「閉じた口には銃弾は打ち込まれない」というのがその骨子だ。その法律の権威は、プツマヨの至る所で目にすることができた。薬剤空中散布を別にして、人権侵害について人が話をすることはほとんどなかった。米国による毒の散布は、人々を追放し、食料作物を破壊し、呼吸障害と発疹を引き起こし、幼児に脳の損傷をもたらす疑いがあり、水を毒で汚染し、魚と家畜と虫を殺す。我々の多くが黄熱病と蚊の心配をしていた。けれども、我々は、一匹の蚊も目にせず、一度も刺されなかった。ヤンキーの血はまずいと思ったのかも知れない。あるいは、血にまみれた川から十分な栄養をとれるのかも知れない。さもなくば、薬剤散布により蚊がいなくなったのかも知れない。

本記事は、ジョシュア・ジャクソンが、2001年12月21日・23日・28日に、ブラトルボロ地区平和と正義グループのダグ・モリスに対して行ったインタビューに基づいている。

  益岡賢 2002年2月12日

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