不安定化の技術

ギャリー・リーチ
2005年4月4日
コロンビア・ジャーナル原文


「3万2000人強からなるベネスエラ軍に何故、10万丁のライフルが新たに必要なのか?」。米国のドナルド・ラムズフェルド国防長官はこう疑問を呈し、チャベス政府がこのように武器を購入するならば、地域は軍拡に巻き込まれると示唆した。ロシアがベネスエラに10万丁のAK−47攻撃ライフルを売却することに合意したことに対するラムズフェルドの反応は、米国が過去6年間、コロンビアに30万ドル近い軍事支援を与えていることを考えると、偽善の臭いがぷんぷんする。けれども、偽善はこれに留まらない。ブッシュ政権は、最近、F−16戦闘機をパキスタンに売却すると発表した。多くの人々が、爆発の可能性を世界で最も大きく秘めたこの地域を不安定化させる可能性が高い政策である。

米国国防長官は、ベネスエラ軍が3万2000人からなると誤った主張をしていた。実際にはベネスエラ軍の正規軍は10万人、予備兵が3万人である。ラムズフェルドの次の言葉は、この事実歪曲の背後にある動機を示している:「私は、10万丁のAK−47の行方がどうなるか想像もつかない」。米国国防長官が、チャベス政府がこれらの武器をコロンビアの左派ゲリラに提供するのではないかと示唆していることは明らかである。ラムズフェルドは、実際のベネスエラ軍の規模を誤魔化して伝えているだけでなく、ベネスエラ軍が現在は古色蒼然たるベルギー製FALライフルで武装していることを指摘していない。

それと鋭い対比をなすのがコロンビア軍である。コロンビア軍の兵士たちはイスラエル製ガリル攻撃ライフルおよび米国製M−16攻撃ライフルで武装しているだけでなく、過去5年間、イスラエルとエジプトを除けば米国の軍事援助を最も多く受け取っている。この期間に、コロンビア軍はブラックホークとヒューイーの戦闘ヘリを65機以上受け取り、米軍特殊部隊兵士に訓練され武器を与えられたエリート部隊を新たに複数創設し、米国の最新式ハイテク諜報収集方法から便宜を得ている。

南米で軍拡競争が醸成されているとすると、その根にあるのは、対麻薬戦争と対テロ戦争の名目で米国がコロンビアに与えた軍事援助の大規模な増加であることははっきりしている。米国が資金提供したコロンビア軍の大規模な増強は、2002年4月、チャベス大統領をわずかの期間追放したクーデター政権を承認した最初のそして唯一の政府が米国政府とコロンビア政府だったことを考えると、当然、ベネスエラ政府にとって憂慮の種になっている。

ベネスエラの武器購入をめぐるラムズフェルドのコメントに驚くべきことは何一つない。それは、ベネスエラ政府の不安定化を目的としたブッシュ政権による以前からの反チャベス・レトリックの最新のものに過ぎない。米国国務省が最近発表した年次人権報告は、ベネスエラを人権侵害について強く非難している。それとは対照的に、コロンビアの人権状況を大きく賞賛している。実際には、コロンビアは虐殺、誘拐、労働組合指導者や教師、人権擁護活動家たちのい殺害で、世界をリードしているにもかかわらず。ウリベ大統領のコロンビア政府は、恣意的拘留や司法システムにおける不処罰の規模においても、チャベス政権よりはるかに悪い。

コロンビアが世界最大の人権破滅国の一つであるという事実は、最近、国際刑事裁判所(ICC)が、コロンビアにおける戦争犯罪を調査すると発表したことで注目を浴びた。そしてコロンビアにおける戦争犯罪のほとんどは、コロンビア軍と右派準軍組織「死の部隊」が犯している。ICCの主任検察官ルイス・モレノによると、「これまで受け取った情報によると、2002年11月1日以来、何千人もの人々が殺され、失踪し、誘拐され、強制追放されている」。チャベス大統領政権下のベネスエラで、こうした重大な人権侵害が起きている証拠はどこにもない。

米国国務省の人権報告やラムズフェルドの最近のコメントをはじめとする多くのチャベス・バッシングは、アマゾン地域でブッシュ政権が政治的に何を目標としているかをはっきり反映している:米国が押しつける新自由主義的経済計画に参加する政府を支持し、それに批判的な政府を悪魔化するものである。しばしば米国の帝国主義に批判的なベネスエラに対してと、今のところ新自由主義の模範生徒たるコロンビアに対してブッシュ政権が採る対照的な態度をこれほどはっきり示すものはない。

また、米国が最近、パキスタンに対するF−16戦闘機売却を決めたことw考えると、ベネスエラの武器購入がアマゾン地域の軍拡につながる可能性があるというラムズフェルドの仄めかしは偽善的かつ無責任である。パキスタンが「対テロ戦争」を支持していることに対する明らかなご褒美であるこの決断は、パキスタンとインドの間にある緊張を悪化させるだけである。両国は現在ともに744機の戦闘用航空機を有しているが、米国の戦闘機売却はこの軍事バランスを見出す恐れがある。両国がこれまで何度か戦闘してきたこと、両国ともに核兵器を有することを考えると、このような動きは極めて危険である。

ブッシュ政権完了は、この新たなアンバランスを、インドにもF−16戦闘機を売ることで埋め合わせるかも知れないと示唆した。南アジアに対するブッシュ政権のこうしたシニカルなアプローチにより、インドとパキスタンの高い貧困率を救うために使われることもできたであろう何億ドルもを、米国の軍産複合体のポケットに入れてやることが可能になる。しかしながらこれは何も目新しいことではない。結局のところ、過去6年に米国がコロンビアに行なった軍事援助30億ドルのほとんどは、米国の外に出ず、コロンビアに送られたヘリコプターと兵器を製造する米国企業の懐に直接入ったのである。冷戦後の時代に、世界最大の武器輸出国にとって、ビジネスは以前通り進められている。論理的に言って、兵器産業の継続的成長のために必須の前提条件は、世界の不安定化なのである。


1999年4月6日。当時まだ24年にわたるインドネシアの不法占領下に置かれていた東ティモールの首都ディリから西に数時間の町リキサ。多くの人々が避難していたリキサ教会をインドネシア警察と軍が包囲し、その手先の民兵団が教会の避難民を攻撃。最低40人を虐殺しました。その年の夏、インドネシアの自治州となるかインドネシアによる不法占領からの解放を選ぶかの国連主導による住民投票を控え、インドネシア政府と軍は、インドネシアへの併合を選ばせようと、民兵団を創設して訓練し、自らも一緒に行動しながら、脅迫・誘拐・殺害を続けていた中で起きた虐殺でした。

1984年の米軍マニュアルでは、テロという言葉は次のように定義されています:
「脅迫や強制、恐怖を植え付けることにより・・・政治的、宗教的あるいはイデオロギー的な性格の目的を達成するために、計算して暴力あるいは暴力による威嚇を用いること」
インドネシア軍・警察とその手先の民兵団が行なっていたことは、このテロの定義に厳密にあてはまります。インドネシア軍の武器の大部分は、1992年以降米国の草の根ロビー活動により対インドネシア軍事援助が制限されていたとはいえ、米国製でした。

さらに、東チモールで破壊と虐殺を司令したインドネシア軍士官がアチェで住民殺害の指揮をとり続ける中、つい最近、米国ブッシュ政権は「対テロ戦争」の名のもとに、インドネシアとの軍事関係を再開しました。「対テロ戦争」の名のもとで大規模に展開される、文字通りのテロ作戦。

1995年4月6日。チェチェンのサマーシキ村。村を包囲したロシア軍が、夜、村に大砲を撃ち込み始め、翌7日朝に空爆を開始。その日の午後に、戦車部隊が村に突入し、内務省軍、モスクワ特殊警察部隊ら合計350名が、3日にわたって「掃討作戦」を展開して、生きている人間を焼き殺し、地下室に隠れていた人々に手榴弾を投げ込むなど、約300人を殺害しました。

2002年4月3日から17日。パレスチナ。ジェニン難民キャンプにイスラエル軍が侵攻。戦車砲とミサイルで攻撃し、家々が、中に人のいるまま、軍用ブルドーザーで破壊されました。1万3000人のキャンプで家を失った者は5000人。遺体が瓦礫に埋もれ、何日も埋葬できないまま放置されたため、身元が確認できたの55人だけ。そのうち38人は非戦闘員でした。約90人が殺されたと推定されており、2000名にのぼる人々が拘束されました。

そして、2004年4月イラク、ファルージャ。5日、米軍はファルージャを包囲し、「テロリストを一掃する」等々の目的で、町を爆撃し攻撃。市内に侵攻した米軍海兵隊は、病院を占拠し、救急車を狙い澄まして狙撃し、白旗を掲げて外に出た老婦を撃ち、家の外に出ただけの老人を射殺し、大量殺人を実行。約700人が殺され、そのうち半数以上が女性や子どもでした。

これらいずれの虐殺も、上記の「テロ」と言う言葉にほぼ正確に該当します。さらに、明白な戦争犯罪行為です。そして、実行者および司令責任を負っている者たちも、はっきりとわかっています。

しばしば、恣意的かつ貧困な経験的事象への言及を枕詞に粗雑な論理(正確には単純な非=論理)を展開して、「戦争に反対する人々には政策の具体性がない」「平和を唱える人々からは具体的なアジェンダが見えない」と主張(これが主張と呼べるのなら、ですが)する人々がいます(最近、何故か立て続けに、私のところにそうした主張をなさる方がメールを下さいました)。

残念ながら、こうした主張の多くが、主張そのものを云々する以前に単純に論として最低限の有意味な形式を有していないことが多いので、主張の中身について言及する機会がないのですが、こうした人々の主張する「政策」の「具体性」とは、例えばこうした虐殺を実行し、あるいはその実行を幇助し、あるいはそれを隠蔽し、あるいはそれを歪曲して伝えることを含むのでしょうか?

こうした主張をなさる方々が、その点を明確にして下さったことはないので、ちょっと粗いですが、私なりに考えてみます(いくつか論理の飛躍と微妙なすり替えがあります:ただしこれらについては時間の節約のためにしたことで、本質的な欠点にはならないと思っています)。

「戦争に反対する」と「戦争に反対しない」の二つの選択肢が一応戦争に対する態度を、相互に排他的に、かつあわせると全体を覆うかたちになっているならば、そして「具体性の欠如」と「具体性の存在」がやはり一応相互に排他的かつ全体を覆うならば、「戦争に反対する」人々の「具体性の欠如」を指摘する人々は、「戦争に反対しない」人々の「具体性の欠如」あるいは「具体性の存在」のいずれかに与するしかないことになります(むろん、もう一つの選択肢がありますが、それはこれらのメールを下さるかたが最初からどうやら除外している立場なので検討しません)。

さて、「具体性の欠如」した「戦争に反対しない」人々に与しながら、「戦争に反対する」人々の「具体性の欠如」を批判するのは、「具体性の欠如」が批判の対象である限り意味をなさず(自分たちも「具体性が欠如」しているわけですから)、一方、差異化された前提で批判が一応成立するためには、批判の矛先は「戦争に反対する」ことに向けられることになります。結局、「戦争に反対しない」ことそのものに優位性を見いだしていることにならざるを得なくなります。ということは、武器を持たない人々を無差別に殺害したり、救急車を狙い澄まして撃ったり、白旗を掲げて降服の意図を表明した老女を国際法に違反して射殺することなども、何かしら、プラスの属性をもつ行為であると見なしていることになりそうです。

一方、「戦争に反対しない」人が「具体性の存在」に優位性を見いだしているとすると、(ちょっと中略して飛躍しますが)、ファルージャやサマーシキやリキサやジェニンでの虐殺行為は、それを司令した政策も含めて確かに具体的ですから、それに優位性を見いだしている、ということになりそうです。

何のことはない、自分たちが他人を殺すのは楽しくて楽しくてたまらないとか、有益であるとか、少なくともOKであるとか、そう言いたいのなら、一生懸命で経験的事象への恣意的かつ貧困な言及に基づき論理性の欠如した「論」の「砂糖」で真意をコーティングするかわりに、率直にそう言って下さるとありがたい。できれば、おおやけに。また、そこまで行くのではなくて、そうした出来事を前に何もしないで現状にすがりつく自分の立場や自我を防衛するために一生懸命で経験的事象への恣意的かつ貧困な言及に基づき論理性の欠如した「論」を誰かに聞いて欲しいのならば・・・・・・残念ながら、私を含む多くの人々は、そうした方々のママでもパパでも恋人でも飼い犬でもぬいぐるみでもありません、ということを分かって下さるとありがたく存じます。


■辺野古の状況が再び緊迫しているようです。ぜひこちらをご覧下さい。私は、明日にでもカンパしようと思っています。


■イラク関係講演会

テーマ:破壊されるくらし‐戦争報道の向こう側
 イラクでの人質事件‐イタリア人女性記者解放と日本人旅行者殺害の違い
講師:田保寿一さん(ジャーナリスト)
日時:4月22日(金) 18:30会場 19:00開演
場所:目黒区民センター7F 社会教育会館第3研修室
   http://www.city.meguro.tokyo.jp/benri/maps/117_1.htm
資料代:500円
主催:医療・福祉の戦争協力に反対する連絡会議
   http://mwhansen.hp.infoseek.co.jp/index.html
   メール:mwhansen@infoseek.jp

案内:米英軍によるイラク攻撃が2003年3月20日に開始されて以来イラク戦争は今年で3年目を迎えてしまいました。イラク国内では第一次イラク戦争・今回の戦争を通じて数十万の人々が殺され、地域社会では劣化ウラン弾によるとされる放射能汚染により多くの人々が白血病や癌、先天性障害に苦しみ命を落とし続けています。J・ブッシュ米大統領による戦闘終結宣言、そして国民議会選挙を経てなお現地ではイラクの人々に対する占領軍の無差別殺戮が横行し、それに応じる武装勢力による自爆・ゲリラ攻撃が続発し現地は昏迷の度合いを深めています。

周知の通り、この戦争に日本政府も加担し自衛隊をサマワに派遣しています。結果日本人ジャーナリストや民間人が誘拐・殺害され、ついには昨年旅行者香田証生さんが誘拐されたうえ殺害されるという悲惨な事件が起きてしまいました。今回、私達がこの講演会を考えた動機の一つには、その後同じくイラクで武装勢力に誘拐され殺害予告がなされたイタリア人女性記者が自国政府の努力もあり無事解放されたという報道に接した時に感じた違和感でした。つまり、香田さんは殺害されたのに何故女性記者は解放されたのか。同じ占領軍に参加している国の人間で何故そのような差が出てくるのか。一連の人質事件での日本政府の対応とイタリア政府の対応をその背景から考え比較検証してみる必要があるのではないかと思いました。何故、日本人旅行者香田さんはあのような死に方を強いられたのかこの戦争に疑問をもつ人間として共に考えてみませんか。

講演では、第一次湾岸戦争よりイラク現地での報道に従事しイラク日本人三名人質事件に際しても現地で行動されたジャーナリストの田保寿一氏を講師に招き、氏が実際に目の当たりにした人質事件での政府・現地大使館の対応。そしてイタリア政府の人質解放に向けた動きについてお話しを頂き、さらに報道機関が撤退する中で今現地の人々の生活が如何に破壊され被害を蒙っているか、イラク国内はどうなっているのかをイラクの地域性や歴史理解も踏まえ、ジャーナリストの目線から実際に見聞きし撮影した映像や事実を元にお話ししていただきます。
益岡賢 2005年4月8日

一つ上] [コロンビア・ページ] [トップ・ページ