恐怖で沈黙を強いられて

ギャリー・リーチ
2005年1月10日
コロンビア・ジャーナル原文


ニューヨークを拠点とする「ジャーナリスト保護委員会」(CPJ)によると、2004年に世界中で56人のジャーナリストが殺され、過去10年で報道にとって最悪の年となったが、それにもかかわらずコロンビアで殺されたジャーナリストは一人もいなかった。この十数年間で、2004年は、コロンビアでジャーナリストが殺されなかった最初の年だった。しかしながら、この数字は、歓迎すべきものであるとはいえ、コロンビアの安全状況が改善されたことによるものではなく、ジャーナリストが以前より注意深くなったことによるものである。報道の視点から言うと、これは憂慮すべき事態である。というのも、これにより真面目な調査ジャーナリズムを実質上不在とし、コロンビア紛争について歪んだ像を描くことになる自己検閲となってしまうからである。

これまで常に、最大の危険を負っていたのは、紛争地域にある地方コミュニティを拠点とするコロンビア人ジャーナリストであった。その結果、彼/彼女らは報道対象とする出来事を注意深く選びそれをどう報ずるかについて学習することとなった。プツマヨ州プエルト・アシスのあるジャーナリストは安全のため匿名という条件で、記者たちは「主に地域の社会的・政治的生活を報ずる」ことを認めた。「我々のほとんどは公共秩序に関する問題を注意深く正確に扱うことを好んでいる」と。

ジャーナリストたちがプエルト・アシスをはじめとする全国の地方都市で紛争をどう報ずるかは、文字通り生き死にの問題である。「ジャーナリスト保護委員会」によると、過去10年間にコロンビアでは30人の記者が殺された。この数字は、コロンビアが、ジャーナリズムを実践するには世界で最も危険な国の一つであることを示している。やはり名前を隠すよう求めたプエルト・アシスの別の記者は、その結果、「報道の自由は存在せず」、「情報を報告することはできるが、真実を語ることはできない。本当のニュースを報ずることは不可能だ」と語った。

記者たちは、自分たちの記事に対する右派準軍組織と左派ゲリラの反応を恐れている。プツマヨ州のプエルト・アシスをはじめとするいくつかの町にはコロンビア自警軍連合(AUC)の準軍組織が勢力を誇っており、コロンビア革命軍(FARC)ゲリラは地方部の多くを制圧している。プツマヨ州の地元ジャーナリストは、武装グループを恐れているため、「社会ジャーナリズム」と呼ばれるものを行なっている。それは武装グループの関与しない地元の社会的・政治的出来事に焦点を当てるものである。

ジャーナリストの一人が指摘するように、「プエルト・アシス町中の選択的殺人を報ずるのは難しい。というのも、実行者に言及しなければ出来事の一部を省いていることになり、言及すれば実行者とのもめ事に直接巻き込まれるからである」。この記者は、ジャーナリストたちは恐れていると言う。というのも、「プエルト・アシスの選択的殺人のほとんどは準軍組織が行なっているので、情報を捻れたかたちで呈示しなくてはならない。情報を公開するときには、警察や軍といった公式の情報源を使う方がよく、こうした情報源に、これこれの武装集団が行なったと言ってもらうのがよい。この話題は扱いが最もデリケートなもので、できるだけ実行者を名指すことを避けながら出来事自体を記述することになる」。

別のジャーナリストが、この戦略がどう機能するか詳しく教えてくれた:「プエルト・アシスで攻撃があったとき、攻撃があったと言わなくてはならないのは明らかである。けれども、その攻撃を実行したのがXだとかYだとかZだとか名指してはいけない。この出来事が、いつ、どんな感じの車の中で起こり、何人が被害を被ったかを報ずる」。このような基準で仕事をしていては、突っ込んだ調査型ジャーナリズムは不可能になる。

ジャーナリストが情報を出し控えるに至る理由は自分が殺されることを恐れてばかりではない。一人のジャーナリストが言うように、「情報を共有している人々の命が狙われることを恐れて武装グループについて話さないと決めることもある」。地元の記者たちは、紛争に関わる暴力を調査することが自分たちの責任だとは考えていない。彼ら/彼女らはその仕事を警察と軍に任せることを好む。ある地元ジャーナリストは紛争に関する暴力を調査する外国人ジャーナリストたちに批判的である。「情報をここに住む有用な不注意者から手に入れて、あとで[情報源の]命が取られることがある」と彼は言う。「我々はそれに注意している。紛争とどう付き合うかを学んできた。我々と家族の回りに防護壁を巡らせる方法を学んだんだ」。

しかしながら、2003年1月にアラウカ州でロサンゼルス・タイムズ紙記者2人がゲリラに誘拐されて以来、外国人特派員の行動も変わってきている。外国人特派員による地方の紛争地域発の報道の量が、明らかに減少したのである。地元の同僚たちと同様、外国人特派員もまた、何を報ずるか、どうやって報ずるかについて選択的になり、実質的に自分たちの「防護壁」を巡らせている。ジャーナリストたちが身の安全を心配することは理解できるが、それによってコロンビア紛争の報道がますます偏ったものになることは不可避である。遠くの地方にある紛争に襲われたコミュニティを自ら調べる代わりに、外国人特派員は、ボゴタの米国・コロンビア公式情報筋や、コロンビア軍が主催する紛争地への報道遊山にますます大きく依存することになる。

昨年コロンビアで一人もジャーナリストが殺されなかったのは好ましいニュースであるが、それが主として自己検閲による報道の自由の減少の結果であることには問題がある。紛争や、汚職や麻薬取引といった微妙な問題を報ずるだけ勇敢なジャーナリストたちを標的にする者たちは、全く罰を受けずにジャーナリストを標的にし続けている。ウリベ政権は報道の自由を確保するためにジャーナリストを守ることを優先事項とは考えていない。それが実現されなければ、コロンビアの暴力について人々はますます歪んだ見方を受け取り続けることになるだろう。「ジャーナリストほぼ委員会」が指摘するように、「地元の記者たちは、とにかく、恐れのため進行中の内戦を報ずることができない」のである。


久しぶりのコロンビア関係記事です。実は、様々なニュースや情報がたまりにたまっているのですが、時間的に余裕がなく、紹介できずにいます。

大本営発表と物見遊山以外の報道がないというのはお馴染みの状況です。東ティモールでインドネシアの占領下に、また、イラクで、現在。問題は、情報が本当にないということではなく、少なからぬ人々が偽りの情報に飛びつき、しばしばしたり顔でそれを語ることにもあるようです。

「日の丸・君が代」強制に対する大阪ホットラインのホームページがありました。ご覧下さい。

なお、早稲田大学で若手ジャーナリスト・グループU-Pressの写真展を開催中。
U-Press写真展「Unnoticed」
会期:2005年1月12日(水)〜19日(水)12時〜19時(最終日15時まで)
会場:早稲田大学西早稲田キャンパス7号館1F会議室
※ 入場無料 日曜日休館

アチェの状況については、インドネシア民主化支援ネットワークをご覧下さい。現地と連絡を取って、最新の情報がアップされています。また、インドネシア民主化支援ネットワークがやっている人道募金にもご協力下さい。
益岡賢 2005年1月13日

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