注目に値する犠牲者と注目に値しない犠牲者

ギャリー・リーチ
2004年6月22日
コロンビア・ジャーナル原文


2004年6月15日、ノルテ・デ・サンタンデルで、コロンビア革命軍(FARC)は34人のコカ農民を虐殺した。FARCゲリラは農民たちを深夜に起こして、手足を縛り、自動銃で処刑したのである。米国の主流メディアのほとんどが、ただちにこの残忍な行為に関するニュースを報じた。一般市民を虐殺したことでFARCがメディアから非難されることは当然である。一方で、不思議なことに、準軍組織が最近行なった二件の大規模な虐殺についての報道は実質的に存在しない。これまでずっと続いてきたパターンに従って、主流派メディアは左派ゲリラの人権侵害を強調する一方、コロンビア軍と同盟関係にある右派準軍組織が行なった人権侵害については無視することがしばしばある。

4月18日、コロンビア北部のラ・グアヒラ州で、準軍組織はワユウ先住民12人を殺害し、30人を「失踪」させた。そのうち少なくとも20人は子供だった。アムネスティ・インターナショナルによると、さらに300人のワユウ人が国境を越えてベネスエラに逃げ出した。「彼らは私のピックアップ・トラックの中で[二人の息子を]焼き殺した。それから、母の頭を切り取り、姪の体をばらばらにした。射殺するのではなく、拷問を加えた。我々に叫び声を聞かせるために。それから生きたままチェーンソーで体をバラバラに切り刻んだんだ」と生存者の一人は言った。ラ・グアヒラでのこの虐殺については、米国の主流派メディアではほとんど言及されていない。犠牲者の数は最終的に40人以上にのぼりそうだというのに。

5月、コロンビア東部のアラウカ州で、準軍組織は少なくとも13人の農民を虐殺し、6人を「失踪」させた。アラウカ州カンペシノ・コミュニティ(ADUC)によると、アラウカでは、コロンビア軍第18旅団と第5機動部隊が日常的に準軍組織と結託しているという。ラ・グアヒラ虐殺と同様、米国の主流メディアは、5月20日に起きたこの虐殺をほとんど報じなかった。

準軍組織が最近行なったこれら2件の虐殺が主流メディアで報じられていないことは、FARCが犯した虐殺にメディアが集中攻撃を行ったことと大きな対照をなしている。コロンビア内戦に関する米国主流メディアの報道を追ってきた人々にとって、ゲリラの残虐行為をメディアが強調することは、驚きではない。主流メディアの記者たちは、政府筋の情報源が取り上げた問題をくり返し報じる。これらの記者たちは、コロンビア政府や軍、米国大使館職員等が行う記者会見にいつも出席し、政府や軍、大使館のプレス・リリースと接待を定期的に受け、そうして、これらの政府や軍・大使館筋がニュースに価すると判断した話題を義務として報じるようになるのである。

この体制は、最近の虐殺をめぐる報道でも明らかである。メディアと同様、コロンビア大統領アレヴァロ・ウリベも、準軍組織が犯した2件の虐殺については強調しなかったが、FARCによる虐殺の直後、ウリベはアムネスティ・インターナショナルのことを、ゲリラを非難しないとして批判したのである。アムネスティはこれに対し、調査なしに非難声明を出すことはしないと答えたが、コロンビア大統領ウリベは、虐殺の3日後、再び、アムネスティ・インターナショナルを攻撃して次のように述べている:「[アムネスティ・インターナショナルは]言葉と行為により、コロンビアでテロリズムが勝利を収めることを望んでいる態度を示しているが、我々は・・・・・・最も美しい勝利を手にするだろう:コロンビアの人々の治安という勝利を」。

コロンビアでは虐殺---同じときに同じ場所で同一の理由により3人以上が殺される場合と定義される---の総数は減っているものの、大規模な殺戮は増加傾向にあるようである。コロンビアのNGO人権擁護常設委員会(CPDH)によると、2003年には317件の虐殺があった。2002年は544件で、それより多かった。けれども、2002年と2003年の虐殺のほとんどは、最近数カ月の虐殺よりも規模が小さい。

CPDHによると、右派準軍組織---この大多数が一方的停戦を実施してウリベ政府と交渉に就いているということになっている---が昨年の虐殺の70%を行い、一方ゲリラが27%を行なっている。コロンビアにおける虐殺の大多数を準軍組織が行なっているにも関わらず、主流派メディアは依然としてゲリラの残虐行為を強調する。FARCによる虐殺の規模はニュースで報じられて当然である。一方で、ラ・グアヒラでの準軍組織による虐殺は、強制「失踪」させられた人々の数も含めて、同等の規模でありながら、メディアはそれをほとんど無視しているのである。

ノルテ・デ・サンタンデルで犯されたFARCによる虐殺のような事件はメディアが報じなくてはならないが、準軍組織の人権侵害についても報じなくてはならないはずである。けれども、主流派メディアは、米国政府とコロンビア政府が光を当てたい問題にだけ光を当て続けている。その結果、米国の人々はコロンビア内戦について歪んだ理解を持つに至る。さらに、人権活動家たちが準軍組織の残虐行為に光を当てようと熱心に試みている中、ウリベ大統領は、人権活動家は左派テロリストに共感を抱いていると非難することで、人権活動家たちの命を危険にさらしているのである。米国の主流メディアでこうした批判がまともに取り扱われる機会はほとんどない。逆に、主流メディアは、いつもゲリラの残虐行為に焦点をあて、右派のテロリズムをニュースに価しないものと判断するのである。


コロンビアの記事です。コロンビア軍・準軍組織とFARCが軍事的に対立する中、双方とも、一般の人々への人権侵害を加えています。軍・準軍組織が7割から8割の人権侵害を、FARC等の左派ゲリラが2割から3割の人権侵害を犯しているという状況です。

今、コロンビアで取材中の若手ジャーナリスト岡原功祐さんの記事がU-Pressに継続的にアップされています。

一方、コロンビアでの問題の根は巨大な社会的不平等と大多数の人々の貧困、そして公正と民主主義、人権を求める人々に対する弾圧にあります。米国は「対テロ戦争」の名のもとで、コロンビアの強権政府を強く後押ししており、それは武力紛争を悪化させるだけでなく、農民や人権活動家、労働組合員、ジャーナリストなど、よりよい方向への社会変革を求める人々を、十把一絡げに「ゲリラシンパ」とか「テロリスト・シンパ」と呼ぶことで、さらなる弾圧を促しています。

そのような中、何が一体起きていて、何が問題で、その中で誰が何をしていて、それはどのような意味をもっているのか、を判断できるような情報は、主流派メディアではほとんど伝わりません(日本ではコロンビアの情報自体がほとんどありませんが)。

このこと自体は、イラクで米英の占領軍が何をしているのか、日本の自衛隊は実際にどのような位置づけなのか、ひとくくりに「自爆テロ」等といわれるイラク人が行う武力行為は、実際には何を背景にどのように起きているのか、が主流メディアで流れる情報からはほとんど伝わらないことと同様です。

たとえば、ファルージャで米軍が進めていた、そして現在も散発的に進めている空爆や虐殺。その実態については、(その規模を考えると)ほとんど伝えられていないといってよいほどです。

しばらく前、正体不明のグループに斬首されて殺されたニック・バーグ氏の父親マイケル・バーグ氏は、次のように書いていました(TUP速報さんより):
ジョージ・ブッシュは、一度も私の息子の目を見たことがありません。ジョージ・ブッシュは、私の息子を知りません。それが、彼をことさらに冷酷にしているのです。ジョージ・ブッシュは、彼自身人の親でありながら、私の苦しみや私の家族の苦しみを感じることはできず、ニックのために嘆く世界の苦しみを感じることができません。たんなる政策立案者であって、自分の行為の結果を担わなくてもよいからです。ジョージ・ブッシュは、ニックの心も、アメリカ民衆の心も、見ることはできず、まして、彼の政策が日夜死なせているイラクの人々の心など、見えはしないのです。

ドナルド・ラムズフェルドは、イラクの捕虜に対する性的虐待の責任は取ると言いました。しかし、行為の結果が自分の身に返ってこないのに、どうして責任がとれるというのでしょうか。ニックが、その結果を引き受けたのです。

息子の命を奪った殺人者たちにもまして私にとって耐えがたいのは、多くの人の命を絶ち、なお生き続ける人たちの生活を破壊する政策を、安閑と坐って立てている者たちです。

〔・・・・・・〕

ジョージ・ブッシュの役に立たない指導性は、ひとつの大量破壊兵器であり、それがいくつもの出来事の連鎖反応を可能にした結果、私の息子は不法に拘束され、エスカレートする暴力の世界に沈められてしまったのです。
本当に暴力を止めたいのか、「対テロ戦争」を叫んで自分の目的を暴力的に果たすのではなく、真面目にテロリズムを止めたいのか。それならば、症状を通して原因を見つめなくてはならない。マイケル・バーグ氏のメッセージは、そのような正論を訴えています。

7月11日、日本では参議院選挙が行われます。山口二郎氏のブログに、選挙を前に考えることがまとまっています。あと、Publicityもたいへん参考になります。

小泉首相は、自民党を破壊し利権を解体し構造改革を行うと言いましたが、国内の利権は温存されているだけでなく、米国の利権にべったりと寄り添っています。一方で、この1年、上野公園だけでホームレスの自殺者は17人(うち4組の夫婦/カップル)。イラク不法占領に加担する自衛隊派遣を含め、人々の生活と平和が破壊されただけです。

落選運動というページがありました。
益岡賢 2004年7月11日

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