(非)民主的治安(不安)

ギャリー・リーチ
2004年3月1日
コロンビア・ジャーナル原文


アレバロ・ウリベ大統領の「民主的治安」政策は、コロンビア都市部の住民の一部に対しては、これまで以上に治安を提供しているかも知れないが、地方のコミュニティに対しては、大規模な不安定化をもたらしている。コロンビア南西部のカケタ州でコロンビア軍が進めている攻撃は、このことを最もよく示している。これらの作戦は、治安強化をもたらすどころか、地域の暴力規模を大規模にエスカレートさせ、住民に恐怖を植えつけ、大量の避難者を生みだしている。さらに、主流メディアは、今回もまた、カケタ州の出来事について軍の発表を誠実に伝えるだけである。

2004年1月、コロンビア軍第12旅団は、「新年作戦」を開始した。コロンビア革命軍(FARC)ゲリラが制圧している地方部の支配を打ち立てるためであった。最初に標的とされたのは、サン・イシドロとラ・ウニオン・ペネヤという遠隔にある村であった。闇にまぎれて兵士たちがブラックホーク・ヘリや兵士移送用装甲車、装甲車でやってきた。第12旅団のエドガル・オルテガ少佐によると、この作戦でFARCの民兵兵士27人を拘束し、武器や通信機材、「共産主義者の音楽」を含むCDといったゲリラのプロパガンダを応酬したという。

新年作戦は、ウリベ大統領の「民主的治安」プログラムの一部として行われたコロンビア軍の最も最近の軍事作戦である。けれども、軍がカケタ州で採用している戦略はあきらかに非民主的であり---ゲリラ協力者と疑っただけで大量逮捕を行なった---、地域全体にわたって不安定化を引き起こし、ラ・ウニオン・ペネヤに軍がやってこようとしている中、何百人もの住民が村から逃げ出した。

軍の攻撃から逃げ出した人々は、周囲の村や町に逃げた。そうした村の一つで、あるFARCの民兵兵士は、コミュニティには、そこに追放されてやってきた人々を支えるだけの資源がまるでないと語った。経済状況は農民が生き延びることをますます困難にしていたところであり、暴力が激化したことで、その地域を放棄して別のところに行く人々も出てきた。

新年作戦は、FARCの第15戦線を標的としている。第15戦線は、約250人の制服兵士と、約250人のテオフィロ・フォレロ移動部隊というカケタ州全域で活動する部隊からなる。これらの他に、カケタ州の多くの僻村には、そこに暮らすFARCの民兵メンバーがいる。これらの戦士たちは多くの場合、平服を着て、村々の治安を維持し、FARC第15戦線に情報を提供し、地元での作戦に参加している。

カケタ州の農民たちは、政府が省みないことに慣れており、FARC支配下での生活に慣れている。ほとんどの村は全国の電気供給から除外されており、水道水もない。また、未舗装のでこぼこ道を四輪駆動車を使えばたどり着ける村もあるが、多くは徒歩か馬でしか行くことが出来ない。多くの住民にとって、中央政府に関係する組織で接触があるのは軍だけである。ラ・ウニオン・ペネヤから遠くないある村の二人の子供は、最近、地元の川に釣りにいったとき、コロンビア軍の航空機が近くを機銃掃射し爆撃したために邪魔されたと語った。

この地域はまた、多くの農家が合法的作物によるわずかな稼ぎを補足するために栽培するコカ作物に大使、繰り返し空からの毒薬散布を受けている。米国は、新年作戦にあわせて、2月に新たな毒薬散布を開始した。ある農民によると、「毒薬散布は食料作物を破壊し動物を害するので、人々の生活が困難になる」と語っている。軍に対する恐怖と政府による永年の無視が、人々に政府への不信を植えつけてきたことは驚くことではない。

FARCも多くの農民たちも、悲惨な経済状態に対して政府が責任を負っていることが内戦を引き起こしていると見なしているが、コロンビア軍のオルテガ少佐は別の考えを持っている:「コロンビアの問題は貧困ではない。エクアドルとペルーはコロンビアよりも貧しいが、コロンビアのような問題は持っていない。麻薬貿易もコロンビアの問題ではない。ボリビアやエクアドル、ペルーでも麻薬商売はやっている。問題は権威のもんだいである。我々にはこれまで本当の指導者がいなかった。これまで治安がなかった」。けれども、オルテガがウリベの治安政策に強く賛同し、コロンビア軍第12旅団がそれをカケタ州の地方部で適用しようとしているにもかかわらず、軍の攻撃は、現地の人々のほとんどにとって、治安のレベルを劇的に悪化させているだけである。実際、カケタで軍がやっているような作戦は、農民たちの軍に対する恐怖と政府への不信を強化するだけである。

カケタ州唯一の幹線高速道路に沿う沢山の中規模の町には、長い間、かたちばかりの政府機構があるだけだった。けれども、こうした町が最近経験していることは、ウリベ政府の視野の狭い軍事的側面だけを示している。これらの町の多くはコロンビア軍により厳重に警備されているが---その中には農民兵士プログラムの兵士もいる---、社会経済的投資が欠けているのは明らかである。サン・イシドロとラ・ウニオン・ペネヤに最も近い政府の統制下にある町の一つエル・パウヒルでは、2002年、警察署を狙ったFARCのロケットが病院に当たった。エル・パウヒルの市当局書記オスカル・オチョアは、新しい病院を建てるために16万米ドルの予算を割り当てることはできないと語った。「中央政府は新しい病院の建設に補助金を出さないだろうし、町は資金を借りることができない」とオチョアは言う。その一方で、中央政府は、コロンビア軍に大規模な予算を割り当てている。しかもその大部分は、米国の納税者からの補助金なのである。毎年ブッシュ政権がコロンビアに送っている7億ドルの大部分がコロンビア軍に提供される中、病院をはじめとする社会経済的必要に割り当てる資金はほとんど残っていないのである。

さらに、軍が常駐することでエル・パウヒルいといった町の治安がある程度保たれているのは確かだが、それらの町のいくつかでは、右翼準軍組織の活動が増大してもいる。ウリベ政権の「治安政策」のもとで、準軍組織は「転覆的分子と疑われる者」への汚い戦争を続けている。この標的には、労働組合活動家、人権活動家やコミュニティ・リーダーも含まれている。つまり、ウリベの治安政策は、選択的なものであり、政府の治安・経済政策に従順なものだけを守るものである。

こうした町で起きたことをよく知り、既に十分政府に対して懐疑的だったカケタ州地方部の農民たちは、軍が村々にやってきても、それとともに社会投資はやってこないことを恐れている。さらに悪いことに、軍がやってきて、準軍組織を招き入れることになることを恐れている。長い間ゲリラの支配下で暮らしていた農民の多くを、準軍組織は軍事標的と見なすことは確実だからである。

主流派メディアは繰り返しゲリラを批判してきた---そしてそれは多くの場合妥当ではあるが---が、一方で、しばしばこれらメディアは米国とコロンビア政府の単なる報道塔として振る舞ってきた。ラ・ウニオン・ペネヤを制圧した直後、コロンビア軍第12旅団は国内・国際メディア---主流派メディアだけであるが---にそれを発表し、メディアは軍が伝えたままをそのまま繰り返したのである。実質上うち捨てられたラ・ウニオン・ペネヤから奥地まで行って、これから間もなく軍の標的とされる村々の住人たちが、軍の攻撃やウリベの治安政策をどう感じているか報道しようとする者は誰もいなかった。電話を持たないこうした村人たちは、ウリベ支持率70%とされる世論調査の対象となったことも、まったくないのである。

さらに、遺体数を誇張したり市民の犠牲者にゲリラの服を着せたりするなど、戦場での報告を捏造することについて軍はこれまでも悪名を馳せてきたにもかかわらず、ラ・ウニオン・ペネヤについて報じた主流派メディアは、ゲリラが、2週間以上も前から軍の作戦について知っていたにもかかわらず、どうしてこれらの武器や通信機器を残していったのか、疑問を呈しようともしない。また、軍がまったく抵抗を受けなかった中で、逮捕された人々---皆、普通の服を着ていた---が実際にFARCゲリラであることをどうやって軍がしったのかについても疑問を呈していない。私がオルテガ少佐に軍はどうやって一般市民の服を着ている人々がゲリラであるかわかるのかと尋ねたとき、彼は次のように答えた:「彼らはベルトにピストルを挟んでおり、ウォーキー・トーキーを持っていた」。つまり、FARCは軍が来ることをかなり前から知っていたにもかかわらず、FARCの民兵メンバーはバカみたいに、銃をベルトにはさみ、手にウォーキー・トーキーを持って、軍が来て逮捕されるのを待っていたに違いないということになる。

コロンビアの主流派メディア特派員のほとんどは(ワシントン・ポスト紙のスコット・ウィルソンを部分的な例外として)記者の責任というものを、ニューヨーク・タイムズ紙のジュディス・ミラーと同じように見なしているようである。イラク戦争前の彼女の記事にブッシュ政権の大量破壊兵器をめぐる主張に批判的な専門家の声が含まれないことが多かったことについて理由を問われたミラーは、「私の仕事は政府の情報を評価して独立した情報分析家として振る舞うことではない。私の仕事はニューヨーク・タイムズ紙の読者に、政府がイラクの火器について考えていることを伝えることだ」というショッキングな返事をしているのである。つまり、彼女は、調査型記者としての責任が自分にあるとは考えておらず、米国政府の宣伝塔として仕えることを任務としている。この同じ態度が、コロンビア内戦を扱う米国とコロンビアの主流派メディアに広まっている。とりわけ、遠隔の地方部で麻薬戦争や内戦で戦争を収めたと米国大使館やコロンビア軍の発表に繰り返し依存しているような場合には。

そうしている間も、カケタ州全土の農民たちが標的とされている。政府が制圧する町へのFARCの攻撃によって、あるいは、ゲリラが制圧する町への軍の攻撃によって。サン・イシドロとラ・ウニオン・ペネヤに近い村々に住む多くの人々は、新年作戦の標的リストの次の標的が自分たちであるかどうか見守っている。エル・パウヒルに一時的に駐留している武装部隊が始動命令を受けるかどうか見守っている。軍が動き始めたときには、これらの農民たちは、逃げ出すか、「転覆的分子」として逮捕される危険を犯して留まるかを決断しなくてはならない。そのとき、主流派メディアは、確実に、ウリベ大統領がコロンビア全土に治安を与えていると報道するだろう。けれども、新年作戦の犠牲者たちは、すぐさま、その治安なるものが、皆に与えられるものではないことを学ぶことになる。


中米の各国が、イラクからの撤兵を決めたり、撤兵の方向に動き始めています。米国の恫喝により派兵したわけですが。。。スペインも撤退表明、オーストラリアでも与野党のあいだで論争が激化しています。各地でイラク侵略・不法占領に対する批判は高まりを見せています。

日本国内では、「イラク攻撃は正当だった」と小泉首相なる人物が述べていました。国際法に違反する侵略と不法占領、憲法に違反した自衛隊派遣が「正当」だというこの人物は、いったいどんな言葉を操り、どんな世界に生きているのでしょうか。虚言と強弁にもとづくイラクへの自衛隊派遣と連動して、市民的自由への抑圧が強まっています。反戦ビラ配布を理由とした不当逮捕の3名が起訴されてしまったとのニュースが入りました。本当に、都合の悪いものは恣意的に逮捕していく全体主義的な傾向が強化されています。さらに、扇情的な拝外主義を煽る政治家。

知人がパキスタンに行きました。別の知人に、パキスタンは危険ではないのか?と聞かれたことがあります。そのパキスタンでは、パキスタン社会フォーラムが、3月20日、侵略に反対するデモンストレーションをパキスタン全土で繰り広げる予定となっています。「パキスタンは危険ではないのか?」と問う人は、センセーショナルな情報だけで勝手なイメージを作り、社会の多様性を見ていないように思います。そうした場合、その(暗黙の)対比として、日本が平和だというイメージが存在するようにも。

けれども、たとえば難民申請をして結果待ちなのに犯罪者のように扱われる人々、過酷な労働条件で働かされる人々、ビラを撒いたことについて不当逮捕されさらには起訴さえされる人々などを考えたとき、また、一方的に市民権を剥奪され、憎悪の対象として煽られている人々のことを考えたとき、日本が平和だというイメージは、限られた人々にとって都合が良いだけの勝手な平和イメージであるようにも。そのような意味でだけ日本は平和だ、と思い続けた先は、既に前世紀の歴史が示していることです。平和憲法を改めて確認することは、そうした平和イメージに浸っていることとは、大きく違うことです。

本日、東京は真冬のような寒さと冷たい雨の中、非常に沢山の人が戦争に反対し、自衛隊派遣に反対する意志を表明するために集まりました。傘をささなくてはならない強い雨だったため、パレードへの出発に時間がかかり、主宰者も待っている人も大変だったようですし、またパレードが分断されたこともありましたが、多くの人々が戦争に反対していることを、改めて確認するとともに、その意思表示をする良い機会だったと思います。

また、先へ。少しずつでも、将来は今よりもずっと良くなるものであり得るはずです。私たちが、諦めずにそう意志し続け、行動し続ければ。まずは、スペインに続いて、小泉・自公保連立という反民主政権に退陣してもらい、自衛隊の撤退を、できるだけ早く実現できるよう。
益岡賢 2004年3月21日

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