暗殺者へのインタビュー

ジェーソン・P・ホーウィ
2004年2月9日
コロンビア・ジャーナル原文


以下のインタビューは、2003年7月にコロンビア南部で行なったものである。インタビューの相手をここでは仮にロレナとした。彼女は、正確な住所と本当の身元を証さないよう私に求めたのである。ロレナは23歳で、コロンビアのアマゾン地域に4歳の娘とともに暮らしている。彼女は、2年半の間、コロンビアの右派準軍組織AUC(コロンビア自警軍連合)のメンバーだった。AUCは彼女が住む町と周辺のいくつかの村を制圧している。この地域の他の町と村のほとんどは、コロンビア革命軍(FARC)が何十年もの間制圧してきた。

準軍組織が何かしてロレナが暮らす地域に進出したのは1990年代後半である。ゲリラが統制する地域---とりわけ貴重なコカ栽培地域---を奪うためであった。2001年末までに、何度かの虐殺を犯した後、準軍組織はこの地域の多くの町に進出することとなった。米国が支援するコロンビア軍は、この侵攻の際、準軍組織と協力した。2001年には、準軍組織は戦略を変更した。大規模な虐殺を行うかわりに、選択的暗殺を開始したのである。暗殺対象は、「死のリスト」に名をあげられた人々で、そうしたリストは、しばしばゲリラからの脱走者や軍の諜報が提供した。AUCの指導者カルロス・カスタニョは、虐殺が生み出す負のイメージを避けるために暗殺という新たな戦略を採用した。この戦略的変更により、ロレナは準軍組織の兵士から暗殺者へと転身した。

現地の農民や町の住人は、暴力の中で暮らしている。そして、この地域で唯一生活できる経済手段---コカ栽培---を行うことが、コロンビア南部の住民をさらに紛争へと巻き込んでゆく。紛争に巻き込まれた地の住民には限られた選択肢しかない:暴力に耐えるか、暴力を逃れて逃げ出すか、暴力に参加するか、である。銃口を構えなければ尊厳を得られない地域で、ゲリラと準軍組織は若者により部隊を膨らませる。ロレナのように、自分の面倒を見て自分の力をつけたがっている若者により。こうした若者のほとんどは、人生のほとんどを、紛争のさなかで過ごしてきた。一般市民が最大の犠牲となっている紛争のさなかで。ロレナは、コロンビア軍と準軍組織、そしてゲリラの体系的な暴力が、コロンビアの地方部に暮らす若者にどのような悪影響を与えるか、その悲劇的で極端なケースである。



質問(Q):あなたはどのくらいの期間、コロンビア自警軍連合(AUC)にいたのですか?

答え(A):2年半です。AUCがこの地域に来たときから、AUCのことを知っていましたが、参加していたのは2年半だけです。

Q:AUCは何を目的として戦っているのでしょうか?

A:何よりも、金のためです。そして金はコカから来ます。最も多くの金を持ち人を擁するグループが最も強いのです。AUCの資金源はコカです。FARCも同様です。ですから、町を制圧する戦いが起こります。人々と金をコントロールするために。たくさんの戦いがあり、多くの人が死にました。理由はそれです---コカと金です。

Q:FARCではなくAUCに参加したのは何故ですか?

A:わかりません。AUCの方が好きだと感じたのです。FARCは主にジャングルに暮らしています。FARCの側には多くの女性がいますが、ゲリラの生活の方が難しいのです。村に来ることができず、山にいなくてはなりませんから。軍とAUCはいつもFARCを追跡しています。

Q:FARCの方が強くて生活が楽だったら、FARCに参加していたのでしょうか?

A:逆だったら?わかりません。ゲリラは強請をするので、人々はゲリラのことが好きじゃなかったのです。

Q:準軍組織は政府と戦っていますか?

A:政府に対して?いいえ。AUCと軍はともに、FARCに対して戦っています。AUCと軍はお互いに戦っていると言い、ときに対立もありますが、混乱したときだけです。通常、AUCは軍と協力します。同じ大義を持っているからです。

Q:AUCは情報や支援を軍から受け取っていますか?

A:はい。どこで戦っているかによりますが、支援を受けます。軍がヘリコプターを送ることもあります。時折ですが。

Q:AUCと最初にどのように接触したのですか?

A:彼らは数回に分かれて川にやってきました。最初、人々は怖がりました。準軍組織は見境無く殺すためにやってきたと思ったのです。けれども、それから、私はその中の数人と仲良くなりました。彼らは言葉遣いが丁寧で、人々を丁寧に扱い、とても誇りを持っていました。それから、私は司令官と友達になりました。AUCは村の人々の協力を必要としていたので、私は誰がゲリラで誰がそうでないか、といったことを色々伝えました。そうして、AUCと会ってから、私は学校を辞め、AUCに参加したのです。訓練学校に入りました。

Q:コロンビア軍の学校ですか?

A:違います。AUCの学校で、軍を脱退したり引退した人たちが運営しているものです。軍のように厳しい訓練でした。訓練に合格しないと殺されるのです。最初に学ぶのは、7・62mmと5・56mmの武器の扱い方です。

Q:AUCに参加したのはどうしてですか?

A:人を殺せるかどうか知りたかったのです。何よりも、それがAUCに参加した理由でした。それから彼らがどのように暮らしているかも学びたかったのです。家から離れてジャングルに暮らしジャングルに寝る・・・・・・すばらしい時をすごすこともあります・・・・・・そして迷彩服を着てライフルを手にしていると、人々から尊敬されるのです。ここで普通の市民として暮らしていると、尊敬など全く受けません。けれども、ジャングルでは、身につけているものを見て、尊敬を受けるのです。あなたに向かって声をあげたりあなたの気に入らないことをすると、撃たれたり殺されたりするかも知れないと知っているので、人々はあなたのことを恐れるのです。

Q:恐怖と尊敬は同じものだと思いますか?

A:普通の市民にとってですか?そうだと思います。人々は恐怖とともに尊敬を抱くものです。我々が統制しているのですから。誰もがみな、階級により区別されます。司令官と主計担当とパトロールがいます。

Q:人々が優しく親切であることにより尊敬を受けるような社会もあります。けれども、ここでは、人々はより大きな銃を持っていると尊敬されるのです。悲しいことだとは思いませんか?

A:そうですね。銃を持っている人を起こされたら殺されるかも知れないことを知っているのですから。準軍組織は人を殺すことを何とも思っていませんから、特に気にしません。他の人々の苦痛は感じないのです。尊敬されたがるだけです。確かに、それはいつだって悲しいことです。そうでないわけがあるでしょうか?苦痛もあります。けれども、あなたはあなた自身であるかそうでなければ誰でもないか、どちらかなのです。そして尊敬されたがるのは当たり前でしょう。

Q:戦闘に参加したことはありますか?

A:はい。2回参加しました。一度は、FARCが私の仲間28人を殺したときです。女性も一人含まれていました。もう一回のときには、15人が殺されました。その後、休暇を取りました。今、私は都市民兵として活動しています。

Q:最初の戦闘はあなたにとってどのようなものでしたか?

A:とてもナーバスでしたが、仲間が大きく支えてくれました。私は先に進まねばならず、相手を殺さなければ私たちが殺されると教わりました。私の命か相手の命か、どちらかなのです。自分たちの身を守らなくてはなりませんでした。訓練学校の3カ月で、それを学んだのです。訓練はとても優れたものでした。

Q:二度目の戦闘は最初の時より簡単でしたか?

A:もちろんです。二度目はとても簡単でした。怖くもなくナーバスでもなかったのです。時間と共に、動き方も学びます。最初の一発がどこからくるかがわからないだけです。それを知れば、自分のポジションはわかります。ナーバスにはならず、撃つだけです。

Q:今はAUCでどのように働いているのですか?

A:今は、参加していません。協力しているだけです。私はここの出身なので、組織を脱退したら、AUCは私を殺すでしょう。私はボスたちと話をしなくてはならず、ボスたちは時折、誰かを殺したり誰かを調査したり、村から誰かを誘拐したりするときに、私を使います。

Q:この町では何人くらいの人が殺されていますか?

A:今はそんなに多くありません。1日平均で、3、4人でしょうか。多いときには5人から7人です。

Q:あなた自身は何人の人を殺しましたか?

A:全部で、この手で殺したのは23人です。

Q:最初に人を殺したときはどんな気持ちでしたか?

A:最初に人を殺したときは、怖くておののいていました。ただ殺せるかどうか確かめるために殺したのです。殺す義務がありました。殺さなければ彼らが私を殺していたのです。難しかったのはそのためです。私が殺した相手は膝をついて殺さないよう懇願していたのです。この人物は泣いて、「殺さないでくれ、子供たちがいるんだ」と言っていました。難しくて悲しかったのはそのためです。でも、その相手を殺さなければ、AUCの誰かが私を殺していたでしょう。ですから、自分が殺されないために、殺す必要があったのです。殺したあと、私は震えが止まりませんでした。食べることも人と話すこともできませんでした。家にいても、殺さないよう懇願した人のことを思い浮かべました。私は閉じこもりましたが、時が経つにつれて、すべてを忘れました。上司たちはいつも、「心配するな、最初のときだけさ。二人目を殺したときには、大丈夫だ」と言いました。でも、震えが止まりませんでした。

Q:二回目はずっと簡単でしたか?

A:二回目は、ほんの少し簡単だっただけです。けれども、ここで言われるように「一人殺せば何人でも殺せる」のです。恐怖をなくす必要があります。私は今も人を殺し続けていますが、何も起きません。普通の気持ちです。以前は、殺す義務があり、殺すために送り込まれました。でも組織から離れてからは、強制されるわけではありません。私が仕事をするのは金のためです。この仕事のために金を受け取っているのです。現金を受け取ります。問題が何かは関係ありません。金を払って誰を殺すか言われる、それが私のしていることです。

Q:では、今はあなたは現金のために殺すというわけですね?

A:そうです。人を殺すために十分なお金を払ってくれるならば、やります。お金を払ってくれるのは、多くの場合、女性です。夫が他の女性と会っているのに嫉妬するのです。

Q:どうやって殺すのですか?

A:銃を使います。バイクに乗って、標的のところにいって頭を打ちます。それから立ち去るのです。場合によってはナイフを使いますが、ナイフはもっと力が必要で、誰かの助けが必要なので、難しいのです。頭に銃弾を撃ち込む方がはるかに簡単です。

Q:どのくらいの金を受け取るのですか?

A:一番多い時で500米ドルを受け取ったことがあります。いつでも300ドル以上です。

Q:自分の知っている人を殺したことはありますか?

A:あります。知っていたのです。友人だったこともあります。でも、私に殺すよう命じた人々は十分な調査をしたので、私は殺しました。

Q:友人たちを殺したのですか?

A:はい。一度は、そうしなければ私を殺していただろうからです。友人たちが敵側にいてゲリラと接触していたのです。ですから、私の命か彼らの命かどちらかという状況でした。ですから、殺す許可を求めて、AUCが許可したのです。AUCは背景を調査し、私の友人たちがゲリラと協力していることがわかったので、私は彼らを殺しました。ある友達を殺したときはとても苦しかったのです。葬式とビジルに出席しました。彼の母が泣いているのを見て胸が痛みました。自分が彼を殺したのですから。それはとても苦痛でした。けれども、それは自分の人生で、学校では、まず自分、それから他人、と教わったのです。

Q:家族の誰かがゲリラだとすると彼/彼女を殺しますか?

A:私の家族の誰かがゲリラだったとすると?どう答えて良いかわかりません。でも、答えはイエスだと思います。相手に殺す能力があれば、家族であっても。人生に何一つ確かなことはないと教わるのではないでしょうか。

Q:つまりあなた自身の命よりも大切な命はないということですね?

A:私の命、両親の、娘の、そして近しい家族の命はとても大切です。けれども、離れた家族、例えばいとことか姪とかは、敵側だとすると?大切ではありません。彼/彼女たちも私を殺すでしょうから。

Q:家族はあなたの仕事についてどう言いますか?

A:家族は、私にそんなことをしてはいけないと言います。自分のしたことを後悔しないかと聞きます。母と父、とりわけ母が。私がこんな風なので母は傷ついていて、助言をたくさん言います。けれども、しばらくたってから、私はいらいらして、自分の人生だから私はこのようにするし、こうし続けると言いました。

Q:この国で暴力を増やすことが解決になると思いますか?例えば、あなたがやっていることは、解決の一助になっていると思いますか?

A:私は人々を助け、私が助けた人々は、夫との間に問題がなくなります。私自身については、金を受け取るのでOKです。コロンビアの状況は極端で、最も暴力的な国の一つです。この状況が解決されるとは思いません。

Q:もう一度機会があったとすると、どうしますか?今知っていることをもとに、再び同じことをしますか?

A:するかもしれないし、しないかもしれません。この生活を続けたくはありません。わかりません。イエスかも知れないし、ノーかも知れません。人生を変えたいと思っています。今、私は疲れていて、たくさんの人々を殺したことに胸を痛めています。以前は強制的なものでしたが、今はただお金のためにしています。金がすべてなのです。けれども、私はここから出て、どこか別の所に行ってよい仕事を見つけて先に進みたいと思っています。11学年までやったので、大学に行って勉強を続けることもできます。わかりません。

ジェーソン・P・ホーウィはコロンビアで活動するフォトジャーナリスト。写真は、www.conflictpics.co.ukで見ることができる。





益岡賢 2004年2月11日

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