コロンビアの左旋回:ウリベは二重の敗北

ギャリー・リーチ
2003年10月27日
コロンビア・ジャーナル原文


コロンビア大統領アレバロ・ウリベは、どうやら、先週の投票で2重に後退したようである。10月25日土曜日、大統領は、国民投票の15箇条を発効させるために必要な有権者の25パーセントの投票を得ることができなかった。ウリベは、国民投票に賛成票を投じることが、汚職と闘いコロンビア経済を改革するためには不可欠であり、さもなければ、コロンビアはアルゼンチン式の経済崩壊の危機にさらされれるだろうと述べていた。国民投票の翌日、コロンビアでは、地方選挙が行われた。争われたポストの一つは、首都ボゴタの市長ポスト---コロンビアで第二の重要性を持つポスト---であった。元労働組合指導者で、ウリベの「治安」と経済政策を声を挙げて批判するルイス・エデュアルド・「ルチョ」・ガルソンをボゴタの新市長に選び出すことで、有権者は再びウリベに一撃を加えた。

国民投票は、コロンビアでの世論調査の不正確さを際だたせた。世論調査ではウリベは繰り返し75パーセント近い支持率を示していたのである。それにもかかわらず、コロンビア有権者の中でウリベの国民投票案に賛成して投票所に姿を現したのは25パーセントに満たなかった。有権者たちがウリベの政策を優れて支持しているのではないことがわかった結果、コロンビア議会は、今後、大統領の政策を孤立化させることにこれまでよりも恐れを抱かないであろう。そして、もしウリベが国民投票で提案された事項の一部を大統領令により強制しようとするならば、人々と議会のウリベ大統領に対する支持はさらに減ずる可能性がある。

ウリベの国民投票提案が最初の障害に出会ったのは、7月、コロンビア憲法裁判所が19箇条のうち4箇条は違憲であると判断したときであった。それにより今回の投票から削除された事項には、投票者には国民投票の全部を承認するか拒否するかしか求めないことにより、コロンビアの既に制限された民主主義をさらに弱体化させようとする項目であった。すなわち、憲法裁判所は、コロンビア有権者は国民投票で提案された事項の一つ一つに投票しなくてはならないと判断を下し、有権者一人一人に、より大きな意志決定権を認めたのである。憲法裁判所はまた、ウリベが、不便を避け頻繁な選挙の費用を避けるために、市長や州知事、市議会議員の任期を延長しようとしたことを拒否した。

ウリベ政権によると、国民投票で提案事項の内容が承認されることは、コロンビアが2003年1月に受けた21億ドルの貸付の見返りにIMFから設定させられた財政目標を達成するために必須であった。IMFは、コロンビアの財政赤字を、今年の対国内総生産(GDP)比2.8パーセントから、来年にはGDPの2.5パーセントにまで削減するための構造改革を求めていた。ウリベは、国民投票が承認されれば、政府は海外債務支払いのためにより多くの金を使うことができ、それは投資者の信頼を維持するためには不可欠であると言っていた。

国民投票項目中、政府の支出削減問題に関わる最も重要なものは14番目であり、それは、公共部門の賃金と年金を2年間凍結することを求めるものであった。ベア・ステアーンの債務戦略家ホセ・セリテジによると、「削減予定の90パーセントは、第14番目の項目が承認されるという前提に依存していた。これが承認されないならば、経済的観点からは、国民投票の他の項目は単なる名目に過ぎない」。

けれども、反対派は棄権を呼びかけ、投票前の期間に「国民投票には投票するな。金持ちに財政圧縮分を支払わせろ」というポスターを発行した。反対派の戦略は、国民投票の内容に反対する有権者に、投票を棄権し、国民投票内容の発効に必要な25パーセントの投票率に達しないようにするよう呼びかけるものであった。実質上、簡単に言うと、ウリベ提案に賛成の有権者は投票に行き、反対の有権者は家にいたことになる。

第14条は、必要な25パーセントの投票を得ることが出来なかった11の事項の一つであるようである。発効に十分な投票率にならなかった事項の中には、国会議席数を268議席から218議席に減らすという提案もあった。この提案が拒否されたことにより、さらにコロンビア民主主義を制限し大統領権限を増大しようとするウリベの企ては今のところ阻止されることになった。承認される機会が残っている残りの4箇条---本記事が公表される時点でまだ有権者の2パーセント分の集計が必要である---には、腐敗した官僚の罷免を容易にする提案と、有罪判決を受けた犯罪者が公職選挙に出馬することを禁ずる提案がある。後者の提案は、準軍組織指導者カルロス・カスタニョとサルバトレ・マンクソが、人道に対する罪で有罪判決を受け、ウリベの恩赦提案のもとで投獄されるかわりに罰金刑にとどまったとしても、政治候補になることはできないことになる。

26日日曜日の地方選で、ウリベはさらなる後退を強いられた。元労働組合指導者ルイス・エデュアルド・「ルチョ」・ガルソンが、45パーセントの表を得て、ボゴタ市長に選出されたのである。ガルソンの対抗馬でウリベと政治的同盟関係にあるフアン・ロサノの得票は40パーセントだった。ガルソンの勝利は、コロンビアでこうした要職を左派が握った最初であった。コロンビアでは、歴史的に、左派候補は、いつも暗殺されてきたのである。

ボゴタの市長当選者は、ウリベの治安政策を、声を挙げて批判していた。ウリベの政策は、労働組合員やNGOを、テロリストと決めつけることで、繰り返し標的とするものだった。この1年間、コロンビア治安部隊は労働組合指導者や人権活動家を何度も大量逮捕してきた。コロンビアのテロリスト集団、すなわち左派ゲリラと関係していると非難しての逮捕である。ガルソンはまた、過去2人の市長が着手したボゴタの公共スペースの転換を、主として中産階級と上流階級を利するものとして批判してきた。ガルソンは、今やボゴタの一部がまるでベルサイユ宮殿のように見えることを認めながらも、大多数のボゴタっ子はカルカッタと同様の状況で生活していると主張する。ガルソンは、貧困生活を送るますます多くのボゴタ住人の必要に対処する一助として、貧しい人々への食料バンク設置を提案した。

先週末の投票は、世論調査が主張し続けているほどの人気をウリベ大統領は持っていないことをはっきりと示した。そして、防衛相マルタ・ルシア・ラミレスは、国民投票が失敗したことについて「コロンビア人全員が、構造改革の採用機会を失った」と述べて悲嘆したが、投票結果は、IMFが強制した経済改革をコロンビア人は「機会」と見なしていないことを明確に示している。IMFの政策に多くのコロンビア人は繰り返し抗議してきた。右派準軍組織「死の部隊」は、こうした、新自由主義経済アジェンダに反対の声を挙げる人々を何十人となく暗殺してきた。先週の選挙結果を受けて、ウリベは人々の声に耳を貸すか、大統領令によって自分の人気のない政策をコロンビアに強制するか決断しなくてはならなくなった。国民投票の失敗とガルソンのボゴタ市長---伝統的に大統領への踏み台となっていた---選出により、コロンビアは左旋回をしているように見受けられる。


日本でも、選挙が迫っています。コロンビアの今回の事態には考えさせられることがいくつかあります。コロンビアでも、人々は、雇用や年金に関心を持っていました。最近の調査によると、11月9日に予定されている日本の選挙でも、約4割の人が、年金と雇用は焦点のひとつであると考えているとの結果が出ています。年金と雇用。皮肉な人ならば、「また一国平和主義の微温的世界の中で自分のことばかり考えているスタンスか」と言うのかも知れません。

日本国憲法の第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、また、第27条には労働の権利(・義務)の条項があります。年金と雇用は、基本的に保障されるべきものでしょう。とはいえ、「国民は」ですからヒコクミンはどうなのか、とやはり疑問が湧きます。ヒコクミンはどうでもよいのか?

10月23日から始まったマドリード会議では、日本は、2004年度イラク復興支援(ママ)拠出金として15億ドルの提供を約束しています。基本的には米国によるイラク侵略という国際法違反の犯罪行為に対する「支援」です。10年近くにわたり、50万人以上の子供を中心とするイラク人を死に導いた「経済制裁」を続けた国々が中心となった「復興支援」。劣化ウランを用い毒の遺産将来の世代にわたって残した米国の犯罪行為の上塗り。

話がうまくつながっていきませんが、日本国憲法の前文には次のようにあります。
2 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

3 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

4 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
この部分も考えるならば、「国民」の年金と雇用を重視する目線は、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という理念を通して、そして「政治的道徳の法則」の「普遍的」性格を介して、イラクで累々たる人道的悲惨を引き起こす米国の軍事侵略と占領という犯罪のために15億ドルもの金をつぎ込むのではなく、侵略と戦争に反対する立場からの政策を、「国民」だけでなくヒコクミンにも打ち出していこうという視点に接続していっても良いはずです。

さらに、論理的ステップの詳細を端折って少し大ざっぱに述べるならば、米国によるイラクの不法侵略と不法占領に荷担するような金を拠出し自衛隊を派遣する政策は、上の経路を逆に辿れば、国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の一つとしての年金や雇用を保障することとも理念的には相容れないものであると言うことができるでしょう。そしてイラク侵略を支持した政党は、けっこう一貫してコクミンの基本的権利や自由を制限しようとしてきた政党でもあります。さらに、過去における事態について、「(日韓併合は)武力で侵犯したんじゃない」「どちらかといえば彼らの先祖の責任」「植民地主義といっても、もっとも進んでいて、人間的だった」と妄言を述べる人物の所属する政党でもあります。

また少し論理のステップを省略しますが、結局のところ、「過去の侵略という事実を見つめ反省と和解へのステップを拒否する態度」と「現在のイラク侵略を侵略じゃないと言い張り占領と掠奪を復興支援といいくるめて大量の予算をつぎ込む態度」と「雇用や年金を切り崩そうという態度」は、相互に密接に関係しているのではないかということが、何だか伺われるようです(少し論理ステップを簡略化しすぎかしら)。

コロンビアでは、暴力的「治安」政策でNGOや労働組合を弾圧する政策と年金や雇用の切り崩し政策が、人々の投票(棄権)によって、拒否されました。コロンビアの国民投票では、有権者の25パーセントが投票しないと発効しないことになっていますので、棄権作戦は有効でしたが、日本の選挙では、そうも行きません。そんなわけで、今の状況を変えるために、基本的な権利としての投票権(そして朝鮮半島の植民地化という歴史的経緯から現在日本に暮らす在日朝鮮人は有していない権利)を正当に使いたいと思っています。
益岡賢 2003年11月3日

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