コロンビア:チョコでの強制移送

テリー・ギブズ&ギャリー・リーチ
2003年10月12日
コロンビア・ジャーナル原文


チョコで続く土地をめぐる紛争の中、同地の大多数を占めるアフリカ系コロンビア人と先住民は、様々な局面で奮闘している。チョコはコロンビアで最も貧しく開発が最も遅れた集であり、80%近い住民が赤貧状態で暮らし、読み書きが出来ない人々の率は全国平均の3倍にのぼる。チョコよりも乳幼児死亡率が高い国は、たった四つ---アフガニスタン、アンゴラ、リベリア、シエラレオネ---だけであり、1000人の子供うち125人が、1歳の誕生日になる前に死亡する。人々の相当の部分が電気にも飲料水にもアクセスできず、道路は実質上ないも同然で、チョコ地方部の交通がほとんど全面的に川に依存しているという事実からも、この地域にインフラが不在であることは示されている。保険や教育、雇用、内戦といった問題と闘うことに加え、チョコ人は、コロンビアで最大の移送(追放/移動)率に直面している。

インフラの欠落は、2種類の同時的な住民移送---内戦による強制移送と機会の欠如による経済的移送である---に直面するチョコ地域のさらに深い開発危機の一つの側面に過ぎない。チョコで内戦による強制移送が激化したのは、1996年、当時の大統領エルネスト・サムペルが、パナマ国境近い低地リオ・アトラト地域を通る大洋を繋ぐ運河の建設を発表したときである。移送のほとんどは、右派準軍組織による土地投機の結果として生まれた。準軍組織は、提案された運河計画にとってだけでなく武器と麻薬の密輸にとっても戦略的に重要な、伝統的にゲリラが支配していた地域の制圧を目論んだのである。ボゴタに本部を置く「人権と移送のコンサルタンシー」(CODHES)の代表であるハルベイ・スアレス・モラレスによると、追放率の急上昇は、単なる内戦の結果ではないという。「追放は、戦争の副次的な影響ではなく、中心的な戦略である。完全に意図的なものだ」。

チョコの人々はまた、機会がほとんどないために、経済的な移送も被ることになる。チョコでは、雇用のほとんどは、政府に依存している。その結果、失業率は70%にのぼり、多くの住民が、ボゴタやメデジン、カリなどに仕事を求めに行かざるを得ない状態に置かれている。追放された人々に責任を負う政府組織である社会連帯ネットワークの地域調整官ルイス・アンヘル・モレノは、チョコの追放には人種と階級、ジェンダーという軸があるという。モレノによると、「17歳から30歳の若い人々は仕事を探しに故郷を去らなくてはならない。そして、むろんのこと、仕事の賃金は、技術レベルによって支払われる。我々の場合、白人やメスティソがやらない仕事をするために雇われることになる。そうした仕事はまた、最も賃金の低い仕事である」。

多くの男性が、家族を支えるためにチョコを去っていくとモレノは指摘する。そのために、チョコでは、女性が率いる家族の比率が非常に大きくなる。こうした状況で、女性たちは遺棄の心理的トラウマと対処しなくてはならず、同時に、慣れない環境で家族を養うことに社会経済的に適応しなくてはならない。チョコでの高い率の移送を知った国連は、人道的行動計画を適用することを決定した。追放/移送の危機にある人々を保護し、既に移送された人々に援助を提供する計画である。

社会連帯ネットワークも、追放/移送されたコミュニティを支援しているが、モレノによると、政府が採用している現在の危機支援戦略は、慢性の失業に根を持つ問題に対する本当の解決には決してならないという。モレノが心配しているのは介入のやり方である:「支援は一時的に食料とシェルターを提供することを意味する。・・・・・・彼らは、『黒人には食料が必要だ』と言う。そうではない。我々が必要としているのは仕事である。人々が働くことができ、自分で収入を得ることができることが必要なのだ。モノが我々に与えられて、消費され、そうしたら何も残らない。そして、村は以前と同じように貧しく、失業状態で、遺棄されたままである」。国連は昨年、チョコ地域に約250万ドルの援助を提供したが、この資金の中で、雇用創生と保険、教育に割り当てられたものはなかったとモレノは指摘する。つまり、援助は、全く、未来へ向けた持続可能な開発計画に貢献しなかったのである。チョコ人たちの直接の危機ニーズに対処しただけであった。

コミュニティの多くは、単に政府に見切りをつけ、自給自足農業で生き延びようと奮闘している。サン・ミゲルのリオ・アトラトのそうしたコミュニティの一つでは、住民は、プラタノやユッカ、バナナ、パイナップル、メイズを、自分たちが消費するために育てている。また、鶏も育て、コミュニティで所有して、州都キブドから来た商人に売っている。キブドはモーター付カヌーで5時間半離れている。約70家族からなるこの村には教師も保健士も警察もおらず、発電器の燃料を買うお金がないため、いつも電力供給がとぎれがちである。「学校」は埃っぽい空っぽのセメントでできた部屋で、窓に棒がはめられている。コミュニティのある住人は、「これが我々の学校だが、長いこと教師はいない。大きな子供たちはビヒア[川を30分下る]の学校に行かなくてはならないが、制服も交通費も払えない」と語った。

保健医療と薬へのアクセスがないために最も大きな影響を受けるのも、子供たちである。「我々は[ビヒアの]市長に助けを求めてきたが、いつも、彼らは、明日行くよと言い続けてきた」と、ある住人は言う。サン・ミゲルの子供たちは下痢やマラリアをはじめとする様々な病気からくる深刻な健康問題を我慢している。こうした病気は、この地方の住民が、リオ・アトラトを、皿や服を洗ったり水浴をするためだけでなく、下水として使うことからも悪化している。これらは、アトラト川沿いの全てのコミュニティの心配事であり、衛生問題が、病気の危険をさらに高めている。

2002年5月2日にチョコ州ベジャビスタで起きた悲劇は、コロンビアにおけるこの無視されてきた地域に全国そして国際的な注目を集めさせることとなった(「過去の亡霊」を参照)。その日、住人たちは左派ゲリラのコロンビア革命軍(FARC)と右派準軍組織の戦いを逃れるために、教会に避難していた。けれども、昼の少し前、目標を逸れたFARCのシリンダー爆弾が教会の屋根を突き抜けて爆破し、119人を殺したのである。攻撃後、1400人の住人のほとんどが地域から逃げ去り、約4カ月後に戻ってきたのはたった600人である。

ベジャビスタの追放された人々が帰還して以来、現地の地方政府はボゴタと交渉して、住民の意見を聞いた包括的再建計画を提案している。住宅省、計画省、平和高等行政局、国連開発計画の担当者をはじめとする専門家たちが皆ベジャビスタを訪れ、リオ・アトラトが頻繁に起こす洪水にも耐えられる新たな家の建築計画をたてようとした。コロンビア政府は、2002年5月2日の悲劇により名前が知られたためにベジャビスタのニーズに応えようとしているようであるが、サン・ミゲールのようなチョコ地域の他のコミュニティが抱える同様の問題は無視し続けている。

ベジャビスタ再建計画には批判もある。究極的な計画の意志決定権が、ボゴタの官僚たちの手に握られていることなどである。社会連帯ネットワークのモレノによれば、過去、他の地域からやってきたコンサルタントに費やされた不釣り合いに大きな資金が問題となった。というのも、こうした「専門家」たちは、現地の問題をほとんど知らず、チョコの文化を理解しないからである。

これまでのところ、5月2日の惨劇に対する政府の社会経済的対応は、単なる議論と約束のレベルにとどまっている。当初、現地の人々は、5月2日の出来事がついに中央政府の注意を自分たちの問題に向けたことについては喜んでいた。しかしながら、政府人権局「デフェンソリア・デル・プエブロ」の地域代表ウィリアム・サラサールによると、「これまで多くの約束、約束、約束がなされてきたが、それらはいまだに実現していない。1年以上が過ぎ、1年と2カ月になろうとしているが、コミュニティは以前と変わらない」。

CODHESの調査官ラウラ・サパタも、ベジャビスタ攻撃に対する政府の対応に批判的である。「政府の対応は地域の軍事化に限定されている・・・・・・だから、人々は、政府は単に軍兵士を送り込むだけで、教育や保健の援助は全くしないのではないかと考えている」。ベジャビスタの市長代理マヌアル・コラレスは「このコミュニティは5月2日以来遙かに多くの注目を受けた」ことを認めるが、同時に、計画段階の先に進むことは難しいだろうと述べる。というのも、「政府には資源がないからである」と。

コロンビア政府にとって、チョコ州のプロジェクトに資金を割り当てることが困難である理由の一つは、2003年1月に提供された21億ドルの貸付に対してIMF(国際通貨基金)がコロンビア政府に押しつけた構造調整政策にある(「新自由主義の狂気」を参照)。貸付合意は、ウリベ政権に、新自由主義経済政策を適用することを求めており、それによって、公共投資は削減され、不可避的にベジャビスタで現在提案されているような開発プロジェクトへの資金提供は影響を受ける。ある現地の住民は、政府の無関心と約束破りに明らかに慣れている様子で、ただ次のように述べた:「彼らは計画をたてるが、何もなされはしない」。

チョコの開発問題は、コロンビア地方部を通して共通する問題の、より極端な例であるに過ぎない。そして、人々は、政府の開発優先付けと内戦への対処の間にある矛盾を声を挙げて避難している。暴力の根には、富と土地の配分の極端なまでの不公平が存在し、そして究極的には、コロンビアがどのような社会であるべきかについて、非常に分極化した見解が存在する。コロンビアの開発危機への長期的解決のためには、正直に、体系的に、社会の広範なセクターからの参加のもとで、こうした問題を扱わなくてはならない。国家の経済宗教がマクロ経済効率と金融引き締めにある限り、チョコのような地域での効果的な投資はなされないだろう。CODHESのハーベイ・スアレス・モラレスが指摘したように、「我々が使う比喩がある。それは『国はエレベータで上るが、公共政策は階段で上る』というものだ。憂慮すべきことは、今やエレベータではなく、ミサイルでとても速く上っていることだ。一方、公共政策は階段を下り始めている」。

テリー・ギブスは北米ラテンアメリカ評議会(NACLA)の代表。ギャリー・リーチはコロンビア・ジャーナルの編集者。この記事は、コロンビアのチョコ地方に関する3部からなる報告の第2部である。


10月25日、コロンビアでは国民投票が行われました。「汚職」に反対するという宣伝名目で、実質的には、大統領の権限を強化し、さらに抑圧的な政策を合法化しようと目論むものです(これについては、順次紹介していきたいと思います)。ポイントは、「汚職」を全面に押し出しながら、実際には、(既に暴力のために非常に弱体化している)民主的メカニズムをさらに弱らせようとするものです。

振り返って日本では、11月9日に選挙が迫っています。小泉首相は、確か、イラク特措法の審議のときに、非暴力平和主義ほど無責任なものはないと豪語し、先の臨時国会では、「一国平和主義」という言葉を用いながら、現行の憲法下の日本は、紛争やテロの絶えない国際社会に対し、関与もせず解決の努力にも加わらず、ひとり平和を謳歌しているといった意味合いのことを言いました。

「一国平和主義」幻想が日本社会を覆っていたことは、そんなにはずれていないかも知れません。けれども、紛争やテロの絶えない国際社会に対し、関与もせず解決の努力にも加わらず、ひとり平和を謳歌しているというのは、少し事実に反します。実際には、インドネシア軍による東チモールでの累々たるテロ行為に外交的支援を与え、米国のベトナム侵略を手伝うことで大きな利益をあげてきたことからもわかるように、暴力や紛争を陰に陽に、支援し、そこから利益をさえ得てきたのですから。

こうした事実関係の無視が、一国(あるいは小さな世界)に閉じこもった幻想をさらに強化し、「一国平和主義」の代替策としてあるのは、米国による不法イラク侵略と人々の殺害に憲法に違反して荷担すること、すなわち、戦争行為に武力面でも参加することだけであるという、まるで「我々か、奴らか」「米国を批判するものは反米だ」という親分の単純な二分法の受け売りのような主張につながっていきます。

日本国憲法を見てみると、憲法9条は、紛争を武力で解決することを禁じているのであって、我関せずと言っているわけではありません。日本国憲法の前文を見てみると、次のようにあります。
2 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

3 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

4 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
ちょいと表現が昔っぽいですが、とてもまっとうな理念だと思います。そして、ここでは、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」と書いてあります。

つまり、9条と合わせて考えると、平和的に、そのように積極的に国際的貢献をなそう、ということを憲法は言っているわけです。国際法を無視して石油支配のために1万人にものぼろうという民間人を殺害した侵略戦争とその後の不法占領に自衛隊を派遣して荷担することほど、異様に憲法の理念とかけ離れ、また、当たり前の生活感覚とかけ離れたものはないように思います。

11月9日は、日本が、好戦的な侵略国家の一員に戻るのか、そうではなく、平和的な手段で「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする責務」を果たす選択をするのか、その、既にぼろぼろの岐路の最後の機会になるかも知れません。そして、イラクの人々のこのようなエピソードを見たら、私たちの最低限の誇りまでイっちゃうような岐路の。

よく、「平和という奴らは安直だ」と言われます。自分の特権を担保した傍観者の平和、いずれにせよ暴力的にならざるを得ない状況からの逃避、むろんそうした安直さが平和という言葉につきまとうことは確かですが、それでも、今度の投票は、何よりも「平和」へ向けて行うべきだと思います。逆説的ですが、イラク侵略に荷担しよう、侵略国に完全に名を連ねようという方向が焦点となっている今、私たちの「平和」への投票は、小泉首相に揶揄された「一国平和主義」への投票ではあり得ないのですから。
益岡賢 2003年10月29日

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