強制移送された家族の女性家長たち

パウラ・アンドレア・ロシアスコ
2003年6月16日
コロンビア・ジャーナル原文


数十年にわたり、強制移送は、コロンビアにおける社会的ダイナミクスの一部となっていた。それがどこでどれだけ激しく行われたかは場所によって様々であるが、強制移送の動機は、常に、政治的なものであった。強制移送が最初に極端なまでに発生したのは、1950年代、二大政党間の暴力の時期であった。けれども、その当時の強制移送も、左派ゲリラと右派準軍組織、そして国家の武装治安部隊に挟まれた民間人が現在置かれている状況とは比べものにならない。さらに、今日、ますます多くの追放された家族は女性が率いており、コロンビア政府からはほとんど援助を受けていない。

コロンビアでは中核的な情報源がないため、追放された人々や家族については、非常に多くの調査方や情報源、定義などを考慮する必要がある。「人権と移送のコンサルタンシー」(CODHES)は、1995年から2000年の間に移送された人々の数を200万人以上と述べている。一方、コロンビア政府による強制移送に関する1999年の報告書Conpes3507は、1995年9月から1999年11月の間に、武力紛争の結果、40万家族が、自分の家を離れることを余儀なくされたと述べている。

コロンビアでは、移送された人というのは、命や身体の安寧、安全、個人的自由を制限されたり直接脅かされることにより、自分の住居や経済活動を棄てて、コロンビア領土内で移動を余儀なくされた人々のことを指す。2001年には、準軍組織の活動により移送の50%が、ゲリラの活動により20%が、コロンビア政府軍により1%が引き起こされている。移送が起きた22%の場合には、これらの武装グループの一つ以上が関与しており、7%では、どのグループの関与も確認されていない。

世界の家族の中で、約3分の1が、女性を長としており、この数値は上昇し続けている。多くの場合、女性が家長の役割を担うのは、夫が失踪したり殺されたり、迫害されたりした後である。場合によっては、女性の方が家族を運営するための社会経済駅状況によりよく適用したために家長の地位につくこともある。女性が家長となるに至るまでの、しばしば恐ろしい状況の中で、女性たちは、住んでいる場所を追放されたことの心理的トラウマだけでなく、家族を維持する経済・社会的責任にも向き合わなくてはならない。この状況は、再定住地域における追放されてきた家族に影響し続ける。夫の助けなしに新たな環境に女性が適用しようとしている一方で、貧困が増大するのである。

「社会連帯ネットワーク」は、コロンビアにおける家族の長としての女性が置かれた状況に対する意識を高めようと務めてきた。このために、同ネットワークは、2002年の「移送された人々の登録システム」(SUR)の登録に、家長の性別をリストし、それを一般公開した。この登録簿によると、2000年には、女性が率いる家族の2万1394家族が、2001年には2万8744家族が、強制移送された。2002年には、12月15日までに、女性を長とする3万203家族が移送されたが、これは、この時期に移送された家族の35.7%に相当する。1995年以来強制移送された、女性を家長とする家族(8万4726家族)の中で、94.9%は、2000年から2002年に元々住んでいたところを逃れた家族である。このことは、この3年間にコロンビア女性が直面する状況の劇的な悪化を示している。

女性を長とする家族が最も多く追放されたのはアンティオキア州であり、1995年以来、1万5956家族が追放されているが、これは、女性を長とする移送された家族全体の18.83%を占めている。ボリバル州が第二位であり、1万101家族(11.92%)、その次がスクレ州で5510家族(6.5%)、マグダレナ州(5258家族)、セサル州(4839家族)、プツマヨ州(4735家族)、カクエタ州(3952家族)である。

こうした女性たちは多くの問題を抱えているが、最も深刻なのは、新たな家に慣れながら、家長の役割に適応することである。多くの女性たちが、自分たちにとっては全く馴染みのない社会的・文化的・経済的状況の、州都に出てくる。この適応を通して、女性たちは、夫がいたときに慣れていたよりも支配的な役割を担わなくてはならない。

強制移送されてくる前に家族が営んでいた経済活動(多くは農業か牧畜)を、新たな再定住地域で行うことは不可能である。個人的なレベルで、これにより、人々は、新たな仕事の形態に適用するという困難を強いられる。全国的なレベルでの影響もある。経済が脱地方化されることにより、国の生産構造が変化し、再定住地域には、非熟練労働者の余剰をもたらすのである。

都市部の労働市場におけるジェンダーの分割により、女性の方が、清掃や料理といった家庭内の仕事をすぐに見つけることができる。この収入により、ときに、女性たちは、より容易に家長の役割を担うことができる。移送された家族は、また、非公式セクターでの商売に従事するが、これは女性だけでなく男性も同様に行っている。

強制移送された家族を率いる女性が稼ぐ収入の推定は、CODHESの調査に見られるだけである。その調査では、1995年には、こうした女性の半分が無給で、23%が最低賃金以下、22%が最低賃金相当の給与を得ていたという。コロンビア政府の人道プログラムの中に、移送された家族を率いる女性に特化したものは一つもないことは、強調しておかなくてはならない。

多くのコロンビア人女性たちが、まず武力紛争を生き延びた後で、新たな土地での自らの生存と家族の生存という、より大きく困難な闘いに直面しなくてはならない。恐怖と戦争、愛する人々(子供や夫、親など)を失ったことと向き合うことに加え、こうした女性たちは、家族のために経済的責任を担い、また、社会的・心理的支援を家族に与えるという家長の役割を引き受けなくてはならない。教育を受けた人は少なく、経済活動を開始する資源もないため、こうした女性の機会は限られている。その結果、こうした女性たちは、しばしば、政府の援助に依存することになる。

このような状況にもかかわらず、コロンビア政府は、特に移送された家族を率いる女性に向けたプログラムを有していない。こうした女性たちは複雑な状況に直面していること、また、子供や年老いた親類の面倒を見なくてはならないことを考えると、再定住地域においてこうした女性たちを優先的に支援し、仕事や保健、シェルター、訓練へのアクセスを仲介する、特別なプログラムが必要である。政府は、ただちに、こうした女性が子供たちの面倒を見ることができるような条件の、労働プログラムに、これらの女性たちを取り込む必要がある。女性が、家長になるという状況は、移送後も困難が長く続くことを意味している。


本記事はパウラ・アンドレア・ロシアスコによるコロンビア・レポート特別報告「Forced Displacement and Women as Heads of Displaced Households in Colombia」からの抜粋。

パウラ・アンドレア・ロシアスコは、現在、ボゴタ国立大学大学院で経済を研究している。以前は、コロンビア政府の開発組織FONADE(Fondo Financiero de Proyectos de Desarrollo)に勤務していた。

Simon Helweg-Larsenによるスペイン語からの翻訳。
益岡賢 2003年6月17日

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