ゲリラから候補へ

2002年6月3日
マイケル・イースターブルック
コロンビア・ジャーナル原文

ヴェラ・グラベは長年にわたり、コロンビア政府を転覆し、ラテン・アメリカ中で左翼革命を引き起こそうとしてきた。彼女は、M−19ゲリラ軍の元司令官として、軍への攻撃計画立案を支援し、また、今は活動を停止しているM−19ゲリラが、1985年に、司法宮(最高裁)侵入して115名を殺す結果となったとき、M−19の一員だった。けれども、8年間姿を見せなかったあとで、最近コロンビアの張りつめた政治シーンに再登場したこの元ゲリラ戦士は、あまり注目されないとしても、今や最も活発な平和の提唱者となった。

グラベは、副大統領候補として、大統領候補のルイス・エデュアルド・ガルソンとともに今回の選挙を戦い終えたところである。ガルソンは2002年5月26日の大統領選に敗北したが、彼のことを息も絶え絶えのコロンビア進歩派左翼復活をなしとげると信じる政治分析家もいる。コロンビア人のほとんどは、38年に及ぶ武装対立が終わる見通しに対してこれまで以上に悲観的であるが、副大統領候補ヴェラ・グラベは、短期間であったとはいえ、人々の前に現れる機会を使って平和的解決の必要性を強調した。「人々は、『元ゲリラが副大統領候補だなんて』と言った」と、選挙の一週間前、首都ボゴタの事務所で、グラベは述べた。「私がいることが、平和が可能であること、平和を実現しようと努める価値があることを示していると私は答えた」。

4月19日運動に参加したとき、グラベはコロンビア最高のエリートたちが集まる私立大学で人類学専攻を学ぶ学生だった。4月19日運動は、一般にM−19として知られ、その名は、1970年に反体制派候補グスタボ・ロハス・ピニージャが大統領選で敗北した日付からその名を取っている。同グループは、1974年に、美術館から、南米の解放者シモン・ボリバルが所有していた貴重な剣を奪取し、政治シーンに登場した。

グラベは、1950年にドイツからやってきた両親を持つ二人姉妹の姉で、首都で秘密活動に従事し、地方部での襲撃実行を支援し、そして、M−19の数少ない女性司令官の一人となった。彼女は、ゲリラ部隊が、ボゴタの軍武器庫に近くの家からトンネルを掘って、5000丁のライフルを盗み出し、コロンビア軍の面目を失わせた後、1979年に逮捕された。

彼女が2000年に出版した回想録『生きる理由』(Reasons for Living)によると、軍刑務所で、兵士たちは繰り返し彼女に拷問を加えた。寝かせなかったり、性器を濡れタオルで叩いたり、気絶しそうになるまで水桶に頭をつっこんだりといったものである。

1年後に釈放されてからは、コロンビアを出て、「ゲリラ外交」を彼女が呼ぶ行動を続け、数年後に帰国した。著書の中で、M−19が1985年ボゴタの司法宮に突入したときには、彼女はコロンビアの別の場所にいたと述べている。軍が司法宮を奪還したとき、11名の最高裁判事とそこにたゲリラ全員が死亡した。

5年後、グラベとM−19のメンバーたちは武器を放棄し、合法的な政治活動を行うこととした。「長年にわたりゲリラ闘争に参加したのち、戦争は市民にひどい影響を与えていることに気づき始めた」とグラベは述べる。

銃をおいてから、1990年に、グラベは元ゲリラとして、初めて議員に選出された。まもなくして憲法議会が国会を解散させ、新たな選挙を行ったとき、彼女は上院に立候補し大量票を得票して当選した。けれども、1994年には落選し、それからスペインのコロンビア大使館で人権活動に従事する。3年後、コロンビアに帰国し、コロンビア内戦を平和的に解決しようと活動するNGO、ピース・オブザーバトリーに参加した。

ガルソンのキャンペーン担当で元政府の平和委員だったダニエル・ガルシア・ペニャは、ガルソンがグラベを自分の副大統領に選んだ理由の一部には、武装ゲリラから平和活動家へという劇的な転身という点もあったと言う。「我々が伝えようとしたメッセージは、武装闘争は単に無意味であり、それによりコロンビアに変化をもたらす可能性はないというものだ」とガルシア・ペニャは言う。「ヴェラは、ことを、武装闘争を放棄して人生を民主的プロセスに賭けた人として人々に知られている」。

けれども、グラベが和解というメッセージを広めようとしていた一方、彼女には具体性がないと批判するものもいた。ボゴタのハベリアナ大学の政治学者フェルナンド・ヒラルドは、グラベをはじめとする候補から聞いたことのほとんどは、「紋切り型で・・・誰もが同意するけれども結局のところあまり深い意味のない抽象的主張だ」という。グラベに言わせると、解決は一人の人間によりもたらされるものではない。「和解は私にかかっているというのではない」と彼女はいう。「私は贖罪を与えるものでも救世主でもない」。

メッセージを伝えようと努めたにもかかわらず、聞いていたコロンビア人はあまりいなかった。コロンビア最大のゲルラ部隊であるコロンビア革命軍(FARC)とパストラナ大統領の間の平和交渉は2002年2月に崩壊した。ほとんどの人々は、交渉にもう一度賭ける気はないようである。ゲリラ軍に対する失望は、5月2日、FARCによる手製ロケット弾が教会に命中し、ゲリラと、対立する準軍組織との戦闘を逃れて教会に避難していた117名を殺害したため、かつてないほど強まった。

大統領候補アルヴァロ・ウリベ・ベレスは、左派ゲリラに対する不満を利用し、5月26日の選挙に大勝した。けれども、グラベは、ウリベが大統領になったことは、必ず訪れる結末への時間を遅らせるだけだと信じている。「私は、戦争は平和への道ではないと信じている」とグラベは言う。「我々は別の道を探さなくてはならない」。

本記事は、Latinamerica Pressに発表された。スペイン語版がNoticias Aliadasから入手可能。


  益岡賢 2002年6月4日

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