耐え難きを耐え

2002年2月11日
ダグ・モリス
コロンビア・ジャーナル原文

力のあるものが、社会における思想統制のシステムを操作している。このシステムが、我々が考えること、信じること、望むこと、歴史に残されること、抹消されることを決める。力のあるものにより我々の目的や見解、希望を指示させるにまかせることは、人々が犯す重大な過ちの一つである。けれども、こうした思想統制は、ほとんどの人が気づいたり理解したりしないままに進められる。世論操作と思想統制が最も効果を発するためには、それが存在し稼働しているということが見えにくくなっていなくてはならない。ハワード・ジンは、ペンタゴンが莫大な時間と予算、エネルギーを世論操作に投入しなくてはならないという事実が、人々が平和と正義を希求し、暴力と戦争に反対することの重要な証であると述べている。このような世論操作こそが、ほとんどの人が、コロンビアで何が起こっているか知らない理由である。麻薬と麻薬戦争といったことについては知っているが、実際にそこで何が起こっているかについては何も知らないのである。むろん、世論操作と思想統制はペンタゴンだけが行っているわけではなく、教育制度やメディア等々も関与している。

こうした統制は、現在の、テロリズムをめぐる議論でも働いている。力のあるものが行うテロは、弱者がとうてい追いつかないような規模のものであるにも関わらず、力のあるものが行っているために、決して「テロリズム」とは呼ばれない。悲しいことに、2001年9月11日の惨劇すら、力のあるものたちが何年にもわたって行ってきたことの前では影が薄れてしまうほどである。スクール・オブ・ジ・アメリカズ・ウォッチが、フォート・ベニングで、スクール・オブ・ジ・アメリカズが行っている行動に対する抗議のために掲げたサインに次のようなものがある。

「一人の人間を殺すと、殺人と言われる。10万人を殺せば、それは外交政策と言われる。」
けれども、米国国務省が、「我々は自由と民主主義と富を世界中に広げ、テロ、専制、悪事と戦っている」という以外のことを言うのは望めない。

最近数ヶ月、コロンビアについての講演をしている中で、私はいくつかのことに気づいた。一つは、米国内で、プラン・コロンビアについて聞いたことがある人は非常に少ないということである。私は、高い知能を持った高校生向けの特別プログラムを受けている「クリーム・オブ・ザ・クロップ」の高校生の一団に向けて話をするよう招待された。そこには100名の生徒と5〜6名の教師がいたが、誰一人としてプラン・コロンビアについて聞いたことがなかったのである。教育システムは機能している!全員が、9月11日のテロについては耳にしていたが、誰も、米国がスポンサーとなっているコロンビアでのテロについては聞いたこともなかったのである。そして、コロンビアでのテロは、我々が行動を起こせばすぐに終わらせることができるものなのだ。というのも、このテロにおける米国の力と影響、そして犯罪への関与は莫大なのだから。我々は、支持者と計画者を求めて洞窟内をのぞき込む必要すらないのである。けれども、このテロはアジェンダ外に隠されている。

気づいた第二の点は、米国が、テロリストを武装し、資金を提供し、訓練し、支持し、かくまっているということに対し、少なからぬ人々がかなりの敵意を示すことである。これらの人々にとって、それは理性的な対応である。もし、人が、多くの人に刷り込まれ内面化した力のあるものが提示した世界観を信じているならば、その人は、誰かが部屋に入ってきて「米国はテロリズムのスポンサーである」とか「米国は世界で第一のテロリスト国家である」と言ったら疑問を持つだろう。

こうした主張を証明する証拠は膨大であるが、確固たるそして力のある証拠と考えられるものを提示した後でさえ、人々はそれを信じない。これもまたなるほどと思わされる。一生涯、2+2=5だと教えられてきた人々に対して、突然我々が、「申し訳ありませんが、2+2=4です」と言ったような感じである。このとき、2+2=5組の人々が、それに対して、敵意とは言わないまでも、疑いの目を向けるのはしょうがないことであろう。これは、人々に話そうとするときにわかっておくことが重要でありながら、覚えておくのが困難なことなのだ。リチャード・レビンスが、似たようなことを次のように言っていた。「悪い人というのはいない。悪い考えと制度があるだけだ。」2+2=5組の人々は、悪人なわけではない。こうした人々は、悪い考えと犯罪的制度の犠牲者なのだ。

ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』は、アドルフ・アイヒマンの戦争犯罪裁判の研究であり、『悪の凡庸さについて』という副題が付けられている。彼女が指摘した点の一つは、恐ろしい犯罪に関係したあるいはそれを犯した人々は必ずしも怪物であるわけではないといことだ。しばしば、こうした人々は、悪い体制の中の悪い考えに取り憑かれた普通の人々で、仕事を効率的に、忠実に、従順にそして熱心に行い、体制の中での褒美を追求しているのである。

ノーム・チョムスキーは、『テロリズム文化』という著書の中で、ナチ指導者たちが自分たちの犯罪を遂行するために、国家威厳の栄光と愛国的献身を国が宣伝する一方で、一般大衆に消極的従順さ求め、喜んで目をそらす状況を望んだことについて言及している。とてもお馴染みのことだ。確か、これをエドワード・ハーマンは、「考えることすらできないことの正常化」と呼んでいた。これを、忍耐と受動性の結合と見ることもできる。これは、我々を、耐え難きを耐える状況に追い込む極めて危険な結合である。

怪物的犯罪を体系的にそして献身的に計画し、それに参加し、そしてそれを支えるためには、これまで思考することができなかったものを当たり前のものとするプロセスが必要である。ハーマンはこのプロセスにおける分業について述べている。犯罪を直接実行するもの、国家機構を円滑に運営するもの、破壊兵器を製造するもの、より効率的で致死的な破壊手段の研究を進めるものなどの分業がある。たとえば、人は、コロンビアでの薬剤空中散布に使うための「よりよい」(つまりより致死的な)毒の開発研究を行うかもしれない(空から降る死を参照)。

こうした分業の中には、思想統制ビジネスも含まれる。メディア、専門家、大家、教育者などで、これらの人々の任務は、しばしばそれと気づかぬままに、考えることができないことを正常なものとし、人々が耐え難いことに耐えるようにすることである。上で私は、特別プログラムを受けていた成績上位の高校生100名の誰一人としてプラン・コロンビアについて知らなかったこと、そしてそれが教育制度が機能している証拠であると述べた。これは、「悪の凡庸さ」という考えと関連している。

かなりの程度、国民意識は、権力、特権、富を増進し守ることに関心を持つエリート文化によってかたちづくられる。権力の観点からは、国家の犯罪や経済体制の犯罪について暴き議論することには何の利益もない。ときに、体制の中における犯罪について言及されることはあっても、体制そのものの犯罪について言及されることはほとんどない。言いかえると、支配的な考えと体制そのものが、犯罪的なのである。

エデュアルド・ガレアノの最新の本、Upside Down: A Primer for the Looking Glass Worldから学ぶことができる簡単な教訓がある。世界を理解したければ、権力者から聞かされることを逆さにすればよいというのである。権力者たちが専制を廃止するために尽力しているというなら、それが「専制を支援し造り出している」という意味だとわかる。もし彼/彼女らが「民主主義を広めている」というなら、それは、「少数者への民主主義」(つまり1票1ドル、より正確には、1票100万ドル)を意味する。もし彼/彼女らが、「考え、人、商品の自由な流通」というなら、それは、「企業の自由な浸透」を意味する。

米国がどれだけ民主主義に関心をもっているか判断する手だてはたくさんある。民主主義の基本は、人々が、自らの生活に影響する事柄について有意義なやり方で参加できるかどうかである。米国が軍事・経済・毒薬散布の暴力をコロンビアに適用しようと決めたときに、それによって最も影響を受けるコロンビアの人々は、その決定に参加する機会を全く持っていない。意見の多様性を考慮することを拒否すれば、破滅が訪れがちである。オーウェルは「広く受け入れられている定説に意義を唱える人々は、驚くほど効果的に沈黙させられる」と述べているが、この沈黙は、破滅的であるかもしれない。

定義により、米国がある政策を行っているならば、それは上品さと善を促すためにそうしているとされる。AならばBというわけだ。論理的にそうなるのである。米国の公式レトリックが、機密解除された政策立案文書や国連での投票記録、常に居心地の悪い歴史の事実と矛盾していることは、ちょっとした迷惑ではあるが、それすら、より高位の真実たる「米国ならば善」という公式で上書きできる。

誰かが戦争を支援しているならば、それは、他の手段を知らないからなのである。私たちは、人々が次のようにするのを頻繁に耳にする。「もしあなたが言っていることが本当ならば、どうしてそれを、新聞やテレビで目に/耳にしないのか」。これは、ガレアノが述べたまた別のことに関係している。「政治家は言葉を提供し、カンペシノは死体を提供する」。米国にいる人は、政治家や大家の言葉を毎日耳にするが、遺体を目にすることはない。けれども、遺体はコロンビアに存在し、毎日、ますます高く積み上げられているのだ。これは、コロンビアについて真実であり、世界の多くの他の場所についても真実である。

米国が戦争状態にあるときに、米国の犯罪についての疑問を提起すべきでないという点について。米国はこれまで常に戦争状態にあったのだ。アカへの戦争、冷戦、麻薬戦争、対テロ戦争。権力者たちはいつも、「悪の世界」が我々のライフスタイル、自由、民主主義、信仰の自由などなどを破壊しようとしているという印象を造り出してきた。その結果、米国はいつも戦争をしているのである。けれども、この戦争は、ここ米国内そして特に国外における貧しい人々への戦争なのである。ガレアノが言うように、「逆さま」の世界なのだ。

本記事は、ジョシュア・ジャクソンが、2001年12月21日・23日・28日に、ブラトルボロ地区平和と正義グループのダグ・モリスに対して行ったインタビューに基づいている。

  益岡賢 2002年2月28日

一つ上へ] [コロンビア・ページ] [トップ・ページ