アフガニスタンの民主主義?
専制国家が作られつつある

ミーナ・ナンジ
2004年2月23日
ZNet原文


イラクが全くの破滅状態にあり、米国の選挙が2004年12月に近づいている中、ジョージ・ブッシュ米国大統領は、外交政策に関して、米国の巨大な軍事力を貧しい国々に用いたことを正当化するためのサクセス・ストーリーを求めている。そのために「民主主義」の大勝利を喧伝する以上の方法があるだろうか?「民主主義」---普通のアメリカ人に、米国政府は世界で「正しい」ことをしていると信じさせ安心させる、この神聖不可侵な言葉を。イラクでの「民主主義」据え付けがワシントンにとって「悪しき」たぐいの人々で多くを占められている中、アフガニスタンが、再びブッシュ政権の必要に見合ったものとして注目されつつある。この度は、米国が輸出した「民主主義」を感謝して---そして成功裡に---受け取った国としてである。

1月上旬に合意された憲法のもとで、アフガニスタンは大統領選と議会選を2004年6月に予定している。ブッシュとアフガニスタンのカルザイ大統領は議会選挙が遅れる可能性を巡り合意したが、大統領選は予定されている6月に行う決意でいる。イラクの米国行政官ポール・ブレマーが「技術的」問題として選挙を遅らせる理由にあげたと同じ問題がアフガニスタンにあるにもかかわらずである。

アフガニスタンに関するブッシュの華やかなレトリックは既に強化されている。今年の一般教書演説で彼は次のように述べている:

「今年からあの国[アフガニスタン]は新たな憲法を有し、自由な選挙と女性の完全参加を保証している・・・・・・新たなアフガン軍の助けもあって我が同盟はタリバンとアルカイーダの残党に対して攻撃的な襲撃を行っている。アフガニスタンの男たちと女たちは、自由で誇り高くそしてテロと戦う国家を作りつつある」。

けれども、イラクの場合と同様、ブッシュ大統領はやはり誤った情報に基づいているようである。彼の言葉は今日のアフガニスタンの実状とほとんど似ても似つかぬものであるので、少し詳しく見てみることが必要である。

確かに、アフガニスタンは2004年1月4日に批准された新たな憲法を有することとなった。けれども、これは疑わしい手段の産物である:憲法についての議論がなされる場であったロヤ・ジルガ(大会議)は原理主義者ムジャヒディーンと軍閥に支配されており、開かれた議論などありうべくもなかった。国際人権団体と現地のアフガニスタン人ジャーナリストたちは、決定は、自由で公平な参加に基づいてではなく、使節/代表の身体的脅迫や買表、殺害脅迫、そして政府関係者と有力民兵団が大多数の使節/代表を除外した密室での合意によって「合意された」ものであると報じた。つまり、憲法「批准」はまるで全く民主的になされたのではなかったのである。

憲法自体にも多くの問題がある。紙の上では平等や民主主義、経済的・市民的・政治的権利について謳っているが、これらを保証し実施するための機構の創設についてはほとんど何もない。法を実際に執行する手段がなければ、憲法はほとんど権威をもたない---恐らく武装軍閥の前では全く何の権威も持たないだろう。それゆえ、憲法がどのように「自由選挙を保証」できるのかは、いささか謎である。

一方、米国は、アフガニスタンで平和と民主主義を支援していると主張している。この2年間、米国は「対テロ戦争」と称してタリバンとアルカイーダの残党を「根絶」するための作戦を次から次へと進めてきた。これ自体は優諸の原因ではないかも知れないが、米国がこれを行うに当たって採用した戦略と政策は恐ろしいものである。実際、アフガニスタンに安定をはぐくむ条件を作り上げるどころか、米国の政策は全く逆の効果を生んでいる。アフガニスタンを席巻している暴力の大部分は、まず間違いなく、米国の政策の直接的な結果なのである:

a)最も言語道断な米国の政策は、米軍と戦争犯罪者として知られるものたちとの邪悪な同盟である。「新たなアフガン軍の助け」どころか(アフガン軍は当初予定の7万人からはいささか少ないちっぽけな7000人から構成されており、既に何百人もの脱走者を生んでいる)、米国はタリバン追求のために、地方の軍閥とその民兵団に頼っている。米国にとってタリバンとこれら軍閥の振舞いにほとんど違いがないことは問題とはならないようである:ほとんどがタリバン同様に独裁的で原理主義者で反近代主義者なのである。そしてこれらの軍閥は、1992年から1996年まで混沌として内戦下のアフガニスタンを支配したと同じ者たちである。タリバンは、これらの軍閥の武装解除に成功し、アフガニスタンにある程度の秩序を回復したのである。

したがって、タリバン支配が終わった際、武装軍閥に脅かされない政府を創設する本当の機会があった。ところが、米国は、軍閥を資金と武器面で再び支援することで、その再生を選んだのである。

b)米国は、つい最近まで、国際平和維持団のアフガニスタン各地への展開に反対していた。カブールが相対的に平和で安定している理由が国際治安支援部隊(ISAF)にあることは疑いない。ISAFがいるため、例えば国防相ファヒム将軍などの高級閣僚に忠誠を誓う私設軍隊の力は抑えられ、商業活動の展開が可能となり、援助ワーカーが比較的安全に活動できた。NATOは2003年10月部隊拡張を決定したが、これまでのところ大規模な兵士の拡張はなされていない。米国は今やNATOに圧力をかけて地域再建チーム(PRT)の派遣を求めている。PRTは平和維持部隊ではなく、学校再建といった人道的活動を目的とするものである。それゆえPRTは治安をあまり改善することはできず、軍閥間の戦闘や民兵による人権侵害に介入する権限もない。

c)アフガニスタンに10万人から50万人いると推定される武装した男たちの武装解除は、アフガン人のほとんどが銃の支配ではなく法の支配のためには第一の最も重要なステップであると見なしているにもかかわらず、異様に遅いペースでしか進んでいない。実際、米国はテロと戦うと称して地方軍閥を再武装しているため、武装解除をさらに妨害しているのである。

こうした政策は、全体として再び軍閥の地方支配を強化することにつながっている。軍閥は強請や強姦、殺害により住民にテロを加えている。これらの者たちが過去そして現在に犯した犯罪についての責任を問うというような話はどこにもない。

軍閥の再出現は、もう一つの致命的な展開につながった:アフガニスタンは再び世界トップレベルのアヘン生産国となったのである。タリバン政権時代の9倍のアヘンを生産していると見積もられている。最近、国連は、アフガニスタンが、麻薬王たちが政府よりも大きな権力を有する麻薬国家になりつつある瀬戸際にあると警告した。

治安が崩壊しているため、独立系の政治組織家たちのほとんどは、組織活動を恐れている。さらに公式に認められた政党は一つもなく、選挙法も採択されていない。国連が有権者登録を行っているが、危険な状況のため登録は大幅に遅れている。選挙権を持つと見られる1000万人のうち、これまでに登録されたのは10%にすぎず、約70%のアフガニスタン人が地方に住んでいるにもかかわらず、登録された者のほとんどは都市部の者たちである。

登録者と選挙参加予定者にとって、南部と東部はとりわけ危険で攻撃を被る可能性がある。けれども、選挙結果が受け入れられるためには、これらの地域の人々の声が反映されることが不可欠である。投票から住民のかなりが除外されるならば、投票の正当性が危機にさらされることは確実である。既に、多くのアフガン人が「民主主義」が突然出現したことをまじめに取ってはおらず、それは権力者たちの自己利益の結果であると見なしている。人々は、強力な軍閥の武装解除がなされない限り、真の民主主義などあり得ないと語っている。選挙からの排除はまた、民族間の緊張を高め、それはアフガニスタンをさらに不安定かさせることにつながる。

国連やEUなど、世界の様々な組織が、治安状況が急激に改善されないならば、少なくとも2005年半ばまで選挙を延期すべきであると勧告している。また、多くのグループが、有権者登録が十分なされたとしても、軍閥の影響地域では、投票者や候補者が、参加しないようあるいは特定の投票を行うよう脅迫されたり圧力を受ける可能性が大きいと指摘している。

とりわけ「自由」選挙で不利なのは女性である。ANAMAは一生懸命、より多くの女性を登録しようと組織的な努力をつぎ込んでいるが、十分な効果を持つことはありそうにない。これまでに女性有権者の2%が登録されただけであり、それも主として都市部である。

職業と教育の機会が増したことにより利益を受けている女性は本当にわずかであり、それも概ねカブールに限られている。2003年3月の女性差別撤廃条約(CEDAW)批准はアフガン女性の安寧に何の影響も与えなかった。憲法が述べる「平等」が何らかの正の効果を持つと期待する理由も、同様に、ほとんどない。アフガン女性の大多数が識字力を持たず教育を受けておらず、抑圧的な伝統のもとにある。民兵は女性を強姦や拷問、誘拐の標的とする。女性の学校は放火され、女性の教育と公共の場への進出を制限する法律が是認される。診療所に行くのが危険すぎたり、男性の医師が女性を診療できないため、ほとんどの女性は保健医療を受けられない。法律違反であるが、強制的な許可年齢以下の結婚も未だに普通に行われている。ヘラートではこの2年間に新たな現象が現れた。自己犠牲死である。絶望的な状況でまた男たちをとても恐れる女性たちが、自らの体に火をつけるのである。

こうした状況で、ブッシュが「自由な選挙と女性の完全参加」を語るのは全く不誠実陰険なことである。とりわけ、ブッシュ自身の政権が、女性の不安に貢献した中で。ブッシュ政権は、女性の状況を改善するためにほとんど全く何もしなかった。したことといえば、むしろ、女性への残忍な振舞いと目に余る人権侵害で悪名をはせた政府内外の原理主義者を支援することにより、女性の奴隷化の継続を確実なものとしただけである。

様々な団体の勧告に反して2004年6月の選挙に固執するブッシュは、大多数の市民が政治に本当に参加することよりも、みせかけの民主主義を宣伝することを選んだのである。けれども、自分自身、投票の数に反して密室の決定で就任した大統領が「輸出」した「民主主義」について、どんなものが期待できるだろうか?


2001年末、日本に招待されたアフガニスタン女性革命協会のマリアム・ラーウィさんは、インタビューで、不吉な見通しを語っていました。何一つ根拠も論拠もなく、あらゆる法を無視して一方的にアフガニスタンに爆弾の雨を降らせ破壊したあとで米国が据え付けた政権は、「ブルカを脱ぐ女性たち」といった一時的でセンセーショナルな報道に反して(ほとんど人があつまらなかった「サダムの銅像引き倒し」と同様のヤラセに近いものだったことが推測されます)、女性たちの権利を侵害しています(女性たちの権利だけではありませんが)。

この記事は、女性の権利侵害状況について少し前に紹介したフィルムメーカーの著者が、米国が主張するアフガンの「民主選挙」実施について論じたものです。軍閥支配を利用し強化しながら2004年6月に見せかけの選挙を実施しようとするのは、ブッシュにとってそれが2004年末に予定されている大統領選に向けて都合のよい宣伝となることが理由の一つというのは、さもありなんという感じです。

日本では、自衛隊のイラク派遣について、もう行ってしまったんだからしょうがないよ、その事実から出発しなくては、という、議論ならぬ雰囲気が強くなっているように思います。「やってしまったものはしょうがない。それは認めて未来を見よう」というのは、何のことはない、何であれやったもの勝ちということになります。虐殺と略奪をして、それを行った者あるいはそのそばにいた者、それを支援した者たちが「ま、起きてしまったからしょうがない」というのは、犯罪を悪辣なシニシズムで隠蔽しようとすることに他なりません。

イラク侵略、自衛隊、憲法無視・改悪、市民的権利、日の丸君が代強制等々あまりに多くのことが矢継ぎ早に起きる/起こりつつある中、大手メディアはアフガニスタンのことなど、たまに表面的に報ずるだけになりました(もともと表面的ですが)。私自身は、東ティモールやコロンビアなどと違い現地との直接の情報接触はありませんが、折に触れ、アフガニスタンの状況についても記事等を紹介できればと思います。

3月20日、反戦・反派兵のラリーが計画されています。できるだけ幅広く広めて下さいとのことです。
益岡賢 2004年2月28日

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