アチェ:津波と占領の犠牲

インドネシア軍は津波を口実にアチェの人々に対する虐殺を続けるだろうか?
デモクラシー・ナウ!
2004年12月29日


災害がアチェの人々を何千人も殺している。けれども、インドネシア軍は永年にわたり同じことをアチェの人々に対してしてきた。現在、アチェの人権活動家は、インドネシア軍が今回の災害を口実にアチェの人々をさらに殺し、また、米国国務省が1999年東チモールでのインドネシア軍による虐殺後に停止された対インドネシア軍援助をこの災害を口実に再開するのではないかと恐れている。

さらなる情報と草の根の援助については、以下を参照のこと。



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エイミー・グッドマン:本日、スタジオにスライヤ・I・Tをお迎えしています。彼女はアチェ国際フォーラムの代表です。スタジオにはもう一人、ジャーナリストで活動家でもあるアラン・ネアンをお迎えしています。彼はインドネシアから戻ったばかりでアチェにしばらくいました。お二人ともようこそ。スライヤ・I・T、まずあなたにお聞きします。アチェのご家族はどうしていますか?

スライヤ・I・T:家族は無事です。母はアチェ東部に住んでおり、アチェ東部は大丈夫だったからです。

エイミー・グッドマン:バンダ・アチェそして最も被害が大きかった地域については何か聞いていますか?

スライヤ・I・T:アチェのNGO連合から話を聞いたばかりです。犠牲者がますます増え、状況はますます酷くなっていて、医療品の供給はひどく限られています。既に限られていたのですが。

エイミー・グッドマン:亡くなられた人の数については何か情報を得ていますか?

スライヤ・I・T:バンダ・アチェについてしか聞いていません。現在までで、3万人以上が死亡したとのことです。アチェ西部メウラボーからの情報はありません。というのも通信の問題と輸送手段の問題があるからです。ですから、何人が犠牲になったか正確にはわかりません。現地の人々によると、アチェ全体で6万に近い人々が死亡したかも知れません。

エイミー・グッドマン:アチェだけで6万人ですか。

スライヤ・I・T:はい。6万人です。

エイミー・グッドマン:今私たちが耳にしている犠牲者数よりも多いですね。

スライヤ・I・T:その通りです。

エイミー・グッドマン:医療支援は人々に届いているのでしょうか?

スライヤ・I・T:現地の人々によると----ちょうど今朝3時に私に電話をしてきたのですが----、そのとき私は医療支援がどうなっているか聞きました。彼らによると、たくさんの援助が国外から来ているのですが、それらがハリム空港で止まっているのが問題だとのことです。ですから医療援助、医療支援はアチェに入ることができていないのです。これは、第一に、軍がアチェで軍事作戦を行なっているため、第二に、アチェには医療体制が完全に不在のためです。ちなみに昨日、インドネシア政府は公式に、ジャーナリストと外国人のアチェ入りを認めると発表しました。けれども、交通手段の問題があり、状況が悪化の一途を辿っているので、ただアチェに行くことはできません。交通手段が問題だからです。援助はハリム空港とメダンで始まっています。ですから・・・・・・

エイミー・グッドマン:医療関係者や救援隊は自由にアチェに行くことができるということですか?

スライヤ・I・T:昨日の段階ではそうです。けれども、交通手段と体制の問題があるので、現在アチェに直接行くことは出来ません。航空便はとても少なく、さらにメダンからバンダ・アチェへの交通手段も極めて限られているのです。

エイミー・グッドマン:インドネシア軍は現地にいるのですか?

スライヤ・I・T:います。私の見解では、問題は、インドネシア政府の調整は非常に劣悪で、交通輸送手段の問題を解決する適切な調整がなされていないことです。非常に危機的です。アチェでのこうした調整は非常に劣悪なのです。

エイミー・グッドマン:もう一人今日はジャーナリストで活動家のアラン・ネアンにも来てもらっています。インドネシアから戻ってきたばかりでかなりの時間をアチェで過ごしました。アラン、あなたが聞いていることを教えて下さい。

アラン・ネアン:スライヤが言ったように、約24時間前まで、インドネシア軍は国際援助団体のアチェ入りを拒否していました。援助団が----日本の医療団が現地に飛んだのですが、軍がアチェ入りを認めなかったため、いらいらしながら行き先を変更したのです。これにより何千人もの人がさらに命を落としたことは確実です。インドネシア軍が医療団をアチェに入れさせなかった理由は、インドネシア軍がアチェを実質上全体主義的に占領しているからです。人々はテレビでバンダ・アチェのグランド・モスクを見たかも知れません。崩れずに残っている数少ない大建造物の一つです。モスク前の庭には、膨れ上がった遺体や死んだ動物、そして瓦礫がごみのようにあって、建物自体もひび割れています。破滅的状態なのです。

ところで、ちょうど5年前、このモスクの前庭に、40万人から100万人ものアチェ人が集まって、住民投票を求める平和的なデモを行いました。インドネシアから独立したいかどうかを選ぶ自由投票を求めたのです。ちなみに、今回の災害前に、アチェの人口は約400万人でした。つまり、その日、アチェ全人口の10%から25%の人がモスクの庭に集まり、自由を求めたことになります。人口比で言うと、近代世界史の中で最大のデモの一つだったのです。その規模を想像するために米国で起きたと考えると、3000万人から6000万人がデモに参加したことになります。

こうした市民運動に直面したインドネシア軍はそれを粉砕しようと行動を起こし、指導者を暗殺したり「失踪」させ、女性活動家を強姦しました。ジャファー・シディク・ハムサ----彼はアチェの人々の声を伝える国際的な報道官です----は、東チモールにおけるジョセ・ラモス・ホルタのような役割をアチェについて果たしつつありました。ジャファーは数年間米国に住んでいました。2000年、アチェに戻った彼は、誘拐され、有刺鉄線でぐるぐる巻きにされ旨を何度も刺され、顔面を切り取られた遺体で見つかりました。軍はアチェの市民運動を粉砕しようとしています。というのも、政治的に勝ち目がないことを知っているからです。だから、インドネシア軍は軍事的戦いを好みます。

アチェには自由アチェ運動(GAM)というゲリラ運動があります。インドネシア軍はときどき武器を彼らに売り渡します。この戦争が続くことを望んでいるのです。そうすれば、軍が政治的に地歩を得ることができるからです。人々とインドネシアの他の地域に向かって、インドネシア軍は、「見ろ、危険と混沌があるんだ」と言うのです。だからお前たちには我々軍が必要なんだ、お前たちを守るために、と。ほかに誰を頼ることができるのだ、と。第二に、アチェでの戦闘によりインドネシア軍と警察は汚職のチャンスを手にすることができます。貧しい人々や小規模経営者を恐喝する体制がインドネシア軍と警察にはあります。毎週、1万、2万、3万ルピアといった額----2、3ドルといったところです----を上納しなくてはならないのです。車を運転していても警察に金を巻き上げられます。アチェでは自由に移動することもできません。世界最悪の弾圧が行われている場所の一つなのです。そしてインドネシア軍はそれを続けたがっているのです。

エイミー・グッドマン:ここで小休止をしなくてはなりません。再開後は、現在起きている世界的惨状のグランドゼロ----7万人もが死亡し推定では死者は10万人を超すと考えられています----そして占領と津波がアチェの人々にとって何を意味するかについて話を進めたいと思います。ゲストはジャーナリストのアラン・ネアンとアチェ国際フォーラムのスライヤ・I・Tです。

[休止]

エイミー・グッドマン:私たちはインドネシアはアチェのグランド・ゼロについて話をしています。アチェは二重の破滅に面しています。一つは自然災害、もう一つは数年にわたって続けられてきた軍事占領です。ゲストはアチェ国際フォーラムのスライヤ・I・Tと、インドネシアから戻ったばかりでアチェでかなりを過ごしたジャーナリスト・活動家アラン・ネアンです。アラン、アチェの政治的状況についてですが、インドネシア軍は現在、アチェで生き残った人々を助ける役割を負うように見せていますが。。。

アラン・ネアン:軍はつい最近、アチェに追加の兵士1万5000人を送ると発表しました。軍が新たな状況を利用しようとしているのは確実です。というのも、人々は----アチェの人々、亡命していた多くの人々は、死者を捜しに帰国し、死者を埋葬し、家に残ったものをチェックしようとしているからです。インドネシア軍諜報部がこの状況を利用して人々を標的にしようとする可能性は高いのです。地震の2日前、軍はアチェに400人から500人の追加諜報要員を送り込むと発表していました。インドネシア軍諜報部は現在、米国CIAから対テロという口実で資金を得ています。民間人を殺害するというテロリズムの中立的な定義に従えば、インドネシアにおけるテロ行為の95%以上をインドネシア軍がやっているにもかかわらず、です。地震が襲ったとき、建物が倒壊し収容所も倒壊しました。バンダ・アチェの海辺近くにある女性収容所も倒壊しました。犠牲者の多くは政治囚でした。政府への嫌悪を表明したというだけの理由で収容所に入れられていた人々です。政府への嫌悪を表明することは禁じられているのです。そしてこれらの人々は何の証拠もなしに投獄されていたのです。アチェでは、何千人・何万人もの人々が、地震と津波が襲う以前から、インドネシア軍により自分の土地を追われていました。そして多くの人が「再教育キャンプ」に収容され、軍による洗脳と選別を受けていたのです。そして今、人々は大量墓地に捨てられています。実際の所アチェではこうしたことは数年にわたって続けられてきたのです。違いはといえば、以前は、大量墓地は軍の銃によって生み出されていたことだけです。

エイミー・グッドマン:ところで、アチェ地域は、エクソンモービル社が運営する最大のガス田があるところですね?

アラン・ネアン:ロクスマウェの町の近くに巨大な天然ガスの操業所があります。日本と韓国の天然ガスの多くを供給しているのです。アチェの人々が貧しい理由は何もありません。とはいえ、家々と所持品を失った、海辺に住んでいた人々はとても貧しい生活を強いられているのですが。この巨大な天然ガスプロジェクトから得られる利益はエクソンモービル社とジャカルタのインドネシア中央政府の懐に入るだけで、アチェの人々にはほとんど何の還元もないのです。

エイミー・グッドマン:数年前、『ビジネス・ウィーク』誌で「モービル社が知っていること」という暴露記事を読んだのを覚えています。髑髏を持った男性の写真がありました。モービル社がアチェで大量墓地を掘るための掘削機をインドネシア軍に提供したという記事でした。スライヤ・I・Tさんはこれについて何か知っていますか? 昨日アチェにいるCNNの記者が「我々は大量墓地を目にしています」というのを聞いてショックを受けました。彼が占領で殺された人々のことを言っていると思ったのです。もちろん彼は、新たに掘られた大量墓地に何千人もの遺体を投げ入れブルドーザで地ならしをすることについて話をしていたのです。今回の自然災害で無くなった人たちを埋めるための墓地です。

スライヤ・I・T:軍の占領により苦しめられる上に、今、アチェは自然災害に襲われました。今日米国で、そして昨日----昨日アチェで、人々はブラングリンタンと呼ぶ大量墓地で埋葬を行いました----政府は何千・何万という大量墓地のために大きな区画を提供したのです。アチェの人々にとって、これはアチェの人にとって地獄のような状況です。弾圧による大量墓地に苦しめられ、そして今自然災害に苦しんでいます。あまりに多くの人の命が失われました。勇敢な記者たち----200人ものアチェ人ジャーナリストが失踪し行方不明なのです----そしてモハマド・イブラヒムのような最も勇敢で献身的な活動家も世を去りました。彼は環境活動を行うワルヒ----「誰のためのインドネシア」代表----でした。また、アランが言ったように、多くの女性被拘留者、政治囚、女性活動家がロク・ヌガ収容所で命を落としました。そして[聞き取れず]はアチェのGAMメンバーと関係があったのです。アチェの人々、とりわけバンダ・アチェの人々にとって状況はとても、とても悲しいものです。軍の作戦と自然災害----どう言ったらいいのでしょうか----状況を説明するのは困難です。私は----私は家族に電話しました。路上には至る所に遺体があると妹が私に言いました。誰がどの家族の誰か同定することはとても難しいと。米国やジャカルタにいるアチェ人の多くが、家族の情報を考えています。ワシントンDCのアチェ人も同じです。アチェについて非常に悪いニュースなのです。単に家族が失われただけでなく、村が消え失せたという・・・・・・

エイミー・グッドマン:村全体が、ですか?

スライヤ・I・T:村全体が消滅したのです。アチェ人にとって深い悲しみです。アチェの中にいる人にとっても外にいる人にとっても。カリッドというペンシルバニア在住のアチェ人がいます。彼は今深い悲しみにくれています。バンダ・アチェに姉と5人の子どもがいるのです。ですから、アチェ人の現状では、いわゆる援助という支援だけでなく、道徳的・心理的支援が必要なのです。とりわけ今こういう状況では。

エイミー・グッドマン:米国に住むアチェ人は多いのでしょうか?

スライヤ・I・T:たくさんいます。200人以上のアチェ人が米国に住んでいます。

エイミー・グッドマン:200人ですか?

スライヤ・I・T:200人以上のアチェ人が米国に住んでいるのです。

エイミー・グッドマン:アラン・ネアン、アチェの将来にとって今回の出来事が持つ意味を聞かせて下さい。軍から逃げていた、アチェにいるインドネシア軍を恐れていた人々は、家族を見つけだすために軍に手助けを頼むのでしょうか?

アラン・ネアン:重要な質問ですね。多くの人が、食糧配給と飲み水を得るために軍に行かなくてはならないことになります。ある意味で、経済制裁下のイラクでと似通った状況です。サダム政権が服し食糧配給を統制していたときのような。つまり、現在でも軍によるアチェ統制は巨大なのですが、さらに統制を強める機会となるでしょう。けれども一方で、多くのコミュニティがあまりにひどい状態で、年老いた人々、伝統的指導者が死に、地元の行政関係者が死に、人口の多くが死にました。ですから、ある程度、アチェの多くの町では社会を再建しなくてはならないことになるでしょう。それはある程度の機会となるでしょう。以前よりもよいかたちで生活をやりなおす機会となる可能性がありますが、そのためには軍が手を引き脅迫とテロを続けないことが必要です。この点を視野に入れておかなくてはなりません。現在世界は史上はじめてアチェに目を注いでおり、もしかすると今後二度とこんなに熱心にアチェに目を注ぐことはないかも知れません。けれども、今回の自然災害で5万人あるいは6万人がアチェで死んだことは劇的で恐ろしいことですが、けれども、それは、アチェでここ数年、貧しい状況のため、餓えや栄養失調、下痢などで主に子どもに出た死者の数よりははるかに少ない死者数なのです。様々な場所でインドネシア軍が犯してきた虐殺のことを考えるとさらにそうです。インドネシア軍は東チモールで20万人を殺しました。1965年から1967年に権力を掌握する過程では、40万人から100万人のインドネシア人を殺しました。ですから、今世界がアチェに注ぐ関心はまったく妥当なものですが、その関心をずっと維持しなくてはならないのです。人々は自然災害の津波によってだけでなく、軍や警察の銃弾で----しばしばその資金は米国が出しています----、あるいは避けることが可能な飢餓で死んでいるのです。米国がインドネシアに与えているのは5000万ドルです。ブッシュ就任と比べてみて下さい。また、米国には、5000万ドルの小切手を切ることができる人々が多数います。そうした人々は何千人もの命を救えるのですが、彼らにそうするよう求める社会的圧力はありません。というのも、人々を救うことができるかも知れない金をポケットに眠らせている間に人々を餓死させることは全くOKだという世界に住んでいるからです。

エイミー・グッドマン:援助についてですが、人々はどのような点で支援ができますか? 私たちはアチェの人々をどのように支援できるのでしょうか?

アラン・ネアン:アチェ現地に草の根団体があります。昨晩までそこの活動家が生きていたかどうかわからなかったのですが、今や彼ら彼女らは生きていることがわかりました。土地を追われた難民や再教育キャンプに送られた人々の支援に永年関わってきた「人々の危機センター」といったグループです。子どもたちに教育を施したり食料を提供したりしようとしてきたグループです。彼ら彼女らは今救援の募金を受け付けています。ですから米国の東チモール行動ネットワーク(ETAN)や英国のタポルなどを通して募金ができます。ウェブサイトは、http://www.etan.org/とhttp://tapol.gn.apc.org/です。そこへの募金は、人権活動も行なっているアチェの草の根活動団体に送られることになります。こうした団体は人々を助け、長期的にアチェを少しでもよくするために活動するでしょう。

エイミー・グッドマン:スライヤ・I・T、番組を終えるにあたって、この番組の視聴者に、アチェの人々について、最後のコメントをお願いします。

スライヤ・I・T:アチェの人々を今支援するためには、国際社会からの支援が必要だと思います。とりわけ必要なのは、インドネシア政府に、もっと国際的な援助とジャーナリストとを受け入れるよう促すことです。今でも、政府は国際援助と国際組織に向けてアチェを開放しましたが、制約や規制があります。さらに、国際社会から財政支援が必要です。とりわけ、米国から、そして各地の国際社会から。モスクや教会に支援を提供することができます。私たちはアチェ救援基金を設置しました。連絡を下さい。私たちに、あるいはアチェ国際基金を通して。

エイミー・グッドマン:「デモクラシー・ナウ!」のサイトに連絡情報をアップします。一つはhttp://www.etan.orgです。今日は来てくれてありがとう。アチェ国際フォーラムのスライヤ・I・Tとジャーナリスト・活動家でインドネシアから戻ったばかりのアラン・ネアンでした。


拷問。これまでインドネシア国内で人権活動家や民族主義者などに対し、多くの拷問とテロを加えてきたインドネシア軍は、アチェの自由アチェ運動(GAM)を「テロリスト」と呼び、アチェ民間人に、超法規的処刑、拷問、不法拘留などを加え続けてきました。それは、イラクで米軍が行なっていることに、うり二つです。そしてまた、イスラエル軍がパレスチナでパレスチナの人々に対して行なっていることを思い起こさせます。

現在まで、アチェは密室状態に置かれてきました。内部からの、とりわけ「大手メディア」の情報が非常に限られていました。インドネシア軍はアチェを侵攻する際、米軍がイラクで採用した「軍属メディア」システムを借りてきて強化し適用したためです(この点でも、米軍のイラク占領とインドネシアのアチェ侵攻とはよく似ています)。

こうした状況で起きた今回の地震・津波です。直接的な援助・募金といった活動に加え、スライヤ・I・Tさんが最後に述べているように、これまで密室だったアチェに、国際的な支援や救援団体が直接入れるようインドネシア政府に働きかけることも大切な意味を持つと思います。とりわけ、日本政府は対インドネシア最大援助国ですから、日本政府から働きかけることも(これまで多くのときに日本政府はインドネシア政府・軍による弾圧を支持してきましたが)重要だということになるでしょう。

直接の支援としては、インドネシア民主化支援ネットワークが呼びかけを行なって募金を集めています。アチェの人道支援や人権ロビイングを行なってきたNGOです。ぜひ、そちらもご覧下さい。
  益岡賢 2004年12月31日

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