イラクについて

マイケル・アルバートによるノーム・チョムスキーへのインタビュー(全文)
ZNet原文
2002年10月6日


全文あわてて訳したので、 誤り等があるかと思います。お気づきの方、ご指摘下さいませ。なお、 日本でブッシュの戦争に反対する情報を提供しているページとしては、たとえば、 ここがあります。 リンクから色々なところへ辿ることができます。また、 Dont Fly!! Eagleも、整理された情報やキャンペーンを記載している優れたページです。


1. サダム・フセインは、これまで、主流メディアが言うほどの悪党だったのか? 国内的に、そして国際的に。

彼は確かに非常に邪悪だった。スハルトをはじめとする現代の怪物たちと肩を並べる。 彼の支配下で暮らしたいと思う人は誰もいないだろう。けれども、彼の支配範囲は、 幸いにして、それほど大きくない。

国際的には、サダムは(西洋の支援を受けて)イランを侵略し、 その戦争が上手く行かなくなると、(やはり西洋の支援を受けて)化学兵器を使った。 クウェートを侵略したが、すぐに追い出された。

クウェート侵略後、ワシントンがとても心配したのは、 サダムがすぐに撤退するのではないかということだった。そのとき、 「傀儡を据え、アラブ世界の誰もが喜ぶかたちで」(当時の幕僚長コリン・パウェル)。 ブッシュ大統領は、米国がイラクの撤退を阻止しないなら、 サウジアラビアが「最後にひよって、クウェートの傀儡政権を受け入れる」 かもしれないことを心配していた。

つまり、米国が憂慮したのは、サダムが、米国がパナマで直前にやったことを、 模倣するのではないかということだった(ただし、ラテンアメリカ諸国は、 米国のパナマ侵略と傀儡政権の設置をまったく歓迎しなかった)。 当初から、米国はこの「悪夢のシナリオ」を阻止する手だてを模索した。 多少注意して考えなくてはならない話である。

サダムが犯した圧倒的に最悪の犯罪は、国内で犯されたものである。 1980年代後半の、クルド人に対する化学兵器の利用と、大規模な虐殺、 残虐な拷問、そして、想像しうる限りのあらゆるおぞましい犯罪を犯した。 これは、正しくも、サダムが現在批判されている犯罪のトップにリストされているものである。 これに対する熱のこもった批判と憤りの雄弁な表現が、 「我々の援助で行われた」という句をどれだけ伴っているかどうか調べるのは有用である。

当時からこうした犯罪はよく知られていたが、その当時、 西洋はそんなことにほとんど関心を示さなかった。サダムは、 軽く叱責されただけだった。評論家たちは、議会が厳しい非難決議を行うのは、 行き過ぎだと述べていた。レーガンやその取り巻き、そしてブッシュ一世は、 サダムという怪物を、彼が最悪の残虐行為を行っている間もその後も、 同盟者として、そして大切な貿易パートナーとして歓迎していたのである。

ブッシュは、サダムがクウェートに侵略するその日まで、貸付保証を与え、 大量破壊兵器(WMD)に適用できることが明白な先端技術を売却していた。 しばしば、それを阻止しようとする米国議会の努力を乗り越えてである。 英国は、クウェート侵略数日後まで、軍事機材と放射性物質の輸出を認可していた。

ABC特派員で現在Zネットのコメンテーターをしているチャールズ・グラスが 生物兵器施設を(商業衛星と脱走者の証言で)発見したとき、 ペンタゴンはその話をただちに否定し、その話は葬られた。 この話は、サダムが、クウェート侵略により、最初の「真の犯罪」である、 米国への不服従の罪を犯し(あるいは米国メッセージを誤解したとき)、 友人から即座にフン族のアッチラの再来とされたときに、 再び持ち出された。

同じ施設が、今度は、彼の本質的に悪辣な性質を示すものとして使われた。 ブッシュ一世が1989年12月に友人サダムに新たな贈り物を発表したとき (これは米国のアグリビジネスと産業からのプレゼントでもあったのだが)、 この施設は、報道する必要すら無いような些細なことと考えられていたにもかかわらずである。 当時、これについて、Zマガジンで読むことはできたが、他には報道されなかったと思われる。

その数ヶ月後、サダムがクウェートを侵略する直前、 (後の)共和党大統領候補ボブ・ドールが率いる米国政府上級使節団がサダムを訪問し、 米国大統領の挨拶を伝え、この残忍な大量殺人者に、 米国の異端記者が発する批判を無視すべきと述べていたのである。

サダムは、米国海軍艇USSスタークを攻撃し、何十名もの乗組員を殺したときも、 何ら批判を浴びることがなかった。これは、驚嘆すべきことである。 このような特権を享受する唯一の国は、イスラエル(1967年)であった。 サダムに配慮し、米国国務省は、イラク民主反対派とのあらゆる接触を禁止した。 この政策は、湾岸戦争後も維持された。湾岸戦争後、ワシントンは、 サダムを追放したかも知れないシーア派の反乱をサダムが弾圧することに対し、 実質的なお墨付きを与えたのである。 報道は、この政策が、「安定」を維持するものであると説明し、 さかしげにうなずいていたのである。

サダムが大きな犯罪者であることは疑いようもない。それは、 米国と英国とが、湾岸戦争前、そしてその後でさえ、 「国家理由」により彼の主な残虐行為を些細なものと見なしていたこと −この事実は忘れ去られるに越したことはない−によって、 何ら変化するものではない。

2. 将来を見たとき、サダム・フセインは、主流メディアが言うほど危険なのか?

彼が存在しなかったら世界はよりよいものであったろうことは疑いない。 イラクの人々にとっては、確実にそうだろう。けれども、サダムが、 米英が彼を支援していたときほどに危険であることは決してないだろう。 米英は、核兵器と生物兵器開発に仕えるような二重用途の技術を提供すらしていたのである。 サダムは、開発を行っていたのだろう。

10年前、上院銀行委員会公聴会で、ブッシュ政権が、二重用途技術と、 「イラク政権により核ミサイル及び化学目的で使われた物質」輸出のライセンスを与えていたことが暴かれた。 その後の公聴会ではさらなる事実が明らかになり、これについては報道の報告も、 主流研究者の文献も存在する(反対派の文献ももちろんある)。

1991年の戦争は極めて破壊的なものであり、それ以来、イラクは、 十年にわたる経済封鎖で破壊された。けれども、経済封鎖は、恐らく、 サダム自身の地位を強化したろう(破壊された社会の中で、抵抗の芽を弱めたので)。 けれども、サダムが戦争を起こしたりテロを支援したりという力は確実に弱められた。

さらに、1991年以来、サダム政権は「飛行禁止ゾーン」、定期的航空爆撃、 高度な監視により制約を受けている。2001年9月11日の出来事は、 サダムをさらに弱体化させた可能性がある。 サダムとアルカイーダとの間に仮に関係があったとしても、 現在、一層集中化された監視と統制により、その関係を維持するのは難しい。

それはさておいて、サダムとアルカイーダの関係はあまりありそうなものではない。 サダムを9月11日の攻撃に結びつけようと膨大な努力がなされたにもかかわらず、 何も発見されなかったが、これは驚きではない。サダムとビンラーディンとは、 敵同士であり、その関係が変化することを示す理由は特に何もないのである。

理性的な結論として、サダムの脅威は、9月11日以前より今のほうが少なく、 また、彼が米英(そして多くの他の国々)の大きな支援を受けていた頃よりもはるかに少ない。 ここからいくつかの疑問が生じてくる。 世界の強制執行官が今日戦争を起こさなくてはならないほどに、 サダムが文明の生存にとって脅威であるならば、何故1年前にはそうではなかったのか? そして、さらにそれ以上に、1990年代前半には?

3. 今日の世界における大量破壊兵器の存在と利用という問題に、どう対処すべきか?

大量破壊兵器は廃絶されるべきである。核不拡散条約は、諸国に対し、 核兵器を廃絶する手だてを取るよう求めている。生物兵器・化学兵器条約も、 同じ目標を持っている。イラクに関する中心となる安保理決議(687/1991年)は、 大量破壊兵器とその発射システムを中東から廃絶することを求めており、 また、化学兵器の世界的禁止へ向けたものである。よいアドバイスだ。

イラクは、この点で、主導的な立場からはほど遠い。我々は、1990年代前半に、 クリントン政権の戦略司令部司令官だったリー・バトラー将軍の警告を思い起こしてもよい。 それは、「中東と呼ばれる憎悪に満ちた地域で、一国家があからさまに多数の核兵器で武装し、 恐らく何百もの核兵器を蓄え、他の国家にも同様の気を起こさせているのは、 危険きわまりない。」

彼はむろんイスラエルについて話しているのである。イスラエル軍当局は、 欧州NATOのいずれよりも大きく先端の空・陸軍を擁していると述べている (イツハク・ベン・イスラエル、ハーレツ紙2002年4月16日、ヘブライ語)。 また、イスラエル爆撃機と戦闘機の12%がトルコ東部に常駐し、また、 同規模の海軍・潜水艦部隊がトルコ軍基地に、そして、陸軍もまたトルコに駐在している。 これは、トルコのクルド人たちに対し、クリントン時代のように、 極端な暴力を用いる必要が再び生じたときのためである。

トルコに駐留するイスラエル空軍機はイラン国境地帯を偵察飛行していると伝えられる。 これは、米・イスラエル・トルコによる、イラン攻撃と恐らくは強制分割の威嚇という、 一般政策の一部として行われているのである。イスラエルの分析家はまた、 米・イスラエル・トルコの共同空軍訓練も、イランに対する脅迫と威嚇を意図しているという。 むろん、イラクに対してでもある(マーク・オルソン、中東政策、2002年1月)。 イスラエルがトルコ東部にある巨大な米軍基地を利用しているのは明らかであり、 この基地の米軍爆撃機は、恐らく核武装している。現在、イスラエルは、 米国の海外基地なのである。

他の地域も頭のてっぺんから足の先まで武装されている。 イラクがガンジーをいだいていたとしても、兵器システムをできるだけ開発していたであろう。 米国がイラクを制圧すると、こうした状況は続くであろうし、恐らく加速するだろう。 インドとパキスタンはともに米国の同盟国であるが、大量破壊兵器開発を押し進めており、 何度も、核兵器使用に危険なまでに近づいた。他の米国同盟国や手先国も同様である。

この地域における武器の包括的削減が無い限り、この状況は続くだろう。

サダムはこれに合意するだろうか?実際のところ、我々にはわからない。 1991年1月上旬、イラクが、地域の武器削減交渉を条件にクウェートから撤退すると提案した。 米国国務省はこれが真剣なもので交渉の価値があると述べていた。 けれども、これについては、それ以上我々は何も知らない。というのも、 米国が、これに何の返答もせずに却下し、報道はほとんど何も伝えなかったからである。

けれども、当時−爆撃が始まる直前−、世論調査では、米国市民が、 サダムが行ったという提案を、2対1で、爆撃よりも支持していることがわかった。 これらについて人々が知ることが許されていたならば、多数派はさらに増えていただろう。 国家暴力の大義にとって、事実を抹殺することは、重要な奉仕なのである。

この交渉が実を結んだであろうか?狂信的なイデオローグしか自信を持ったことは言えないだろう。 こうした考えが再来するだろうか?同じである。 結果を見るための一つの方法は、試してみることだ。


4. イラクの潜在的大量破壊兵器については、 他の国々のそれとは別に扱うことを正当化する十分な根拠があるという人もいます。 というのも、サダム・フセインも合意した国連安保理決議第687号のもとでは、 イラクは、クウェート侵略という明白な国際法違反への処罰として、 武装解除すべきだからです。国際社会がイラクの大量破壊兵器を制限しようと試みることは、 正当化されるのでしょうか。この議論をその通りに受け入れるとするならば、 国際的にはどのような派生的効果があるでしょうか?より適切な論理と方法に基づく、 この議論のよりよいやり方があるのでしょうか。 そして、それはどのような意味を持つのでしょうか。

既に述べたように、687には他の条件も含まれている。そして、 それらはいささか重要である。

クウェート侵略は、サダムの犯罪の中でより小さなものだ。 米国が自分の伝統的な支配領域かで行ってきた犯罪についての脚注の一つである、 [イラクによるクウェート侵略数ヶ月前に行われた]パナマ侵略とあまり違いがない。 米国のパナマ侵略は、説得力のある口実など、わずかばかりも無かったのである。 大きな違いは、米国が、ラテン・アメリカの民主諸国からあがった強硬な非難の声 (ほとんど報道されなかった)を無視し、安保理における侵略批判決議に拒否権を発動できたこと、 そして自分がやりたいことは基本的にやってしまえることだ。同じ理由で、 米国のこうした侵略行為については、衛生チェックを受けた歴史からはすべて除去されてしまう。 既に述べたように、ワシントンは、サダムが、米国のパナマ侵略を真似るのではないかと恐れ、 それを避けるために強く働きかけたのである。

中東地域に話を限っても、クウェート侵略は、犯罪ではあるが、 米国が支援したイスラエルによるレバノン侵略のほうがはるかに大きなものであった。 このときは、2万人もの死者が出たのである。そして、困ったことに、 よく知られた多くのより悪い事件を並べ上げるのは、容易なのである。

それは別にしても、上のような議論は、いささか的をはずしている。 10年前の安保理決議(これは武力行使については何も言っていない)が、 侵略を間接的に認めるという議論を行う人々が、 真剣であるかどうかを調べる簡単な方法がある。米国に対して、安保理に働きかけ、 憲章VIIにより武力行使を認めるよう要請することを求めればよい。 それで問題は解決されるであろう。恐らく、武力行使は認められるだろう。 拒否されることはありそうにない。けれども、米国は、少なくとも現在のところ、 国連からのこうした権限付与を欲していないのである。アフガニスタン爆撃のときに、 国連の認定を、それが確実に得られたであろうにもかかわらず拒絶したのと同じである。 こうした理由だけみても、上の議論が問題の的を射ていないことはわかる。

「国際社会」については、実質的に、米国と、誰であれ米国に同調するものを意味している。

より一般的には、核不拡散条約、化学・生物兵器条約、 そして安保理決議687の適切な条件を適用しようとすることは有意義だろう。 そして、全般的な軍縮に向けた真剣な努力を行うのがよい。 そうした動きのためには米国の黙従が必要であるが、ここ米国で大きな変化が起きない限り、 それは極めて難しいであろう。

5. 過去に行われた武器査察の歴史は、査察官たちは、騙されたり、 査察が遅らされたり、あるいは、 実際に任務を遂行することを阻止されたりすることを示しているのではないか? 妥当な査察方法とポリシーはあるのか?そして、それは普遍的に適用できるのか?

むろん、騙される可能性はある。けれども、武器査察は、イラクの軍事力を破壊するためには、 爆撃よりもはるかに効率的であり、これまでも概ね成功してきたように見える。 さらにいうならば、イスラエルの核兵器施設及び(恐らくあるだろう)化学兵器施設に対し、 最後に有効な(あるいはそもそも)国際査察が行われたのはいつだったろうか。 あるいは、米国のそれについては?査察体制を確立し、それを普遍的に適用する必要があるが、 ここでも米国の黙従が必要となる。

6. イラクに対する最近の議会公聴会で、ある証人が、査察が真に有効であるためには、 サダム・フセインが、 査察官が不適切な活動が行われている場所に突然訪問することを阻止できないように、 即応可能な軍事力が必要であると述べていた。この証人は、 イラクがそれに合意することはあり得ないが、こうした部隊を要求することで、 米国は自らの高い道徳を示すことができると述べていた。有効な査察体制のために、 そうした部隊は必要なのだろうか。米国は高い道徳に基づいているのだろうか。 同様に考えたときに、他の人々は、我々に対して何を妥当に要求できるのだろうか。

査察の目的はプロパガンダなのだろうか(「高い道徳的地位を得る」)? それとも、大量破壊兵器(WMD)の脅威を減らすことにあるのだろうか? 前者ならば、この問題については無視してよい。後者であるというならば、 自明の疑問がいくつかわいてくる。兵器査察は、完全ではないにせよ、 非常に有効であったように思われる。これについてのスコット・リッターの証言は説得力があり、 それに対する真剣な反論があったとは聞いていない。それゆえ、 大量破壊兵器(WMD)の脅威を減らそうと望む人々は、 安保理決議687号とそれ以前の決議で要求されており、また、 本当の国際社会が支持しているように、有意義な査察の条件を作り出すことを試みなくてはならない。 数年にわたって、米国は、それを阻止するためにあらゆる手だてを尽くしてきた。 査察は、イラクに対するスパイ活動の隠れ蓑として使われ、その際には、 イラク政権を転覆させるというあからさまな意図があり、そして、恐らくは、 指導者を暗殺するという意図まであったようである。 基本的な規範に反していることをさておいても、こうしたやりかたは、 査察を害するものであり、イラクが査察を受け入れる可能性を大きく減らすものである。 ハマスのスパイによる軍事施設査察をイスラエルが受け入れるだろうか? 1998年に、クリントンは、爆撃準備のために査察団を撤退させたが、 これについて、プロパガンダは、イラクが査察団を追放したと伝えた。 米英の爆撃は、安保理における査察を巡る緊急会議と同じときに行われるよう、 注意深く設定された。国連の枠組みを遵守しようとする立場に対して、 完全な軽蔑を示したのである。そして、爆撃は、査察再開に対するさらなる障害となった。 それ以来、ワシントンは、イラクが、侵略の根拠準備を求める米国スパイによる、 最も深部にわたる査察を受け入れたとしても、何ら違いはないと主張してきた。 チェイニーの最近の見解では、「査察団がイラクに戻ったとしても、それは、 [サダムが]国連決議に従っていることをまったく保証しない」というのだ。 これは、イラクに対して、査察団受入を拒むよう求めているのと同じである。 米国政府が、大きな尊敬を集めてきた国連化学兵器禁止機構の代表ジョセ・ムスタニを強制的に退任させた理由の一つは、 彼がイラクの化学兵器査察をアレンジしようとしており、それが、 米国政府によるイラク査察団受け入れを阻止しようとする策動に反していたからだと言われているが、 それは的をはずれた解釈ではない。主流のコメンテータも指摘したように、 この偽善は特に大きなものであった。というのも、これは、ブッシュが、最後の最後に、 実行条件への批准を拒んで、生物化学兵器条約を弱体化させた後であったからである。 ブッシュが実行条件への批准を拒んだ理由は、一部は、武器条約に反対しているからであり、 また、米国企業の商業上の秘密を守るためでもあり、また、恐らくは、 自分がやっている条約違反が大規模に暴かれすぎないようにするためであると思われる (いくつかについては既にリークされているが)。

そこで最初の質問に戻ろう。査察を阻止するのが目的なのか、促すことが目的なのか? 既に引用した証人は、明らかに査察を阻止しようとしており、それゆえ、まじめに取る必要はない。 逆に、査察を促すことが目的ならば、イラクだけでなく米国政府も問題とする必要がある。

簡単にまとめよう。WMDの計画は、世界をより危険な場所にしている。 サダムのそれは特にそうだ。それゆえ、世界をより安全な場所にするように問題を扱う必要がある。 最上の方法は、有効な実行条件を備えた世界的条約を結ぶことであり、 それを遵守しているかどうか査察する普遍的な査察体制を確立することである。 次善の策は、同様の方式を地域的に採用することである。いずれの場合も、 米国が従うことが必要になるが、それは少なくとも今はとてもありそうにない。 まともな人間は、この状況を変えようと試みるべきである。さらに次に善い策は、 イラクのみに査察団を再び送ることである。それを実現するために、 あらゆる努力をつぎ込むべきである。少なくとも、ただ戦争の口実を見つけようとするのでなく、 重大な脅威を本当に減らしたいと思っているならば。最悪の方法は、今述べたように、 査察団の再訪を妨げようとすることである。けれども、それが米国政策であり続け、 米国はそれによって、侵略を行うお膳立てをしようとしているのである。 計画されている侵略は、恐るべき結末を招いてきたような世界の暴力を減らそうと言う努力のもとで、 長年にわたって苦労して築きあげられた国際法と国際条約に対するさらなる打撃となるだろう。 色々な影響があるだろうが、侵略により、イラクの次期政権を含め、 他の国々も、WMDを開発しようとするだろう。また、ロシアやインド、中国をはじめとする他の国々も、 目的を達成するために他の国々に対して武力を行使することへの敷居を低めようとするだろう。

7. サダム・フセインは、米国や(より現実的には)イスラエルに対して、 避けがたい帰結を知りながら、核兵器を発射するほど狂ってはいないだろうと言われることがある。 けれども、核武装したイラクは、より弱い近隣諸国ならば、 ワシントンがテル・アビブへの核攻撃を恐れるため、 米国(や国連にすら)支援を求めることができないだろうと知っているので、 非核通常攻撃を行えるのではないか?

あらゆる突飛な可能性を想像することができる。それだからこそ、 WMDが出てきて以来、RAND社をはじめとするシンクタンクで、 多くの人々が職を維持している理由である。 これは、そうした中でもより可能性がある例ですらない。 理由の一つは、そうした状況はほとんど生じ得ないということにある。 このシナリオは、サダムが、WMDを手にしており、 それを利用することができるという、信頼できる証拠を示さなくてはならない、 という点を前提としている。そうでなければ、大量破壊兵器は脅威にも抑止力にもならない。 けれども、もしサダムがかなりのWMDを所有しているという証拠が少しでもあれば、 どこかを侵略すると威嚇する前に、サダム自身が粉々にされてしまうであろう。 とりあえず、ゲーム的にものをみるために、サダムがどこかの国を侵略する前に、 WMDを抑止力として示しているときに、 米国とイスラエルが黙ってそれを座って見ているという馬鹿げた仮説を受け入れてみよう。 そのときでも、米国とイスラエルがすぐに侵略に対応して、 サダムを追放(しそして恐らくはイラクを破壊)する。サダムのWMDは、 抑止力にはまったくならないのである。彼の侵略を成功させるためには、 彼ははるかに大きな脅威でなくてはならない。そして、 WMD利用は即時の自殺を意味するので、サダムはたとえWMDがあってもそれを使わないだろうし、 逆に自殺したいのであれば、第三国を侵略する前に、 WMDをイスラエル(あるいは他の誰か)に対して使うであろう。 このシナリオはあまりに現実性に欠くので、 浮かれた想像力によって呼び出される必要のない様々な現実の問題と比べるならば、 ほとんど検討の価値すらない。

こうした遊びを求めているのならば、もっとありそうなシナリオを考えてはどうかと思われる。 米国が政策を変えて、国際的合意に参加し、 イスラエル=パレスチナ問題に対する2国家解決案を支持したとしよう。 例えば、米国が、最近アラブ連盟が採用したサウジ案を支持したとしよう。 そして、イスラエルが、米国を脅迫することで −といっても米国を爆撃するのではなく、何らかの別の仕方で−これに対応したとする。 例えば、イスラエルが、サウジ油田上空に爆撃機(核武装しているかもしれないが、その必要はない)を派遣し、 米国がイスラエルの側につかなければイスラエルに何ができるか示したとする。 このときには、対策を採るには遅すぎる。というのも、イスラエルは警告を実行に移せるからである。 このシナリオにはある程度の現実性がある。というのも、20年前、 サウジ政府が同様の計画を提案し、イスラエルがこれに暴力的に反対したときに、 実際に起こったことだからである。イスラエルの報道によると、 イスラエルはこのとき、米国への警告として、油田上空に爆撃機を送りこんだが、実際には不必要であった。 レーガン政権は、それまでと同様に、政治的解決を目指すその可能性を却下したのである。 確かに、イスラエルは破壊に面してきたかもしれない。けれども、イスラエルの戦略が、 その可能性を許してきたと論ずることもできる。1950年代の昔、当時の政権党だった労働党は、 米国がイスラエルの要求に応じないなら「発狂する」べきであると述べており、 それ以来、どれだけ真剣にかはわからないが、ある種の「サムソン・コンプレックス」は、 政策の一要素となってきたのである。そうであるならば、そうした悪の計画を実行に移す前に、 イスラエルを今すぐ爆撃すべきだということになる。

これらを私は信じているか?むろん、こんなことは考えていない。それは理性的でない。 けれども、このシナリオは、イラクを巡るシナリオと比べて、そう異様なわけではない。

さらに、サダムが、WMDを持っているとして、 それ利用しかねない状況がありうることも考えなくてはならない。もし、 サダムを捕まえたりあるいはよりありそうなこととしては殺害したりする意図を持ってイラク侵略がなされるならば、 サダムには、何も失うものはなくなるのだから、あらゆる手段を使う誘因を手にすることになる。 それ以外のときに、サダムがWMDを使うことは想像しにくい。

8. イラクの人々は、米国のイラク攻撃にどのように対応するだろうか? 米国による戦争の人道的結末はどのようなものになるだろう?

これについては誰もわからない。ドナルド・ラムスフェルドも、私も、誰も。 喜ばしいシナリオを想像することもできる。数発の爆弾が投下され、 イラク共和国防衛隊が反乱してサダムを追放し、楽隊が「米国に神の祝福あれ」を演奏する中で、 米軍兵士が進軍して、群衆が歓喜の声をあげ、現地の人々が、 イラクをアメリカ民主主義と中東地域全体の現代化センター −それは、OPECの規約を破って米国が望む価格帯を維持するにちょうど十分なだけの石油を生産するのだが− というイメージに変えるために進軍する解放者を讃えるというシナリオである。 けれども、もっといささか冷酷な結末を想像することもできる。こちらは、 大規模な暴力に訴えることが決まったときに通常付随するものであり、 それが、暴力行使の道を提唱するものたちがそれを証明しなくてはならない大きな負担を負うべき多くの理由の一つである。 言うまでもないことだが、ラムズフェルドもチェイニーも、 イラクへの戦争をとなえる知識人の誰一人として、 わずかばかりも、この責任を果たそうとし始めてはいないのである。

9. 戦争へと駆り立てている本当の目的はどこにあると考えるか?

背景には、よく知られた昔年の理由がある。イラクは世界第二の石油埋蔵量を誇る。 遅かれ早かれ、米国が、この膨大な宝を西洋の統制下、つまり、 他の国々の特権的アクセスを否定した米国の統制下に引き戻そうとする可能性はあった。 けれども、それはこの間、ペンディングになっていた。 2001年9月11日のニューヨークとワシントンに対する攻撃により、 「対テロ戦争」の口実のもとで、その目的を追求する新たなチャンスがやってきた。 この口実は薄っぺらなものであるが、プロパガンダ目的としては十分だったのだろう。 計画されているこの戦争はまた、国眼前の内的な必要にも奉仕するものである。 ブッシュ政権は、通常の基準をすら逸脱する忠誠をもって少数の富裕権力層に仕え、 普通の人々と将来の世代に対する攻撃を続けている。こうした状況下では、 保健や社会保障、赤字、環境破壊、文字通り生存を脅かす新たな兵器システムの開発、 その他、好ましくない話題の長いリストから、人々の注意をそらすことが望ましい。 伝統的−かつ妥当な−方法は、人々を脅かすことである。 偉大な米国の風刺家H・L・メンチェンは、かつて、次のように述べた。 「現実政治の全目的は、人々を、すべて空想にすぎない終わりのない小鬼を使って、 警戒状態においておく(そしてそれにより、 安全に導かれるよううるさく言いたてるようにする)ことである」。 実際に使われた脅迫が想像上のものであることはほとんどなかったが、 理性的範囲を超えて増大されていたことがほとんどであった。 これは、米国に限らず、「現実政治」の歴史の大きな部分を占める。 サダム・フセインに、今にも世界を−そしておそらくは宇宙を−滅ぼしかねない、 究極の悪の力というイメージを付与するために対した技術はいらない。 そして、我々の勇ましい部隊が奇跡のように恐ろしい敵をやっつけている間、 人々は恐怖に身を縮こまらせている状況では、恐らく、人々は、 自分たちに対して何がなされているかについてあまり注意を払わないだろうし、 そして、「我々の指導者」への賞賛を口にする著名な知識人のコーラスに多くが参加しすらするだろう。 米国の力の優勢は圧倒的なので、ものごとがうまくいかないように見えるときには、 たくさんの蓄えがある。そして、間違いが起こったときでも、 それは忘却の穴の奥深く埋められるか、あるいは、他の誰かが非難されるか、 あるいは、 他の人々も我々と同じくらい慈悲深いと考えた我々の馬鹿げて素直な信念のせいであるとかいうことになる。 これはとても簡単である。これについては、経験の大きな貯蔵がある。

10. 戦争提唱者の中には、イラクに対する経済封鎖が、左翼が主張するほどひどいのであれば、 戦争は、10万人の市民を殺害するほどの戦争でさえ、人道的な祝福であろうと述べるものもいる。 というのも、恐らく、米国の勝利の後では、経済封鎖はないだろうからである。 こうした議論にはどう答えるのか?

過去にも色々と馬鹿げた議論を耳にしてきたが、これは、そうした中ですら、 新たな記録を達成するものだ。これは皮肉としてなされたものではないかと思う。 まず「左翼」の概念について注目しよう:誰よりもイラクについてよく知っている 国連人道調整官(デニス・ハリデーやハンス・ヴァン・スポネック)やUNICEFなどである。 これはいささか、左翼は地球温暖化に憂慮していると言っているのに似ている。 そこから、「こうした主張」を問題視する人々自身は政治的見解のスペクトラムの中でどこにいるのかがある程度わかる。

けれども、それは別にして、この議論には訴えかける点がある。たとえば、 我々は、自爆攻撃が止まるようにするため、イランに対して、 イスラエルを征服し適切な「政権交代」を行うための援助を申し出ることもできるというわけだ。 戦争提唱者たちは、自爆攻撃を残虐行為だと見なしていることは疑いがないから、 提唱者たちは、イランへの申し出を提唱してしかるべきだろう。あるいは、 我々はチェチェンを塵にするようロシアを支援することもできよう。 そうすれば、チェチェン人たちは、ロシア人によるテロと残虐行為の犠牲とならずにすむのだから。 こうした可能性は果てしなく存在する。

11. イラクに対する戦争が中東そして世界の他の地域に与える影響はどのようなものか? 米国のエリートたちはそれを気にするのか?

むろんエリートたちは気にしているが、現在権力を握っている小さな一団は、 あまり気にしないかもしれない。この一団は、自分たちの手には圧倒的な武力があるので、 他の人々がどう考えるかは重要ではないと考えているようだから。他の人々が合意しなければ、 無視すればよいし、邪魔をするならば、破壊すればよい。上級レベルの思考については、 サウジアラビアのアブドゥッラー応じが4月に米国を訪問し、米国政府に対して、 米国がイスラエルのテロと弾圧を強固に支持することに対するアラブ世界の反応にもっと注意を払うべきだと述べたときに、 とても明らかになった。 アヴドゥッラー王子は、実質的に、 米国は彼や他のアラブ人たちが何を考えようが気にしないと言われたのである。 米国のある上級政府関係者は、次のように述べている。 「もし『砂漠の嵐』作戦のときに我々が強いと考えていたのなら、 現在はその10倍強いのである。これは、彼に対して、 アフガニスタンが我々の力について示したものは何かを多少なりとわからせるものだった」。 ある上級防衛アナリストは、これと簡潔にまとめている。他のものたちは、 「我々のタフさに敬意を払い、我々の邪魔をしようとしないだろう」と。 こうした立場については前例があるのだが、それについて述べる必要はないだろう。 けれども、2001年9月11日以降の世界では、この立場は新たな力を得ている。 それは本当だろうか?ありそうではある。あるいは、 外交用語で「適正な休止期間」と呼ばれるものの後で、 世界が爆発するかも知れない。ここでも、大規模な暴力に訴えることは、 歴史が示している通り、そしていずれにせよ常識からわかるとおり、 予期できない結果を生むだろう。だからこそ、正常な人々は、個人的関係においても、 国際問題においても、それを避けるのである。 (ゲッペルスの言葉を言いかえてレーガン政権の知識人ノーマン・ポドホレツが言った言葉を借りるならば) 「武力行使に対する病的な禁止」を乗り越える強力な議論が提供されない限りは。

12. クリストファー・ヒッチンスは、サウジ・アラビアやスコウクロフト、キッシンジャーなどは、 中東地域の不安定化可能性があるためにイラクへの戦争に反対しているけれども、 左派は中東の反動的で腐敗した政権の安定については気にすることがないと述べている。 これは、よく耳にする戦争反対の議論に対する反駁となっているか?

ここで何がポイントになっているのかは理解しがたい。左派は、これまで常に、 米国が「中東の反動的で腐敗した政権」を支援してきたことに反対してきた。 そして、むろん、そうした政権の「不安定化」が何かよりよいものを導くならば歓迎である。 一方で、「不安定化」が、−たとえばヒッチンスが「イスラム的ファシズム」と呼ぶものなどの− さらに悪辣な権力をもたらすのならば、左派はそれには反対するだろう。 そして恐らく彼もそれに反対するだろうと思う。結局、一体何を言いたいのだろうか?

こうした点が、よく耳にするものであろうとなかろうと、少なくとも左派から提起された 「戦争反対」の議論に対し、どのように関係するのかわからない。 スコウクロフトやキッシンジャーの頭にあるのは、別の問題かも知れない。


このインタビューを読んで異様に思えることは、そもそも質問が提起される視点が、 全く無批判の自己中心主義的なものである場合が多いことです。これらの質問に対して、 「イラクでは・・・」と答えたとたん、ナチス・ドイツがユダヤ人排斥を進めている中で、 「ユダヤ人の中にも良い人間がいる」と主張した「良心派」の反論の異様さと同じ異様さを、 回答が帯びてしまうことになります。



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  益岡賢 2002年9月12日/10月8日
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